管理者のバグと公開処刑のプロジェクション
眼鏡を殺され、僕の視界からはグリッド線も色彩も消え失せた。
そこにあるのは、何の補正もかかっていない、ただの無機質な生徒会室の光景だ。
ラノベなら、ここで第一巻が終了。主人公は完敗し、ヒロインは連れ去られる……。そんな、ありふれたバッドエンドの体裁を整えるには、十分すぎる状況だった。
「どうしたんだい? 言葉も出ないかな」
銀縁眼鏡の管理者、瀬戸秋人が優雅に脚を組み替える。
彼の「Type-7」は、暗い室内で勝ち誇ったように白く発光していた。
「……一ノ瀬さん」
「……なに、佐藤くん」
隣で僕の腕に縋り付く一ノ瀬さんの体は、小刻みに震えていた。
眼鏡がなくてもわかる。彼女の心拍は限界を超え、今にも泣き出しそうだ。
僕は、ポケットの中で高熱を発している「解析端末」を握りしめた。
手探りで側面のボタンを押し、バッテリー残量を確認する。
『【Mental Battery:12%(LOW)】』
(……キツイな。昨日の全校ハッキングの消耗が回復しきってない)
この端末は、僕の精神力を燃料に動く。
今からやろうとしている広域強制介入には、莫大なコストがかかる。残量12%では、発動と同時に僕の意識がブラックアウト(気絶)する可能性が高い。
だが、震える一ノ瀬さんの手を振りほどくわけにはいかなかった。
(……ま、気絶したら介抱してもらうさ。それくらいの貸しはあるだろ)
僕は、解析端末のボタンを特定のパターンで叩いた。
「一ノ瀬さん。……君のスマホ、昨日のうちに僕の端末と同期設定しておいて正解だったよ」
「え……? あ、あんた、いつの間に私のスマホに……っ」
「……パフェ代とバーガー代の利息です。……瀬戸。君は『管理』が平和を作ると言ったね」
僕は、動揺する一ノ瀬さんを自分の背中にかばうように引き寄せ、瀬戸を真っ直ぐに見据えた。
「でも、親父が言ってたよ。管理されすぎたシステムは、往々にして『最も見せたくない部分』から腐っていく。――それを、世間一般ではバグと呼ぶんだ」
次の瞬間、僕は解析端末の画面を、見ることなくポケットの中でフリックした。
脳髄を直接絞り取られるような、強烈な脱力感が襲う。
『【Warning:バッテリー残量が危険域に突入。精神活動に支障をきたす恐れがあります】』
うるさい。知るか。
僕は残りの精神力を全て叩き込み、コマンドを実行した。
『【強制コマンド実行:全方位投影】』
パチン、と指を鳴らしたかのような音と共に、生徒会室の照明が一斉に落ちた。
「なっ、停電か!?」「東条、予備電源を――!」
狼狽する生徒会メンバー。だが、完全な闇が訪れる前に、僕のポケットから三つのレンズが、強烈な光を四方の壁面へと照射した。
「……な、なんだ、これ……っ」
瀬戸の震える声が響く。
バッテリー残量【3%】。視界が揺らぎ、立っているのがやっとの状態。
だが、壁に映し出されたのは、僕の命を削って晒す価値のある、あまりにも「完璧な生徒会長」にそぐわない光景だった。
『うおおおぉぉ! あーりん! あーりん! 今日も天使だぁぁ!!』
大音響のコールと共に映し出されたのは、ライブ会場の最前列で、ピンク色のド派手なハッピを羽織った瀬戸秋人本人だった。
今の冷徹な姿からは想像もできないほど顔を紅潮させ、両手に持った三連ペンライトを狂ったように振り回している。
『はい! はい! はいはいはいはい!』
映像の中の彼は、キレッキレの動きで**「オタ芸」**を披露していた。
さらには、地下アイドルの握手会で、剥がしのスタッフに必死に粘りながら、デレデレに鼻の下を伸ばして「あーりんの笑顔は僕の酸素なんだ!」と熱弁を振るう姿。
自室でアイドルの抱き枕を抱きしめ、頬ずりしながら「……デュフ、あーりん、おやすみ……」と囁く深夜の記録。
「や、やめろ……。やめろぉぉぉぉ!!」
瀬戸の冷徹な仮面が、音を立てて粉々に砕け散った。
