第4章 part5 苦悩の2日目
学院内の憩いの場、【cafeクインズ】
昼下がりの柔らかな陽射しが、大きな窓から差し込み、木のテーブルと白いクロスを暖かく照らしている。
小さな観葉植物と淡い色合いの花々が飾られ、優しいジャズの調べが空間を包み込んでいた。
学院の生徒たちのざわめきと、食器が触れ合う控えめな音が心地よく混ざり合う中、ユイとクロウは窓際の席に腰かけ、ランチタイムを過ごしていた。
式典の後、ふたりは一旦別れ、それぞれが気になる学科の教室を巡ったり、資料を集めたりと目まぐるしく動き回っていた。
ようやく合流できたこのひととき、ふたりは湯気の立つコーヒーとサンドイッチを前に、しばしの安堵を味わっている。
周囲からは、新入生たちの活気に満ちた声が絶え間なく響いていた。
「学科何にする?俺は絶対付与魔術!絶対職には困らないし、最強の魔剣とか作れるかもしれないし!」
「おいおい子供かよ、俺は五大元素だな。伝説の勇者パーティにいた魔法使いも五大元素使いだったらしいぜ」
「私は絶対魂復士!おじいちゃんやおばあちゃんともっと一緒にいたいから……」
「結界術師も捨て難いよなぁ。魔獣退治にも使えるし、応用の効く魔術って魅力だろ?」
夢や憧れ、自分だけの力を求めて、皆が未来に胸を膨らませている。
今この瞬間こそが、彼らにとって最も楽しく、自由で、可能性に満ちた時期なのかもしれない。
そんな賑やかな空気の中、ユイはパンにかぶりつきながら、隣にいるクロウへと何気なく尋ねた。
「ねぇ、クロウは何を専攻したの?」
クロウは、ゆっくりとカップを口元に運び、香ばしい香りのコーヒーをひと口含んでから、静かに答えた。
「私は五大元素と付与魔術。これっていうより、消去法かな。魂復士と結界術は、どう考えても私向きじゃないし」
「へぇ、なるほどねぇ」
ユイは満足げに頷きながら、むふふと頬を膨らませる。
クロウはそんな姿に何かを伝えたいというユイの意志を感じ、「どうぞ」手を差し伸べた。
ユイは待ってましたと言わんばかりの得意げな表情を浮かべ、手元から数枚のカードを取り出した。
それは、この学院で専攻クラスに参加するためのクラスカードで、それぞれに術式がかけられており、持つ者のみが特定の教室に入ることを許されるという重要なものだった。
「私もさ、もう何がいいのか全然わからなくって! クロウも見当たらないし、本当に、本当に迷ったんだけど――」
「う、うん?」
ユイの瞳はキラキラと輝き、クロウはその様子に「あ、スイッチ入ったな」と直感する。
「だから――もう、ぜーんぶ専攻してみた!」
「……え?」
クロウの動きが止まり、顔が一瞬強張った。
「ぜ、全部って……?」
「だから全部だよ!付与魔術、五大元素、結界術、魂復の四つ!スケジュール確認したら、1日4教科とも時間が被ってなかったし、いけるかなーって思ってさ!」
クロウはコーヒーを置き、ため息まじりに眉をひそめた。
「でもさすがに、それは無茶なんじゃ……」
だがユイは、ぶんぶんと首を横に振り、否定する。
「だって!私は絶対に神国に行きたいんだもん!憧れのあの人、人女王様に会うんだから、これくらいの苦労なんてへっちゃら!」
そう言って、親指を立て、満面の笑みをクロウに向けるユイ。
その姿は眩しいほどにまっすぐで、思わずクロウも苦笑を浮かべた。
「……まぁ、ユイがそれでいいなら、いいんだけどさ。でもね……普通の学生は基本的に一教科しか取らないんだよ」
「ん?」
「うん…」
ユイが首を傾げる。クロウはなんとなく察し、少し真面目な声で続けた。
「あの四つの魔術は、いずれも通常の魔法とは根本的に違うんだ。才覚と努力、膨大な時間が必要になる。だから、この学院でも普通は一つ、多くて二つ。それ以上なんて聞いたことない」
「うん?」
「うん……」
ユイはまだよくわかっていない様子で、ぽかんとしている。
「だから私は、付与魔術と五大元素だけにしたんだよ。さすがに3つは対応が難しいだろうと」
「……え、じゃあ、もしかして、私みたいに四つ全部専攻してる人って――」
「……おそらく、この学院でただ一人なんじゃないかな」
