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第三章 神たちの抗争 加筆・修正版

〈第三章 神たちの抗争〉


 神はあらゆるものから生まれるし、その場所は何も上八木市だけに限ったことではない。特に太陽、空、大地、雨、風などの大自然から生まれる神は取り分け強大な力を持つ者が多い。

 ただし、そう言ったものから生まれる自然神は形となっている依り代がないので、神として生まれるためにはより多くの神気を必要とする。

 反対に像や絵、経典による文章などで明確な形が定まっている神は自然神よりも遥かに誕生しやすい。

 また魔術や錬金術などで作られたゴーレムやホムンクルスを依り代とすると更に誕生しやすくなる。

 その代わり、依り代に依存しすぎると、霊体になれなくなる神もいる。

 一方、生き物が神になることもあるが、あまり多いケースではない。なぜなら、生き物の体に流れるマナ、つまり魔力は神気と反発しやすいからだ。

 魔力と神気が体の中で反発し続ければ、その生き物は最悪、死に至る。その反発の作用を耐え抜いて神気を己の物とできた生き物だけが神となれる。

 ただし、人間は全ての生き物の中で最も魔力の量が多く、また心も繊細なため、人間が神となることはほとんどない。

 人の身にして多くの神気を集める聖人や英雄のような人物が早死にしたり、狂ってしまうことが多いのはそのためだ。

 魔力と神気を体の中で共存させられる人間は滅多におらず、信心が極端に少なくなっている昨今ではそもそも多くの神気を集められる人間自体が少ないのが現状だ。

 ちなみに、神とは性質の異なる悪魔は魔力で動いている。悪魔は創造神と呼ばれている神によって創り出された存在なので、初めから定められた力が決まっている。なので、外部からの影響によって力の最大量が増減したりすることはないのだ。

