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『死因:階段。称号:大賢者。──童貞のまま世界を救う男の話』

作者: pyoco

「なぁ……相棒……」

「くぅ……?」

「いつになったら俺はお前に名前を付けてやれんだろうな?」

「わふっ!」

「……そのうち、つけられんのかなぁ……」


この世界じゃ名は契約。資格が足りない者は命名できない──女神のロック付きだ。

呼ぼうとしてみる。「──《#_&/》」

喉の奥で名前だけがモザイクになる。マジで性格悪い仕様。


あのクソ女神、本当に性格が終わってる。


────────────


──目覚めなさい。

……目覚めるのです……。

…………………。


「起きろコラァァッ!!」


「……ッがはぁっ!?」


脳を直接ブン殴られたような衝撃で、俺は飛び起きた。


「いっっってぇ……!? な、なに……? どこ……ここ……?」


反射的に出た情けない声。

でも、仕方ないだろ。目を開けたら──壁も床も天井も“光”だぞ?


「……え? 俺、たしか……階段から落ちて……」


そう。あの最悪の瞬間が、スローモーションで蘇る。

母親の「アンタこれ何ッ!?」という声。

エロ本。

転倒。

死亡。

──あぁ、思い出したくなかった。


そして、俺の前には──腰まで流れる金髪、白い神衣、完璧なスタイルの女神。


……が、なぜか腹を抱えて爆笑していた。


「ぶはははっ、無理っ……無理ぃ〜っ!!」


「いや、なんで!? 笑うとこ今!?」


「だってぇっ……エロ本見られて階段から転落死ってぇっ!!

死因として完成度高すぎるでしょぉぉ!!」


女神は床をドンドン叩いて涙を流していた。

地獄より恥ずかしいってこういうことだ。


「やめろおぉぉぉ! もう黙って成仏させてくれ!!」


「ふぅ〜……笑った。はいっ、おめでとうございますっ!」


パンッ!


クラッカーが鳴る。

(え、祝われた!?)


「えー、リョウヤさん! 『日本人ダサ死ランキング』、堂々の──第1位でぇーす!!」


「喜べるかぁ!!」


「というわけで、特典付き異世界転生権をプレゼントしま〜す!」


「……特典って、何があるんだよ」


「うーん……あ、あったあった。前世データね。えっと、リョウヤ、29歳、童貞、職業は──“社畜”。

ふっ、平凡すぎて逆に泣ける。あっ、でも最期は超ド派手♡」


「ド派手じゃねぇよ! 事故だよ!!」


「ん〜、そうねぇ……。エロ本と童貞ってキーワード的に繋がるでしょ?

じゃあ、特典は──“魔道の極み”! どう? 響きかっこいいでしょ?」


「……おお、強そうだな!」


「でしょ? 転生後でも“魔法的”にも“性的”にも大賢者を目指せるわよ! 童貞さん♡」


「ぶっ飛ばすぞ女神がァァ!!」


「きゃーこわーい♡ じゃ、がんばってね〜! 魔道と童貞のハイブリッド大賢者さまぁ〜!」


光が弾ける。


「はっ!? ちょ、まっ──!」


「いってらっしゃ〜い、ドーテー♪」


「このクソ女神がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


光の中で意識が遠のく。


──俺の異世界人生は、開始一秒目から羞恥プレイで始まった。


────────────



で……今は町で。


「ちょっと〜! リョウヤ! サボらないでよ、またニアおばさんに叱られちゃうよー!」


「……あぁ、わかったって」


腰を上げて、木の桶を引き寄せる。

乾いた喉が焼けるようだ。


「──《母なる水の精霊よ、我に潤いを。水装陣アクア・インスタンス》」


ぽこんっ、と瓶の中に澄んだ水が溜まっていく。

ひやりとした湿気が指先にまとわりつき、喉の砂粒が内側から洗い流される気がした。

ひとつ、またひとつ。

気づけば、朝からずっとこれの繰り返しだ。


……なんで俺、異世界で“水道”やってんだ?


