6
箸で掴んだ麵を口に運び、ずずっと一気に啜り上げると、汁気と共に鼻腔には強い香りが、舌には強烈なうま味が広がる。
これは、人間が世界に存在していた頃、この辺りに存在した国で国民食と呼ばれたものの一つ、ラーメンを再現した麺料理だ。
遺物として発見された資料を参考に、再現されたと聞いている。
尤も人間がラーメン作りに使用したような多彩な食材は、今の世界だと全てを揃えるのが困難なので、完全に再現したとはきっと言い難いのだろうけれども。
それでも、今食べているこの再現ラーメンは、割と高級な食べ物だ。
普通の食事なら100クレジットも掛かければ大食漢でも腹が満ちる程度には食べられるのに、このラーメンはなんと850クレジットもする。
このコミュニティで得られる食材だけでは足りず、交易によって手に入る品を使っているというからそれも已むを得ない話なんだけれど、実に高い。
だが、それがいいと私は思う。
生きる為だけに食事を取るのではなく、味や香りを楽しむ為に贅沢をするというのは、そう、実に文化的なんじゃないだろうか。
なんでも、このラーメンを国民食としていた国では、麵を啜って食べる方が香りを強く感じられるとして推奨していたそうだが、他の国々では麺を啜るというのはマナー違反とされたという。
ある国ではそれが推奨され、別の国ではそれがマナー違反とされる。
それも実に面白い。
国によっては当たり前に食べられている物が、別の国では禁じられもしていたそうだ。
合理性は、私には全く感じられないけれど、きっと何らかの理由があってそう決まり、そう決まってから長い時間が経って、それは文化になったんじゃないだろうか。
文化的とは何なのか。
それは文化的な精神活動により人間性を得られるサイキックには、とても大切な問いの筈なんだけれど、その答えは未だわからない。
ただ私は、このラーメンは啜って食べた方が美味いと感じたし、文化的であるとも思った。
「美味いなぁ」
私と同じくズルズルと麺を啜ってから、器に直接口を付けて汁を飲んだシンが、満足気にそう言う。
あぁ、そりゃあ美味いだろう。
むしろ不味いなんて言い出したら、一発くらいは拳骨をくれてやっていた。
何しろ今回のラーメンは、私の奢りなのだから。
テレポーテーションという希少で有用な超能力を扱えるシンは、紛れもないエリートで高給取りだ。
なので普段は、時折だが彼の方が、私に対して御馳走してくれる事が多い。
しかし今回のように、大きな収入があった時は、普段の御礼って訳ではないけれど、こうして彼に私が奢ったりする。
シンとは、コミュニティにある訓練施設、学校に通っていた頃からの付き合いだが、何故だか不思議とウマが合った。
15の頃に訓練施設を卒業してからも、進んだ道は違うが、時折こうやって一緒に飯を食ったりしてる。
「それにしても、凄いよな。昔の人間って、超能力もなしにこれより美味い飯を作ってたんだろ」
続けて、シンは私に向かってそんな言葉を口にした。
全く、本当に遠慮を知らない奴だ。
店の中で、ここより美味い飯があるとかあったとか、そんな話をされれば、店側としてもあまりいい気はしないだろうに。
過去の話ではあるから、些細な事ではあるけれど、シンはそういったところのデリカシーがあまりない。
いや、怖いもの知らずといった方が良いだろうか。
シンは何を言ってもあまり憎まれない、得な性質ではあるけれど、何時かとんでもない失言をしそうで心配になってしまう。
「あぁ、ここの飯より美味いかどうかはしらないが、超能力もなしに進んだ文明を築いていたのは本当に凄い。……機械を使ってはいたらしいが、な」
ただ話の内容自体には頷けたので、私は一部はボカシつつも、基本的にはシンの言葉に同意する。
今、コミュニティでのサイキックの生活は、昔の資料から推察するに、20世紀の初頭から中頃くらいまでの水準になると言われていた。
あぁ、一応その資料は、昔にこの辺りにあった日本という国の物だったので、他の地域にはもっと生活水準が高かったり、その逆の国もあっただろう。
ちなみに、今もここから離れた、海を渡った向こう側には、言語の違うサイキックのコミュニティがあって、そちらでも同じように、文化的な生活を送ったり、探索して人間性を集めている。
