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第4章 part18 塔上の4日目

 快晴の青空が広がる下、三人の女学生は本来なら立ち入ることの許されない場所に腰を下ろしていた。


 ユイ、クロウ、フェイの三人は、街全体を一望できる唯一の高所にて、朝の食事を楽しんでいる。


 澄んだ空気の中、遠くの屋根や大通り、朝日にきらめく湖面まで見渡せるその場所は、まさに特別な景色を持っていた。


 その彼女たちの手元には、用意してきた軽い食事――パンや果物、そして温かい飲み物が並んでいた。



「ねえ、二人とも」


 サンドイッチを頬張りながら、ユイが声をかける。


 その声音は普段と違ってわずかに硬さを帯びており、クロウとフェイは同時に顔を上げた。


 談笑を続けていた二人は、そこで初めて気づく。


 珍しい。いつもどこか抜けていて、場を和ませるユイの瞳に、はっきりとした真剣さが宿っている。


「私がこの街に来た理由……“夢”のこと、ちゃんと話したことあったっけ?」


「うん。人女王に会うこと、だよね。謁見の場を目指してるって、前に言ってた」


 クロウは手にしていたカップを口に運びながら答えた。

 その瞳は、ユイがかつて熱を込めて語っていた“人女王への憧れ”を思い出していた。


 ユイは、どこか気恥ずかしそうに笑い、指で頭をかく。


「えへへ……あの時は勢い余って、省略しちゃったんだよね。でも、改めて二人にはちゃんと聞いてほしいなって思って」


「なんだか気になりますね。ユイはどうして、そこまで人女王に憧れてるんですか?」


 フェイが、手に持った菓子パンをもぐもぐとしながら興味津々に尋ねた。


 ユイは小さく息を吸い込み、少しの間を置いてから、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「……でも、本当に大したことじゃないの。10歳くらいの頃にね、人女王様をほんの一瞬だけ見かけたことがあったの。その時――ビビッと来たんだ」


「ビビッと?」


 フェイが首をかしげる。


「そう、ビビッと!」


 ユイは自分の腕を抱き、電気に打たれたように身を震わせて見せた。

 その仕草に、フェイは思わず吹き出しそうになる。


「それからずっと、心の奥に人女王様の姿が焼きついていて……。この方のそばにいたい、この方のために生きなきゃいけない……そんな気持ちが、今でもずーっと続いてるんだ。それは私の魂、本当の根幹の部分で続いてるの」


