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蘭陵王伝 別記 第七章 黎陽の水脈  ④ 敬徳の出征

北周が国境を侵すことが多くなり、高敬徳は周との戦いに出征していった。



 ★ 北周との攻防 ★

 

 昨年の始め、斉の斛律将軍が率いる中軍は絳州の三城を陥落させたが、冬になると、北周の将軍である曹迴公が、黄河の支流である汾水ぞいの汾州から南下し絳州にその勢力を伸ばしてきた。そして絳州の東にある平陽郡の白馬城や翼城を窺う勢いを示していたのである。

 年が改まった一月の下旬、斛律光衛将軍は鄴都から軍を発し、太行山脈の西にある上党に軍を進めた。斛律光は、絳州に勢力を伸ばそうとする北周軍の侵略を許さなかった。二月の初めには中軍の騎兵一万騎を率いて翼城に至った。そして二月の中頃、斛律光の軍は汾州に軍を進め、さらに汾水を渡った。そして、曹迴公の軍を絳川に追い詰めて苛烈な攻撃をおこなった。

 

 一方、淮水の南では、北周の傀儡である後梁、王琳の率いる梁、北斉に臣従した徐嗣徽、王琳と袂を分かった陳覇先が群雄割拠してその勢力を競っていた。

 長江の河口にある建康を中心に勢力を拡大している陳覇先は、穀倉地帯であるの揚州の財力を背景に、東陽太守である留異や、武威将軍である周文育などを傘下に収めて力を増していった。

 梁の再興を狙う旧臣たちの動きも盛んであった。江州を支配している江州刺史の候眞は、北斉の力を借りて梁の再興を願う王琳に与した。陳覇先は、徐嗣徽を説得しようと従事中郎の江玕を送ったが、徐嗣徽は江玕を捕らえて鄴都に送り増兵を北斉に要請した。長沙に拠点を置く王琳は、候平に江陵の南にある公安を守らせていたが、後梁の攻撃で撤退したが、巴州に支配を伸ばした。

 この年の二月、北斉は梁の王琳の元に使者を送り、梁からは侍中の王廓が答礼の使者として鄴を訪れている。

 青蘭の父親である王琳将軍は、北斉と連携しながら勢力の拡大を図っていたが、陳覇先と北周によりその勢力を徐々に削られて行った。


  ★ 絳川の月 ★


 絳川の東の空には、二月の下弦の月が掛っている。高敬徳は、中軍の右衛将軍として幕舎にあった。夕餉を終えた敬徳は、酒杯を持って幕舎の榻牀に座り込んだ。陣中での飲酒は禁じられているが、身分の高い将官には黙認されていた。

 絳川は黄河が南から東へ流れを変える要衝である。絳川への攻撃は、北斉が北周の首筋に匕首を突きつけるようなものだ。明日は、竜頭城への斉軍の総攻撃だ。屈強な北周の反撃にあえば、激戦は免れない。武術に覚えのある自分でも命の保証はない。

 死の淵をのぞいた人間は、世俗の垢をそぎ落とし己の欲望に向き合う。青蘭への想いを手放していいのか。・・・無念だ。翼城で出会って以来抱いてきた想いを、青蘭に告げずに死んでいくのか。自分が無念の戦死を遂げても、三月になれば青蘭と長恭は婚儀を挙げるに違いない。

 敬徳は酒瓶を飲みほすと、酒瓶から酒を満たした。


 父高岳を失ってから、高帰彦への敵討ちだけを願って生きてきた。秘密の漏洩を恐れて、降るようにあった縁談も拒絶してきた。

 暗殺も狙ったが、長恭に止められた。政治的にも放むってこそ、敵討ちになる。そのためには、対抗できる力を付けなければならない。

 北周との戦いでは、斛律将軍の参謀として目覚ましい活躍で武功を挙げた。しかしそれが災いして、楊令公に警戒され鄴都から遠い青州の刺史に追いやられた。しかし、各方面に働きかけ、侍中府の侍中として返り咲いたのだ。高洋の寵臣である高帰彦の力はあまりにも大きく、不正を探り告発するも何の瑕疵にもならなかったのだ。