「ご主人様、スマホのやりすぎは目に良くないですよー。一旦、小休止して私の入れた紅茶でも飲んでください」

 スマホを手に悩ましげな顔をしていた勇也の前にイリアが紅茶の入ったティーカップをそっと置いた。

 紅茶からはリラックスの効果があるような優しい感じの匂いが漂ってくるし、その匂いは鼻腔を刺激して勇也の心を安らかにさせる。

 相変わらず、イリアの入れる紅茶は豊潤な香りを漂わせることに成功しているし、同じ材料を使っても自分にはこういう香りを生み出せないのだから不思議だ。

「ちょっとダーク・エイジのサイトで勉強してたんだよ。神様たちの挨拶回りはスカだったし、頼れる情報を載せているのはここしかない」

 時間をかけてサイトを閲覧したところ、かなり有益な情報を得ることができた。餅は餅屋という言葉は本当だったし、今後もこのサイトの情報は重宝しそうだ。

「そうでしたか。ご主人様は勤勉な方ですねー。私、勉強なんて言葉を聞くと頭痛がしてきちゃうんですよね」

 イリアは道化染みたことを言うと、自分の頭を剽軽さを見せるようにコツンと小突いた。

 こういうあざとさが頭の悪さをより際立たせている気がしないでもない。本当に賢い女の子はリアクション一つとっても違うのだ。

 ま、テレビに出ている新人アイドルのリアクションよりは幾らかマシだが、それも五十歩百歩といったところだろう。

「お前は馬鹿だからな。夏休みの宿題をやらせても数学の問題なんて一問も解けなかったし、あれにはがっかりさせられたぞ」

 夏休みに入ってから一週間以上、経つが夏休みの宿題は手つかずだ。

 最悪、頭が良くて夏休みの宿題なんて三日で終わらせられると豪語する武弘の力を借りることになるだろう。

 でも、宿題を丸写しするようなことをすれば夏休み明けのテストで痛い目を見ることになる。なので、幾ら夏休みといえども遊んでばかりはいられない。

「馬鹿とはなんですか、馬鹿とは! 私だって勉強すればすぐに普通の人間の学力なんて追い越せますよ」

 イリアは腰に手を当てると怒髪天を突いたような顔をして宣言した。

「なら、今すぐにでも勉強して夏休みの宿題を手伝えるようになってくれよ。俺の部屋にある教科書なら自由に読んで構わないから」

 勇也は自分のストレスを発散したくて、わざとイリアの怒りを煽り立てるように言ってニヤリと笑う。それを見て、イリアも口の形をへの字に引き結んだ。

「むぅー、ご主人様は意地悪なことばかり言うんですね。ま、そこがご主人様の可愛いところなんですけど」

「別に可愛くなんてないし、ガキ扱いするのは止めてくれ」

 そう邪険にするように言って、勇也はあからさまに不快そうな顔をする。これにはイリアも意外な反応を見たようにキョトンとしてしまう。

「この程度の冗談で意地を張らないでくださいよ、ご主人様。そんなに気を張り詰めていらっしゃるんですか?」

 イリアの言葉は勇也の図星を突く。それを受け、隠していた気持ちを見透かされた勇也はたちまち渋面になってしまった。

「……そんなところだ」

 イリアの鋭いフックのような言葉に勇也も青菜に塩のような気持ちになる。それが悔しくて仕方がない。

 だが、イリアにも見抜かれるような悩みが勇也にはあるのだ。それは、あの狸との会話の中で生まれた。

 もちろん、イリアにはまだ詳しい事情は話していないので、勇也が何に神経を尖らせているのかは分からないだろう。

「あんまり気負い過ぎると、上手くいくものもいかなくなりますよ。やっぱり、何事も平常心を持って臨まないと」

「いつも理性が吹っ飛んでいるようなお前が言っても説得力はないな」

 勇也はイリアの言葉に負けまいと揶揄するように言った。

「それだけの軽口が叩ければ大丈夫そうですね」

 イリアは安心立命の境地に達したように言うと顔の表情を綻ばせながら言葉を続ける。

「ところで、勉強も良いですが、羅刹組と真理の探究者のことについてはちゃんと考えているんですか?」

 イリアの言葉を聞いた勇也は途端に暗鬱とした顔をした。考えていないわけがない。今度の一件は勇也にとって他人事ではないし、傍観者のような立場ではいられない。

「当たり前だろ。能天気なお前と違って、俺は考えるべきことはしっかり考えている。あまり見くびってくれるな」

 勇也は苦いものを飲み込んだような顔で言うと芳香を漂わせる紅茶に口をつける。すると、重くなりがちな気持ちが幾分緩和された。

 認めるのは癪だが、やはり、イリアの入れる紅茶は一級品の味がする。将来は喫茶店でも開けば良い。きっと、イリアにとっては天職だ。

「真理の探究者はともかく、羅刹組はほとんど暴力団にも等しい宗教法人って言いますし、どう対処するつもりなんですか?」

「真っ向から話をつけに行くしかないだろう。あの手の団体には余計な小細工は意味をなさないからな」

 羅刹組を敵に回すのは怖いが、ここで怖気づいたらまた死人が出るだろう。その時の罪悪感は計り知れないし、今は勇気を持って行動することが求められている気がした。

「なるほど。まあ、私の力なら例え暴力団だろうと敵じゃないですけどね。ダーク・エイジの構成員の方がよっぽど強敵ですよ」

「その意見には同感だが、考えなしに行動する分、暴力団の方が厄介になる時もあるんだ。まあ、こういうのはケースバイケースだな」

 都合が悪くなれば市民という称号を盾にする分、暴力団の方が質が悪い。ダーク・エイジの組織なら例え死ぬような構成員が出てきても、それを表沙汰にすることはないだろうし。

「かもしれませんね」

「とにかく、下手をしたら羅刹組と真理の探究者のバックにいる神も倒さなければならなくなるだろうな」

「やっぱり、そうなりますか」

「ああ。もう何人も死人が出ているし、あまり悠長なことは言っていられない。だから、お前も思うところはあるだろうが、自分と同じ神と戦う覚悟はしておいてくれ」

 盛り下がった顔をする勇也は真理の探究者の話が出てこなければ、狸の神の頼みはきっぱりと断っていたかもしれないと思う。

 だが、宗教に傾倒した母親は今も真理の探究者の信者なので、下手をしたら母親が殺されるかもしれないという恐怖が勇也の気持ちを不安定なものにさせていたのだ。

 その気持ちを払拭するためには、やはり、人ならざる力を持っている自分たちが一肌脱ぐしかないだろう。

 厄介な話だが、これは罪もない人たちを守る人助けだと思って割り切るしかない。自分の柄ではないことは分かっているが。

 でも、そう思って腹を括ると何だか自分が本当にアニメや漫画に出てくる格好良い正義のヒーローのように思えてくる。

 男だったら一度は正義のヒーローに憧れるし、それは自分も例外ではなかったらしい。

 まあ、もし、自分が本当の正義のヒーローになりたいのなら、守れば良いのは母親の身の安全だけではない。

 この町に住むみんなの安全と平和だ。身内だけではなく、みんなのために動けるのが本当の正義のヒーローなのだ。

 そんな義侠心の溢れる正義のヒーローが務まるかどうかは、自分の心の強さ次第だろうな。

「分かりました。敵を叩くにはまず頭から、なんて言葉もありますし、あれこれするより悪さをしている神様を倒した方が手っ取り早く収まるかもしれません」

 イリアは気持ちを切り替えるように言うと、好戦的な笑みを浮かべた。

「ああ。下っ端の相手を幾らしてもキリがないし、本当の解決を目指すなら頭を張っている神は倒しておくべきだろうな」

 もちろん、そうしなくても解決するような道もちゃんと模索するつもりだ。どのようなタイプの奴であれ、神を殺すなんて進んでやりたくなるようなことじゃない。

 ダーク・エイジ組織が使っている《神殺者》なんていう称号にはぞっとさせられるしな。

「腕が鳴りますね。相手が神様なら、私も何のセーブをすることもなく、思いっきり力を振るえます」

「それは構わないが、相手が人間の場合は加減というものをしてくれよ。じゃないと、こっちが犯罪者になりかねない」

「心得ています。ご主人様の立場を危うくさせるようなことは絶対にしません」

「なら良いんだ。もっとも、今回の一件は何がどう転ぶか分からないし、今まで以上に注意を払わないと」

「ええ。私も足を掬われないように気を付けます」

 イリアの剛勇な気が漲っているような返事を聞いた勇也は、今度の一件からは逃げるわけにはいかないと強い決意をする。それから、神々しい空気を漂わせる草薙の剣を手にすると、まずは羅刹組の本部に赴くことにした。


 勇也とイリアはこの町でも悪名高い羅刹組の本部の前に来ていた。

 本部の建物は大きな武家屋敷のような外観をしていて、人間の背丈を軽く超える塀が建物をぐるりと囲んでいる。どんな討ち入りに対しても守りは鉄壁だと言わんばかりに。

 特に門の立派さはそこらの寺など目ではなく、鬼神を象った大きな木彫りの像が二体も立っている。それを見ていると鬼神の像の阿吽の呼吸が聞こえてきそうだ。

 本部の横手にある羅刹組の駐車場には黒塗りの高級車が何台も止められていて、塀の至るところには監視カメラのような物も取り付けられていた。

 それが昔気質の暴力団というイメージを薄めていて、より大きな禍々しさを感じさせる。

 まるで伏魔殿のようだし、普通ならこういう建物には極力、近づかないようにするのが賢明だろう。建物の主への狼藉など以ての外だ。

 ちなみに、羅刹とは主に悪鬼を意味する名前なので、本部の建物の様相はまさに悪鬼が根城とするには相応しい場所と言える。

 それだけに、羅刹組の本部が善良な一般市民の心を否応なしに震え上がらせているのも無理からぬことと言えた。

「羅刹組の長に話があるから、中に通してもらいたい」

 勇也は勇気を振り絞って、見る者を気圧さずにはいられない威容を誇る門の前に立つと見張りのような男にそう言った。

 まあ、こんな言い方で中に通してもらえるのは、相手が事務員の女性だった時だけだし、もう少し真摯な態度を取った方が良かったかもしれない。自分の態度が吉と出るか凶と出るかは風向き任せだな。

「何だ、このガキ! ここが何処だか分って言っているのか?」

 いかにもチンピラの下っ端というような風体をした頭の悪そうな男が、こちらを舐めたような口を利いてきた。これには勇也も腹の辺りがグツグツと煮えるのを感じる。誰を相手にしているのか思い知らせてやりたい。

「分かっている。俺たちは羅刹組と真理の探究者の抗争を止めに来たんだ。それ阻むならこういうことになるぞ」

 勇也の目配せを受けたイリアが掌から光の玉を放つと、門の中に立っていた鬼神の像がバラバラに弾け飛んだ。続けて、もう一体の鬼神の像も同じく光の玉で跡形もなく粉砕する。かろうじて残ったのは鬼神の像が手にしていた木製の剣だけだが、それも二つにへし折られている。