国というものは人間の滅亡と同時に消えてしまったが、そこで培われた文化は失われずに残ったものも多く、サイキックへと引き継がれていた。
なので、ここのコミュニティと海の向こうのコミュニティでは、人間性を得る為の文化的な精神活動にも違いがあって、そこが中々に面白い。
まぁ、話を戻すが、サイキックの生活は20世紀の初頭から中頃くらいまでの水準になるそうだけれど、人間とサイキックの最も大きな違いは、その生活を成り立たせている力だ。
人間は、機械を使う事でその生活を成り立たせていたが、サイキックのコミュニティに機械は僅かしか存在しない。
何故なら機械はマシンナーズの領域で、どんな風に彼らの影響を受けるかわからないからだ。
例えば、21世紀頃の人間達は電子書籍といって、機械を通して本を読む事もしていたという。
もしかすると、今でも機械の中には、私たちサイキックが遺物として確保してる本よりも、もっと多くの本が眠っている可能性はあるかもしれない。
しかしそれらは、マシンナーズの都合のいい風に中身が書き換えられている可能性が皆無じゃないし、或いはもっと複雑な何かがあって、それを読む事でサイキックに何らかの影響が及ばないとは、決して言い切れないから。
私達は、遺物として発見した本を複製し、それを読む事で情報を得て、文化的な精神活動を行っている。
では人間達のように機械をなしで、どうやってサイキックが生活を成り立たせているかといえば、それはもちろん超能力を使ってだ。
例えば金属加工はPK能力者が行い、熱エネルギーの操作を得意とする者が、金属を熱したり冷ましたりして加工し易くし、サイコキネシスに長けた者が触れずに形を変えて整える。
食料品を貯蔵する倉庫では、やはりPK能力者が空気を冷やしたり、運び出す時にサイコキネシスを使ったり。
ESP能力者は在庫を把握、管理をしたり、移動した物資の情報を相手側のESP能力者に送ったり。
おおよそ人間が機械を使って行っていた事は、その大半が超能力で代用可能だ。
いや、私達からするとそれが至極当たり前で、人間が機械という代用の力で社会を成り立たせていたって感覚になるんだけれども。
「あぁ、その機械だが、少し耳に挟んだんだけど、活動が活発になって来てるらしい。サイリも気を付けろよ。あいつらは、エイリアンやグールみたいに単純じゃないからな」
なるほど。
どうやらここまでのシンの発言は、私にその忠告をする為の前振りだったらしい。
マシンナーズは、今の世界でサイキック以外では唯一の知性を有した知的生命体だとされている。
実際には他の、……グールはともかく、エイリアンに関しては、もしかしたら知性があるんじゃないかって説はあるんだけれど、サイキックは公的にはそれを認めていなかった。
何故ならエイリアンは言葉が通じず、明確な敵であるからだ。
敵は、独自の言語や文化を持った知的生命体であるよりも、単なる化け物であってくれた方が、殺す事に躊躇いが生まれないから。
逆に言うと、マシンナーズは言葉が通じ、意思の疎通が可能で、明確な敵ではないって意味でもあった。
これを言葉に出すと、やっぱり店が嫌がるだろうから言わないが、先程のラーメンに使われてる材料の幾らかは、恐らくマシンナーズとの交易でコミュニティに持ち込まれたものが含まれる。
確か、ラーメンに使う麵を打つには、かん水と呼ばれる物質が必要だと、以前に読んだ小説に書いてあったが、それは今のサイキックの技術では生産できない筈の品なのだ。
直接、お互いの拠点に入り込んでの交易ではないが、サイキックとマシンナーズは、定められた場所で定期的に落ち合い、互いに必要な物資を交換し合う間柄だった。
大ぴらにそうしてる訳じゃないけれど、公然の秘密というやつだ。
ではマシンナーズはサイキックにとって、距離の遠い味方なのかと言えば、これもやはり否である。
普段は、マシンナーズと遭遇しても話し合いで戦いを回避する事も可能だが……、人間性の結晶を求めて活動する彼らと遭遇した時は、言葉を交わす余地もなく戦いになるから。
結局のところ、言葉が通じても交易をしていても、お互いに譲れない物を前にすれば、殺し合うしかないのが定められた運命だろう。