「……なるほど、理由としてはあんまり納得できるような話じゃないけど……なんだかユイらしいね」


 クロウは小さく苦笑し、コーヒーカップを持った手で口元を隠した。


「む……クロウ、今馬鹿にしたでしょー?」


 ユイは目を細め、じっと睨みつける。


「い、いやいや!そんなつもりは全然ないよ。ただ、憧れだけでカムイまで来て、その上ヴァルハラ学院に入学できるなんて、普通じゃ考えられないでしょ?」


 クロウは慌てて弁明する。

 無理もない。彼女たちが通うヴァルハラ学院は、各大陸から選りすぐられた成績優秀者だけが入学を許される、世界で唯一の最高峰の魔法学院なのだ。


「……あー、それねえ……なんというか……」


「ん?」


 クロウは、ふと眉をひそめる。まさか不正入学? そんなことをユイがするはずもないが、何か裏があるのだろうか、と半信半疑で首をかしげた。


 ユイは少し気まずそうに笑みを浮かべながら、正直に口を開く。


「私、学校では成績は本当に真ん中くらいだったの。魔法学も必死に頑張ったけど、どうしても限界があって……」


「……まさか、そんなはずがない」


 クロウは驚きのあまり、手にしていたカップを落としそうになる。


「あんな魔法の才能があるのに? それに、アークミラーの付与術式だって、人並み以上の才能と技術がなきゃ習得できるわけがない」


「えへへ……なんでなんだろうね」


 ユイは困ったように笑みを浮かべる。その頬はほんのり赤く染まっていた。


「でも、不思議ですよね。私もそれなりに努力してきたつもりですけど……周りのみんなは、各大陸から集まったすごい人たちばかりですし」


 フェイもまた首をかしげ、素直な疑問を口にする。


 ユイは少し考え込むと、やがて思い出したように口を開いた。


「……もしかしたら、志願書を百枚くらいの大長編にして提出したからなのかも……」


 その言葉に、クロウとフェイはぽかんと口を開けたまま固まり――そして同時に、深いため息を吐いたのだった。



「あの……私も、少しお話してもいいでしょうか」


 そんな中、おずおずと遠慮がちに、フェイは小さく右手を挙げた。


「えっ、フェイも何か話してくれるの!?」


 ユイは思わず身を乗り出し、瞳を輝かせる。嬉しさが隠しきれない笑顔だった。


 本人にとっては軽い気持ちで打ち明けようとした話だったが、それは同時に彼女自身にとって重く、誰にでも告げられるようなものではない秘密でもあった。


 フェイは小さく深呼吸をした。吸い込む息は浅いが、それでもほんの少しの覚悟を込めた、震えるような決意の息。


「ご存じのとおり、私は“ベリアブル”の名を持っています」


 その一言で、クロウとユイの表情がわずかに引き締まる。

 名門中の名門。その名は各大陸のほとんどの人間に知られている。


「うんうん、私でも知ってるよ。ヤマトでもテレビで歴史の特集が組まれるくらい有名な一族だもの」


 ユイは大きくうなずき、子どものように素直に答えた。


「はい……。私は、そのベリアブル家に連なる末妹です」


 フェイは一拍置いてから、静かに言葉を続けた。


「兄や姉たちは……“彼女”の代わりを務められるようにと、ベリアブル家の研究施設で、幼い頃からひたすらに魔法と体質の研究を受けさせられてきました」


「……研究?」


 クロウがわずかに眉を上げる。疑念の色を含んだ声音。


「はい。ただ、誤解しないでください。非人道的な実験などではありません。あくまで、家が持つ魔術的血統を最大限に活かすための――能力開拓に関する徹底的な支援、という形です」


「でも、なんでそこまでしてるの?」


 ユイが小首をかしげ、心の底から不思議そうに問いかける。


 その素朴な疑問が場を柔らかくしかけたが、フェイは小さく首を振り、視線を落とした。次第にその表情は真剣な色を帯びていく。


「……ここから先のことは、知る者がごく僅かしかいない秘密です」


 ユイとクロウに向けられた声は、先ほどより低く、重みを帯びていた。


「特にユイ、あなたには……このことを知るのはあまりお勧めできません」


 フェイはゆっくりと顔を上げる。その瞳はまっすぐにユイを見据え、小さな炎のような意志を宿していた。


「それでも……知りますか?」


 その問いかけに込められた覚悟が、空気を一瞬で張り詰めさせた。


 少女の小さな瞳が、ユイの心を試すように見つめていた。


「……大丈夫だよ」


 ユイは、やわらかな笑みを浮かべながら、静かに言葉を紡いだ。


「私、この街に来て、まだほんのわずかな時間しか経ってないけど……その間に過ごした日々は、きっと人生の中で一番濃密な時間だと思うの。たぶん、これからヤマトに帰ったあとでも、もうこれ以上の出来事には出会えないんじゃないかって思えるくらい」


 彼女はそこで少し言葉を切り、空を仰いだ。澄み切った青空を見つめながら、続ける。


「魔法なんて、時代と共に廃れていく一方かもしれない。でも、それでも私は魔法で人女王様を目指して進んでる。……その道の途中でクロウやフェイに出会えた。それはすごく素敵なことだと思うの。だからね、フェイの秘密だって、私はなんだって受け止められるよ!」


 まっすぐに向けられたその笑顔は、無邪気さそのものだった。まるで陽の光をそのまま映したかのように眩しく、見ている者の胸を温かくする。


「……はあ」

 フェイは肩の力を抜き、長い溜息を漏らした。


「なんだかユイの顔を見ていたら……話すかどうか迷っていた私が、馬鹿らしく思えてきました」


 そう言って力なく笑うと、ゆっくりと姿勢を正した。


「私の家系――ベリアブル家は、今から六十年前に“人女王”を輩出した家なのです」


「「!?」」


 クロウとユイ、驚きのあまりにカッと目が見開く。


「えっ!?」


 静かに聞いていたクロウも驚愕し、思わず手に持っていたコーヒーカップを取り落としかける。


「え……人女王様って、ベリアブル家のご出身だったの!?」


 ユイはあまりの衝撃に、座っていた椅子から転げ落ちそうになった。


「はい。正確には、私の大叔母にあたる方が人女王となられたのです」


「つまり……」



「人女王とは、元は人間なのです。彼女たちが長らく語り続けてきた――“女王は最初から女王という存在でしかない”という定説。それを、この事実によって否定できるのです」


「……驚いた」


 クロウは低く呟いた。


「私もそれは知らなかった……いや、想像すらしていなかった。」


“あの”存在が人間だったという事実


 謁見の場で何度も目にした“あの圧倒的な存在感”と、あまりにも乖離していた。


 クロウの脳裏には、過去に幾度となく目にした人女王の姿がよみがえる。人間の枠を超越したとしか思えない魔力、神秘をまとった気配。その印象と「人間」という言葉が、どうしても結びつかない。


「……本名はユリア・ベリアブル。お二人もその能力は耳にしたことがあるかと思います」


 フェイは静かに言葉を続けると、背後に立つ四女王の像のひとつ――人女王の像を仰ぎ見た。

 大理石の女王は、穏やかに街を見守るかのような微笑みを浮かべている。


「読心術」


 クロウは間髪入れず答えた。

 フェイは小さく頷く。


「そう。心を読む能力です。ただの魔法や心理学ではありません。相手の心の奥底――魂そのものが発する“言葉”を聞き入れることのできる唯一絶対の力。それは、どの女王にも存在しない特別な才能なのです」


