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第3章 part6 魂の器


 カゲハは闇の中に落ちていた。


 先ほど見上げた巨大な腕――それは間違いなく、神獣《ウル=ティマ》のものだと即座に状況から察する。


およそ百メートルほどの落下のさなか、彼の眼下には、無数の燭台に火が灯る、古びた地下墓地のような空間が広がっていた。


 まさか――この聖堂の地下が、目的地であるとは。


 黒衣の副次的効果を活用し、空気中に満ちる魔力の流れを手繰り寄せる。


掌を広げ、落下速度を制御すると、静かに地へと降り立った。足元には砕けた瓦礫と、古びた骨が散らばり、かすかな埃が舞い上がる。


 周囲を警戒する。


落ちてきたはずの《レ=イリス》の亡骸が、瓦礫の陰に紛れて姿を消している。


おそらくは、この闇のどこかで、再び肉体を再生させ、次の一撃の機を窺っているのだろう。


カゲハは一切の油断を捨て、銃の弾倉を確認し、再び装填した。


 地下墓地の壁には、奇妙な古代文字が無数に書き殴られ、巨大な蟲の姿と、それに傅くように佇む、人と蟲の混ざりあった異形の姿が描かれている。


それはまるで、この地の忌まわしき儀式と崇拝の記録であるかのようだった。


 幾棟もの牢獄。並ぶのは、拷問に使われたであろう器具の数々。


錆びた鉄具に付着した黒ずんだ痕が、生きてここを出られぬ囚人の末路を物語る。


 静寂。


 空気の流れさえも読もうと、カゲハは研ぎ澄まされた気配で、かすかな魔力の動揺すらも逃さぬよう構えた。そのとき――


 ふと、蝋燭の火が小さく揺らいだ。


「……!」


 微かな気配。その直後、聞き慣れた声が響く。


「た、隊長……?」


 思わず振り返ると、そこにいたのは、泥と血に汚れたミランダだった。


彼女の背には、意識を失い、ぐったりとした栗色の長髪の女性が背負われている。女王親衛隊の一員であり、今回の救出対象――【魂復士 大四季 真里】に違いない。


「良かった……無事だったんですね!」


 安堵に満ちた声を上げるミランダのすぐ後ろ、ふわりと光学迷彩を解きながら姿を現したのは、同じく隊員のフリントだった。


彼もまた、極限の緊張から解放され、心底ほっとした様子で息を吐く。


「本物のようですね……確認しました」


 ミランダは胸を張り、カゲハに報告する。


「目標の保護、及び救出は完了。対象は気絶状態ですが、死光体の兆候はありません!」


 カゲハはなおも警戒を緩めず、彼女らの魔力の波動と魂の揺らぎを丹念に読み取る。


やがて、それが確かに本物であることを確認し、ようやく構えを解いた。


「そうか……ならばすぐに脱出する。外は消耗しきっているはずだ。合流地点で再編成し、この地から離脱するぞ」


「了解!」


「了解!」


 だが、転送術式の詠唱を開始しようとしたその刹那、耳の奥で異様な声が響いた。


 ――「ユルサヌ……“ソレ”ハツギノウツワ」


 その声にフリントが驚愕する。


 天井、壁、床。あらゆる場所に次元の裂け目が出現し始めたのだ。その裂け目から、白い鎧を纏い、紅の双眸を光らせた異形の蟲たちが、溢れるように蠢き出す。まるで世界を呑み尽くそうとするかのように。