理由は簡単だ。

そう──最初の転生直後、俺は盛大にやらかしたのだ。


────────────


あのとき俺は“魔道の極み”という名前に、すべてを賭けていた。

きっとハーレムを築ける、王にでもなれると思ってた。

だから──街に着くなり、こう叫んだ。


「──《炎の精霊よ、我に神聖なる焔を! 烈火爆陣フレア・バースト》!」


──どぉん。


あっという間に門前で小火騒ぎ。

門番たちが慌てて飛び出してくる。


「おいバカ! 何やってんだ!? 通行前の詠唱禁止だ!」


「い、いや! 俺はただ挨拶代わりに魔法を──」


「──《魔封陣アンチマジック・プロテクション》」


ふわっ。

革製の抑魔腕輪をひねった門番の手首で、埋め込まれた抑魔晶が青白く点灯。

同時に、門扉の鉄板に刻まれた抑制紋が薄く輝き、俺の炎は霧になって消えた。煙だけが残る。


「……え?」


「今時、前衛も連れない魔法使いなんざ通用しねぇよ。戦技スキル使えんのか?」


「せ、戦技……?」


「魔法だけの時代なんざ終わったんだよ、坊主」


その後、俺は門番三人にタコ殴りにされた。

(魔道の極み、物理には極めて弱い。)