 やりすぎだとも思ったが、これくらいの派手なパフォーマンスをやらなければ、この手の人間とは話をするのもままならない。

 暴力を生業にするような人間たちには、やはり暴力のようなやり方で脅すのが一番なのだ。目には目を歯には歯をだ。

 一方、強気に出ていた男は鬼神の像の辿った末路を見て顔面が蒼白になる。

「ひ、ひぃー。お前ら羅刹神様と同じ力が使えるのか!」

 男は恐慌状態に陥ったような態度で言ったし、相手が強いと分かれば、たちまち慌てふためくのは見苦しさを通り越して哀れだ。勇也としてもこんな小物には用はない。

「そういうことだ。俺たちが本気になれば、この本部を木っ端みじんに吹き飛ばすのも簡単なんだぞ」

 勇也はここで引き下がったら負けだと思い、そう虚勢を張るように言った。

「そんなことを言われても、ここを通すわけにはいかねぇよ。そんなことをしたら、俺が羅刹神様に殺されちまう」

 男はヤマネコに襲われた野ネズミのようにか細く体を震わせたし、下っ端ではこの程度の度胸が関の山か。

「羅刹神っていうのはどんな奴なんだ?」

 それを聞かないことには始まらないと勇也は仕方なく矛を収めるような態度を取る。すると、男も自分の身を守りたいのか、隠し立てをする様子もなく口角泡を飛ばす勢いで語り始めた。

「とんでもなく怖い鬼の神様だよ。自分に逆らう奴は容赦なく、鉄でできたような棍棒で叩きのめすんだ」

 ということは羅刹神は羅刹組の人間の目には見えているということか。

 千里の眼鏡をかけなくてもその姿が見えるということは、肉体と霊体を行き来できるネコマタのようなタイプの神だな。これは厄介な力を持つ相手かもしれない。

「真理の探究者の信者を殺したのは羅刹神か?」

 勇也は確信に触れるように尋ねる。もし、そうだったら命のやり取りも辞さない覚悟で。

「そうだよ。あいつは元々、羅刹組の人間だったんだ。でも、どういう風の吹き回しか、突然、自分は真理の探究者の信者になるって言って、羅刹組を脱退しようとしたんだ。そしたら、羅刹神様が激怒して、そいつをこん棒で叩き潰して殺しちまったんだ」

 ニュースでも最初の被害者の遺体は原形を留めないほど損壊していたと言っていたし、真理の探究者のバッヂを胸に着けていたことも報道している。男の話は苦し紛れの嘘や出まかせの類ではない。

 勇也がはた迷惑な神もいたものだと思っていると男が更に言葉を続ける。

「羅刹組は単なる宗教法人じゃねぇし、昔からこの町の裏社会を良くも悪くも取り仕切ってきた組織なんだ。そこに真理の探究者とかいう奴らを初めとした外国の組織が割り込んできて、軋轢を生じさせていたんだよ」

 男の言葉にはのっぴきならぬ事情が含まれていた。生きていくには羅刹組も形振り構ってはいられないということが男の声からはよく伝わってくる。裏社会を生きる者たちは今も昔も必至だ。

「このままじゃ羅刹組の面目は丸潰れだ。そんな時、いきなり羅刹神様が顕現して、力を振るい始めたんだ。このヤクザには厳しいご時世に羅刹組が影響力を保っていられるのも、みんな羅刹神様のおかげなんだよ」

 だとしても、人を殺すのは駄目だろうと勇也は幾らか冷めた気持ちで男の捲し立てるような話に耳を傾ける。

「お前らだって羅刹組の人間が焼き殺されたのは知ってるだろ。あれは、真理の探究者の神の仕業なんだ。羅刹神様は大いにいきり立っているし、抗争はもう止めようがねぇよ」

 男は悄然とした態度で言ったし、これ以上の問答は意味がなさそうだ。

「話は分かった。そういうことなら、益々、羅刹神を放置するわけにはいかないな。事と次第によっては羅刹神は退治させてもらうぞ」

 真理の探究者の神はまだ判断が付かないが、少なくとも羅刹神の存在は一般人にとっては百害あって一利なしだ。

 野放しにしておけるような神じゃないし、最悪の場合は殺すことも念頭に入れて戦わなければならなくなるだろう。

 果たしてイリアと草薙の剣を持つ自分の力でどうにかなる相手なのか、不安は募るばかりだ。

「そうは言っても、俺の命にかけてこの門を潜らせるわけにはいかねぇ。どうしても羅刹神様に会いたければ、今日の夜の十二時にこの町の野外広場に行け。そこで羅刹神様と真理の探究者の神が一対一のタイマンを張ることになってる」

 そう言うと、男は許しを請うような態度で勇也たちに頭を下げた。


 勇也とイリアは今度は真理の探究者の王国会館という場所に来ていた。

 まるで城や宮殿のような佇まいを見せる白を基調とした建物は外面だけを見るなら美しく、壮観ですらあった。

 一見するだけでは羅刹組のように、人々を怯えさせるような要素はない。むしろ、人々を温かく迎えているような空気すら漂わせている。まさに西洋の寺院と言ったところか。

 ただ、あのイエス・キリストも自分を殺そうとしていた宗教指導者たちを外面を白く塗った墓に例えている。外側はどれだけ美しい墓でも、その中にあるものは腐敗に満ちている。つまり宗教指導者たちの偽善を指しての言葉だった。