その言葉を聞いた瞬間、ユイの手から専攻許可カードがはらりと零れ落ちた。
カードはクラスごとに異なる色合いで、金や銀、青や紅と、どれも煌めくように美しく、光を受けて静かに揺れる。
静まり返った一瞬。
ユイの顔はみるみる青ざめ、冷や汗が額を伝う。
クロウは、そっとカードを拾い上げて、ユイの手に戻してやると、苦笑いを浮かべた。
「ちょっと、聞いてきてみようか。多分むりだけど…」
クロウは手に取ったカードの魔力を読み取るが、ユイの魂の痕跡が記録されている。おそらく書き換えも捨てることも不可能なんだろうなと思った。
「……う、うん……」
ユイはぎこちなく頷きながら、クロウの励ましの言葉に救われるように微笑み返した。
「ちなみに、ユイの得意魔法ってあるの?属性とかでもいいんだけど、それによっては4大教科の一つくらいは突出して成績を残せるかも」
クロウはユイの落第を防ぐ為、どれか一つでも優秀な成績を納めさせて生き残らせる方法へとシフトしていった。
元が優秀な魔法学生を集める学校、それは成績が乏しい人間は問答無用で退学であった。
ユイは目を逸らす。その額には焦りの汗。
「……得意な魔法は、これと言ってはないです」
「え、でも今朝は私の魔法を一瞬でやってみせたよね?」
クロウは今朝の騒動を思い出す。
ユイはえへへと空笑いする。
「私、謂わゆる器用貧乏でして、だいたいの魔法はできるのだけど、元々の魔力量が少ないのもあってあまり極められないのです」
伏せ目がちに答えるユイは、どこか苦悩も混じる本音であった。
「うーん、まあでも私もできるだけサポートするよ。教本とか部屋に持ってきてもらえれば、私も見て教えられるかもだし……」
気休めだが、クロウはなんとかユイを慰めようとする。そんなクロウを見るユイ、その目には涙が大量に溢れ出していた。
「クロウーーーーーーー」
「何も泣かなくても…同室のよしみだよ」
苦笑いしながらも、クロウはユイを撫でる。
さながら泣く子供を宥める母の様であった。
ランチタイムも終わり、静まり返ったカフェの空気に、突然冷や水をぶちまけるような鋭い声が響いた。
「ちょっと!」
その一声に、談笑していたユイとクロウの顔が揃って跳ね上がる。
思わずえ、と声にならない声が漏れ、二人の視線が声の主へと向けられた。
学院に入学して以来、初めて他の学生から真正面から声を掛けられた瞬間だった。
いや、正確には今朝、無遠慮に絡んできたあの男がいたが──それは例外だ。
声の主は、あまりにも不機嫌そうな顔をしてこちらを睨みつけていた。
肩まで伸びた金色の髪は丁寧にまとめられ、その結び目には銀色に鈍く光る髪留めが煌めいている。その装飾品に、ユイもクロウも、どこかで見覚えがあった。
「あ、朝のあの人……!」
ユイが思わず呟く。
だが、それを遮るようにクロウが低く「シッ」と制する。その理由は明白だった。この場でこれ以上のトラブルを避けたかったのだ。
金髪の少女──いや、少女というよりも貴族特有の誇り高さと傲慢さを身に纏った存在は、薄く笑みを浮かべると、ユイが持つクラスカードに視線を落とした。
「…あなた、そんなにクラスのカードを持っていて大丈夫なのかしら?」
その口調は、あまりにも高飛車で、見下す意図を隠そうともしない。言葉の端々に、相手を愚弄する軽蔑が滲んでいる。
「どうせこの学院のルールもまともに読まず、分不相応な夢でも抱いて決めたのでしょう?──下民が考えることは、いつだって身の程知らずで滑稽だわ」
その言葉に、クロウはあからさまに顔をしかめた。そして、気だるそうに手を払う仕草を見せ、面倒事を避けたいとばかりに言葉を返した。
「あのさ、その話はもう終わってるんだよね。だから、どっか行ってもらっていい?」
だが、少女はクロウの言葉にも眉一つ動かさず、むしろ胸を張って、さらに言葉を重ねてくる。
「貴女もでしょう?二つのクラスなんて自惚れた真似を。自分ならやれると思ったの?その愚かさと自意識過剰さには呆れるわ」
(なんだこいつ、面倒くさ……)
クロウは心底うんざりしながらも、相手の横柄な態度に軽く舌打ちしたくなる衝動を堪えた。
