ちっちゃい令嬢の婚約破棄 ~あなたにあたしはもったいないっ!~
公爵家のガゼボにてエリーズは子供用の椅子に腰かけて、熱い紅茶を優雅に飲んでいた。
「それでね、この間はピクニックに行ったのよ。隣国の状態も落ち着いたしね、お父さまと、それからフェリシアンも一緒にね」
「へー」
「本当は、二人はきっと狩猟会の方が楽しいのよ。でもそれではあたしが楽しめないからって準備してくれてね」
婚約者であるアドルフにきちんと伝わるように必死になって背筋を伸ばして彼のことを見つめていた。
しかし彼は、エリーズが話し始めると途端に退屈そうだった。
彼は散々自分のことを話した後だったので、疲れて興味が無くなってしまったのかもしれないとエリーズは考えて、この話が終わったらお開きにしようかと考えた。
「だからとても嬉しくて、今度良ければあなたとも一緒に行きたいわ」
「いや、俺はいい。お前のお守りなんてしたくないし」
「……迷惑はかけないもの」
「メイワクハカケナイモノ! だって、ははは。相変わらず舌足らずだな。子供っぽい」
彼はおかしなふうにエリーズを真似して裏声で茶化した。子供っぽいと言われてもエリーズは実際に子供である。それにそれを揶揄われて怒るような感情はあまり持ち合わせていない。
なので色々考えたが、結局あえて口を閉ざす。
「……」
「あ、黙った! 無視かよー、本当に子供だなっ、すぐ不機嫌になって、いいよなそうしていればすぐにナニーがあやしてくれるんだから」
「……」
そんなことはない。
まったくもってそんなふうにはされていないし、自分の機嫌ぐらい自分で取れるエリーズである。むしろ時たま、聞き分けが良すぎたり、賢すぎて大人に驚かれることすらあるレベルなのだ。
普段もきちんと社交の場ではニコニコとしているし、誰も彼もに大人っぽくていいお嬢さんだと言われる。
外見は宝石みたいな青い目と、まっすぐでサラサラの金髪を持ったお人形みたいに素晴らしい女の子。
完璧だとすら言われることがある。
しかし、婚約者の彼に対してだけはそうもいかない。エリーズはジトッとした目で彼のことを見て、やっぱり黙っていた。
……でもこれってもう仕方がないのよね。この人、そういう時期だから。
そして彼に対して、とても冷めた考えを持っていた。
彼は大人と子供のちょうど間の時期でこんなふうに人を小ばかにしてマウントと取ったり人を過小評価したり、将又、攻撃的になったりする時期なのだ。そう父が言っていた。
だから仕方ないと思ってやろうとエリーズは考えていた。
ただしにっこり笑って話を聞いてやろうという気は起きなくて彼のことを単に見つめた。
それでも彼はエリーズのその表情の変化には気がつかない。
「俺が子供の時なんて、弟たちと取っ組み合いの喧嘩をしたりな? 逞しくないとやっていけなかったんだ」
「……」
「そういう根っこの部分の頑丈さってのがお前には足りないよな。ああ、一人っ子だからか? それとも女だからか? どっちもか!」
彼は自分はエリーズとは違って苦労をしていてエリーズとは違って強くたくましい男なのだとアピールするのに必死だった。
自慢と言い換えてもいいかもしれない。五歳以上年下の子供に聞かせて自分の小さな器に似合わない大きなプライドを慰めようと必死になっている。
その様子は見ていて楽しいものではないし、相手を下げて必死で自分を大きく見せようとする彼の行動はあまりに不快なものだった。
「そんなじゃあとても貴族社会でやっていけないな、この間なんて俺、舞踏会に参加したんだ、その時に声をかけた女性はなんと━━━━」
そうして彼は、また自分の話を始めた。
どうやら彼は、話をしすぎて疲れたから反応が悪くなっていたというわけではなく、単純にエリーズの話に興味がなかっただけなのだとわかった。
そしてこの”そういう時期”というものはいつまで続くのだろうかということも同時に思った。
結局彼は好きなだけ話をして、自分が満足するとお茶会を切り上げた。
まぁエリーズとしてももうこれ以上、彼と話をしたいとは思っていなかったので、すました顔で彼のそばについて見送りのために廊下を歩く。
彼はずんずんと歩いていき、エリーズとの距離が離れていく、そして自分のペースで歩きながらエリーズは考えていた。