 が、何故かキリスト教系の宗教団体である真理の探究者はその例え理解していないような見かけだけは立派で権威があるような建物を建てている。

 人間にとって広大なものは神にとっては嫌悪するべきものであるという言葉も実践しているとは言い難かった。

 それでも、この建物の威風に心を奪われて真理の探究者の神に平伏す愚かな人間は後を絶たない。自分の母親もその一人だ。

 いずれにせよ、とりあえず建物だけは見栄えの良いものにしておこうという浅慮な考えが新興宗教のありがちなところなんだよなと勇也も一人ごちる。

 勇也とイリアは羅刹組の本部とは違った伏魔殿を体現しているような建物の中に警戒感を持って足を踏み入れる。

 すると、まるで高級ホテルのようなロビーで見知った顔の男性が二人を出迎えた。

「これは、これは。柊早苗さんの息子さんの勇也君ではないですか。我が王国会館に来てくれるのは久しぶりですね」

 真理の探究者の日本支部を纏め上げている支部長の黒木ヨハネは柔和な笑みを浮かべながら言った。

 その顔からは敵意や不信感といったものは感じ取れない。ただ、歓迎の色だけがあった。

「……まあ」

 勇也は沸々と怒りが込み上げてくるのを感じながら曖昧な態度で返事をする。相手が因縁の深い人物だということもあり、つい言葉に詰まってしまった。

 そんな勇也を見たヨハネは悪意などこれっぽっちもないような清楚な笑みを浮かべる。

 いつ見ても、この笑顔は苦手だと勇也も思う。生理的に受け付けないというか、とにかく、自分の気持ちが腹黒くなる。

「それで今日はどのようなご用事ですかな。もしかして、早苗さんのように勇也君も我が教団の信者になりたいと思うようになりましたか?」

 ヨハネは腹の内が全く分からないような声色で言った。

 それに対し、勇也は普段のやり取りなら決して口にすることがない侮蔑を込めた皮肉をヨハネに浴びせる。

「まさか。俺はできることなら母さんには宗教のようなくだらない物とは縁を切って欲しいと思っているよ」

 勇也はこんな宗教に対する理解など糞くらえと言いたくなる。もっとも、言ったところで筋金入りの温和さを持つヨハネは動じたりしないだろうが。鉄の信仰心がヨハネや他の信者の心を堅く縛っている。それを取り除くのは容易なことではないだろう。

「これは手厳しい。我が教団の信者になれば、そのような考えは抱かなくなるようになると思うのですが」

 ヨハネは柔らかな表情を変えることなく苦笑した。

 その人を食ったような物言いに勇也も怒りに任せて噛みつきたくなる。が、そこは自制した。戦うべき敵は目の前の男ではないのだ。ここで後先考えずに剣を抜くほど自分は短気ではない。

「あんたたちの有り難い教えとやらで俺の家族はバラバラになったんだ。その恨みは一生、忘れないぞ」

 勇也はヨハネの心には届かないことを知悉しつつもドスの利いた声で言った。

「それは逆恨みというものです。早苗さんは真理を知ったが故に、俗世間とは距離を置くことを選んだのです。それが悲しいすれ違いを生じさせたのは誠に残念ではありますが」

 この男は心底そう思っているのだろう。それは自分たちの非などまるで認めていないある意味、妄信的とも言える態度だった。

 だからこそ、勇也の腸も煮えくり返るのだが、ヨハネには何をどう言い聞かせても無駄骨に終わるだろう。やはり、宗教というのは度し難い。

「物は言いようだな。それよりもあんたたちの神のエル・トーラーを出せ。奴が三人もの人間を惨たらしく殺したことは調べがついているんだぞ」

 その事実を突きつければヨハネの態度も少しは変わるかと思ったが、その期待は見事に裏切られた。

 ヨハネは張り付いたような笑みを浮かべたまま悠揚と口を開く。

「そこまでご存じでしたか。あの三人の男たちは我が教団の信者に危害を加えようと企んでいたのです。であれば神の裁きを受けるのは当然の報いだと思いますが」

 その言葉を聞いて勇也はやっぱり真理の探究者の信者はまともじゃないと思った。つまるところ、自分たちの邪魔になる者は殺しても構わないと言っているのと同義だったから。

 ある意味、自分たちが社会の必要悪であることを認識している羅刹組の人間よりも質が悪い。

 真理の探究者の信者は神が求めるなら人殺しも悪ではないと思っているのだ。この狂った価値観だけは例え死んでも受け入れられそうにない。

「あんたたちと価値観の議論をするつもりはない。どこまで行っても平行線にしかならないことは過去のことで十分、理解していることだしな」

 勇也や勇也の父親が何度、母親に真理の探究者とは手を切れと言ったか分からない。それでも、勇也の母親は麻薬中毒の患者になったように、真理の探究者の信者を止めることができなかったのだ。勇也も勇也の父親も宗教の怖さをまざまざと見せつけられる形に終わった。

 これには当時の勇也も何度、忸怩たる思いに苛まれたことか。なので、勇也の父親が反発するように酒やギャンブルに溺れた気持ちも分かるというものだ。

「そうですか」

 ヨハネはわざとらしく悲しげな微笑を拵えて見せた。それを見た勇也は白々しい態度だと思う。と、同時に心がギリギリと音を立てて捻じ曲がるのを感じた。

「とにかく、つべこべ言わずにエル・トーラーを出せ。でないと、この建物ごとぶっ壊してやるぞ。今の俺とここにいる上八木イリアには神に祈るだけでは決して手に入らない力がある。その力をあんたの身で受けて見せるか?」

 勇也は苦虫を噛み潰したような顔をすると冷静ではいられないような心中でそう脅しつける。

 もちろん、これはただの脅しだし、本気で実行するつもりは毛頭ない。人間を相手に剣を抜いたら、それこそ人殺しをしている神と同類になってしまう。それは義を重んじる草薙の剣も許しはしないはずだ。

 ちなみに、エル・トーラーのエルはユダヤ教では神を意味し、トーラーは律法を意味していた。つまり、エル・トーラーは律法の神だということだ。

 胡散臭いことこの上ない神だし、いかにも新興宗教が崇める感じる神の名前に思える。

「それは遠慮しておきましょう。そこまでエル・トーラー様に会いたいのであれば、今日の夜の十二時にこの町の野外広場に来るのがよろしいかと。そこでエル・トーラー様が直々に悪しき神を打ち滅ぼす手筈になっているので」

 ヨハネの言葉を聞いて勇也は今日、起こることになる戦いは絶対に避けて通れるものではないことを再確認した。

 と、同時にこんな頭のおかしくて醜悪な宗教団体が崇める神には消えてもらった方が良いと憤りを込めて心の中で呟く。暗い増悪の炎が自分の中で燃え上がるのを勇也も感じていた。

「分かった。言っておくが、俺たちは事と次第によってはあんたたちの崇めるエル・トーラーをぶっ倒すつもりだぞ。それは覚悟しておけ」

 勇也は有り余る怒気をヨハネにぶつけながらそう言うと、王国会館を後にした。


 二十八歳の会社員の男性が「そこらのコンビニのPRまでするなんて、イリアは市民派なんだな」と感心する。

 十九歳の男子大学生が「イリアがPRをすれば、例え普通のコンビニでも特別に見える。まさにマジックだ」と言いながら大学の食堂で昼食のカレーを食べる。

 秋葉原の町をこよなく愛するオタクの男性が「でも、コンビニの後ろに見えるでっかい建物はなんだろう。ちょっと宗教的な臭いがするし」と真理の探究者の会館に注目する。

 高校中退の虐められニートの少年が「俺もたまには家から出るかな。コンビニくらいならさすがの俺だって行けるぜ」と引きこもり気味の生活を変えようとする。

 小学生の少年が「僕もコンビニに行ってアイスを買ってこようかな。今日は凄く暑いし」と夏の暑さを実感しながら小銭を持つ。

 ファミレスで働いているアルバイターの男性が「コンビニだけじゃなくて、ファミレスのPRもやってくれ。特にウチの系列の」とギラギラした要望をする。

 アイドルの追っかけフリーターの男性が「イリアちゃんって、ホントどんな場所のPRでも楽しそうにやるよな。ご当地アイドルの鏡だよ」とイリアを改めて見直したような顔をする。