彼は顔を真っ赤に染め、銀縁眼鏡をズラしながらソファから転げ落ちる。
「……ああ。君の言う通りだね。確かに『嘘』で塗り固められた管理社会は平和だ。……でも、この映像(真実)が全校生徒の端末に送信された後も、君がその席にいられるかな?」
言い終えた瞬間、僕の膝がガクンと折れた。
限界だ。バッテリー残量【0%】。
「さ、佐藤、くん……!?」
倒れそうになった僕を、一ノ瀬さんが慌てて支える。
眼鏡がなくても、彼女の体温と、甘いパフェの匂いが伝わってくる。
「……悪い。ちょっと、充電切れだ。……肩、貸してくれ」
「……っ! もう、バカ! 無茶ばっかりして……!」
一ノ瀬さんが引き気味に、けれど力強く僕の体を支えてくれる。
その温もりが、空っぽになった僕の精神を少しずつ満たしていくようだった。
「……君のスマホの通信経由で、生徒会の専用Wi-Fiを逆探知したんだ。……瀬戸。一万円の報酬にしては、少し手間がかかりすぎたよ」
『【報酬確定:三〇、〇〇〇円が振り込まれました】』
『【理由:学園の秩序の核心をデバッグ完了。特別ボーナス加算】』
「あ、あぁ……最高だわ、佐藤君……(金色)」
暗闇の中、西園寺麗華さんだけが、頬を紅潮させ、恍惚とした表情で僕を凝視していた。
「……一ノ瀬さん。帰ろうか。……ポテト、冷めちゃうから」
「……え、ええ。そうね。……というか、パフェもいいかしら。今日はもう、特大のやつじゃないとやってられないわ」
僕たちは、床に這いつくばって泣き叫ぶ瀬戸と、銃を構えたまま石化した東条たちを放置して、重厚な扉を開け放った。
◇
駅前の『ファミリーガーデン』。
いつものボックス席で、一ノ瀬さんは運ばれてきたチョコレートパフェを、無言で、けれど凄まじい勢いで攻略していた。
「……一ノ瀬さん。一口でブラウニーを三つ放り込むのは、喉を詰まらせるリスクが高すぎます。……あと、さっきの生徒会室でのことだけど」
「……言わないで。……一ノ瀬凛の歴史の中で、あんなに最低で、最高にスカッとした瞬間はなかったわ……っ。佐藤くん、あんた、本当に……最悪のヒーローね」
彼女はスプーンを止め、少しだけ鼻を赤くして僕を見た。
少し休んで回復した僕の精神力で、眼鏡を再起動する。
そこには、絶望の青も、申し訳なさの紫もなかった。
『【思考ログ:佐藤くん。……本当に、僕の隣にいてくれるんだね(鮮やかなサクラ色)】』
『【思考ログ:この恩は……いつか、一生かけて返さなきゃ(濃いピンク)】』
「……一ノ瀬さん。そのログ。……重すぎますよ」
「えっ!? あんた、今私の心読んだ!? またそのキモい眼鏡で!!?」
一ノ瀬さんがパフェの容器を抱えて身を隠す。
僕は窓の外を眺め、冷えかけたメロンソーダを啜った。
明日からは、今日よりさらに面倒なことになるだろう。
『生ける化石』は死んだ。代わりに、この学園には『聖女を連れた怪物』が誕生してしまったのだから。
「……。ごちそうさま。一ノ瀬さん、そのパフェ代、二〇〇円貸しにしとくから」
「ケチ! あんなに報酬もらってた癖に!!」
騒がしい月曜日の夜は、まだ終わる気配を見せていなかった。
◇
主のいなくなった生徒会室。
点滅する非常灯の下、一人の少女がソファの背後に座り込み、無心にノートPCを叩いていた。
オーバーサイズのパーカーに、首にかけたヘッドフォン。
生徒会書記――如月律。
彼女は瀬戸の醜態には目もくれず、画面に流れる無数のソースコードの「残骸」だけを見つめ、低く、愉しげに笑った。
「……ふーん。マインド・ロジック社の第七世代プロテクトを、外部端末からワンタップで強制突破……。変態的。凄まじいクソコード。……最高に面白いじゃん、佐藤カイ」
彼女の瞳に、サイバーグリーンの文字列が反射する。
「ボクのテリトリー(学園ネットワーク)を荒らしたお返し、たっぷりしてあげるよ。……覚悟しててね、お兄さん」




