海中の死闘へ
「気をつけて行ってこいよ」
「わかってますよ。兄」
私は管理所から少し離れた人造湖の水辺の付近で探索を始めようとする勘十郎を見送る役割を担った。
この心境はまるで出征兵士を送る親の気分と言ったようなものだ。
ブクブクと勘十郎が湖の中に入っていく反動で静かな水辺は津波の予兆のように激しく波打ち、それも数分経つと元の理性を取り戻している。
「私も戻るか......」
勘十郎との約束の時間は今日が終わる21時を指す時間をタイムリミットとし、今から9時間後の合流が目安ということになる。ただ、それはあくまでも予定であって、何事も起こらなかった場合の想定だ。
その不測の事態はドルジの聴覚を使って、把握する以外に方法はない。私の任務はとにかく戻ってドルジに事の経緯を伝えることが最重要課題としてのしかかった。
かなり遠くにあるせいか管理所に戻ってくるのに10分はかかってしまい、先生!どこ行ってたんですか!と言わんばかりに勢いよく私を出迎えた古賀さんを宥め、私はドルジと一旦外へ出て、勘十郎との約の内容を説明する。
「兄者たち、いつのまにそんな約束してたんだ!まあ、でも、私の聴覚で十郎兄者の様子を探ればいいんでしょ?任せといて!得意技だから!」
相変わらずの張り切り具合にはいつも心配が先行するが、それでもドルジの聴覚の良さは私の太鼓判がある。
とにかく、今は勘十郎の無事を祈るばかりだった.....
◆◇◆◇
兄と離れ、この淀み、濁り切った湖の中をゆらゆらと掻い潜りながらひたすら前進している。
私、勘十郎はドルジが感じたという呻き声のようなものの正体を確かめるため、自らの特技の一つである水泳を使い、その答えを今探し続けている。
兄もいうようにドルジが違和感を感じた音は大抵何かがあることが大半を占めている。
「.......」
水を掻き分ける重低音と自然の流れを見せる湖底の藻たちの中をスイスイと駆け回るが、一向にその正体らしきものは見当たらない。しかし、まだ水辺に近いところであり、ドルジが聴いたという声に到達するにはまだまだ使用している時間は短すぎる。
私はさらに奥へと進み、ひたすらに塗りつぶされたような濁りの世界の先へと進み続ける。
「?......」
すると、私はある違和感ある感覚に襲われる。
この汚染された湖から来る嫌悪感から来るものではないことは明白だった。
なんだ.....この何かからジッとこちらを見られているような感覚は......
徐々にその不気味な視線あるいは網が周りに張り巡らされたようなこの違和感は狭まりを見せており、私は背中にある十文字槍を手に取るが、やはり水中ということもあり、水圧からかなり自由は制限されていた。
「!!」
私の足を何者かが掴む。掴まれた片足の方へ視線を落とすと溜まっていたへどろの地中から真っ黒に染まった腕が私の片足をガッチリと掴んでおり、十文字槍をその腕に振りかざす。
するとすぐに手を地中の中に引っ込め、私もそれを追いかけ、腕の出てきたへどろをほじくり返す。
すると何かが爆発したようにへどろ特有の汚れが水中に舞い、砂嵐の様相を呈し、私の視界を完全に遮断する。
「何ッ!」
その奪われた視界とは真反対の私の背中をガッチリと掴むものがあり、十文字槍の石突を脇腹あたりにお見舞いする。
流石に怯んだのかゆっくりその縛りは解けていき、私もそれに合わせて、ひゅるりと身を反転させ、そのバケモノと対峙する。
その見た目は全身は長らくここに住み着いているのかと思わせるほどに藻が浸食し尽くしており、一部は頭部に生え、髪の毛のようなものを形成している。
人の体をしているが、実態はへどろと藻に包まれた怪物だ。おそらくドルジの聴いた呻き声もこいつから発せられたものだろうことは容易に推察できる。
私はそのバケモノとの死闘をこれから繰り広げることになるのであった......。