金髪の少女はフフンと鼻で笑い、今度はユイとクロウを上から下までジロジロと舐め回すように眺める。
その視線に、ユイはただ俯いて、何も言い返せずにいた。内心、確かに自分のことを指摘する言葉には反論の余地がないと感じてしまったのだ。
だが──クロウに向けられた言葉だけは、ユイには到底許せなかった。
「……まじで失礼ですね」
ユイはきつく唇を噛み、怒りに震える瞳で金髪の少女を睨み上げる。
「神国を目指してる人が、そんな腐った性根してるなんて、信じられません!」
怒気を孕んだその一言に、周囲の学生たちがざわつき始める。ビクトリアと呼ばれた金髪の少女は顔を真っ赤にし、怒りに震えながら名乗りを上げた。
「ぐっ……私に何て無礼な!私は南大陸の名門貴族、ビクトリア・マイヤーよ!貴女たちとは生まれも血も格も違うの!」
その様子に、カフェの静けさが破られ、周囲の学生たちが興味津々とばかりに集まり始める。クロウは深々と溜息をつき、呆れたように小さく呟いた。
「なんだ、田舎の貴族じゃん」
その一言が、決定打だった。
「クロウ、それは言い過ぎ……!」
さすがのユイも、すぐに冷や汗を垂らし、我に返る。
だが、その瞬間、空気が張り詰め、何かがブチッと切れる音がしたような気がした。
「……“魔対”を申し込みますわ」
怒りを静かに、しかし確実に込めた声でビクトリアは宣言した。周囲がさらにざわつき、声をひそめながらも興味津々に成り行きを見守る。
「え、何それ、“魔対”って」
ユイは初めて耳にする単語に目を白黒させ、クロウに助けを求める視線を送る。
クロウは眉間を摘まみ、溜息をつきながら説明を始めた。
「“魔対”ってのはね、この学院特有の対抗戦。まあ、いわゆる正式な魔術対局のシステム。宣言者と受諾者、双方の同意と、学院のシステムが適性を認めれば、即座に地下の対局場に転送されるって寸法。問題は──」
クロウはちらりとユイを見る。
「ユイの魔力適性も本人の意識も、まだ“魔対”の適性に届いてないってとこ。あなたも、1人だし」
「ふん、それなら他の生徒を代わりに立てればいいだけですわ!」
ビクトリアはパンパンと手を叩くと、どこからともなく頭上から人影が降ってきた。
ガシャン!
「いてて……」
優雅さの欠片もない音と共に降りてきたのは、黒髪の青年。腰には煌びやかな装飾が施された剣を佩き、その身の内にただならぬ魔力を秘めていた。
「もう少しカッコよく登場できないの?ハーミット」
「すいません、お嬢様」
とぼけた口調で立ち上がるその男に、クロウは素早く視線を走らせ、内包する魔力を読み取る。
「……なるほど、魔法剣士か」
「私ほどの地位と血統になれば、剣聖の従者が付くのは当然。南大陸の誇りを持つ私に相応しいでしょう?」
誇らしげに語るビクトリアは、自分の従者への絶対的な信頼を隠しもせず、周囲の学生たちもどよめいた。
「いや、だからさ……それはわかったけど、こっちは人手が足りないんだってば」
クロウはなおも渋る。
「だったら、そこら辺の適当な学生を呼べばいいでしょ!」
ビクトリアの無茶振りに、クロウはさらにうんざりと肩を落とす。
と、その時──
「なら、私が参加しますよ」
ひょい、と視界の下から声がかかった。驚いたクロウが視線を下ろすと、そこには肩までの白銀の髪を揺らした、小柄な少女が立っていた。
「……あれ?子供が紛れ込んでるよ。ダメだよ、ここ魔術学院だからね」
ユイが困惑しながら言うと、少女はぷんと頬を膨らませ、懐から学生証とクラスカードを取り出した。
「失礼ですね、私もちゃんとした学生ですよ!」
学生証には確かに「ヴァルハラ学院」とクラスカードには「魂復士クラス」と記されている。
「嘘……天才児ってやつ?」
ユイは絶句するしかなかった。どう見ても五つは年下にしか見えない少女が、自分たちと同じ学院の学生だという事実に。
クロウはカードを一瞥し、状況を一瞬で整理する。
「魂復士……なるほど、それなら問題ない」
微笑を浮かべたクロウは、思わぬ救世主に救いの手を差し伸べるように、その少女に任せる決意を固めた。