 メイド喫茶で店長を務めている男性が「こんな暑い日でもメイド服を着てるなんて、イリアはやっぱり、ウチの店で働くべき人間だ」と言って、オタクのような客で溢れかえっている店内を一瞥する。

 いつもは普通の女子中学生でたまにコスプレイヤーに変身する少女が「私ももう少し大きくなったらご当地アイドルをやってみようかな。別に事務所とかに入らなくてもアイドルはできる時代だし」と心の中で夢のようなものを膨らませる。


 勇也とイリアはPRを終えたコンビニで昼食を買うと、それを道端で食べていた。

 真夏の太陽の光は容赦なく二人の体を照らし続けたが、勇也とは違いイリアの肌が焼ける様子は一向にない。こういう部分一つ見ても、やはりイリアは人間離れしている。

 そこがまた羨ましいのだが、神様になりたいのかと聞かれれば勇也も首を傾げるしかないだろう。

 イリアは元々、銅像だったわけだし、他の神たちも本来なら人間のような高度な知性を持つような存在ではなかった。

 それだけに、取るに足らないものから始めて神になるというプロセスを自分が歩みたいかと問われれば、ノーと答えるしかないだろう。

 つまるところ、それは元々、人間だった自分に路傍の石ころから人生を初めよと言っているようなものだから。

 まあ、そんなイリアでも喉は普通に渇くらしい。イリアはコンビニだと大分、値段が高くなるペットボトルの烏龍茶を要求してきたし。

 なので、勇也もいつものような狭隘さは見せずに買ってやった。神を相手に奮戦してくれるなら、これくらいの出費で目くじらを立てたりはしない。

「ご主人様は真理の探究者だけでなく、宗教そのものが嫌いだったんですね。あんなに荒々しい感情を露にしたご主人様を見たのは初めてですし、少しびっくりしました」

 そう言って、イリアはペットボトルの烏龍茶をグビグビと喉に流し込む。

 ずっと、その話題を切り出したくてたまらなかったのだろう。でも、勇也の心中を慮って我慢していたようだ。

 まあ、コンビニのPRはしっかりとやってくれたし、イリアのその気持ちには応えねばなるまい。

 そう思った勇也は太陽の光を受ける目を眩しそうに細めながら、まるで一気に老け込んだような溜息を吐く。

「だよな。何だか、らしくないところを見せちまったし、びっくりさせて悪かったよ……」

 そう言うと、勇也は恥じ入るような顔をして下を向く。強がれるような心の余裕はまだない。

 それが恥ずかしさをより一層、浮き立つものにしているし、やはり、感情的になる自分は似合わないということなのだろう。

 それもそのはず、あんな激情が自分の口から迸ったことを自分で驚いているくらいだから。

「いえいえ。そういう態度を取ってしまうことは誰にでもありますって。でも、宗教が嫌いなら、何で神社とかのPRはあんなに積極的だったんですか?」

 イリアの疑問は当然だと言える。全ては金のためだと割り切っているような現金な態度でのPRの仕方ではなかったからだ。その姿勢はイリアにも、ちゃんと伝わっていたらしい。

「屁理屈かもしれないが、神社は宗教というよりはこの国の文化だ。宗教と名の付くものを何でも十把一絡げに考えるほど、俺はもう子供じゃない」

 勇也は味も素っ気もなく感じられるコンビニのおにぎりを頬張りながら苦々しく言った。

「そうですか。でも、ご主人様は宗教は嫌いでも、神様を嫌っているわけではないんですよね?」

「ああ。神気、云々の話を聞くまでは、神は人間によって生み出されたものではないと考えていたからな」

 勇也は自らの持論を口にしながら言葉を続ける。

「でも、宗教は間違いなく人間の手によって作られたものだ。だから、そこには必ず夾雑物のような邪念が混じる。その邪念が人の心を危うい方向に惑わすんだ」

「なるほど」

 イリアはそんなものか、とでも言いたそうな顔で水滴の浮かぶペットボトルを空にした。

「宗教は時として様々な問題を起こすが、そこに神自身の罪がないことが多いのはちゃんと理解しているつもりだ」

 それでも、神に対して全く怒りを感じないわけではない。

 でも、苦しい時の神頼みすらしない自分がどうして助けてくれなかったと神に怒りをぶつけるのは筋違いのように思えてならない。

 やはり、良いことも悪いことも、神様を引き合いに出して考えては駄目だ。それでは人間としての成長は見込めない。

「そうですか。ご主人様が聡いお方で本当に良かったです」

 イリアは満開の桜を見た時のような笑みを浮かべた。

 それを見て、勇也は決まり悪そうにボリボリと頭を掻きながら、頬張ったおにぎりを咀嚼して胃の中に押し込んだ。

 すると、空腹感が和らぎ、自然と口の方も軽くなってくる。

「聡いか……。まあ、宗教のことでは本当に色々あったからな。だから、嫌な現実もたくさん見ちまったよ」

 勇也は複雑な感情を持て余しながら言った。

「それはお母さんのことですか?」

 イリアの綺麗な瞳が憂いに沈む。それを受け、勇也はこれ以上、イリアに不釣り合いな気を遣わせるわけにはいかないと思い、声に籠る感情を強める。

「ああ。家族よりも宗教を優先するなんて今でも納得できていないんだ。だから、時々、畜生って思う」

 勇也は心に秘めていた苦い気持ちを過去を見詰めているような目で語る。

「俺や父さんの愛は、あんなおかしな宗教に負けたのか、って思うと悔しくて、悔しくて泣きたくなる時があるんだ」

 数年が経った今でも、やり場のない怒りが沸々と込み上げてくる時があるのだ。そういう気持ちとはまだ折り合いをつけられていないし、時々ではあるが、昔を思い出して涙することさえある。

