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透明な令嬢と嫉妬の旋律

「単刀直入に言いますね。――一〇億円でどうですか?」


 放課後の昇降口。

 突如現れたツインテールの美少女、神宮寺華恋ジングウジ・カレンは、可憐な笑顔でとんでもない金額を提示してきた。彼女の指先には、ブラックカードが挟まれている。


「……じ、一〇億?」

「はい。先輩のその『目』と『技術』、私の専属デバッガーとして契約してほしいんです。西園寺の女を出し抜くためなら、これくらい安い投資ですから」


 一〇億円。僕の月五〇〇〇円のお小遣いの、何万年分だ?

 喉から手が出るほど欲しい。一生遊んで暮らせる。

 だが、僕の眼鏡グラスは、目の前の少女に対して何も映し出していなかった。


『【解析不可:思考ログ Not Found(透明)】』


(……読めない。この笑顔の裏に、花束があるのかナイフがあるのか、全く判断できない)


 全能感に慣れきっていた僕にとって、この「透明な不気味さ」は恐怖でしかなかった。


「ちょっと! 何勝手なこと言ってんのよ!」


 そこで、僕の背後から一ノ瀬陽茉莉イチノセ・ヒマリさんが噛み付いた。


「一〇億だろうがイチ〇〇億だろうが、佐藤くんは渡さないわよ! 彼は私の……私の精神安定剤バッテリーなんだから!」

「……一ノ瀬さん。言い方が物扱いなんですが」

「うるさい! あんたは黙って私の愛を充電してなさい!」


 一ノ瀬さんは僕の左腕を抱きしめ、華恋を威嚇する。

 華恋はきょとんとした後、鈴が転がるように笑った。


「あはは! 面白いですね、先輩たち。……いいですよ。今日は一旦引きます。でも、明日のお昼、覚悟しておいてくださいね?」


      ◇


 翌日、木曜日の昼休み。

 僕と一ノ瀬さんが、いつもの中庭のベンチで昼食を広げようとした時だった。


「先輩! お昼ご一緒しましょー!」


 神宮寺華恋が、従者と思しき男子生徒に巨大な包みを持たせて乱入してきた。

 彼女がベンチに広げたのは、漆塗りの**『三段重』**だった。


「専属シェフ特製の懐石弁当です♡ A5ランク和牛のステーキ、伊勢海老のチリソース、キャビア添えの冷製パスタ……。先輩、あーんしてあげますよ?」


 蓋を開けた瞬間、暴力的なまでの「富の香り」が漂う。

 対する僕たちの膝の上にあるのは、購買の焼きそばパンと、一ノ瀬さんの持ってきた茶色いタッパー(昨日の残りの野菜炒め)だ。


「あらら。先輩の隣の方……ずいぶんと質素ですね。可哀想に。そんな貧相な食事じゃ、心まで貧しくなっちゃいますよ?」


 華恋が扇子で口元を隠し、一ノ瀬さんを煽る。

 一ノ瀬さんのログが、悔しさで**【どす黒い青色】**に染まる。


『【思考ログ:……くやしい。お金持ちだからって……。私だって、お金さえあれば……(青)】』


 だが、次の瞬間。

 一ノ瀬さんは涙目で割り箸を構えると、電光石火の速さで重箱の中へ突き出した。


「……んぐっ!」


 彼女は華恋の弁当から、一番大きな和牛ステーキを奪い取り、口いっぱいに頬張った。


「ちょっ、何するんですかこの野良猫!」

「んぐ、んぐ……っ! くやしい……! でも美味しい……っ! 佐藤くんも食べなさい! 敵の補給物資よ!」

「……一ノ瀬さん。君のプライドは食欲の前では無力なんですね」


 僕も勧められるまま伊勢海老をいただく。美味い。資本主義の味がする。

 華恋は顔を真っ赤にして抗議するが、そのログは依然として**【透明】**のままだった。だが、肉を奪われた瞬間、彼女の周囲の空間に一瞬だけ「ノイズ」が走ったのを、僕は見逃さなかった。