────────────


かつての魔族戦争の名残で、どの町にも“アンチ魔法装備”が常備されている。

結果、魔法は戦闘手段としては時代遅れ。

今はもっぱら──日常用スキルだ。


火をつける。

畑を耕す。

水を売る。


……そんなのが現実だった。


────────────


「おっけー、これで最後っと!」


満杯になった瓶を荷台に積み込み、汗をぬぐう。

魔道の極み(称号持ち)が、町の水売り。泣けてくる。


「お疲れ〜! 今日はもう終わりでしょ? ね、相棒ちゃんも連れて西の平原行かない?」


声をかけてきたのはリアナ。

冒険者ギルドの受付嬢で、この街で唯一の良心。

俺が転生直後に行き倒れてたとき、飯と寝床を世話してくれた恩人でもある。


「……あぁ、そうだな。行くか。

 ほら、相棒、行くぞ!」


木陰で寝ていた相棒が「わふっ!」――尻尾が一回、音を立てて地面を叩き駆け出した。


「ふふっ、今日も元気ね!」


リアナの笑顔がまぶしい。

……まぁ、転生先は思ってたのと全然違うけど。

それでも今は、悪くない。


そう思える自分が、少しだけ悔しかった。



◆ ◆ ◆



それからも平和な日常が続いた。


井戸小屋は、昼の残り熱で木がほのかに温かかった。

屋根の隙間から差す光に、砂塵がゆっくり漂う。


「底、また泥が上がってるね」

リアナが縄を確かめながら覗きこむ。相棒は入口で待機、尻尾だけ忙しい。


「じゃ、やるか。──《渦洗陣スワール・リンス》」


ぽうっと井戸口が青く縁取りされ、底で渦が立つ。

水柱は上げない。底の汚泥だけを巻き上げ、側壁の石目に詰まった苔と砂を剥がす。


「次。──《澄化陣クラリファイ》」


水面に細い膜が張り、泥だけがするすると“皿”に乗って集まっていく。

リアナが合図。俺は柄杓で膜ごと泥をすくって桶へ。

地味? そうだよ。だが蛇口は派手に回らない。


「はい、最後。──《導水陣アクア・ダクト》」


井戸の外、土中の細い水脈へ魔力を伸ばし、井戸の内側へ“傾斜”をつける。

水は高いところから低いところへ。世界のルールを少しだけ手伝ってやる。


「……やっぱり君の水、冷たさが違う」

リアナが掌で一口含んで笑った。相棒は足元で“三口飲み”のあと、ご満悦に「わふ」。


「井戸柵も締め直しとく」

釘の緩みを見つけて打ち込むと、木の鳴き声が一度だけ短く返ってきた。


「ありがと、助かる」

リアナは腰の革袋から紙片を出し、井戸小屋の柱に留める。

『本日点検済 冒険者ギルド』。

町の子らは、これを見ると安心して汲みに来るのだ。


「ねぇ、リョウヤ」

「ん」

「さっきの“導水陣”、前より持続してる。何か変えた?」


「…ちょっとだけ。渦と澄化の“終わり際”に導水の詠唱を重ねた。

 ──《同時シンク》は無理でも、**“重なりかけ”**ならイケるかもって」


リアナは目を丸くして、それから頷いた。「そういうの、好き」

彼女の声は、乾いた井戸に落ちる雫みたいに短く響いた。


────────────


夜。ギルド裏の石段。

街灯は油を惜しんで早く消えるから、空のほうが明るい。


「昔ね」

リアナが言い出す。相棒は俺の足に顎を乗せて、呼吸だけで温い。

「井戸がひとつ止まった年があって。水番の家の子が、遠回りで井戸を運んで…冬の前に倒れたの。

 それから、うちのギルドは“点検”を仕事に入れた。地味でも、誰かがやるって」


俺は空を見た。星は、数を間違えたふりで多すぎる。


「……それ、何歳のとき?」

「十」

「……そっか」


会話はそこで一回、自然に止まった。

止まったところで、喉が勝手に動く。


「なぁ、リアナ。魔法ってさ、使い方が古いだけで、まだ伸びしろある気がする」


「へぇ?」

「アンチ魔法は“正面の一撃”を殺す。だったら、正面で殴るのをやめる。

 細かく、遅く、重ねる。戦わないで、環境を動かす。

 井戸は、今日それで上手くいった」


リアナは少し考えてから、笑った。「今日のあなたに、珍しく現実が追いついてる」


褒め言葉なのに、どっかに棘があって気持ちいい。

相棒が「わふ」と相槌を打ち、俺の靴紐を噛んで邪魔をする。

よし、決めた。


「明日から、**詠唱の“重なりかけ”**を研究する。

 詠唱の語尾と語頭を繋げる“継ぎ目”を見つけたい。

 いずれは“流体みたいに繋がる魔法”を作る。蛇口を回しっぱにできるやつ」


「名前は?」

「え、名前?」

「魔法の。好きでしょ、そういうの」


俺は考えて、笑ってしまった。

思いついた名を呼ぼうとして——喉の奥で、ほんの僅かにノイズが減った気がした。