……ここ最近ずっと、彼と接すると毎回同じ気持ちになるのはなんでかしら。
毎回とても冷たい気持ちになるのである。他の人と接すると楽しかったり感動したりもっとそばにいたいと思ったり、たくさんの感情が浮かぶものだと思うのだが、それらはまったくない。
これがどういうことなのかエリーズはまだ答えを持ち合わせていなかった。
すると彼の前方に、フェリシアンの姿があった。
丁度彼が帰ってくる時間と重なってしまったようで、アドルフはなにを考えたのかそのまま躊躇せずに、彼の行き先を阻むように前に立ち、声をかけた。
「ブロンダ伯爵子息じゃないか、こうしてあいさつするのは初めてだな。俺はエリーズの婚約者で、この国のノディエ伯爵家の跡取りのアドルフだ」
「……」
「よろしく頼む」
そうして手を差し出した。しかし、フェリシアンはその手を取ることはなくとても不機嫌そうな顔をして、アドルフのことを見つめている。それはとても当たり前の反応だった。
「……なんだ、失礼な奴だな、お前。俺がせっかくこうして話しかけてやったっていうのに」
けれどもアドルフはフェリシアンのその態度が気に入らなかったらしい。
二人は睨み合ってエントランスにはピリッとした空気が広がり、やっと遅れてエリーズが到着した。
「アドルフ、同じ年ごろ同士で、仲を深めたいと思うのはいいけど……よく考えた方がいいと思うの」
「は?」
「そうだね」
エリーズの言葉にフェリシアンは同意する。
彼はたしかに、ソシュール公爵家の”親戚筋”であり、隣国からこちらに留学に来ている貴族令息だ。
そして跡取りでもない。むしろその争いを避けるためにこちらの国にいる。それがどういうことなのかアドルフはきちんと考えた方がいい。
ソシュール公爵家は、王家にも匹敵する尊い血筋を持っている。
だからこそエリーズも魔力が多いし、フェリシアンだってここにいるとしても一方的にアドルフが声をかけていいような相手ではない。
そんなことは、きちんと勉強をしていて、貴族社会でたくさんのことを学んでいると自分で言っていた彼ならばわかるだろうとエリーズは思った。
しかし彼は、二人の言葉にさらに首をかしげてそれから、おもむろにフェリシアンの方を手で押して突き放した。
「なに言ってるんだ? 跡取りにもなれないような男にどうして俺が気を使ってやる必要がある?」
そして彼はまったくわかっていないというようにエリーズのことを見てため息をついた。
「エリーズが仲良くしているから、俺も彼に気を使うべきだと?」
「そうじゃないわ。でも、人には事情があるもの」
「事情? 跡目争いに負けて命惜しさに逃げてきたって事情だろ? なっさけないなぁ」
エリーズの言葉はアドルフにまったく届かない。
煽るように大袈裟に言いながらフェリシアンのそばに寄った。
「なのにソシュール公爵家で優雅に留学なんて、あー、もったいない。こんな奴にそんなチャンスがあるなんて不相応だろもったいない」
……もったいないなんて……。
フェリシアンは気にしていない様子だったが、エリーズはその煽り文句に腹が立った。
それでも自分の倍近くある男性が怒りをあらわにしている状況に突っ込んで止めようとすればエリーズはひとたまりもないだろう。
そう思うと動けなくて、ぎゅっと手を握ってフェリシアンのことが心配で見つめていた。
「そのうえ、公爵令嬢にも気に入られて、いい気になってんじゃないのか? エリーズに取り入って俺から奪うつもりか? やめとけ、逃げ腰の男なんかにはもったいない、女だ」
「それはエリーズ様に失礼じゃないかな」
「はははっ、たしかにそうだな、お前みたいななよなよした負け犬にエリーズが靡くなんてそんなの失礼か?」
「そういう意味じゃないよ。……なんというか、はぁ、小さい男だな」
彼のあおりに乗らずにフェリシアンはアドルフのことをそう形容した。
アドルフがこうして誰にも彼にもこんなふうなのはエリーズの中ではそういう時期だからという理由があった。しかしフェリシアンの反応を見てはたと気が付く。
よく考えてみるとフェリシアンだって同じような年頃で、そういう時期のはずである。
