情報の海とネタバレ厳禁
金曜日、昼休み。
僕――佐藤翔のスマホ画面には、ドット絵の少女が住み着いていた。
『おっはよー、カイくん! 今日のラッキーアイテムは焼きそばパンだよ!』
画面の中でぴょんぴょん飛び跳ねているのは、旧校舎の絵画から回収した『神崎瑠夏(高校生Ver.)』のAIデータだ。彼女は現在、僕の解析端末のナビゲーターとして常駐している。
「……やかましいな。バッテリー食うから大人しくしててくれ」
「ちょっと! なによその美少女ゲームみたいな画面! 壁紙は私が勝手に撮った『寝顔の佐藤くん』にしなさいよ!」
隣の席の一ノ瀬陽茉莉さんが、僕のスマホを覗き込んでキーキーと騒ぐ。
その時、ミニ瑠夏の表情が真顔(ドット絵)に変わった。
『警告だよ。……次の「大罪」の反応を検知。場所は地下、サーバールーム。コードネームは“Greed(強欲)”』
「強欲……?」
『そう。誰かが、身の丈に合わない「情報」を飲み込もうとしてる』
嫌な予感がした。
この学園で、サーバールームの管理者権限を持っているのは、たった一人しかいない。
◇
放課後。僕と一ノ瀬さんは、生徒会室ではなく地下への階段を降りていた。
空調の低い唸り声だけが響く、薄暗い廊下。最奥にあるサーバールームの扉は、電子ロックが解除され、半開きになっていた。
「……うわ、寒っ。なによここ、冷蔵庫?」
「サーバー冷却用の空調がフル稼働してるんだ。……行くぞ」
重い扉を開けると、そこは光の洪水だった。
壁一面に設置された数十台のモニターが、目まぐるしい速度で文字列を流している。その中心に、小柄な人影が埋もれるように座っていた。
生徒会書記、如月律。
彼女は大きなヘッドフォンを付けたまま、うわ言のようにブツブツと呟きながらキーボードを叩き続けている。
「……もっと。もっとリソースを。……学園の全てを、ボクの制御下に……」
僕が眼鏡をかけると、彼女の周囲には**【泥のような褐色】**のログが渦巻いていた。いつもの知的な【サイバーグリーン】ではない。
『【解析結果:Sin_Code 05 "Greed"(強欲)】』
『【特性:対象の「知識欲」「支配欲」を暴走させ、精神容量の限界を超えた情報を強制インストールする】』
「如月先輩!」
僕が声をかけるが、彼女は振り返らない。
モニターには、学園中の防犯カメラ映像、生徒たちの個人LINEのログ、テストの解答データ、教師の給与明細……ありとあらゆる「知ってはいけない情報」が表示されていた。
『あはは……すごい。全部見える。ボクは今、神様だ……』
彼女は自分の「感情」や「人間らしさ」を対価に、脳の処理能力を拡張し続けている。このままでは、彼女の脳が焼き切れる。
「止めなきゃ……!」
僕が一歩踏み出した瞬間、空気が歪んだ。
床下の配線が鎌首をもたげ、無数の蛇のように僕たちの手足を拘束する。
『……渡サナイ。ボクノ、知識。ボクノ、世界……』
モニターの山から這い出してきたのは、ケーブルの塊でできた巨大な赤ん坊――ホロウ『全知の捕食者』。
その顔に埋め込まれたディスプレイには、泣きじゃくる如月先輩の表情がノイズ混じりで映し出されていた。
「くっ、実体化しやがったか……!?」
『邪魔ヲ、スルナ』
スピーカーからノイズ混じりの声が響く。同時に、僕の眼鏡と脳内に、大量の**「知りたくない真実」**が流れ込んできた。
『【情報攻撃:クラスメイトAの佐藤への悪口「陰キャきもい」】』
『【情報攻撃:一週間後の数学テストの点数「28点」】』
『【情報攻撃:将来の禿げる確率「68%」】』
「ぐっ……!?」
物理的な痛みではない。だが、精神が削られる。
バッテリー残量が**【70% → 55%】**へと急落した。
見たくない。知りたくない。未来の確定情報なんて、毒でしかない。
隣では、一ノ瀬さんも頭を抱えていた。彼女の目の前のモニターに、甘い誘惑が表示される。
『見タイダロウ? 佐藤翔ガ、本当ハ誰ヲ好キナノカ。二人の未来ガ、ハッピーエンドカ、バッドエンドカ……』
「……ッ」
「一ノ瀬さん! 見るな!」