「──《#_&/》」

……まだモザイクだ。でも、今までより“粒”が小さい。経験値、たぶん一滴増えた。


「ね、いつかその“#_&/”に、本当に名前を付けられるといいね」

「……あぁ。絶対に」


風が石段を滑り降りていく。

遠く、夜回りの笛が二回。静かな町の音だ。

その静けさに、うっすら不協和が混じるのに気づいたのは、この夜からだ——

行方不明の張り紙が、翌朝には一枚だけ増える。




◆ ◆ ◆



朝。

街は静かに、だが確実にざわついていた。


「……また、誰かが攫われたらしいよ」


すれ違った商人がそう呟いた。

女たちは外に出なくなり、子供たちは門をくぐることすら許されない。


露店は開いている。だがそこに、肝心の“花”がない。

昨日まで賑やかだった少女たちの姿が、今日は一人も見当たらなかった。


「なぁ……相棒。やっぱり目の保養がない生活ってのは、男としてキツいわ」


俺がため息混じりに言うと、

相棒は首を傾げたあと、短く「わふっ!」と鳴いた。


……いや、まさかとは思うけど──

「お前がいれば十分だろ?」って顔すんなよ。

いやまぁ、いるけどさ。犬だけどさ。


そんな軽口すら空回りする朝だった。



ギルドへ向かう。

リアナに会って、仕事をもらう──はずだった。


けれど、そこには異様な人だかりができていた。


ザワ……ザワ……

街の喧騒が、輪郭を失って薄れていく。


心臓だけが、無意味に速くなる。

誰かが石で喉元をなぞったみたいに、冷たい。

背筋に、スッ……とナイフが這うような感覚。


俺は無意識のまま、人混みをかき分けた。

そして目にしたのは──


【リアナ 行方知れず】

情報を求む ──冒険者ギルド


その文字だけが、まるで火傷のように視界に焼き付いた。


「……え。……嘘、だろ……?」


喉が乾く。

呼吸のリズムが狂い、足元の感覚すらあやふやになる。


そのとき、

袖口を「くいっ」と引く感触があった。


「……相棒?」


見下ろすと、相棒が真っ直ぐな目で俺を見て──

「ワフッ!」と吠えた。


それは、まるでこう言っているかのようだった。


“ついて来い”



鼻を地面に擦り付けるようにして、相棒が駆け出す。

その後を、俺はただ必死に追った。


ああ、神でも女神でも何でもいい。

あいつの性格が悪くてもいい。

だから──


お願いだ。あの子を、リアナを──返してくれ。



そして、

相棒がピタリと足を止めたのは、市場の外れだった。


そこには、漆黒の馬車が止まっていた。


「……これか?」


相棒は“違う”とばかりに首を横に振る。

けれど、鼻先で馬車の車輪を示すように、「ワフ」と低く鳴く。


俺は周囲の視線に気を配りながら、馬車の横へまわり込んだ。


見つけたのは──

扉に刻まれた、見覚えのない紋章。

幾何学模様に囲まれた、王冠の印。


「王族……の馬車……?」


何かがおかしい。

だが、もう俺の足は止まらなかった。


「……よし。着けてみるか?」


そう言うと、相棒はまるで“待ってました”とばかりに、尻尾をブンと振って「ワフッ!」と応えた。


その瞳は、完全に“突撃モード”だった。

やる気満々なその顔に、少しだけ笑ってしまう。


「まったく……お前、本当に頼りになるな……」


俺は馬車を睨んだ。


──誰が相手でも関係ない。

──俺の、大切な人を連れてった報いは──今、返してもらう。



────────────



屋敷についていくと、夜だというのに外壁の装飾灯が一斉に点り、煌びやかに光っていた。

(これ、潜入すんの厳しいだろ……見せびらかし要塞かよ)


策をこねていると、通路をぐったりした様子のリアナが誰かに連れていかれるのが見えた。

悩んでる時間はねぇ!


いくら屋敷がアンチ魔法具だらけでも──やるしかない。

俺は練習してきた**多重魔術(二重詠唱)**に入る。


まずは魔力感知センサーの死角を洗い、視認阻害を上書き。

危なそうな廊下の継ぎ目(床石に刻まれた薄い抑制紋)は、相棒が鼻先で示してくれる。

(そこは踏むな、ってことね。了解)

壁の陰から陰へ、抑魔灯の青白い明滅をやり過ごし、なんとか明かりの漏れる部屋の前まで辿り着く。


扉の前には、屈強な兵が二人。手首には革製の抑魔腕輪──埋め込まれた抑魔晶が、微かに呼吸のように明滅している。


「……やるしかないか」


ふと脳裏をよぎるのは、転生したばかりのとき門番にボコられた記憶。

思わず手が震えた。

だが、相棒がそっと頬を擦り寄せてくる。

(大丈夫、って言ってる……のか? 頼もしすぎるだろ)