「ホント女々しいよな。いつもは偉そうなことばかり言ってるくせに、自分の家族のことになるとてんで駄目だ」

 勇也は真冬の湖のような凍えた声で言うと、無理やり笑みを形作った。でも、その笑みはすぐに崩れてしまう。やはり、母親のことに関する心の傷は大きい。

 とはいえ、その心の傷は時間が癒してくれるに違いない。心にとっては時間こそが特効薬だという言葉もあるし。

 それに、心の傷が消える頃には自分も精神的に成熟した大人になっていることだろう。そうなれば、どんなに大きな心の傷だって必ず乗り越えられる。

 イリアは心の内を打ち明けた勇也を見て、目を伏せながら優しげに口を開く。

「そんなことはありませんよ。やっぱり、人間、家族の絆が一番大事ですよ。私には家族がいないから、あまり大きなことは言えませんけど」

 イリアは勇也の肩にそっと愛撫するように触れながら言った。

「なら、もし家族ができた時には、思いっきりその家族を大切にしてやってくれ。そうすれば、俺も生みの親として、お前を誇りに思える」

 勇也は何の問題もなかった頃の家族との暮らしを思い浮かべつつ、後顧の憂いを吹っ切るように笑った。

「はい。でも、私とご主人様はもう家族かもしれませんよ? 後は子供さえ作れば完璧ですし、ご主人様も私とエッチしましょう」

 イリアは頬を赤らめながら、とんでもないことを口にした。

「き、気持ちの悪いことを言うな!」

 勇也はゴホゴホと咳き込みながら金切り声で叫ぶ。

 イリアにはいつまでも綺麗なままでいて欲しいと思っていたので、彼女が男とあれこれしているところなど想像するだけで拒否反応が起きてしまった。

 この程度のことで平常心を失ってしまうところが子供の証拠なんだよな。ひょっとしたら、一見すると奇天烈に見えるイリアの方が自分よりもよっぽど大人をしているのかも。

「気持ちが悪いなんて、酷いこと言うんですね、ご主人様は。そんな風に意地を張っている内は、いつまで経っても彼女はできませんよ」

 イリアは卑猥さを感じる笑みを浮かべると指を立てて説教をするように言ったし、イリアにこんな言葉を吐き出させるようでは自分も立つ瀬がない。

 やはり、イリアに話しの主導権を握らせないためには、心をもっとどっしりと持たなければ。じゃないと、尻に敷かれるような関係にもなりかねない。

「余計なお世話だ!」

 勇也は頭が沸騰したヤカンのように熱くなるのを感じながら叫んだ。

「でも、毎日、トイレで自分を慰めるのって辛くはありませんか? 私ならご主人様を思いっきり気持ち良くさせてあげますよ」

「それが余計なお世話なんだよ。男だったら、一人で溜まったものを吐き出さなきゃならない時もある」

 それが健全な男子高校生としての在り方というものだ。生身の女の子と口にするのも憚られる行為をするのは時期尚早もいいところだ。

「そうですか。でも、女の子の体の気持ち良さを味わえば、そんな強がりも口にできなくなると思うんですが」

「くどいぞ! とにかく、お前に言われなくたって彼女くらい誰の力も借りずに作ってやるし、少なくとも、そこに神様の入り込む余地はない!」

 勇也がそう語気を荒げながらなけなしのプライドを叩きつけるように言うと、イリアもどこか力が抜けたような微笑をする。

「……そうですか。もし、私が普通の人間だったら、ご主人様からの好意ももっと受けられたかもしれませんね。残念です……」

 イリアの声は実に寂しげだったし、それを聞いた勇也は男としての正念場だなと思いながら口を開く。

「ばーか。俺はお前が神様でも好きになる時は素直に好きになるって。俺の甲斐性を甘く見るな」

 勇也は意識せずに陽光を浴びて白く輝いている歯を見せながらニカッと笑う。歯にはおにぎりの海苔が付いていたが気付く者はいない。

「本当ですか? なら、私がご主人様の恋人になれるチャンスもあるってことですね! 俄然、燃えてきましたよ!」

 イリアの瞳が宝石のダイアモンドのような凝縮した光を見せた。

「……あ、ああ」

 勇也は自分が後には退けないような恥ずかしいことを言ってしまったことに遅れ馳せながら気付き、声をどもらせる。

 自分で自分の心を辱めてしまうとは、やっぱり、自分はまだまだ未熟な子供だな。でも、今はそれでも構わない。

 良い歳をした大人のように達観するのは早すぎる気がするし。なら、子供でいられる時間はできるだけ大切にした方が良い。

 大人になればなったで、また違った苦しみが待っているだろうから。

 その後、二人は自然と言葉を発することができなくなり、気まずさとは違った空気の中で昼食を食べ終えた。


「こんにちは、ヴァンルフトです。聞くところによると現在の上八木市は物騒なことになっているようですね」

 ヴァンルフトさんの言葉に勇也はギクリとしてしまった。彼もまさか神様が事件の犯人だとは思っていないだろう。

「常軌を逸したやり方で殺された人たちがいるみたいですし、犯人はまだ分かりませんが、早く捕まって欲しいと願うばかりです」

 その犯人をこれからどうにかしようと思っているのが自分たちなのだ。知らぬは仏とはこのことだな。

「あと、上八木市の町を練り歩いて分かったことなんですが、この町は随分と外国の宗教団体の建物が多いですね」

 さすがにヴァンルフトさんもそのことには着目していたか。のんびりしているようで、意外と洞察力があるのがヴァンルフトさんだし。

「神社や寺などは、町の景観に溶け込んでいますが、外国の宗教団体の建物は完全に浮いてしまっています」

 それは自分も常々、声を大にして言いたいと思っていたことだ。ヴァンルフトさんが代わりに言ってくれたので、気持ちがスカッとした。

「建物を建てる時は町との調和をしっかりと考えて欲しいものですね。でないと、上八木市の良き風情が失われてしまいます」

 ヴァンルフトさんのような人がたくさんいれば、景観にそぐわない建物が建てられるのは防ぐことができたかもな。

 まあ、本物の神様がバックに控えているのでは、それも無理な話だったろうが。


 その夜、町の郊外にある広々とした面積を誇る野外広場は幾つもの大型のライトの光で照らされていた。光の下には物々しい雰囲気を発する人間たちが群を成している。

 一つはいかにもチンピラのような恰好をした羅刹組の人間の集団で、もう一つは派手さを敢て抑えているような質素な服装をした禁欲的な人間の集団だった。