……でも、フェリシアンはとても落ち着いていて、フェリシアンと過ごしていてそういう時期なのねって思うことはなかったわ。
そう気がつく。
「なんだとっ」
フェリシアンの言葉に彼は腹を立ててさらに肩を小突く。それを皮切りにフェリシアンは杖を取って下から上に振り上げた。
ボッと小さな爆発が起こったみたいな音がして、アドルフは弾かれたように天井を向いてそのまま仰向けにまっすぐ倒れていって、床に激突しそうだった。
けれどもふわりと、フェリシアンの魔法で少し浮いて、ぱたりと倒れる。
「はぁ、エリーズ。私は用事があるから、行くね」
「あ、う、うんっ」
「またあとで」
そうして彼は申し訳なさそうにエリーズに声をかけて去っていく。少し待つとアドルフは意識を取り戻して起き上がりフェリシアンを探した。
「……フェリシアンはもう行ったわ」
「は? 見てだだろ、エリーズ! っくっそ、俺はあいつに一発喰らわせてやらないことには━━━━」
「やめて! わかったでしょ。あの風の魔法」
「た、たしかに隣国の高貴な人間が持つ練度の高い魔法だったが、俺だって魔法持ちだ、あんなことをしてただで済むと思わせるのは癪に障る!」
「そうじゃないのよ!」
「今度会ったらタダじゃ済まさない……お前も、屋敷にいるからと言って気を許すんじゃない、わかったな。俺という婚約者がいるんだから、いいな。お前は子供なんだから俺の言うことを聞いていればいいんだ」
ガシリと肩を掴まれて、彼の瞳はギラギラと光っていた。
子供だからとバカにして、他人の事情も知らずに、突っ込んでいってヒントを与えられてもまったく理解できない。
そして自分より格下の相手に自分の強さをアピールすることしか頭にない。
それがありありとわかって、エリーズは口を引き結んで返す。
エリーズはまだまだ子供でできることなどたかが知れていて、彼からしたら取り繕う必要もない人間かもしれない。
でも、当たり前にいろいろなことを考える。そして子供だとしてもできることはちゃんとあるしやるべきだ、自分のためにも。
決意して、エリーズは父とアドルフに真剣な話があると呼び出した。
アドルフは、突然呼び出され不服そうではあったが、父の手前文句は言わずに座っている。
応接室に話し合いの場が整えらえると、父は「それで」と切り出す。
「折り入って話をしたいこととはなにかな。エリーズ、アドルフ君も突然呼び出してすまないね」
「いえ……俺は別に」
「こうは言ってくれているが跡取りとして彼にもいろいろとやるべきことがあるそれはわかってくれているね」
アドルフを気遣いつつも父はエリーズを促す。
そうして、きちんと尊重してくれている父だからこそエリーズは安心してコクリと頷いた。
それからとても純粋な子供らしく笑って彼らの目をまっすぐ見て言った。
「話というのは、えっとね。そう、あのね。お父さま」
「うん」
「もったいないって言葉、知っている?」
「うん?」
子供っぽく笑ってエリーズはとても無邪気なつもりになって床についていない足をぱたりと揺らしてゴキゲンに続ける。
「あたし、もったいないって言葉って、物を無駄なく使うためにあると思ってたのよ」
「それは、おおむねそうだ。もったいない物の使い方をしてはいけないし、我々貴族であっても、慢心して無駄ばかりしていたらいつか痛い目を見るからね」
「そうよね。だから言わなくちゃと思って」
エリーズはゆったり笑ってピッとアドルフのことを指さした。
「あたしってアドルフのお嫁さんにするにはもったいないと思わない?」
「……」
「なっ」
「だってね、こんなに可愛くて、公爵令嬢だし、同年代の中でも魔力も多いし、先生たちにだって褒められる」
胸に手を当てて自分のことを語る。アドルフの表情はすぐに怒りに代わりエリーズのことをギッと睨みつけた。
「それなのにアドルフみたいな男の人に嫁ぐなんて無駄が多すぎてもったいないじゃない?」
「……」
「こういうふうに、人に対して使うこともあるのよね、もったいないって。だからそれを知ってどうしても言いたくなったのよ」
「……エリーズ、それは違う」
キラキラとした瞳を向けて父に自慢するように言って見せた。
すると父はとても困った顔をして、それから首を振る。