「あぁ……頼むぜ、相棒」


二人を“同時に”“確実に”無力化するには、中級の風と闇を重ねて叩き込むしかない。

問題は詠唱に七〜八秒かかること──相手が戦技を持っていたら、俺の首は三秒後に床だ。


できるだけ最短で、確実に。


────────────

「──《風よ、流れを断ち、天の裂け目を綴れ。二つの鎖となって暴れし者の歩みを縛り、その声を沈めよ。風双縛エアロ・ダブルチェイン》」

「──《闇よ、光を抱きしめ、世界を眠らせろ。夜の花を咲かせ、すべてを甘き影の中に沈めよ。暗黒睡蓮ナイト・ロータス》」

────────────


この二つの詠唱を重ね、改良された詠唱を始める。


「風よ、流れを断ち、天を綴れ。闇よ、光を抱き──」



兵の片割れがビクリと肩を揺らし、こちらを振り向く。

同時に二人とも駆け出した。

魔力反応に反応している──抑魔腕輪をひねれば詠唱は霧散する。間に合えば、の話だが。


一人が腕輪に指をかける。

(まずい、あと一〜二秒……! 遠い!)


「ワフ! グルルル――!」


相棒が影から飛び出し、兵の脚へ体当たり。体勢が崩れ、手が腕輪から離れた。

(ナイス! たった数秒、でもその数秒が命取りだ!)


「眠りを授けよ。双の鎖となり──!」


もう一人が抑魔腕輪を捻る。

抑魔晶が青白く点る──だが、その手首ごと風の鎖がきしりと締め上げた。


「暴れし者を縛り、静寂を咲かせよ――!」


空気がぎゅっと鳴った。

足首から肩口へ二重の気流が巻き上がり、鎖のように絡みつく。

同時に、彼らの顔面に黒い霧の睡蓮がふわりと咲く。

瞳がとろんと揺れ、二人は力なく宙吊りのまま、膝から崩れた。


(成功──!)


「相棒……ありがとう」


「ワフ!」


“頑張ったー!”と言いたげに、小さく吠える。

ほんと頼りになる。


俺は扉に手をかけ、静かに押し開けた。



扉を開けると、そこには──


部屋の隅で少女たちが鉄檻に閉じ込められ、膝を抱えて震えていた。

中央では、騎士のような男と、この屋敷の主であろう小太りの王族風の男が、縛られ吊るされたリアナへ手を伸ばしている。涙が頬を伝い、足元にぽたぽた落ちた。


「リアナ!」


思わず叫ぶ。

二人の男が舌打ちしながらこちらを振り返った。


「おい? お前ら……こんなに女の子攫って……この変態野郎どもが!」


「わふ!!」


俺と相棒はそいつらを睨み据える。

王族らしきオヤジが、いやらしく口角を上げて言った。


「変態とは失敬な……私はただ処女の魔力を集めているだけだよ? これはねぇ、非常に元気が出るんだぁ!」


「どっちみち変態じゃねーか!?

『魔力ならセーフ』……なわけあるかーっ!?」


思わずツッコむ。

吊られたままのリアナが意識を取り戻し、こちらを見て青ざめる。


「リョウヤ!? なんで来ちゃったのよ!? 逃げて! この騎士は元A級冒険者! あなた一人じゃ……っ、逃げて!」


騎士がニィッと笑い、剣に手をかけた。

怖い……でも……。


「俺は! 可愛い女の子が傷つくのを黙って見てるぐらいなら死んでやる!!

ぜってぇ助ける!」


王族の男が芝居がかった声量で手を広げる。


「いやはや……青年よ、ここまで来る度胸、そして元A級冒険者を前にしてなお虚勢を張れるとは勇敢だ!

しかし──私はこの国を治めるヒストリア王族の一人だと知っての無礼かな?

君が今逃げたところで、国が君を追うよ?

