第2話 真の勇者と『偽勇者』
「――火球ッ!」
俺は腕を振りぬき、炎の球を射出した。
掌から放たれたそれは、一直線に空気を裂いて突き進む。
「たのむ、当たれっ……!」
だが前方に立つ男――真嶋はまったく慌てる様子もなく、その場に立ったまま「フン」と鼻をならした。
「鼻クソみてーだなぁ。俺様が手本を見せてやるよ……っと!」
真嶋が右手を軽く振り上げたその瞬間。
「火球!」
威勢のいい掛け声とともに生成された炎塊は、俺のそれとはまったく比べ物にならない。
サイズも光量も段違い。
アイツの言う通り、まるで鼻クソと砲弾だ。
二つの炎が空中で接触した瞬間、俺の方はあっという間に呑み込まれた。
「あ、う、水盾――うわぁあっ!」
巨大な炎の塊が俺に激突する瞬間、すんでの所で小さな防壁を生成する。
が、まさに焼け石に水。
爆音と熱風。
遅れて土煙が舞い、俺の体は後方へと吹き飛ばされた。
「ぐぅ……っ、か、はっ……!」
地面に叩きつけられ、転がりながら息を吐く。
視界は揺れ、肺の奥の酸素が全て押し出される。
しかし地面に倒れたままなど、ヤツが許すはずもなく。
「立てよ、カス」
台詞とともに放たれた蹴りが、俺の鳩尾にめり込む。
呼吸が止まり、視界が一瞬にして黒く染まりかける。
「ちったあ真面目にやれよ。お前も俺と同じ勇者様なんだろ?」
笑いながら言う。
「う、うあぁ……っ!」
うめくような声をあげながら、拳を握って反撃しようとする。
けれど。
「甘ぇーよ」
「ああああああぁぁぁっ!!」
腕を掴まれ、ひねり上げられる。
関節がミシリと悲鳴をあげた。
力が抜け、俺の身体はまた地面に転がった。
「――そこまで!」
訓練場の端で、教官が声を張り上げた。
真嶋は舌打ちして拳を止め、俺を見下ろす。
「……ザコが」
そのまま背を向ける。
治癒担当が駆け寄るが、真嶋は手をひらひら振って追い払った。
「いらねーよ、そんなもん」
そしてスタスタと去っていった。
断られた治癒担当の女性は少し眉をひそめた後、俺の方に面倒くさそうに近寄ってきた。
いや俺が先でしょどう考えても。
どっからどう見ても俺の方が重体でしょ。
なんなら教官の静止があと10秒遅かったら死んでたかもしれないんですけど。
「回復」
治療の魔術がかけられると。体の痛みが徐々に引いていく。
と同時に、周囲の視線がやたらと刺さるのを感じた。
「ったく……マシマ殿と比べて、なんだあの出来損ないは……」
「タダで飯食わせて、来賓用の寝室も使わせて、それでアレか? 冗談だろ」
「とんでもない詐欺だよな……この偽勇者が」
聞こえてますよ、全部。
だが、まあ、その通り。
俺は役立たずの偽勇者。
勇者召喚の儀で、間違ってついてきたオマケなんだ。
異世界に召喚されて、一か月が経った。
二人の勇者として迎えられた俺と真嶋は、王城の施設で“勇者訓練”なるものを受けさせられている。
いや、実際のところ二人の勇者なんかじゃない。
最初から、勇者は一人だけだった。
真嶋は見る魔術すべてを即座に模倣し、放てば原本以上の威力。
剣の訓練でも体術でも、教官を黙らせるほどの才能を見せつけていた。
王城の兵士たちは彼を見れば道をあけ、女官たちは影で黄色い声を上げ、教官は目を輝かせながら熱心に指導する。
「さすが真の勇者様だ!」
「これほどの素質は百年に一度……いや、千年に一度かもしれん!」
そんな賛辞が日常だった。
そして俺はというと、相変わらず。
模倣はできる、けれど出力は雀の涙。
剣を握れば腕が震え、素振りをすれば転ぶ。
模擬戦では一撃も入れられず、毎回真嶋はおろか一般兵にさえボコボコにされる始末。
「はは、やっぱアイツ、ザコすぎだろ」
「勇者? どこが?」
「アイツ裏じゃあ偽勇者なんて呼ばれてるらしいぜ」
偽勇者。
それが、今の俺のあだ名。
誰が最初に言い出したのかは知らない。
でも気づけば、王城では誰もがそう呼んでいた。
頼んでも無いのに召喚に巻き込まれて、それでも一生懸命だっただけなのに。
「聞いているのか、カミヤ!」
びくりと肩が跳ねた。
目の前にいたのは、訓練教官。
俺を見下ろすようにして、眉をひそめていた。
「明日はいよいよ城の外へ出て、魔物との実戦訓練に移行する。今夜はしっかり体を休めておくように。……貴様にとって、最後の夜になるかもしれんからな」
そう言って口角を上げると、教官は踵を返して去っていく。
魔物。
実戦。
外。
教官の声は聞こえていたはずなのに、頭が回らなかった。
やがて、ようやく意味を理解した時、口から漏れたのは。
「…………終わった」
地獄に、底があったなんて。
俺の異世界生活は最悪の結末を迎えようとしていた。
◆◆◆◆◆◆
翌日。
気づけば俺は、王都の外れ――巨大な断崖の上に立たされていた。
眼下は霧に包まれた深い谷。
底が見えない。
風が吹けば、足元がふらつきそうになるほどの高さ。
そんな場所で俺は、腕ごと縄で体をぐるぐる巻きにされた状態で立っていた。
「な、なんだよここ……いや、これ、マジで……下手したら死ぬって。これ解いてくれよ、なあっ」
「カミヤ・ユウト。貴様は勇者として不適格だ。召喚時の不具合によって発生した異常個体――ああ、良い呼び名があったな。偽勇者、だったか」
俺の目の前に立つ武装した兵士が、冷たい声で言った。
「……おい、それ、どういう……まるで今から……」
最悪の展開が頭をよぎった。
そしてそれは、的中することとなる。
「――これより、偽勇者の処分を執行する」
「え、ちょ、待て待て待て! 話せばわかるって! 俺、頑張って強くなって役に立つからさ!」
俺の声なんて、誰も聞こうとしなかった。
「ホラ、前に言ってただろ!? 魔術を練習なしでコピーできるのはすごいことだって!
い、今はしょぼい威力しか出せないけどさ、そのうち強いのも出せるようになるって!」
「案ずるな。訓練中の事故として処理するよう通達が下りている」
男は淡々と言い放った。
話が通じてない!
「マジかよ……!」
そのまま、背中に冷たい手のひらが当てられた。
「いや、やめっ、俺本当に死ぬって!!」
叫びは風にかき消された。
ドン。
体が宙に浮く。
「――うわああああああああああああっ!!」
空が遠ざかっていく。
地面も、世界も、全部が反転した。
重力がぐんぐん強くなる。
落ちる、落ちる、落ちていく。
ああ、俺の人生、こんな幕切れってアリなのか?
人助けしようとしただけなんだ。
それなのに、それなのにこんな……。
見慣れた青空が遠くなる。
遠くなって、遠くなって、遠くなって、そして――
――暗転した。