「そんなふうに人を貶めてはいけない。誰と比較しているのだかわからないけれど、誰がどんなものを手にしていようと他人がかってに決めつけて侮るようなことを言ってはいけない」
「あら、そうなの?」
「ああ、人には人の事情があるし、一面的な部分しか見ずに決めてはいけないよ。悪いな、アドルフ君、娘が失礼なことを言って」
「あ、いえ」
父はアドルフのことをフォローしてとても正しいことを言った。
エリーズだってまったく同じように思うし、本来そんなことは簡単には決められないけれども、今回に限ってはそう言うのが一番しっくりくると思ったのだ。
だから父の言葉を訂正する気はなくて、小さく微笑んだままアドルフを見ていた。
「いったい、誰にそんな言葉を教わったんだい、エリーズ」
「そうね、彼から」
そうしてまた指さした。
「は? ……お、俺はなにもそんなことは」
言われたアドルフは怪訝そうな顔をして否定するが、間違っていない。彼から教わった。
「言っていたわ。アドルフは、もったいないって。たまたま鉢合わせたフェリシアンに、ソシュール公爵家に留学するなんてフェリシアンのような負け犬にはもったいないことだって」
エリーズは拙い口調で言葉を紡ぐ。
とても無邪気にあったことをただ報告するように続ける。
父の顔はすぐに強張ってアドルフを見た。
「フェリシアンに突っかかって怒って、どついて、もったいないって怒っていたわ。人の話も聞かないで、怒っていた。だからフェリシアンは見せたのよ。風の魔法を」
「あ……」
「……」
「でもそれを見ても、次あったらタダじゃすまさないって怒りだして、あたしすごく怖かったもの。事情があるのに聞かないで、考えないで、そんな人ってあたしにちょうどいいの? 彼とあたしはぴったりの人間?」
落ち込んだような顔をして少しうつむく、すると父の視線はさらに鋭くなる。
一方アドルフは当時のことを思いだしたらしく、小さく声をあげてそれから弁明するために口を開いた。
「いや、それはあいつが生意気な態度を取ったから、そんな人間にはもったいない機会だろ! って話だ! そうだっただろ、ただ俺はだから指摘してやっただけだ!」
「でも人には人の事情があるのよ」
「だから、事情って、よその国で跡目争いに負けたってことだろ。それとこれにどんな関係があるんだよ。これだから子供はそうやってくだらないことをわざわざ大人に大袈裟に言って!」
エリーズの言葉にアドルフは腹を立てて、語気が強くなる。
「大袈裟じゃないのに━━━━」
「別にいいだろ、それに貴族にとって序列はなにより大切だ。お前みたいな温室育ちの箱入り娘にはわからないだろうが、弱肉強食なんだっ! 分からないくせに口出しするな、引っ込んでろよ!」
「……酷いわ」
「静かにしてればいいんだ、知った顔をしやがって」
エリーズが反論すると彼はさらに声を荒らげてエリーズに対して日ごろ思っている言葉をぶつけた。
悪態をついて、それからバツが悪そうにガシガシと頭を掻いてから父に視線を向ける。
「はぁ……つ、強い言葉で言い過ぎたかもしれませんが、これぐらいはまぁ、当然だと思います。俺は間違っていませんし、こんな場を設けて何を言うかと思えば俺を侮辱して」
父は彼の言葉に黙っていた。
「俺はただ、正しいことを言っているだけです。あのフェリシアンという男だって俺に無礼を働いた、それをとがめるのだって貴族の役目ですよね」
最終的に少し笑みを浮かべて、同意を求めるように問いかける。
しかし、父はゆっくりと長いため息をついて「そういうことか」とつぶやいた。
「な、なんですか」
「……エリーズすまない。そうだな。君は本当に頭がいい」
「あら」
父の言葉にエリーズはうふふと笑って口を閉ざす。
そしてあとは父の仕事である。
「彼のような男性は君に不相応だ。きちんと教えてくれて助かった」
「どういう、意味、ですか」
「アドルフ君。君は一人前の貴族になったつもりでいるし、幼いエリーズの話もきちんと聞く必要がないほど自立していると示した。その決意は固そうなので同じ貴族として言おう」
父の言葉はとても冷たく、優しい父親の姿から変わって彼は公爵として未熟で傲慢な彼に鋭い視線を向ける。
