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第4章 part16 楽しげな3日目

注文は実にシンプルだった。


テーブルの上に浮かぶ半透明の魔導メニューを指で軽くなぞり、そのまま「注文」と声に出すだけで、希望の料理が厨房へと伝えられる仕組みになっている。


3人とも、当然のように「カムイ麺」を選んだ。ユイにとっては待望の一杯、クロウとフェイにとっては未知の味。画面に浮かぶ湯気立つ麺の映像を見て、すでにそれぞれが胸の内で期待を膨らませていた。


「ねぇ、このお店って、確か人気店なんだよね?」


クロウがふと周囲に目をやりながら尋ねる。

広々とした店内には自分たちの声しか響いておらず、他の客の気配がまるで感じられなかった。


「うん、すごく人気だよ?カムイに来たら絶対寄れって、ヤマトの人ならみんな言うもん」


ユイは早くも両手をテーブルについて身を乗り出し、早く料理が運ばれてこないかとソワソワしている。


「でもさ、どう見ても今、お客さん私たちだけじゃない?」


フェイも訝しげに首をかしげ、店内を見回した。まるで貸し切りのように静まり返った広い空間には、やはり他の客の姿は見えない。


「えっとね、実はね……クロウとフェイって、人混みあんまり得意じゃないかなーって思ったから、“設定”してもらったんだ」


「設定?」


クロウが怪訝そうに眉をひそめると、ユイはテーブルの端に埋め込まれた小さな魔法文字を指差した。そこには柔らかい光を放つ文字で「静か」と記されている。


「これを“オン”にしてると、視界に入る人数を制限できるんだよ。つまり、今の状態は静かな店内モードってこと」


「え、そんなことできるんだ……」


驚いた様子のクロウに、ユイはちょっと悪戯っぽく笑った。


「でもさ、外すとけっこう衝撃だと思うよ?特にフェイみたいなお嬢様には」


「だから子供扱いしないでくださいってば!わたしだって、ちゃんと平気です!」


フェイはムッとしつつも、負けじとその魔法文字をなぞり、設定を解除した。


「あっ、ちょ、待っ……」


ユイが止めようとしたが、もう遅い。


途端に、店内の空気がガラリと変わった。


「はいいい!お待ちぃいいいいいッ!」


突然、テーブルの傍らに現れたのは、例のデミ・ロブスターの頭部を被った店員だった。


ツヤツヤと赤く光るその巨大な甲殻頭に、異様なほどキラキラとした目。まるでロブスターと人間が融合したかのような奇妙な風貌で、首元から下は普通の人間の服装をしているものの、その強烈な見た目は目をそらせないほど異様だった。


「ひいっ!?」


フェイが情けない声をあげて、クロウの袖をぎゅっと掴む。クロウもさすがに少し顔を引きつらせた。


「カムイ麺!3丁!お待たせしましたあああ!」


甲高い声で叫びながら、デミ・ロブスター頭の店員が大声を張り上げる。


ユイはそれに負けじと、同じように声を上げた。


「待ってましたあああ!!」


二つの声が共鳴するように店内に響き渡り、一瞬その場の空気が震えたかのようだった。


「……クロウ」


「……うん、ごめんフェイ、私もちょっと今のは圧倒されてる」


クロウとフェイは目を白黒させながら、顔を見合わせる。完全に予想を上回る状況だった。


そして、それだけではなかった。


変わったのは、店内の雰囲気そのもの。

さっきまではまるで高級レストランのように静かで、テーブル同士も程よい距離感で配置され、落ち着いた空間だったのに。


今は、違う。


「はいいい!いらっしゃいませええええ!!」


新たな来客が現れるたび、店内に響き渡るデミ・ロブスターの叫び。

そして、さっきは気づかなかったが、周囲には無数のテーブルがずらりと並び、そのすべてに客がいた。

様々な髪色、服装の者たちが所狭しと詰めかけ、笑い声や話し声、器の音が溢れんばかりに響き渡る。


「なんでこんなに……」


クロウが唖然として呟く。どうやら、“静か”モードの効果は本当に視覚・聴覚ごと制限していたらしい。


「あ、ね?だから言ったでしょ。カム麺は大人気なんだって!」


ユイはケロリとした顔で言いながら、目の前に運ばれた湯気立つ大きな器を見て、すでに目を輝かせていた。



湯気が静かに立ち昇っていた。


だがそれは、ただの白い湯気ではない。金色にも似た色を帯びた湯気が、まるで揺らぐ霞のように宙へと漂い、芳醇な香りをまとわせながら3人の鼻腔をくすぐっていく。


海の香りと濃厚な肉脂、そして刺激的な香辛料が絡み合い、言葉にしがたい食欲をそそる香りを放っていた。


その湯気の下、器の表面を彩るのは、さっと刻まれた青葱のみ。そのシンプルさが、逆に料理の自信を物語っていた。


「……良い匂い」


クロウが思わず呟く。その声には、驚きと期待が入り混じっていた。ドン・ロブスターの出汁が前面に出てくるかと思いきや、動物系の濃厚な脂の香りと、香ばしく鼻をくすぐる複雑なスパイスの香りが重なり合い、ただの魚介出汁とは違う、未知の一杯であることを確信させる。