 二つの集団は距離を置いて対峙していたが、一触即発なのは誰の目にも明らかだったし、そんな緊迫した空気を漂わせる場所に勇也とイリアは来ていた。

 勇也は真理の探究者の信者が形成する集団の中に母親がいなくて安心した。もし、いたら見せたくもない姿を晒すことになるだろうし、そうなれば母親は大いに嘆くだろう。

 仮にエル・トーラーを倒したとしても母親が宗教から足を洗えるとはとても思えない。また別の解釈をして、真理の探究者の組織に依存するだけだ。

 一方、羅刹神とエル・トーラーはまだ実体化していなかったが、千里の眼鏡をかけた勇也の目にはその二人の神の姿がしっかりと映っている。

 羅刹神は二メートルを遥かに超える筋骨隆々とした巨体に、鬼そのもののような顔をしていた。

 ただ、鬼の顔は日本風ではなく、他のアジアの国の像に見られるような独特の雰囲気を漂わせている。

 羅刹神はインドのラクシャーサという悪鬼が起源だと言われているので、その辺も影響しているのかもしれない。

 そんな羅刹神は鉄のようなものでできた人間にはどう足掻いても扱えない大きさの棍棒を手にしている。力自慢という言葉がぴったり合うような神だ。

 対する、エル・トーラーの方はというと、その体は滑らかな表面を見せる白い金属のような体をしていて、何とも近未来的なフォルムを見せていた。

 一応、人型に近い姿は取っているものの勇也の目には、まるで不格好なロボットのように映った。

 でも、新興宗教の神としてはお誂え向きな姿に思える。とにかく外面だけは壮麗に見せておけば問題ないという考えが透けて見えそうだったから。

 そんなエル・トーラーの機械のような手には武器ではない真鍮色の光沢を放つ分厚い本が握られている。

 凶器とも言える棍棒を持つ羅刹神とは違い、エル・トーラーがどのような戦い方をするのかは今の時点では想像も付かなかった。

「よくもこの俺様の可愛い子分を焼き殺してくれたな、エル・トーラー。この落とし前はどう付けてくれるんだ?」

 その声と同時に羅刹神の巨体が実体化する。それを目の当たりにした人々は動揺するようにざわめいた。

 それでも、喚き散らしたり、恐慌状態に陥ったりする人間がいなかったのは、予め人知を超えた存在が現れることを熟知していたからだろう。

 実態を見せた神が持つ威容に耐えられるような人間だけが、この場に集まっているに違いない。道理で精神的に病的な母親がいないわけだ。

「私は法に従って動いただけです。私に非は全くありません」

 そう機械的な言葉を返したエル・トーラーも実体化して、ロボットのような体を無重力の中にでもいるかのように宙に浮かせた。

 これにはエル・トーラーの側にいた人間たちが今にも平伏さんばかりの様子を見せる。

「ふざけるな! 俺様が率いる羅刹組はこの町を裏から支え続けた立役者だ。昨日、今日に現れたようなお前たちとは年季が違うんだよ」

 羅刹神は棍棒をブンブンと独楽のように振り回す。血気盛んな態度はやはり鬼らしい。

「神の組織の質は年月では推し量れません。重要視すべきは、どれだけ人々の心を掴んでいるかです」

 エル・トーラーは抑揚を欠いた声で機械製品のマニュアルのような言葉を紡ぐ。その声には底冷えするような透徹さが伴っていた。

 それを受け、エル・トーラーには人間性というものがないのかと勇也も問い質したくなった。

「まるで俺様が人間たちの心を掴めていないような言い草じゃねぇか。この偽神が」

 羅刹神は吐き捨てるように言った。

「そう聞こえたのであれば、それは揺るぎのない事実なのでしょう。少なくとも、私を信じる者たちは暴力には頼りません」

「暴力に頼らないだ? なら、何で俺様の子分を殺しやがったんだ!」

 羅刹神は激昂したように棍棒を振り上げた。

「復讐は神にのみ許された行為です。私の信者たちに敵対するような態度を取る者たちには容赦なく裁きの鉄槌を下します」

 エル・トーラーは血の通っていないような顔で僅かな罪悪感も見せずに言った。

「やっと本性を現しやがったな。結局、やっていることは俺様もお前も大差はないってわけだ。変な言い訳をしている分、お前の方が質が悪いぜ」

 羅刹神は大きく裂けた口で剛毅に笑った。

「それは見解の相違です。私は私が定めた法の範囲で、破壊の力を振るいます。そこに法に対する逸脱はありません」

「だとするなら、随分と都合の良い法を自分で作ってるってことだな。まあ、てめぇと幾ら意見を交わしたところで、平行線だっていうのは俺様にも分かるぜ」

 羅刹神は嘲笑うように言って、クックと喉を震わせた。

「では、どちらかが消えるまで戦うしかありません。あなたと相容れる法は私の教義の中にはありませんから」

 エル・トーラーの声に僅かに人間味のようなものが混じる。それは嫌悪の感情だ。

 どうやら、エル・トーラーも感情の全くないロボットというわけではなさそうだな。案外、簡単に化けの皮が剥がれそうだ。

「面白れぇ。お前が相手なら、この俺様も存分に力を振るえるってもんだ。その機械みたいな体はバラバラにしてやるぜ」

 羅刹神は棍棒を構えると喜悦を滲ませた顔で戦う姿勢を取る。エル・トーラーも徐に手にしていた本を開いた。

 やっぱり、話し合いで解決するような溝の深さではなかったかと勇也は嘆息する。まあ、最初から分かっていたことではあったので、別に感じ入るものはないが。

「交渉は決裂です。私もあなたに対しては容赦することなく破壊の力を振るいます。これは神の下す審判です」

 空高く浮かんだエル・トーラーの開いた本から眩い光が溢れ始める。今まさに神の力の顕現が起ころうとしていた。

 二人の神が話し合いの余地を完全になくし、臨戦態勢に入ったのを見て、勇也は様子見はここまでだなと思い、腰に下げている草薙の剣の柄を握る。

 イリアも手品のように掌にステッキを出現させて、躊躇なく前へと進み出た。

「待ってください、二人とも。これ以上、無益な争いをするなら、私たちが相手になりますよ」

 イリアの声はあまりにも緊張感に欠けていたし、彼女を見た人間たちもポカンとした顔をしていた。

「何だ、てめぇは?」

 水を差されたと思ったのか、羅刹神はギロッとした目でイリアを見る。普通の人間だったら、震え上がって動けなくなってしまうような迫力のある鬼神の眼光だ。だが、イリアがその視線に堪えたような様子はない。