 王文叔と出会ってから、いつしか惹かれるようになっていた。男子が男子に情を感じる男色は、儒教を信奉する廷臣にとって決して許されぬ背徳である。その苦しみから、姉の青蘭との婚姻で逃れようと卑劣な考えに至った。

 しかし、王文叔は女子だった。そうと知ったときには、文叔は族従弟の長恭と婚約してしまった。皇太后の懿旨による賜婚だ。長恭を怒りにまかせて殴ってしまったが、すぐに後悔した。長恭は幼きころから弟のように愛してきた族従弟だった。

 嫉妬の炎は消せなかった。元宵節では妓女を使って二人の離間を謀った。青蘭は、自分を腹黒い最低の輩だと思ったに違いない。


 敬徳は、懐から芙蓉の玉珮を取り出し灯火にかざした。長恭と青蘭に芙蓉の玉佩を贈る時、敬徳は同じ物をもう一つ作らせておいたのだ。白玉が艶やかな光を放って輝いている。俺は腹黒い男か?

 そうだ、明日の激戦では、生き抜くのだ。そして、青蘭の花嫁姿を見たい。

 敬徳は、東の空に昇った下弦の月を見上げた。


   ★ 開国県公府を開く ★


 長恭は、婁皇太后から賜った屋敷の改修に奔走していた。この屋敷は、父高澄が高一族の当主となり、婁氏が本邸に戻って以来、庶系の公主の屋敷としてしばらく使用される以外、ほとんど使われていなかった屋敷である。

 常日頃は質素倹約に努めている皇太后であったが、愛孫のために財貨を惜しむことはなかった。多くの職人の手が入り、正殿や北殿、偏殿なども、真新しく改修された。

 

 三月に婚儀を行うことが正式に決定した。それと同時に、長恭に開府儀同三司の加官が行われ、開国県公府の開府が認められた。開府儀同三司とは、自分の屋敷を正式な政庁として認められるということである。府内には、開国公府の家令や主簿などの官吏を置くことができるのだ。


 水温む二月になって、長恭と青蘭は新たに改築された屋敷を確認のために訪れた。

 大門の前に馬車を止めると、門衛に導かれ長恭と青蘭は邸内に入った。垂花門を入ると前庭の正面には立派な正殿が建ち、左右には回廊の後ろに簡素な偏殿が建ち並んでいる。本殿や偏殿の後ろにも幾列かの殿舎が建ち並び、決して小さい屋敷ではない。

 正殿に続く北殿の北には、後苑が広がり蓮池と築山、そして四阿などいくつかの瀟洒な舎殿が建っている。正殿の堂に入ると、正面には芙蓉の彫刻を施した衝立が置かれ、真新しい檜の香りが漂っている。

 窓を大きく取り薄絹を張っているためであろうか、堂の中は思いの外明るい。左に行くと書房には広く北側の壁一面に書架が設けられている。右には客人のための房が広く取ってある。房の奥に行くともう一つの広い生活の場の居房があり、その奥には広い卧内が設けてあった。すでにおもだった家具類は、据え付けられて仕切りの帳も張られていた。


 宦官は長恭と青蘭に拱手をして出ていった。

 士大夫の屋敷の造りは、ある程度決まっている。居所には、まだ調度品は十分にそろってはいない。簡素であるが、暖かみのある造りである。

 回廊を回って女主人の居所になる東殿に行くと、書房のように几案や書架はそろっているが、鏡台や榻牀がそろっていない。

「師兄、私の居所は?どこに寝ればいいのかしら?」

 青蘭は、几案の前に行くと天板をなでた。

「青蘭、我々はどうせ、一緒に北殿で暮らすのだ。榻牀は北殿に一つあればいい。・・・本当の家族は、いつも一緒にいるべきなのだ。民は夫婦が同じ房で暮らしている」

 普通の庶民はいざ知らず、士大夫や大商人の屋敷では、正夫人は主人と別棟に御寝するのが普通である。しかし、長恭は庶民のように寄り添って暮らしたいという。

 長恭は『本当の家族』との言葉に力を込めた。長恭母子が晋陽の本宅に入った後も、長恭にとって父は遠い存在であった。父母と死別したのち、長恭は祖母の元で育ったが、家族の温かみとは無縁だった。常に孤独を抱えて生きてきた。