こういう時の父はとてもかっこよくてエリーズは大好きである。
「君はなにもわかっていない。明確にわかる権威だけでしか人を図らず、人の価値をそれでしか見ることができず、自分の権威を振りかざすことしか頭にない愚か者だ」
きっぱりとした言葉に、アドルフは表情をさらに硬くする。
「な、何故そんなことを」
「……そもそも話は聞いているだろう。彼、フェリシアンがソシュール公爵家に留学に来ているのは、親戚筋だからだ」
「だから、親戚のブロンダ伯爵家の子息で……」
「たしかに遠い親戚ではあるが、我々はそもそもそちらがメインの系譜ではない」
「……」
「そして、隣国の王族で起こっていた王位継承争いのこと、彼が風の魔法を使って見せたこと、ヒントは山ほどあったはずだ」
父は少しずつ情報を開示していく。
たしかにアドルフが言う通り、無礼な態度を取るだけの跡目争いに敗れた伯爵子息だったとしたら、それはいざこざになっても仕方がないともいえる。
その場合でも、エリーズはあんなふうにしてほしいとはとても思えないが、それだけならば貴族として咎められることではない。
しかし時に、複雑な事情を持った人間はいるものだ。
そういう時にきちんとその背景を知って判断し自分の身の振り方を決めなければ、権力者が移り変わり、予測できないまま進んでいく社会で足を取られることになる。
「彼はここにいる、しかし本来の名前を名乗ることができない。だから誰も説明しない。けれど皆しっかりと状況を考えて接している。エリーズもそれを示唆することを言っていたんじゃないのか」
「まさか……そんな、は?」
「それを子供だからと侮って無視した。君はなにも見えてない、自分を大きく見せたい時期もあるだろう。その気持ちはわかる、しかし大きく見せようと躍起になって誰も彼も敵に回せば君に待っているのは破滅だ」
「っ、」
「とても君のような男に娘を任せようとは思えない。婚約は解消させてもらう」
アドルフはやっと自分のやったことを自覚した。
事情というのは結局のところ、フェリシアンが隣国の跡目争いに負けた伯爵子息ではなく、第二王子であるということだ。
どういった事情があったのかはエリーズも深くは知らない。
けれども、彼が逃げる先として親戚関係のあったソシュール公爵家が上がった。けれども国として王子の亡命を受け入れるというのは得がない。
公には受け入れられない。だからこそ別の身分を使ってこちらに留学してきている。
そういう話だった。だからこそ王家の持つ風の魔法を彼は見せて、察させようと行動したし、エリーズも必死に止めた。
それでも彼は自分のことばかりでまったくもって気がつかなかった。
「なっ、っ~、り、理不尽だ! 俺はただ、いつも通りに、当たり前のことをっ」
「当たり前に、相手の事情も考えず相手を小突いて、睨みつけて怒鳴りつけて、怒るの?」
彼が必死になって父に対して言った言葉をエリーズは横から攫って返す。
「っ、」
「それだけでももう、ちいちゃな男。そういう時期でも許せない。あなたなんて、あたしにまったくふさわしくないもんっ」
「こ、このっ~」
そう言ってエリーズはプイッとそっぽを向いた。
青筋を立ててアドルフは拳を握るが、父はエリーズの頭をなでる。
「はははっ、そうだな。今回はこういう致命的なことがあったが、そもそも、そんな人間はいつか痛い目を見るのが落ちだ。視野が狭すぎて、器も小さい。それにしてもエリーズはまた小さい男なんて言葉、よく知っているな」
「本で読んだわ」
「偉いな。君は本当に優秀な女性だ。そんな君には、ふさわしくない。アドルフ君、帰ってくれ。君には本当に幻滅した。今回のことは、君の実家にも事情も含めて丁寧に伝えさせてもらおう」
「待ってください、そんなっ、っ親バカかよっ!」
父はエリーズを抱き上げて、颯爽と立ち上がる。
アドルフの言葉に「その言葉もきちんと伝えておくから」と言って、背をむける。
「っ、クソッ、っ」
まったく動じない父の様子に、アドルフは自分の腿を拳でたたいて歯を食いしばる。
その様子を父の肩越しでエリーズは見て、優雅に笑って小さく手を振った。
もう彼とは顔を合わせずに済むだろう。それがうれしくてエリーズは輝くような笑みを浮かべる。その姿はやっぱりお人形のように美しく可愛らしいのだった。