さぁ……大人しく捕まる気はないか? そうすれば君にも──そっちの檻から特等席で鑑賞させてあげよう」


その目に、悪意の自覚も偽りもなかった。

ただただ禍々しい欲だけが満ちている。


「……腐ってやがる。

国に追われようと関係ねぇ! お前らをぶっ飛ばす!」


俺は詠唱に入る。

相手は元A級。対魔法具で無力化されない、上位魔法が必要だ。

詠唱時間も魔力操作も、すべて高水準を要求される。

それでも──逃げ回りながらでも通すしかない。


「──《あおそらの胎動よ、眠る四風しふうを───」


同時に、騎士が姿勢を沈め、吼えた。


『**第三戦技《疾風》**──!』


瞬き一つの間に距離が潰れる。

相棒も、俺も反応が遅れた。(早すぎんだろぉ!?)


──ズシン。

腹に重い衝撃。胃が押し上げられ、喉の奥まで酸っぱいものが込み上げる。


相棒が即座に飛びかかる。

だが振り上げられた拳が音もなくえぐり、相棒は壁に叩きつけられて動かない。


「リョウヤ! 相棒ちゃん!」

リアナの泣き叫ぶ声。朦朧とする意識の奥で、かろうじて言葉だけを繋ぎ止める。


四風しふう……を……起こ……せ。

東風こちは………………刃と…………なり、……西風ならい……は……弦と……」


王族の男が腹を抱えて笑い出す。

「はっはっは! まさか──!? 乗り込んできた勇敢な男は? 前衛がいない魔法使いィィィ? これは傑作だ! 今時!?」


「お願い! リョウヤ! お願い……だから……逃げてよ……っ」

リアナの声が震える。


──バキン。

今度は顔面に衝撃。視界が赤い。

いつの間にか床に転がっている気がする。

それでも、口だけは刻む。




「……な…………れ。…………南風はえは…………火を…………孕み…………北風きたは…………凍てを…………運…………べ…………」




胸に一撃、次いで全身が弾けるような衝撃。

耳鳴りだけが残り、音が遠のく。





(詠唱だけは……止めない……止めるな)







もう、口が動いているのかも分からない。








(何が“魔道の極み”だ……何が魔法だ……何一つ守れやしない。

あぁ……せめて童貞卒業したかった……。

また……死んだら…………転生とか出来るのかな…………?……まぁ……33歳だから……賢者には…………ならなくて…………済んだのか…………)










「って…………死んで堪るかァァァァ!!

賢者になるのは嫌だけど、童貞のまま死ねるかぁぁぁぁぁ! 俺はハーレムつくりたいんじゃぁぁぁぁ!」



身体の感覚はない。

けれど、気力だけで上体を起こす。

視界はぼやけて、足は震え、吐息は血の味。

それでも──ここで終われるか。





あのクソ女神を、いつか見返す。

騎士がゆっくり、だが確実に距離を詰めてくる。




あの女神がくれた、俺のたった一つの武器。

この、使えねぇ魔法。


詠唱──詠唱詠唱詠唱詠唱──!

もう、うんざりだ。





詠唱が要るなら、捻じ曲げてやる。

精霊の力を借りるための言葉なら──言葉にせずとも従わせる。


俺は手をかざす。

出すのは初級の風。ただの風の玉だ。

(名前なんてどうでもいい。結果だけだ。)