      ◇


「……騒がしいわね。品がない」


 そこへ、氷のような声が降ってきた。

 生徒会副会長・西園寺麗華サイオンジ・レイカだ。彼女は校舎の窓から、冷徹な瞳でこちらを見下ろしていた。


「あら、西園寺のお姉様。……相変わらず、心が凍りついたような顔ですね」

「神宮寺のお嬢様こそ。三流企業の娘が、私の学園で餌付けごっこかしら」


 バチバチと火花が散る。西園寺(氷)と神宮寺(炎)。二大財閥の令嬢同士の因縁が、中庭の気温を下げていく。

 西園寺さんは華恋を一瞥した後、すれ違いざまに僕の耳元で囁いた。


「気をつけることね、佐藤君。神宮寺の技術テックは『遮断』に特化している。……彼女の瞳に入っている**『スマートコンタクト』**。あなたの眼鏡の天敵よ(金色)」


『【解析:対読心プロテクト機能付きレンズと推定】』


(……なるほど。物理的に遮断していたのか)


      ◇


 放課後。

 僕たちは生徒会からの依頼で、第2の都市伝説バグの調査に向かった。

 場所は旧校舎の音楽室。『呪いのピアノ』の噂だ。


 無人の音楽室に入ると、そこには誰もいないのに、勝手に鍵盤が沈み、不協和音を奏でるグランドピアノがあった。


『【解析完了:Sin_Code 02 "Envy"(嫉妬)】』

『【特性:持たざる者たちの怨嗟。対象の「恵まれた境遇」への精神攻撃】』


「私がデバッグしてみせます! 先輩、見ててください!」


 華恋が自信満々に前に出る。彼女は懐から、神宮寺社製の新型デバイスを取り出し、ピアノに接続しようとした。

 だが、ピアノが放ったのは、鼓膜をつんざくような高周波と共に再生される、無数の「嫉妬の声」だった。


『……死ね、金持ち』『……お前ばっかりズルい』『……親の七光りが』


「――っ!?」


 華恋が悲鳴を上げて膝をつく。

 彼女に向けられた「嫉妬」の直撃。コンタクトのプロテクト機能が過負荷を起こし、火花を散らした。


「いけない。……一ノ瀬さん、充電(手)!」

「わかってる! あの子、生意気だけど……今、『独りぼっち』の顔してるもの!」


 僕は一ノ瀬さんの手を強く握り、彼女の体温をエネルギーに変えて、解析端末をピアノにかざした。


『【デバッグ・コード:ノイズキャンセリング・ハーモニー】』


 僕の端末から放たれた逆位相の波形が、ピアノの狂った旋律を静寂へと書き換えていく。

 ピアノの動きが止まり、バグが霧散した。


「……ふぅ。大丈夫か、神宮寺」


 僕が膝をついた華恋に手を差し伸べた、その時だ。

 ショートしたコンタクトの影響で、彼女の鉄壁のプロテクトが一瞬だけ解除された。


 眼鏡の奥。

 華恋の頭上に浮かんだのは、金持ちの余裕など微塵もない、**【泣き出しそうな、寂しい灰色】**のログだった。


『【思考ログ:……パパ、ママ。私を見て。……私、役に立つから……お姉ちゃんみたいに優秀になるから……捨てないで……(灰色)】』


「…………っ」


 華恋はハッとして、すぐに笑顔の仮面を被り直した。

「……さ、さすが先輩! 助かりましたぁ!」


 だが、もう遅い。

 僕は見てしまった。彼女もまた、親の愛に飢え、誰かに認められたくて必死にもがいている、一人の「迷子」であることを。


(……なんだ。こいつも、一ノ瀬さんと同じ『マケイン』側かよ)


 華恋の笑顔が、ひどく痛々しく見えた。


 ふと、視線を感じて校舎の最上階を見上げる。

 学園長室の窓際。

 夕日を背に、ダンディなスーツ姿の男がこちらを見下ろしていた。

 その指にはめられた**「銀色の指輪」**が、一瞬だけ、不気味にキラリと光った気がした。


「……誰だ? 生徒会じゃない。もっと『深い場所』から、僕たちを観測している……?」


 新たなヒロインの孤独と、正体不明の観測者。

 僕のデバッグ生活は、まだ平穏には程遠いようだった。

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