その日の夜、エリーズの部屋に来客があった。
もう寝る準備をし終えたころだったので、他人に会える格好ではなかったが相手がフェリシアンであったため眠たげな頭で対応した。
温かいはちみつ入りのミルクを飲みながらおっとりと彼のことを見つめた。
「……夜分に悪いね」
「いいえ、別にいいの」
「……」
「……」
甘い味が口いっぱいに広がって体がぽかぽかと温かい。
今日はアドルフに見切りをつけてしっかりと別れることができたいい日なのでその達成感も相まってとてもおいしく感じられた。
「……私のことで、婚約者と別れることにした聞いたよ、エリーズ」
「そうね。だいたい、そうよ」
「あの時のこと、私はまったく気にしてない。そう君にも言ったよね」
しかし彼は落ち込んでいるらしく浮かない表情だ。
その様子にエリーズはさすがにまったりとした眠たい気持ちを取り払って、ぎゅっと目をつむってから背筋をただした。
「だから私に義理を立てなくてもいいんだ。今は伯爵令息の身、それでいいんだよ」
「……」
「それに元々、身の丈にあっていない身分だったんだよ。だから、あんなことになって多くの人に迷惑をかけてここにいる。気にしないでほしいんだ、だから」
エリーズはことりとミルクの入ったカップを置いて、向かいに腰かけているフェリシアンの元へとむかった。
どうやら彼は自分のせいでエリーズが大切な人と別れたと思っているらしく思いつめている。
しかし、まったくそんなことはない、それに……。
「違うわ。あなたのためじゃないわ。あたしが、嫌だっただけあの人は今回のことがなくてもきっと別のところで別れてた、と思うのよ」
「……」
「それにね。フェリシアン、あたし……」
彼の手を取る。それからはにかんで笑みを浮かべる。
「こんなに可愛いし、頭もいいし、いい子だもの。大切に尊重されて当たり前よ。あなたがそうしてくれるみたいに」
「……そ、そんなつもりはないけど」
「いつも優しいじゃない。彼にも気づかせようとしてくれた」
「そ、そんなつもりじゃないけど」
「ねぇ、フェリシアン、あたし可愛くて、賢くて完璧でしょ」
「そうだね。君はたしかにあんな暴力的な人にはもったいないけど」
エリーズの自己肯定感の塊みたいな言葉にも彼は否定もせずに頷く。
そしてさらに加えてそう言ってくれる。その言葉が嬉しくて彼の手を小さな両手でぎゅっと握る。
「そうよね。こんなあたしは、もっといい人と幸せになるべきなの。それに優しくてかっこよくて強いあなたも、誰にも酷いことなんていわれるべきじゃないもの」
「……私も?」
「うん。あなたも、だからあの人は許せない。許さなくたっていい、自分だけを大事にしている人なんて駄目よ。一緒に居たくないもの」
慰めるように言葉を尽くした。
彼は納得しているような様子ではないものの否定はしない。
「そうでしょ。あたしはとっても素敵、あなたも同じぐらい素敵、それでいいのよ。大事にするわ、あなたを。あなたがあたしを大事に想ってくれるぐらい」
「……」
「わかってくれた?」
エリーズは小首をかしげて聞いた。
彼は、少し困った顔をして呟くように言った。
「……こんな立場で君とはこんなに歳も離れているのに、私は妙なことを口走りたくなる時がある」
「あら」
「どんなことかは聞かないでほしい、エリーズでも、もうごめんなんて言わないよ」
そう言って彼は、エリーズの手を引いて体を寄せて抱きしめた。彼の中の気持ちにエリーズはきちんと気が付いた。
けれども彼のお願い通りに聞かない。
そしてちらりとアドルフの言葉が閃いた。
『フェリシアンにエリーズはもったいない』
そんなことを言っていたと思う。けれどもエリーズはそうは思わない。
丁度とは言わないけれど、もったいないなんてことはない、向き合うに値するエリーズのことを大切にしてくれる人だ。
だからこそゆっくりとその交流を深めていけたらいいなと思うのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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