「しつこい奴らだな……だが、もう遅い。転送術式は既に完成している。この地は神国に戻り次第、封印する」


 だが、カゲハは気づいた。蟲たちはただ無為に群れているわけではない。赤い眼から微細に放たれる魔力信号――それは彼にとって見覚えのあるものだった。


 飢餓神《レ=イリス》は、魂を喰らうための術式。《奪魂術式 レ=ギオン》の発動準備をしていたのだ。



「くそっ……!」


 唇を噛む。もはや時間がない。


 紅い閃光が、ミランダの背後にいる“大四季 真里”を狙い、雷鳴の如き速さで迫る。だが


「っ!」


 カゲハは魔力粒子に乗り、瞬時に二人の前に飛び出した。その瞬間、魂が軋む。


 飢餓神《レ=イリス》の膨大な情報と呪いの波が、カゲハの内奥へと流れ込む。


数多の世界の裏側で暗躍し、時を待ち、食い尽くし、なおも飢え続ける異形の神の意思。その渇望が、彼の魂を侵食する。


「隊長……?」


 異変に気づいたミランダが声をかける。


「ぐ……っ、ううう……」


 頭を抱え、苦しみ始めたカゲハ。その瞳が、わずかに紅く染まる。ミランダはその様子を見て、何かを察した。


「隊長も……戻るんですよね?今度こそ……一緒に私のおすすめのお店行くんですから……」


 だが、カゲハは何も答えず、ただ彼女たちに手をかざした。


「たいちょ……!!」


 ミランダの視界が眩い光に包まれる。


 そして次の瞬間――。


 銃声。魔導ヘリのモーター音。混乱する戦場の喧騒が、再び響き始めた。




《聖堂外 ダンジョングラウンド中心部》


「へっ!? ミランダ!?」


 遠方で魔導ヘリの操縦桿を握るレイの驚愕の声が、無線越しに響き渡った。


だが、その声が届いたのも束の間、ヘリは急激に旋回し、迫りくる“何か”から回避行動を取っていく。


「くっ……!」


 ミランダは、共に転送されてきた大四季 真里の身体を抱え込み、揺れる座席へと必死に固定する。


その手のひらには未だ温もりが残っていたが、意識の戻る気配はない。


「いったい、何がどうなってやがる……っ!」


 同じく転送されてきたフリントもまた、周囲の状況に声を荒げる。だが、状況を把握する余裕など、誰の胸にも残されていなかった。


 それも当然だ。


 今は戦闘の真っ只中。地上ではクインズアームズの兵たちが、迫り来る無数の敵影を迎え撃ち、空には幾億もの飛行魔獣が蠢き、魔導ヘリを包囲していた。


『細かい説明は後! 今はとにかく、援護して!』


 レイの声が怒号のように響く。機体はなおも急旋回を続け、次の瞬間、地上に鎮座する巨大な昆虫型の異形二体へとミサイルを撃ち込んだ。


 轟音と共に爆炎が噴き上がり、辺りに荒れ狂う魔力粒子が散る。その衝撃に揺れる大地を踏みしめるのは、神獣《ウル=ティマ》。その内の剣を持つ方の個体が、炎に包まれながら苦しげに呻き声を上げた。


 ビキビキビキキ!


 胸部の甲冑に幾筋もの亀裂が走り、その隙間から、血に濡れた不気味な面を被った大男が飛び出した。


「うおおおおおっ!!」


 血煙を上げて地面に着地する姿は、誰あろう――セルヒオであった。


『……生きてたんかい!』


 レイの無線越しのツッコミも虚しく、神獣《ウル=ティマ》の剣を持つ方は、ついにその巨体を崩し、動かなくなる。どうやらセルヒオは、敵に呑まれたまま生存していたらしい。


