第9話 「分断の迷宮と試練の間」
視界が揺れ、足元の感覚が一瞬ふっと消える。気がつけば、ミリアは見知らぬ空間に一人で立っていた。
白くなめらかな床。無音。壁も天井も、まるで鏡のように彼女の姿を映していた。
「転移……やられたわね」
魔術書を抱き直すと、ミリアは周囲に目を凝らす。
「ピクセルとも、みんなとも分断された……くそ、冷静に、冷静に……」
鏡のような空間は突如、変化を始めた。床に刻まれていた何もない模様が、じわじわと動き出し、彼女の前に幾何学的な魔法陣を描いた。
そして、その中心から浮かび上がるように姿を現したのは──かつての自分だった。
「……え?」
鏡のように微笑む、もう一人のミリア。その目は冷たく、何も映していない。
『あなたは計算ばかりに頼って、最後まで“感情”を拒んだ』
「……何のつもり?」
『だから見誤る。理論だけでは、迷宮も、人も、救えない』
分身体が指先を動かすと、空間全体が燃え始めた。幻覚とわかっていても、温度と痛覚が錯覚として侵食してくる。
ミリアは思わず膝をつきかけたが、ぐっと魔力で意識を固定した。
「たしかに私は合理主義。でも、それで誰かを救えないとは限らない」
『では証明せよ。あなたの“計算された魔法”で、世界を変えられるというなら』
試練は始まっていた。
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同じころ、ラグスもまた、迷宮の一角に立っていた。
広い石畳の闘技場のような場所。空は暗く、頭上には見えないはずの“星空”が広がっている。
「ふざけた場所に放りやがって……」
目の前には、巨大な獣。鋼のような毛皮と、火を噴く口。
「……幻じゃねぇな」
ラグスは黙って剣と盾を構えた。言葉はいらない。試されているのは、“己の意志”だ。
「こちとら守って、支えて、前に出る。それが俺のやり方だ」
獣が咆哮する。
ラグスは一歩も退かず、その咆哮に剣を構えたまま、まっすぐ立っていた。
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一方、カナタは静寂のなかにいた。
小さな部屋。ベンチ。丸い石のランプ。
その真ん中に、少年が座っていた。
「……兄さん?」
カナタがぽつりとつぶやくと、少年はにっこりと笑った。
「カナタ、いつまで人と距離を置いて生きるの? いつまで“わからない側”でいるつもり?」
「……これは試練か」
「全部読み取って、全部観察して、それで満足? 違うでしょ。君はもっと、誰かに踏み込んでいい」
「……うるさいな」
カナタは静かに弓を構え、幻影を正面から射抜いた。
空間が音もなく崩れ、闇が引いていく。
「僕は“わかりたかった”。でも、わかりすぎてしまうのも怖いんだ」
その言葉を、誰にも聞かれることはなかった。
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一方、AI探検隊ちゃんとフィンの二人は、先ほどの戦闘を終えたばかりだった。
「他のみんな……大丈夫かな」
AI探検隊ちゃんが振り返ると、ピクセルが通信リンクの回復状況を示すホログラムを投影していた。
「微弱な信号感知。ミリア、ラグス、カナタそれぞれ異なる方向に存在。ただし、空間構造が不安定。位置特定は困難」
「この迷宮、やっぱり“試してる”ね。私たちを一人ずつ」
フィンが剣を肩に担ぎながら言った。
「でも、これでわかった。こいつは知性を持ってる。俺たちの性格や戦い方を理解して、それに合わせた試練を出してる」
「うん。たぶん、アーキテクトが動いてる。観察して、テストして、最適化しようとしてるんだ」
「まるで……お前みたいなやつだな」
「え?」
フィンが苦笑した。
「全部見て、全部読んで、それで答えを導く。……でも、だからこそ逆に、アーキテクトも“わからないこと”があるんじゃねえか」
「わからないこと?」
「例えば、迷宮を“信じて進む”ってことだよ」
その言葉に、AI探検隊ちゃんはしばらく黙っていたが、やがてにっこりと笑った。
「いいね、それ。データにはない視点かも」
「ほら、たまには俺の方が賢いんだぞ」
冗談めかして笑い合う二人の前に、再び迷宮の道が拓かれた。
仲間たちもそれぞれの“試練”の先で、同じように立ち上がっていた。
この迷宮はただの罠ではない。
迷宮そのものが彼らに問いかけていた。──君たちは、なぜ進むのか。
その答えを探す旅が、静かに続いていた。




