依頼者
外に出れば、冬ざれとなり、あたりの植物たちは次の春に備えるかのようにいち早く枯れ、私はそれよりも一層早く依頼者の相談という初仕事に臨む心持ちを備え、仲冬とは正反対の1本の炎が焚かれるような緊張が熱伝導的に全体に流れ込んでいた。
「よし。着いた」
何か変わったわけではない庵のいつもの自宅はその時ばかりは巨大な要塞に立ち向かうような一種の恐怖が現れ、立ちすくむ私はその緊張を克己するが如くインターホンを鳴らし、その先から聞こえる庵の抜けたような声は私の肩の重りを少し落とす効力を持った。
「何お前、一人でガチガチになってんだ」
「べ、別に。ちょっと寒かっただけだし」
「はぁ〜ん。まあそういうことにしとくか。とりあえずもう少しで到着する頃だろうな」
ピーンポーンとインターホンが鳴り、そこにはそれを押した張本人の人物が映り込んでいる。非常に佇まい美しい女性でどこかの貴婦人ではないかと見間違うレベルの気品さや鷹揚さを持ち、白いワンピースの綺羅具合も彼女を際立たせるための引き立て役でしかなかった。
「どうぞ。入ってきてください」
そう言いながら、玄関の方へ急ぎ向かい、開けると冬日和の中、その女性は神妙な面持ちでこちらに歩み寄った。
「先生。本日はご相談をお受けいただきありがとうございます」
「いやいや。これも仕事ですから。ここでは冷えますんでとにかく中にお入りください」
その深く下げられたしなやかな体躯は慎重に上げられ、庵の指示に従い、家の中へと足を踏み入れていく。
依頼者...名前は真田涼子というらしい....の相談には2階にある庵の書斎兼事務所のような場所で1部についている窓から白妙の光が微妙に差し込み、庵が触っている机の前に均等に並べられているソファーに女性は腰掛け、私たちも対岸のソファーに座り込む。
「本日はどういったご用件で?」
「はい。実は数日前から私の娘の様子が少しおかしいんです」
出てきたのは娘さんの話だった。その内容は今までは特段変わったことのない真面目な子でいつもは暗くなる前、遅くとも19時ほどには家に帰りつき、学業も卒なくこなしているようだったが、最近は妙に帰りが遅く、酷い時は23時近くに家に帰宅することも度々あるという。
「それでどうして私たちの元へ?」
私は警察などに相談せず、なぜ私たちに相談してくれたのかを尋ね、女性は悲哀を纏いながらも絢爛な表情で応える。
「私も最初は警察に相談しようと思いました。旦那にもそのことを伝えて見たんです。そしたらあることがわかったんです」
「あることとは?」
「最近、私たちの地域で夜になると人が時々襲われる時間が起きていて、その時期が娘の帰りが遅くなっている時間とちょうど被ってるんです」
ん?.....人が襲われる事件?何か私は耳に聞き覚えのあるような内容でその心当たりのある事柄を涼子さんに尋ねる
「あの。もしかして、それって人が夜中に切り付けられたみたいなやつじゃないですか?」
それは少し前に庵の自宅で目に飛び込んできたあのニュースだ。夜中に何者かに切り付けられ、幸い軽傷だった被害者によるとあまりよく見えなかったが大柄で爪状のようなもので顔のあたりを切り付けられたと後の記事には掲載されていた。私の職業病とたかを括っていた事件は最悪の形でこのように現実になってしまっている。
「ええ。そうです。まだ犯人も見つからずその姿形すらもわかってないらしく。旦那も新聞とかでその事件を知ったらしくて娘のことを聞いたらピンときたみたいで」
旦那さんは帰りが遅いことも多く、娘さんの帰宅を完全に把握することは難しいらしい。そして旦那さんはそこで
警察なんかよりももしかしたら今少し有名になっていた庵のところに相談した方がいいのではと提案してきたらしい
「お願いします。お金はいくらでも出しますので。娘をどうか助けてください」
そう言って、少し埃も貼り付いている赤黒いカーペットに頭を擦るように土下座をし、体は僅かに震える風采を見せている。
「やめてください!さぁ。立ってください。わかりました。お引き受けしましょう」
庵は必死になり、涼子さんの両手を持ち、なんとか土下座を阻止させ、その依頼を躊躇なく了承する。
ありがとうございます!ありがとうございます!と一心不乱に感謝を述べるその表情はただただ自分の愛娘のために全てを捧げるその姿は玉響ではあったが、それだけで十分にこちらにも染み渡るものがあった。
「では。何卒よろしくお願いします」
こうして、私たちはこの依頼を引き受け、娘さんこと真田鈴さんの動向や事件との関連性を調べることとなった。
まず涼子さんから鈴さんの写真を見せてもらい、学校、最寄駅、おおよその帰宅時間の目安を聞き出し、今週の土日を挟み、月曜からの尾行を開始することを決定した。
「とにかく、決行は次の月曜だ。お前もその時に何か気づいたらすぐ教えろよ。どんな些細なことでもな」
そう言って念押しをし、私もそれを心に刻みこんでいた。
数日経ち、遂にその日を迎える。彼女は部活などもやっておらず、友達とも帰りの行き先は違うようでいつも一定の時間の電車にきっかり乗るそうだ。
「おそらく次の時間の電車だろう。あんまり後をつけすぎると怪しまれる恐れがある。慎重に行動しろよ」
庵の言う通り、少しでも怪しまれ、私たちの顔を覚えられでもしたら、それは依頼解決への一歩を大きく踏み外すことになり、まさに薄氷を履むような尾行だ。
アナウンスが駅内全体に流れ、次の電車の到着を水輪のように駅全体に響き渡らせる。
「それにしても、鈴さんどこにいるんだろ?もうそろそろきてもいい頃じゃない?」
最寄駅へ行くには私たちのいる1番ホームに向かう必要があり、到着する電車の車列は3両で反対側のホームに行っては乗れないはずで、わざわざそちら側に行くような手間のかかるようなことをするとも考えにくい。
「今は待つんだ。ここで離れた隙にすれ違いでもしたら面倒なことになるからな」
「.....わかった」
私は渋々納得し、蒼穹は紅蓮に染まり、西日の光芒がホーム一面に降り注ぐ中、私はそれを避けるように目を逸らした。
「!.....」
その光の一筋の間から陽炎の如く階段からこちらへ降りてくる一つの人影が瞳に侵入する。
そう.....私たちが追い求めていた対象......真田鈴の姿がそこに鮮明に映し出されていた。