 師兄は家族の温かさに飢えているのだ。皇子が庶民のような慎ましやかな生活に憧れるなんて・・・。

「わかったわ。師兄、正殿を一緒に使いましょう」

 青蘭は、振り向くと笑顔でうなずいた。

「でも、きっとみんなに陰口を言われるわ。商人の娘はけじめがないとか、夫に甘えてを師兄を独り占めしているとか」

 青蘭が心配を口にすると、長恭も窓際に寄ってきて肩に手を置いた。

「いや、他の者たちは誤解している。むしろ・・・君の全ての夜を、独り占めしたいんだ」

 青蘭の頬に手を添えると、優しく唇をふさいだ。


   ★ 敬徳の凱旋 ★


 中軍の右衛将軍である高敬徳は、謀略を用いて城攻めに力を発揮した。激烈な攻撃の末、斛律光は絳川を陥落させると北周の指揮官である曹迴公を斬った。

 二月の下旬、斛律光はさらに西進した。国境の要害である佰谷城を陥れるだけに留まらず、その西の文侯鎮を占拠し斉軍は近くに砦を築いた。

 ここでいう佰谷城は、洛水の南にある佰谷城とは違う周との国境の城である。しかし、北周も黙っていなかった。柱国大将軍の達渓武が一万騎を率いて砦の建設を防いだ。北周との国境近くまで進出していた斛律光は、壁と砦の建設を諦めたが国境付近の守りを固めた。

 絳川での支配を確かなものとした斛律光は、三月の上旬、輝かしい戦果を引っ提げて鄴城に凱旋した。



 斉の皇宮、太武殿で凱旋祝いの宴が行われていた。

 今上帝高洋の戦勝を寿ぐ褒詞の後、胡姫による胡舞が披露されると一機に無礼講の雰囲気になってきた。斛律光以下各将軍たちは、戦塵の香りをまとって堂に居並び、注がれた酒を浴びるように飲んでいる。

「やあ、高侍中、聞きましたぞ、そなたの武勲」

 侍中の先輩である高徳正が酒瓶を持って、敬徳の前に座った。

「さすが、鮮卑族の武将だ。戦場での働きこそ鮮卑族の本分。口が達者なだけで敵が来れば逃げ惑う漢人とはわけが違う」

 高徳正は本貫は渤海郡で、字を士貞と言い北斉の建国に貢献した高洋の寵臣である。皇族ではないが、東魏の時代から黄門侍郎となり国政の機密に参与してきた能臣であった。しかし、ここ数年は斉の朝廷で漢族の官吏が学問を使って出世し、国政を牛耳る様子に不満を募らせていたのだ。

 高徳正は、敬徳と自分の酒杯に酒を満たすと、豪快にあおった。即位の当時は政に意欲を示し、汚職官吏を無くすために、官吏機構の改革や俸禄の支給を行い汚職の撲滅に熱意を示していた高洋が、最近は酒毒の犯され、ほとんど興味を持ってない。

 徳正は、同じ侍中として仕える敬徳の杯に、酒を注いだ。

「まあ、そなたは文武両道だ。学問の方もたいしたもんだがな。そう言えば、そなたは出るのであろう?」

「はっ?」

 徳正の言葉に、敬徳は酒を飲む手を止めた。

「そなたは、高侍郎の族従兄だ。とうぜん招待されているのだろう?五日の長恭殿の婚儀・・・」

そう言えば屋敷に寄ったとき、几案の上に招待状が載っていた気がする。しかし、中を検めはしなかった。

「えっ?・・・もちろん祝いに行きます」

 敬徳は、曖昧に笑うと酒杯に口を付けた。

『明後日が、・・・長恭と青蘭殿の婚姻の日だったのか』

 緋色の花嫁衣装をまとった青蘭の姿が、瞼に浮かぶ。赤い絹が、澄んだ青蘭の瞳を一層輝かすに違いない。あと数日で青蘭は自分には手が届かない女人になるのだ。秀麗な長恭の花婿姿は、鄴中の娘達の憧れの視線を集めるだろう。

 敬徳は、乱暴に酒を満たすと三杯続けて飲んだ。

敬徳が戦場から凱旋してみると、長恭と青蘭との婚儀が目の前に迫っていた。

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