観測者の指輪と元祖・負けヒロイン
音楽室の『嫉妬』を鎮静化した直後。
僕――佐藤翔の目の前で、神宮寺華恋がしゃがみ込んでいた。
ショートした彼女のスマートコンタクトは機能を停止し、鉄壁だったプロテクトが剥がれ落ちている。
眼鏡越しに見えるのは、金持ちの余裕など微塵もない、**【寂しい灰色】**のログ。
『【思考ログ:……パパ、ママ。私を見て。……私、役に立つから……お姉ちゃんみたいに優秀になるから……捨てないで……(灰色)】』
「……神宮寺。大丈夫か」
「み、見ないでください! 今の私は、商品価値が下がってますから!」
華恋は顔を覆って後ずさる。
僕はため息をつき、視線をあえて彼女から逸らした。
「安心しろ。君が寂しがり屋のファザコンだってことは、誰にも言わないから」
「……っ! 最低です先輩! デリカシーなさすぎです!」
「ちょっと佐藤くん! なんでそんなに詳しいのよ! 私の時は『重い』とか文句ばっかり言うくせに、この子には優しいじゃない!」
一ノ瀬さんが、僕の背中をバシバシと叩く。
やれやれ、とりあえず一件落着か――そう思った、次の瞬間だった。
『あらあら。随分と楽しそうね、佐藤博士の息子くん』
放送スピーカーから、ノイズ混じりの女の声が響いた。
神崎ルカ(ルシフェル)。
同時に、音楽室の扉がガタガタと震え、窓の外が「砂嵐」の映像に書き換わる。
『でも、私の「嫉妬」はまだ終わっていないわ。……その空間ごと、情報の藻屑になりなさい』
「なっ、扉が開かない!?」
一ノ瀬さんがドアノブを回すが、びくともしない。
空間隔離。ピアノの残響データを使った結界バグだ。
僕の手元の解析端末を見る。バッテリー残量**【10%】**。さっきのデバッグで消耗しきっている。この出力じゃ、結界を破れない。
「……詰んだか」
僕が覚悟を決めた、その時。
空間そのものが、ガラスのように「切り裂かれる」音がした。
「――やれやれ。若いねえ、ルカ君は。昔からしつこい女は嫌われると相場が決まっているのに」
砂嵐の空間に、銀色の亀裂が走る。
そこから悠然と姿を現したのは、仕立ての良いスーツを着たダンディな紳士――学園長・九重宗介だった。
「が、学園長!?」
「やあ。少し迷子のようだね、二代目くん」
九重学園長は、左手の中指にはめた**『銀色の指輪』**を、閉ざされた空間にかざした。
『【解析:マスターキー権限を確認。バックドアを開放します】』
指輪が光り、空間に「非常口」がこじ開けられる。
攻撃的なハッキングではない。システムの隙間をすり抜ける、幽霊のような手際。
「さあ、おいで。お茶の用意はできているよ」
◇
学園の最上階。学園長室。
アンティークな家具に囲まれた部屋で、僕たちは高級な紅茶を出されていた。
「……ん〜! このクッキー美味しい! 佐藤くんも食べなさい!」
一ノ瀬さんは緊張感なく、出された茶菓子をリスのように頬張っている。この図太さだけは、どんな強敵よりも頼もしい。
学園長はそんな彼女を見て目を細め、僕に向き直った。
「さて、佐藤翔くん。……君のお父さん、佐藤博士と私は、かつてのマインド・ロジック社の創業メンバーだったんだ」
「……親父と、知り合いだったんですか」
「ああ。そして、今君たちを襲っている神崎ルカともね。……実はね、私たちはこの神代学園の**『同級生』**だったんだよ」
「……え?」
予想外の言葉に、僕は息を呑んだ。
「数十年前、私たちはあの**『旧校舎』**の片隅にあった科学部で、毎日実験に明け暮れていた。今君が持っているデバイスの基礎理論は、あそこで生まれたんだ」
学園長は窓の外、夕闇に沈む旧校舎を懐かしむように見つめた。
「なぜ、『七つの大罪』と呼ばれるバグが、あの旧校舎にばかり現れるのか。……それはあそこが、神崎ルカにとっての**『青春の墓場』**だからだよ」
「……墓場?」
「当時、神崎ルカと君の父さんは、最強のペアであり……恋人同士だった。彼女は完璧な論理で世界を愛し、君の父を愛していた。だが――」
学園長の目が、少しだけ悲しげに揺れた。
「父さんはある日、一人の女性に出会った。君のお母さんだ。彼は『完璧な理想』よりも『不完全な人間』であるお母さんを選び……組織と、神崎を捨てて姿を消した」
僕の脳裏に、いつもハンバーグを作って待っている母さんの笑顔が浮かぶ。
親父が選んだのは、バグだらけの、けれど温かい日常だったのか。
「あの日から、神崎の時間は止まったままだ。彼女にとって、君の持つデバイスは『自分を捨てて作った愛の結晶』であり、同時に『憎き恋敵との間に生まれた息子』がそれを使っていることが許せない」
学園長はカップを置き、重苦しく告げた。
「つまり神崎ルカは、**『元祖・負けヒロイン』**の亡霊なんだよ。……彼女が旧校舎に撒き散らしているのは、当時消化しきれなかったドロドロとした怨念そのものさ」
「……それが、あいつの動機」
世界征服でも、金でもない。
ただの、こじらせた未練と八つ当たり。
でも、だからこそ厄介だ。感情で動くバグは、論理では排除できない。
「私は、かつての同僚として彼女を止めたい。だが、私の『指輪』は観測しかできない。……彼女の止まった時間を書き換え(デバッグ)できるのは、あの人の息子である君の『スマホ』だけだ」
◇
夕暮れの校門。
話を聞き終えた僕たちは、重い足取りで帰路についた。
神宮寺華恋は、ずっと俯いたままだ。
「……私も、同じです。パパは、優秀なお姉ちゃん(西園寺)ばかり見て、私なんて見てくれない。……神崎ルカと、一緒です」
「……神宮寺」
彼女は、親の愛が得られなかった自分と、選ばれなかった神崎を重ねているのだろう。
僕はため息をつき、彼女の頭にポンと手を置いた。
「……親父がどうとか、過去がどうとか関係ない。君が今困ってるなら、僕は依頼を受けるよ。金払いのいいクライアントは歓迎だからな」
「……せん、ぱい」
華恋が顔を上げる。
ショートしていたコンタクトが再起動し、彼女のログが表示される。
そこにあったのは、寂しい灰色ではない。
**【ギラギラと輝く、野心的な金色】**だった。
『【思考ログ:……決めました。パパに買ってもらうんじゃなくて……私が先輩を『手に入れます』。この人の目(愛)があれば、私は最強になれる(金色)】』
「……ふふ。ありがとうございます、先輩」
華恋は不敵に微笑むと、一ノ瀬さんに向き直った。
「負け犬先輩。……宣戦布告です。佐藤先輩の隣、これからは私が『実力』で奪い取りますから。一〇億より価値のある方法でね」
「はぁ!? 上等じゃない! ポテトの恨みと合わせて倍返しよ! 佐藤くんは私のバッテリーなんだから!」
バチバチと火花を散らす二人のヒロイン。
元祖・負けヒロインの亡霊と、現役・負けヒロインたちの戦い。
僕の平穏な日常は、まだまだ遠い場所にあるようだった。




