第32話 呪いの剣
空気が、裂けた。
甲冑戦士の剣が左から。
真嶋の斬撃が右上から。
どちらも、容赦なく俺を屠ろうと迫っていた。
「星鎖転移ッ!」
光の鎖が空間を貫く。
俺の体が一瞬で空間を跳び、刃と刃の交点をすり抜けた。
そして着地と同時に反動の吐き気が喉元を突き上げ、無理やり飲み込む。
剣と剣が空を切り、互いにぶつかり合う。
火花が散った。
甲冑戦士がわずかに体勢を崩す。
真嶋は、俺がいなくなったことで一瞬虚を突かれた。
そこだ!
「万界崩掌!」
吠えるように叫び、俺は拳を地面に叩きつけた。
ズガァアァンッ!!
大気が地面ごと爆ぜる。
衝撃波が地を這い、二人の足元を砕いた。
「が……あああっ!?」
真嶋の体が浮き、まるで地面ごと弾かれたように空中を舞い、背中から地面に叩きつけられる。
一方、甲冑戦士も衝撃の余波に巻き込まれ、吹き飛ばされた。
黒鉄の鎧が重い音を立てて、闘技場の壁に激突する。
土煙が舞い、観客席からは悲鳴と驚愕のざわめきが巻き起こった。
「うおおおおおおッ!?」
「な、なんだ今の……!」
「あの黒髪のやつ、めちゃくちゃ強いぞ……!?」
俺は拳を引き、重くなった腕をだらりと下ろす。
痺れた指先は、もはや力を込めることすら困難だった。
でも、まだ立ってる。
まだやれる。
視界の先、土煙を割って真嶋がよろよろと立ち上がってきた。
「く、そが……ッ!」
血の滲む口元。
血走った眼。
もう正気なんて残っちゃいない。
それでも奴は、俺を睨みつけながら、ふらつく足でこちらに歩み出す。
悪いな、真嶋。
お前の狂気じみた勝利への執着に、終止符を打たせてもらう。
「岩玉」
小さな詠唱と共に、俺の掌に土と魔素が集まり、拳大の岩塊が形成される。
禁術じゃない。汎用魔術だ。
偽勇者の、劣化コピーの魔術。
だが今の瀕死の真嶋相手なら、これで十分だ。
俺は一歩踏み出し、岩玉を真嶋の顔面に放った。
ズガンッ!
「……っが!?」
鈍い音と共に、真嶋の頭が仰け反った。
瞳が泳ぎ、重力に負けるように膝から崩れる。
そのまま、ばたりと前のめりに倒れ込んだ。
微動だにしない。
どうやら気を失ったらしい。
「……よし」
そう呟いて、俺は息を吐いた。
観客席はまるで時間が止まったように静まり返っている。
声も、動きも、何もない。
目の前で起きた出来事を、誰もが理解しきれずにいるのだ。
と、その沈黙を切り裂くように。
ギィ……と、鈍い軋み音。
視線を向けた先。
倒れていたはずの甲冑戦士が、ふらりと身を起こしていた。
「まだ、動けるんだね」
さっきの一撃で吹き飛ばして、思いっきり壁に叩きつけた。
真嶋の攻撃をあれだけ受け止めていたヤツだ。
死ぬことはないだろうと思っていたが、まさか動けるとは。
「……え」
思わず、声がこぼれる。
甲冑戦士の上半身の装甲がひび割れ、剥がれ落ちかけていた。
その内部から覗いたのは、筋骨隆々のたくましい肉体――ではなく、細い腕としなやかな肢体。
がらん、と音を立てて面が転がり落ちる。
「…………マジ?」
現れたのは、少女だった。
俺と同じくらいの年齢。
目は虚ろに白く濁り、焦点は合っていない。
理性の欠片も感じられない瞳。
口元からは血の混じったよだれを垂らしている。
「……な、なんだ、あれ……?」
観客の中から、誰かのつぶやきが漏れた。
その言葉と同時に、少女はふらりとよろめきながら、足を引きずるようにこちらへ歩いてくる。
何も言わない。
ただ、剣をがりがりと引きずりながら。
そのまま、真嶋の倒れる傍へと近づくと……。
ズブリ、と。
少女は無言で、剣を真嶋の腹に突き刺した。
「……っ!!?」
観客席に悲鳴が走る。
だが、それ以上に異様だったのは、その後だ。
剣の刀身が、ごきゅ、ごきゅと、まるで何かを吸い上げるように蠢き出したのだ。
金属がうねるような、不気味な音。
ストローで液体を吸う時のような、湿った動き。
「あれはまさか……呪具ってやつ、かな」
目を細めながら、俺は呟いた。
呪具。
その名の通り、呪われた道具。
魔術によりそうなった物もあれば、強い想いにより偶発的になってしまった物もある。
その効果は様々で、得体の知れない力を秘める代償に、使用者の心や命を蝕む危険な存在。
この少女も、きっと……。
「……操られてるんだろうな」
苦々しく呟きながら、俺はゆっくりと一歩踏み出す。
やるしかない。
このままじゃ、真嶋が本当に取り返しのつかないことになる。
そして何より、この少女自身も。
「禊断咒印ッ!!」
魔術式が俺の手元で輝き、鎖のような光が伸びていく。
少女の剣に向かって一閃。
ぱあん、と乾いた破裂音。
剣が、まるでガラスのように砕け散った。
同時に少女の体がふらりと揺れ、そのまま力なく崩れ落ちる。
俺はすぐさま駆け寄り、真嶋の体についた傷口を見る。
幸い、命に別状は……なさそうだ。
ネメシスアークが吸収を断ち切ったことで、傷の進行も止まっている。
ついで、気を失った少女の方へ視線を向ける。
これまでの戦闘で体に傷こそついてはいるが、いずれも致命傷ではない。
呪いを解除してどうなるかは賭けだったが……良かった。
彼女はすーすーと寝息をたてて眠っている。
「はぁ……終わったか」
そう呟いた瞬間、会場に「うおおおおおおおっ!!」と大歓声が湧き上がった。
「やった……!」
「ありがとー! お前のおかげで助かったぞー!」
「いや、すげえぞ……こんなこと言っちゃ悪いけど、勇者よりよっぽど……!」
割れんばかりの拍手。
ざわめきと喝采が、闘技場全体を包み込む。
俺はその中心で静かに立ち尽くし、ゆっくりと観客席を見渡した。
視線が、音が、熱気が、すべて俺一人に向けられていた。
「……信じられないな」
少し前まで、俺は勇者の偽物だった。
谷底に突き落とされて、役立たずの烙印を押されて、誰にも期待なんてされなかった。
それが今、この歓声だ。
俺が、誰かを救って。
俺の力が、誰かに届いて。
そして今ここにいる、俺を見てくれている。
俺は静かに目を閉じた。
目立ってしまったし、王都の上層部に俺が生きていることや禁術のことがバレたかもしれない。
早く身を隠さないと。
……でも。
でも今だけは、この拍手の中に少しだけ、浸っててもいいよな。