「じゃあ……」


「いただきます!」


3人は声を揃え、湯気の立つ椀へと箸を伸ばした。その瞬間、誰もが待ち望んでいた幸福の時間が訪れる。


まず口にしたのはユイだった。啜った瞬間、湯気に乗っていた香りが一気に口の中へと広がり、舌の上に広がる旨味の濃さに、思わず顔を上げて叫ぶ。


「うまいっ!!!」


その声は、まるで店内の騒がしさをも打ち消すかのように響き渡り、ユイ自身も目を輝かせた。朝ぶりの食事ということもあり、その美味しさは格別だった。


「お、おいしいです……正直、故郷の食事よりも……確実に」


フェイもまた、初めて口にする味に目を見開き、感動のあまり呟くように言った。貴族の食卓で育った彼女にとって、この濃厚で芳醇な味わいは衝撃だった。


「これは……確かにコメントしてた《S氏》が言うだけはある」


クロウも感動していた。その味わいは、親衛隊隊長シンリが語っていた通り、不思議な魅力に満ちていた。


「こんなにこってりしてるのに、麺がすごくさっぱりしてる」


と、クロウが感想を述べれば、


「そうなのです!私、こんなに味の濃いもの初めてなのですが、このロブスターのスープと、麺のスッキリとした食感の相性が……絶妙です!」


フェイも箸を止める暇なく、夢中になって麺を啜り続けていた。その小さな口から次々と麺が吸い込まれ、大きな器の中の麺はあっという間に減っていく。


「ドン・ロブスターの身を削り出して作った出汁はね、地上の動物の骨から取る出汁とは違って、一口飲んだだけで濃厚かつクリーミーな味わいになるんだよ」


急に饒舌になったユイにクロウは面食らうが、その説明にも納得した。確かにこの味わいは、魚介系のさっぱりとした出汁ではなく、舌の上を包み込むような濃厚なコクがある。


「それにしてもこのスープ……魚介なのにまったく生臭くない。むしろ動物系のスープみたいだ」


「そう!それでいてこの麺、ちぢれ麺じゃなくて、真っ直ぐ透き通るようなストレート麺なのが良いんだよね〜!」


すっかりカム麺の虜となった3人は、箸の動きを止めることなく、夢中で器の中身を食べ尽くしていく。


そして気づけば、すべての麺も具も、黄金色のスープすら飲み干し、器の底が見えるほどになっていた。


「それにしても……」


クロウはふと周囲を見渡す。カム麺に夢中になっている間に、店内は更なる賑わいを見せていた。


「いらっしゃいませえええ!」


「ありがとうございましたあああ!」


相変わらずデミ・ロブスターの頭をかぶったホールスタッフたちが、咆哮にも似た大声で接客をしている。


「でも驚きなのは……」


とにかく人の多さだった。カム麺を食べている間にも客は増え続け、もはや3人の背後にはびっしりと客が詰め込まれており、皆が一心不乱にカム麺を啜っていた。


「ねぇ、ユイ……って、うわっ!?」


クロウはユイの方を向いた瞬間、思わずのけ反った。いつの間にかユイの頭が、あのデミ・ロブスターの頭になっていたのだ。


「ち、違いますよクロウ。よく見てください」


事情を察したフェイが慌ててデミ・ロブスター頭の背後を指さす。そこからひょっこりと、ユイ本人の顔がのぞいていた。しかも口の中には、もぐもぐと何かを咀嚼している。


「あ、これデミ・ロブスターの素揚げ」


平然と食べているものを紹介するユイ。その姿に、クロウも思わず呆れる。


「えぇ……」


「フェイも食べてみる?」


さらにユイは、小柄なフェイにまで大きなデミ・ロブスターの素揚げを勧めてくる。


「あ、いや、その……」


さすがにその巨大な姿に圧倒されるフェイ。どう見ても人の足ほどもありそうなそれを前に、困惑の表情を浮かべる。


「あ、でもこんな大きいの食べられないよね」


ユイはすぐに気づき、気遣うように笑う。


「はい!ちょっと大きすぎちゃうかなーって」


フェイは愛想笑いを浮かべつつも、内心ほっとした様子を隠せない。


「じゃあ、小エビなら食べられると思うよ!大丈夫、殻は取ってあるから食べやすいし!」


そう言って、ユイはテーブルの映像メニューをなぞり、軽く「注文」と唱えた。



「承知しましたああああ!お待ちくださああああい!」


店の奥、厨房の方から威勢の良い声が響いた。おそらく、この異様な空間を仕切る料理長なのだろう。その声量はフロアにいるホールスタッフたちにもまったく引けを取らず、むしろ店内の喧噪に負けじと叫び返すような力強さだった。