僕が叫ぶよりも早く、一ノ瀬さんは顔を上げ、モニターを睨みつけた。
「……うるさいわね!!」
彼女は、持っていたスクールバッグをフルスイングでモニターに叩きつけた。
バゴォン! という音と共に、画面にヒビが入る。
「佐藤くんのことはね、データじゃなくて本人から直接聞くのよ! 未来なんてどうでもいい! 私が今、隣に座ってポテト食べてる、その事実だけで十分なの!」
彼女のログが**【鮮烈なサクラ色】**に輝き、情報の濁流を押し返す。
「ラブコメの結末を先読みするなんて、無粋なことしてんじゃないわよ! ネタバレ禁止!!」
「……はは。さすがマケイン。その場しのぎの生命力に関しては最強だな」
一ノ瀬さんの「今を生きる図太さ」のおかげで、僕の視界もクリアになった。
ハッキングで対抗しようとしたが、ホロウは『論理防壁』を展開している。こちらのコードは全て「非論理的」として弾かれてしまう。
(論理では、AI(計算機)には勝てない。……なら)
僕は解析端末を構え、叫んだ。
「一ノ瀬さん! 今だ、僕に『理不尽』を流し込め!」
「はあ!? よくわかんないけど、ムカつくからこれでも食らいなさい!」
一ノ瀬さんが、僕の背中に全力で体当たり(抱きつき)をしてくる。
彼女の「お腹すいた」「帰りたい」「佐藤くん好き」という、支離滅裂で膨大な感情データが、僕のデバイスを通じてホロウに流出する。
『【警告:解析不能(Unknown)データを受信。処理落ちが発生】』
『ナ、ナンダ……コノ、非効率ナ……感情ハ……ッ!?』
ホロウの動きが止まる。
「論理」の化け物は、「恋する乙女の理不尽さ(カオス)」を処理しきれずにフリーズしたのだ。
「今だ……!」
僕は拘束を振りほどき、部屋の隅にある分厚い配電盤へと走った。
如月先輩がキーボードを叩く手が止まらない。彼女の指先からは煙が出ている。
「律。……情報の海で溺れるな」
僕は呟く。
「美味しいご飯の味も、風の冷たさも、君の好きなポテチの塩気も……データじゃ絶対に分からないだろ!」
僕は、サーバールームの**「主電源ケーブル」**を両手で掴み、全体重をかけて引き抜いた。
ブツンッ。
部屋中のファンの音が止まり、ホロウの断末魔とともに、無数のモニターが一斉にブラックアウトする。
訪れた完全な静寂と闇。
その一瞬の隙に、僕は解析端末のフラッシュを焚いた。
「――デバッグ完了(強制終了)!」
カシャリ。
闇の中でシャッター音が響き、知識を貪る赤ん坊は、ただのデータの塵となって消滅した。
◇
非常灯の赤い明かりだけが灯る室内。
椅子の上で、如月先輩が呆然と天井を見上げていた。
「……あ、れ。ボク……」
神の視点は消え、ただの小柄な少女に戻っている。
彼女は自分の手を見て、それから僕を見た。その瞳には、いつもの挑発的な色はなく、ただ子供のような不安だけがあった。
「……お兄さん。ボク、怖かった。……何もかも知ってるのに、何も感じなくなっていくのが、怖かった……」
彼女のお腹が、グゥ〜と可愛らしい音を立てた。
感情と感覚が戻ってきた証拠だ。
「……お腹、空いた」
僕はポケットを探り、昼休みに食べそこねて潰れてしまったクリームパンを取り出した。
「これしかないけど。……食べるか?」
「……うん」
如月先輩は、ぺちゃんこのパンを両手で受け取り、一口かじった。
デジタルな情報ではない、糖分と炭水化物の味。
「……データより、こっちの方が甘いね」
眼鏡越しに見える彼女のログに、初めて**【微かなサクラ色】**が混ざったのを、僕は見逃さなかった。
『【成功報酬:三〇、〇〇〇円が振り込まれました】』
『【ボーナス:如月律の「好意」フラグの解放を確認】』
「あーあ。佐藤くん、また変なフラグ立てて……」
一ノ瀬さんがジト目で僕の袖を引っ張る。
スマホの中では、ミニ瑠夏が『カイくん、モテモテだねぇ〜(ニヤニヤ)』とメッセージを出していた。
「……うるさい。クリームパン代、如月先輩に請求するぞ」
強欲な知識の暴走は止まった。
けれど、僕を巡るヒロインたちの「独占欲」という名の強欲は、まだ収まりそうになかった。