騎士が剣を振り上げる。


──威力を最大に。

高く……高く……

速度も……大きさも……全部捨てろ。

ただひたすらに、威力だけを一点に凝縮しろ。


剣が振り下ろされる瞬間、俺の掌から風の玉がぽわぁっと生まれ、ほとんど止まっているかのような遅さで前進する。

だが、その表面は極端に圧縮された気流がうねり、空間が揺らいだ。


ぶつかったのは、一瞬。


音もなく、剣が削り取られる。


騎士がぎょっと目を見開いた時には遅かった。

振り下ろすつもりだった重心は前のめりのまま、自分から風の核へ突っ込んでいく。


胸が、玉の形にぽっかりと“抉れた”。


騎士は、膝から崩れ落ち、俺の横へ音もなく倒れ込んだ。


薄れゆく意識の中で、相棒が逃げようとする王族に飛びかかるのが見えた。

そのまま、意識は深い闇に呑まれた。


────────────


ハッと目覚めると、そこはベッドの上だった。

乾いた薬草の匂い。

部屋の隅では、相棒が丸くなって寝息を立てている。


横の机に目をやると、一枚の紙。

手に取って広げると──


《王族殺しの大罪人 自称・賢者 情報を求む

 尚、罪人は常に狼と共に行動している。注意されたし》

──雑な似顔絵の俺が、やけに凛々しく描かれていた。


「大罪人って……まぁ、それもそうか……。

ってか賢者って何だよ!? 俺はまだ年齢的に賢者じゃねーから!?

まだギリギリ魔法使いだから! 童貞卒業予定だから!」


──ドン、ドン、ドン。


建物の一階の扉を叩く音が響いた。

思わず身を伏せ、窓から姿勢を低くして下を覗く。


リアナが、複数の騎士と話している。


「おい? この男を知らないか? こいつは王族殺しの大罪人だ。

現場に置かれていた記録石の音声から『賢者がどうとか』聞こえたが、雑音で判別できなかった。

何でもいい、情報を持っていたら提供を」


「えーと……ギルドにはそんな人いないし……今度、調査依頼を出しておきますね?」


「……あぁ、頼む。一応、中を見せてもらうぞ?」


「えっ、ちょっ──」


リアナが体を張って扉に立ちはだかるが、騎士は構わず踏み入ろうとする。


「やっべ! おい、相棒! 起きろ! 逃げるぞ!」


「……ワフ?」


伸びをひとつして起き上がる相棒。

俺たちは最低限の荷物を掴み、建物の裏口から身を滑らせた。


通りを走ると──ふと、リアナと目が合った。

彼女は、ほんのわずかに首を横に振り、次の瞬間、騎士の視線を引くように身をずらした。


「……ありがとう、リアナ……」


届いたかどうか分からない小声だけ残して、俺と相棒は走る。


「なぁ! 相棒?」


「ワフ?」


「俺、ハーレム作るわ! ぜってぇ童貞卒業してやる!」


相棒は「ワフ!」と短く吠えた。

まるで──**行くのだー!**と言っているみたいだった。


────────────


後に、大罪人はこう呼ばれることとなる。


町を焼き。

国を滅ぼし。

幾多の罪を重ね。


人々は彼を厄災として恐れた。


──だが、一部の少女たちは、皆一様にこう口を揃えて呼ぶ。


**『大賢者様』**と。













読んでくださり、本当にありがとうございます!


この作品は、私の連載中の作品

『料理スキルで異世界まったり生活、と思ったら神扱いされて軍隊できてた』

の**前章譚スピンオフ**にあたります。


初めての短編挑戦ということで、長くなりすぎないように四苦八苦しながら書きました。

でも、どうしても“大賢者って馬鹿だなぁ”って笑ってもらいたくて──

気づいたら全力で書いてました。


1人でも多くの方がこの“馬鹿な賢者”を好きになってくれたら嬉しいです。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました!


『料理スキルで異世界まったり生活、と思ったら神扱いされて軍隊できてた』

カクヨム▶︎ https://kakuyomu.jp/works/16818792437839711338

なろう▶︎ https://ncode.syosetu.com/n2164kw/


読んでくださり、本当にありがとうございます!


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『料理スキルで異世界まったり生活、と思ったら神扱いされて軍隊できてた』

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初めての短編挑戦ということで、長くなりすぎないように四苦八苦しながら書きました。

でも、どうしても“大賢者って馬鹿だなぁ”って笑ってもらいたくて──

気づいたら全力で書いてました。


1人でも多くの方がこの“馬鹿な賢者”を好きになってくれたら嬉しいです。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました!


『料理スキルで異世界まったり生活、と思ったら神扱いされて軍隊できてた』

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