 残るは盾を構えた、もう一体の神獣のみ。


 その時、不意にレイが違和感に気づいた。


『あれ……カゲハは?』


 あまりに急転した状況の中で、ようやく彼の姿がないことを意識したのだ。


 ミランダの肩が小さく震えた。


先ほどの出来事が、記憶の奥底から否応なく蘇る。

崩壊する地上から降り立ったカゲハ、安堵した瞬間に何かに吹き飛ばされ、まるで異形の蟲のような眼差しに変貌した、あの姿。


「た……隊長は……」


 彼女の声は、かすかに震えていた。


 その時、別の隊員が無線越しに呼びかける。


「おい、レイ。“奴”が止まってるぞ」


 彼らの視線の先、盾を構えた神獣《ウル=ティマ》が沈黙していた。


すでに“黒衣”は破れ、満身創痍のセルヒオが臨戦態勢を解かぬまま、なおも睨み合う。


空を覆っていた無数の飛行型の死光体も、いつの間にか姿を消していた。


「レイ、隊長は俺たちをここへ転送した。それに、ここに救出対象まで同時に送ったんだ。この意味が、わかるだろう?」


 フリントは唇を噛み締め、拳を握りしめながら言う。


 その言葉の意味を理解した瞬間、レイは息を呑んだ。


『……え? 嘘でしょ……カゲハだよ? カゲハが死ぬわけないじゃん……っ』


 混乱するレイの声が、無線越しに震える。


「隊長は……意識を……“奴”に乗っ取られていた……まるで、あの巨大な蟲のような眼をしていた」


 ミランダは、遠く沈黙する神獣《ウル=ティマ》を指差しながら、か細く告げる。


『……私、今から女王の元へ行く。神女王なら、なんとかしてくれるはず。誰か、ヘリのマニュアル操縦をよろしく』


 レイの通信の向こう側で、身支度を整える音が聞こえる。だが、直後――


『開かない!? なんで!?』


 扉を叩きつける音と、レイの叫びが無線に響いた。


『狂女王か……っ! あの女! カゲハを見捨てる気かよ! ふざけんな! 出せ! なんとかしろっ!』


 半狂乱になった彼女の声が荒れ狂い、やがて嗚咽混じりの啜り泣きが、かすかに通信機越しに漏れる。


 その時だった。


「お、おい……あれを見ろ!」


 隊員のひとりが、聖堂の方角を指差した。


 そこにあったのは、信じがたい光景。


 巨大な聖堂が、白い糸に覆われていく。それは繭のように、ゆっくりと、確実に、すべてを包み込んでいた。


「……この魔力反応、なんてもの……」


 ミランダは聖堂から発せられる異様な魔力に、背筋を凍らせる。それは、あの飢餓神《レ=イリス》が放っていた禍々しい波動と酷似していた。


「まさか……こんな数の“あれ”が……」


 ミランダは己の肩を抱きしめ、耐え難い恐怖に身を震わせる。フリントもまた、青ざめた顔で唇を噛み締めていた。


「なんだ、“あれ”って……?」


 他の隊員たちも、異様な魔力の気配は感じ取っていたが、その正体を知らず、ただ恐怖に戸惑っていた。


 震える声で、ミランダが答える。


「もし……あの繭の中に感じる“あれ”が、この数……解き放たれたなら、この世界は終わるわ。私たちは“黒衣”と《クインズアームズ》で辛うじて守られているけど、他国の魔法技術じゃ対抗できないし、効果すらない」


