第25話 星霞の宵
夜の砂漠に、静かに星が降り始めていた。
ザンドラの空は、昼の灼熱が嘘のように澄み渡っている。
どこまでも抜けるような漆黒に、無数の光点がちりばめられていた。
「わあ……」
隣で、ミリアが息をのむ。
見上げるその横顔は星明かりを映して、どこか幻想的ですらあった。
「これが、星霞の宵か」
街全体の灯りが徐々に落とされ、代わりに通りに並ぶランタンに淡い光がともっている。
それが砂粒に反射して、まるで星の光が地上にまで降りてきたような錯覚を生んでいた。
「素敵ですね、ユウト様」
「うん……本当に」
思わず本音が漏れる。
幻想的で、どこか懐かしい。
そんな風景だった。
一方、少し離れた場所ではセラフィが屋台に夢中になっていた。
彼女はこちらに気づくとパタパタと走り寄ってきて、興奮した様子で口を開く。
「ゆーとさま! あっち、あめあります! あま~いふわふわもあります!!」
「おいおい、走るなって。人多いんだから」
言いながら、俺は小袋から数枚の銀貨を取り出して、セラフィに手渡す。
「ほら、これ。あんまり遠くに行くなよ。買い物したら、ちゃんと戻ってくるんだぞ?」
「はいっ! やった、やった!」
ちびっ子天使はにこにこしながら小銭を握りしめ、また屋台の方へぴょんと駆けていった。
まあ、彼女のテンションが最高潮になるのは予想してた。
「ふふっ、とっても元気で、本当に可愛らしい……」
ミリアが微笑む。
その視線の先、子どもたちが光る紙灯籠を掲げて笑っている。
屋台の店主たちも柔らかな雰囲気で声を張っている。
砂の街全体が、夢の世界のようだった。
しばらくして、人混みのない段差に腰掛けて、俺たちは肩を並べて夜空を見上げていた。
静かだった。
人の声も、音楽も、屋台の喧噪さえもどこか遠く感じる。
「……あ」
ふと、空が一層明るくなった。
街の照明が完全に落とされ、星の光と砂の反射だけが景色を照らす。
光の粒子が空から地へ、地から空へと交錯し、まるで世界そのものが、星に染まり始める。
「すごい……」
誰の言葉か、わからなかった。
たぶん俺もミリアも、同時に呟いたんだと思う。
ふと隣を見ると、ミリアの髪が銀砂のように揺れていた。
星の光を浴びて、白いドレスがふわりと浮かび上がる。
彼女の輪郭が夜の中に溶けていく。
けれどその瞳だけはまっすぐに輝いていて……。
俺は、思わず息を呑んだ。
「ここに来れて、本当によかったです」
鈴のような声音で呟く。
「子供の頃に父と交わした約束は叶わなかったけれど。今……こうして、あなたとここにいて」
ミリアがそっと体を寄せてきた。
「……町の人が、言っていたんですが」
肩が触れる。
ドレス越しの体温が、やけに近くて。
「ここで結ばれた二人は、永遠に添い遂げられるそうですよ」
耳元で囁かれたその声は、星空よりも柔らかく、どこかくすぐったかった。
「――なっ!?」
一気に心臓が跳ねた。
顔が熱い。
上手く言葉が出てこない。
ミリアの頬がうっすらと染まり、俺の反応を見て小さくくすりと笑った。
何か、何か言わねば。
そう思って、口を開こうとしたその時――
「おお~あた~り~~~!!」
盛大な鐘の音と共に、通りの向こうから男性の野太い声が響いた。
びくっと驚いてそちらを振り向くと、くじ引き屋の前で、両手を挙げて飛び跳ねている銀髪の天使。
「ゆーとさまーっ! みりあさまーっ! セラフィ、やりました!」
その手には、何やらチケットのような紙。
「……ふふっ。呼ばれていますね」
ミリアが微笑んで、俺の隣から立ち上がった。
俺もようやく落ち着いたふりをして、深く息を吐いた。
良いタイミング……だったんだろうか。
ぴょんぴょんと全身で喜びを表現するセラフィ。
星の光を浴びながら跳ねるその姿は、まるで夜空から舞い降りた小さな天使みたいだった。
……いや、違う。
そんな幻想的なもんじゃない。
近づいてみるとわかるけど、頭にお面、右手にわたあめ、腰にぴかぴか光る杖を差していて、完全なお祭り幼女だこれ。
「みてください! セラフィ、いっとうですよ! いっとう!」
満面の笑顔で差し出されたのは、絵柄付きの大きな紙チケットだった。
金縁の飾り文字で「神殿都市直通・特別ラクダ乗車券」と書かれている。
「神殿、都市?」
俺が眉を上げると、くじ引き屋の店主が「お見事お見事!」と笑いながら説明してくれた。
「今年の星霞の宵に合わせて、うちの店も特別賞品を出しましてな! そちら、神殿都市ルクシディア直通の旅客ラクダ隊の予約券です。通常は数十人待ちの上級ルートですが、これは最優先案内。しかも……」
店主が目を細め、声を落とす。
「あちらじゃあちょうど来月、暁霊祭が開かれますんでな。観光でも商売でも、大にぎわいになること請け合いですわ……!」
「暁霊祭?」
俺が眉をひそめると、店主は「おや」と目を丸くして、手元のタオルで汗をぬぐった。
「おっと、こりゃまた失礼。てっきりご存じかと。あれは、暁霊様を讃える、神殿都市最大のお祭りでしてな」
「へえ……神殿の」
「表向きは感謝と祈りの大祭……ですが、実際には武闘大会、交易市、芸能披露に貴族の社交会と、あらゆる勢力が集う何でもありの祭典ですわ。特に目玉は、神殿騎士団主催の武闘大会! 参加すれば、各国に名が売れるってもっぱらの評判で」
そこまで一息に話してから、店主はセラフィの当てたチケットを見て、にんまりと笑った。
「そちらの券は、ちょうどその祭典直前便。まさしく最高のタイミングってやつですな」
「おっまつり!?」
セラフィが食いついた。
ぱっと顔を輝かせ、チケットを両手で掲げる。
「ゆーとさま、みりあさま! またおまつりいけるんですか!? すごいですっ! すいーつもいっぱいあるですか!?」
その勢いに、思わず俺とミリアは顔を見合わせる。
「……ふふっ」
ミリアが小さく笑う。
「どうする、ミリア?」
俺が問うと、彼女は一瞬だけ空を見上げ、そっと頷いた。
「そうですね。私も、神殿都市を見てみたいです」
「決まり、だな」
俺は笑って、セラフィの頭をぽんと撫でた。
「やったーっ!」
星の夜空に響き渡る、元気な声。
俺たちの旅は、次の目的地――神殿都市へ向けて、また動き出すことになる。
これにて第3章、終了です。
続いて第4章の舞台は神殿都市ルクシディア。そして暁霊祭。
大きく物語が動きます。
ぜひ、お付き合いください。