「……」


 その時、フェイは気づいた。

 ユイが黙ったまま、じっとこちらを見つめている。目を逸らさず、ただまっすぐに。


「その絶対能力により、神国はより強固に入国者の選抜が可能になっています」


 フェイの胸に小さな痛みが走った。

(……やっぱり、ユイにとってはショックだったのでしょうか)


「ユイ……騙すつもりはなかったんです。でも、自分が憧れて目指している存在が、実はごく身近な人間で……しかも私の近縁者だったなんて。きっと辛いことだと思って……」


「……ほ」


「え?」


 突然、ユイが動いた。勢いよく身を乗り出し、フェイの手をがしっと掴む。


「ほおおおおおおおおおおーーーーーーっ!」


「え? え? な、なに!?」


 あまりの展開にフェイは完全に混乱する。

 だがクロウは特に慌てることなく、コーヒーを口にしながら心の中で呟いた。


(……まあ、そうだろう。ユイの性格からすれば)


「フェイ、ありがとう!」


 ユイはそう言うと、迷いなくフェイの小さな体をぎゅっと抱きしめた。


「え、い、いや……なんでですか? 私、人女王との関係を黙っていたんですよ? そんな人間に近づかれて……」


 フェイは慌ててユイを引き離そうとするが、腕の力は意外と弱々しい。


「ぜんっぜん大丈夫!」

 ユイは満面の笑みで言い切った。


「フェイはフェイ! 人女王様は人女王様! 私ね、フェイを初めて見たときから“ちょっと人女王様っぽいな”って思ってたの。でも、フェイは別人だし……それに、入学初日に私たちを助けてくれたのは紛れもないフェイ自身でしょ?」


 その言葉に、フェイの目が潤む。

「……ユイは、本当に……変な人ですね」


 震える声で呟きながら、フェイは今度は自分からユイを抱き返した。


「……えへへー、よく言われるんだぁ」

 ユイは照れくさそうに笑い、頬を赤らめる。


「……あのー、お二人さん」


 遠慮がちに声をかけてきたのはクロウだった。


「ん? クロウも混ざる?」


 ユイは抱擁から顔を上げ、気まずそうに立っているクロウに向かって笑顔を投げかける。


「い、いや……そうじゃなくて。どちらかといえば、人女王について、もう少し詳しく聞きたいなー……なんて」


 耳の後ろをかきながら視線を逸らすクロウ。その照れ隠しを見て、ユイはジトッとした目を向けた。


「ほんっとに、自分の興味あることにしか目を向けないんだから」


 ユイとフェイは同時に抱擁を解き、フェイはくすりと笑ってクロウの隣に腰を下ろす。


「ふふ、それで? クロウはどんなことが気になるんです?」


 その顔には、からかうような色が浮かんでいた。


「……その、ベリアブル家における研究はやっぱり、人女王の能力に関するものなの?」


 クロウは真剣な声で尋ねる。女王因子を抱える自分にとっても、それは見過ごせない謎だった。


「そうですね……結論から言えば、“再現は不可能”だとわかっている、ということです」


「再現不可能……?」


「はい。人女王の読心術は、魔法ではないんです。魔術のひとつに《開心》という術式はありますが、あれは脳に作用する暗示のようなもので、せいぜい自白を引き出したり、意志を縛ったりする程度のものです」


「だが……人女王はそんな術に頼らずとも、相手の本心をまるごと見透かすことができる」


「その通りです。そして彼女が何より恐ろしいのは、その力を数千人規模の群衆相手でも、すべて理解して処理できてしまう“精神の強さ”にあります」


 フェイは再び、人女王の像を見上げた。


「それは……人類を統べるにふさわしい力。だからこそ、ベリアブル家は西の大陸において最大級の富と名声を手にした。でも結局、それはユリア・ベリアブルただ一人の力であって、ベリアブル家は利用するしかなかった」


 クロウは眉を寄せ、考え込む。


「だが……彼女はやがて“女王”になった。いったい、どうやって……」


 クロウは考え込む、ただでさえ人以上のとてつもない能力を持つ彼女が変わるきっかけは何だったのか。


 少しの沈黙が流れる。ユイはあまり話についていけてないようであった。



 その時、フェイがぽつりと呟いた。



「……神の降臨」


 小さな声だった。だがその視線の先は人女王の像ではなく、その背後で威光を放つ“神女王”の像に向いていた。


(やはり……すべての元は“神女王”か)


 クロウもまた、静かに神女王の像を仰ぎ見た。


 風貌は同じように掘られているが、あの絶対的な存在感は無い。


 だが、クロウの瞼の裏にはあの神の如き威光が焼きついている。

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