 彼女の言葉を裏付けるように、聖堂を包む繭の中から、飢餓神《レ=イリス》の気配が、数千、数万にも膨れ上がっていくのが感じ取れた。


 誰もが息を呑み、やがて恐怖に沈黙した。



 一刻前までの激しい戦闘と混乱がまるで嘘であったかのように、神国の魔導ヘリは静かに空中で停止していた。


 辺りを包むのは、静寂と、そして耐え難いほどの絶望と悲しみ。言葉を発する者もなく、ただ悲壮感だけが機内を満たしていた。


 沈黙を破ったのは、隊員の一人だった。


「……これから、どうするんだ?」


 声には力がなく、虚ろな響きだけが宙に残る。


「とりあえず……目標は達成した。救出対象は無事に保護できている……。だが……」


 言葉を続けるのも辛いのだろう。


誰もがその続きを飲み込んだ。彼らは今、この戦いの報告をしなければならない。


だが、それは決して誇れるものではない。任務の達成と引き換えに、自分たちの精神的支柱であり、何よりも信頼を寄せていた隊長カゲハを喪ったという事実。


さらに、聖堂の繭の奥から溢れる異質な魔力が意味するもの――それは、間違いなくこの世界の終焉であった。


 改めて、隊長という存在の大きさを痛感した鴉部隊の面々は、消失感に胸を締めつけられていた。誰もが、それを受け入れるにはあまりにも辛すぎた。



 しかし、そんな張り詰めた空気を、ふと暖かな光が包み込む。



 それは、柔らかく穏やかに機内を満たし、ささくれ立った心を少しだけ撫でるような優しさを持っていた。


魔力を介して魂へと干渉し、肉体の傷と共に、魂の濁りすらも洗い流してゆく――魂復魔法ソウルの光である。



「……皆さん、本当にありがとうございました」


 いつの間にか、救出対象である大四季 真里が目を覚ましていた。


まだ疲労の色は濃いものの、その表情には気丈さが宿っている。


その場の雰囲気を悟ったのか、自身のできる限りの魔法を行使し、沈んだ空気を少しでも和らげようとしたのだ。


 ミランダは、その姿を見て僅かに目を見開き、そして声をかける。


「……いえ。お怪我などはございませんか、大四季様」


 その言葉には、沈んでいた心に再び使命感が灯る気配があった。彼女もまた、まだ立ち上がらねばならないと理解していたのだ。


「はい、大丈夫です。まるで長い悪夢の中にいたかのようでした……。この度は、本当にありがとうございました」


 真里の柔らかな微笑みは、これまで幾千、幾万の人々の心を救ってきたものだ。だが、それも今の彼らには、ほんの気休めにしかならない。


 だが、その時。


「眠っている間も、ある程度の状況は把握できているつもりです。隊長さん……あれが噂に聞く狂女王の血を継ぐ“セカンド”なのですね」


 真里は、朧げに混濁する意識の中で垣間見た聖堂内の出来事を思い返していた。


その記憶の中で、確かに見た、異様な存在感を放つカゲハの姿。しかし、そこにひとつ、違和感があった。


(……だが、あの気配……セカンドにしては、妙な違和感があった。あれは……)


 思い悩む彼女をよそに、機内に再び騒がしい声が上がった。


「みろ!」


 フリントが叫び、窓の向こうを指差す。


 巨大な繭――かつて聖堂があった場所が、まるで生きているかのように蠢いていた。


白く光る繭の表面が脈動し、その内部から放たれる魔力の波動が鼓動のように空気を揺らしている。


それに呼応するかのように、ダンジョングラウンド全体の魔力反応が一斉に増幅し始めていた。


「……こいつは……世界が終わるのか」


 フリントは力なく呟き、そのまま膝を突き、顔を伏せる。


 だが、その絶望の淵にいる彼らに、再び光をもたらしたのは、大四季 真里だった。


「違います。貴方たちの隊長さんは、今もあの中で戦っているはずです」


 彼女は、しっかりと隊員たちを見渡しながら、静かに、しかし確かな声で続ける。


「女王のセカンドは、そう簡単に死ぬようには造られていません。信じて待ちましょう。あれは、貴方たちの“王”なのでしょう?」


 その言葉は、沈んでいた隊員たちの胸に静かに染み入り、かすかに光を灯した。


「そうよ、私、あの人にまだたくさん教えたいことがあるんだから」


 ミランダは繭を睨みつけ、その瞳に強い意志を宿す。


『……そうだ。カゲハは、死ぬわけない!』


 通信機越しにレイの声が聞こえ、彼女も再び気力を取り戻しつつあった。


 一方、地上では、瓦礫の山の中でセルヒオが腰を下ろし、空に浮かぶ魔導ヘリを仰いでいた。擦り傷だらけの顔に、どこか諦め半分の苦笑を浮かべる。


「たぶん、忘れられてるんだろうな、俺。見た感じ、隊長もいないし……なら、あの中か」


 セルヒオは巨大な繭を見据え、その異様な気配に息を呑む。


「ま、でも。隊長なら……なんとかしちまうんだろうな」


 そう呟き、ふふんと鼻を鳴らしてひとり笑い、再び瓦礫に背を預けた。その瞳には、不思議と恐れはなく、ただ信じる者の静かな祈りだけが宿っていた。


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