「よかったね、フェイ。きっとすぐ来ると思うよ」


巨大なデミ・ロブスターの素揚げにかぶりつきながら、ユイは口元を油でてらてらと光らせたまま、隣に座るフェイへと目を向ける。


まるで何事もないかのように、いや、目の前の食べ物に夢中になりすぎて他のことなどどうでもいいといった様子だった。


「私も一緒に食べるから、安心して」


クロウは、緊張の面持ちを浮かべるフェイの肩をポンと優しく叩き、心配を和らげようと微笑んだ。フェイは小さく頷きながらも、その顔から不安の色が完全に消えることはなかった。


「お待たせしましたああああ!」


「ひぃ」


またもや例のデミ・ロブスターの頭部を被ったホールスタッフが、凄まじい声量で料理を持ってきた。


毎度毎度のその迫力に、さすがのクロウも少し肩を跳ねさせたが、もう慣れ始めていた。一方のフェイは、今回もびくりと肩をすくめ、怯えたように身をすくめる。


ドンッ、と勢いよくテーブルの上に置かれたのは、大皿だった。その大皿の上へ、ザザザザッと音を立てながら、小さな海老のような魔獣――デミ・ロブスターの幼体、ペケ・ロブスターの素揚げがまるで山を作るように雪崩れ込んでいく。


「……な、なんですか、これ」


フェイの声は小さく震えていた。大量に盛られた揚げ物の山に目を丸くし、ひたすら圧倒されている。


「え?ペケ・ロブスターのハーブ揚げだよ」


まるで水を飲むような自然さで、デミ・ロブスターの素揚げをもぐもぐと咀嚼しながら、ユイが当然のように答える。


その無邪気さに、クロウは思わず苦笑した。この子は食事となると周囲の状況がまったく見えなくなるのだと、改めて呆れる。


それを見るフェイの手が微かに震えていた。


(魔獣の、幼体の、揚げ物……)


高貴な貴族の家に生まれた彼女にとって、魔獣の肉は敬遠すべきものであり、特に幼体などもってのほかだった。微細な魔力の残滓が健康を害する可能性があると教え込まれ、これまで口にしたことなど一度もない。


「む、無理して食べなくてもいいんだよ」


さすがにこの状況はまずいと感じたクロウは、フェイの手をそっと取るようにし、優しい声で制した。


だが、フェイはかぶりを振ると、意を決したように目を閉じた。


「いえ!ここで怯んでは、この街に来た意味がありません。私は……もう子供じゃありませんから!」


声を震わせながらも、決意を宿した目でそう言うと、ペケ・ロブスターの揚げ物をフォークで突き刺し、そのまま一気に口へと運んだ。


ムシャムシャ、ムシャムシャ……ゴクン。


フェイは噛みしめ、飲み込む。クロウはその姿に思わず釘付けになり、ユイですら手を止め、その様子を見守っていた。


「……。」


「……どう?」


クロウはおそるおそる声をかけた。フェイの頬に、ぽろりと一粒、涙がこぼれ落ちる。


「フェ、フェイ!?」


クロウが慌てて声をかけ、ユイもデミ・ロブスターの足を手にしたままぎょっとする。


「お、美味しいです」


フェイは泣きながらも、口元に笑みを浮かべた。


「でしょー!!カム麺の締めといえばロブスタ食い!これで決まり!」


満面の笑みでユイが叫ぶ。


「なにそれ、“ロブスタ食い”って……」


クロウは半ば呆れつつも、目の前のペケ・ロブスターを手に取り、口に運んだ。


「!……たしかにうまい。プリプリだ!」


その感触は驚くほど柔らかく、表面はカリッと香ばしいのに、口の中ではまるで生きているかのような弾力を残しながらほどけていく。


「私も食べる!」


ユイも満面の笑みでペケ・ロブスターを摘み、口に放り込むと、体をくねらせるように満足げに声を漏らした。


「んー!揚げてるのに、まるで生みたいにプリップリ!このハーブの香りもたまらないよ!」


その美味しさにユイは思わず足をバタバタさせ、幸せを全身で表現する。


「魔獣の幼体っていうのは、正直抵抗ありましたけど……これは美味しいです。……悔しいくらいに」


フェイは涙を拭いながらも、次々と口に運ぶ。


「美味しいでいいんだよもう〜!フェイったら!」


ユイはそう言ってフェイの肩を軽く抱き寄せ、にかっと笑った。


クロウもそんな2人の様子に自然と頬が緩む。


彼女たちは笑い合いながら、異国の文化とグルメを存分に味わったのだった。



そう、ここは――カムイ屈指の名店、ドン・ロブスター食堂。



食の好みも価値観も違う3人が、ひとつのテーブルを囲み、笑い、驚き、感動を分かち合う夜。


もしカムイの街を訪れるなら、確実な美味しさと驚き、そしてちょっとした勇気の試練を味わいたければ、この店を訪れるのが良いだろう。



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