「私はこの町の歌って踊れるご当地アイドル、上八木イリアです!」

 イリアは一歩も引くことなく、場違いな感じの明るい声で自己紹介をした。

「失せろ。女が間に入れるような生ぬるい戦いじゃねぇんだ。それでも、邪魔をするって言うなら、まずお前からこの棍棒の錆にするぞ」

 羅刹神はそう脅し付けると棍棒の先端をイリアの方に向ける。が、イリアは不敵な笑みを崩さず、羅刹神の生み出す凶悪な空気に呑まれるようなこともなかった。

「構いませんよ。私、あなたたちのような料簡の狭い神様には絶対に負けませんから」

 イリアには絶対の自信がある。その自信の源は勇也にも理解できていたので、慌てたりすることはない。

「死にてぇみたいだな。よーし、そこまで言うなら、まずお前から叩き潰してやるぜ。後で泣いて後悔しても知らねぇからな」

 羅刹神は嗜虐的な笑みを浮かべると、棍棒の先端を天に向かって掲げる。それから、巨体に似合わない目にも留まらぬ速さで跳躍すると、イリアに棍棒の一撃をお見舞いしようとした。

 が、羅刹神の棍棒はイリアの体に届く前に横から差し込まれるように伸びてきた剣に受け止められる。ガキンという金属がぶつかり合う擦過音とともに煌めくような火花が散った。

「お前の相手はこの俺だ!」

 そう猛勇の如き気合で叫んだのは剣を突き出している勇也だ。そこには羅刹神に対する恐れは微塵もなく、その表情は戦いに対する興奮に彩られていた。

「俺様の渾身の力を込めた一撃を受け止めやがっただと? てめぇ、ただのガキじゃねぇし一体、何者だ?」

 腕力には絶対の自信があったと思われる羅刹神は驚愕に目を剥きながら言った。

「名乗るほどのものじゃない。が、女の子を平気で傷つけるような暴漢はこの草薙の剣が許さないって言ってるんだよ。イリア、悔しいが俺の剣は空中には届かないし、エル・トーラーの相手を頼む」

 勇也は自分がやりたかったエル・トーラーを倒す役目を苦汁の気持ちでイリアに譲った。

「了解しました。あの不細工な機械は私がスクラップにしてあげますね。その代わり、ご主人様もこんな神様の風上にも置けないような雑魚に負けてはいけませんよ」

 イリアは羅刹神を雑魚呼ばわりしたし、それを聞いていた羅刹神の方もこめかみに青筋を立てる。そんな羅刹神の目は殺気を湛えて血走っていた。

「ああ」

 勇也は鷹揚に頷くと、体中に力が励起するように行き巡るのを感じながら、隙のない動作で剣を構えた。

 対峙した勇也と羅刹神は言葉を交わすことなく、戦いのコングを静かに鳴らす。

 その瞬間、二人の敵意に満ちた視線が絡み合いながら激突した。

 先手を打つように動いた羅刹神は腕の筋肉を隆起させながら棍棒を振り上げ、勇也に猛烈な勢いで殴りかかってくる。

 並の人間であればこの一撃で決まりだろうが、今の勇也には普通の人間を超えた力がある。

 勇也はその勢いに押されることなく、強烈な棍棒の一撃を真っ向から剣で受け止めた。腕に骨の芯まで痺れるようなビリビリとした電流の如き刺激が駆け巡るが大したことではない。

 草薙の剣は勇也の体に自らの神気を流し込み、身体能力を著しく向上させていた。また巧みな剣技も授けていて、その上、どんな相手にも怯えることのない胆力も備えさせていた。だからこそ、羅刹神ともこうして対等に向き合えている。

 とにかく、草薙の剣は武芸などには全く秀でていないと自覚している勇也にもやれると確信を持てるような力を与えていた。

「よくぞ、俺様の一撃を受け止めた。誉めてやりたいところだが、こんなのはまだ序の口だぞ」

 そう言うと、羅刹神は息も吐かせぬ瀑布のような連撃を勇也の体に叩き込む。強風が巻き起こり、それが勇也の髪を激しく舞い上がらせる。

 羅刹神の怒涛の如き攻撃は人間の力で防ぎきれるようなものではない。だが、勇也はその細腕からは考えられないような膂力で羅刹神の攻撃を正面から受けきって見せた。

 羅刹神は舌打ちすると更に大きく腕の筋肉を膨張させて、巨岩すら砕けそうな破壊力を持つ一撃を繰り出してくる。これは掠っただけでも体の肉を大量に抉り取られるだろう。

 それでも勇也は逃げることなく体を叱咤すると、その一撃をまともに受け止める。押し寄せてくる勢いの重さにグッと唸った。

 だが、幾ら体が軋みを見せようと力負けは全くしていないし、逆に腕の筋肉を撓めると羅刹神の棍棒を力強く上へと押し上げて見せた。それから、反撃とばかりに勇也はすかさず剣を鮮やかに一閃させると、羅刹神の逞しい胸板を横に向かって細いラインを引くように切り裂く。

 負わすことができた傷自体は浅かったが、パッと花のように鮮血が迸った。その血は勇也の顔にも付着するが気には留めない。

「ちっ、なかなかやるな。人間の小僧にしては大した力だ。だが、俺様の力はこんなものじゃないぞ!」

 羅刹神は持っている金属製の棍棒を溶岩でも塗りたくったように赤褐色に輝かせる。

 それを振り下ろして地面に叩きつけると、大きくて意志を持ったような炎の塊が勇也の方に飛来した。

 勇也は動じることなくその炎の塊を剣で二つに割って見せる。力をなくした炎は空中で千切れて霧散した。

 勇也の手にする草薙の剣の刀身は緑色に輝いている。その光は物体だけでなく神気で生み出された力も断ち切ることができるのだ。故に羅刹神の炎も切り裂けば無力化できる。

 そんな刀身を勇也が縦に振るうと、鮮烈な輝きを纏った光の刃が生まれ、それは羅刹神に向かって矢の如しスピードで飛んでいく。

 羅刹神は疾風の速さを持つ光の刃を紙一重のところでかわす。が、かわしきれずに頬から血の糸を滴らせた。顔から流れ出る血を見た羅刹神はたちまち逆上する。

「お、おのれ! この俺様の顔に傷をつけるとは、絶対に許さん!」

 羅刹神は自分の顔を傷つけられたことに声を震わせるほどの逆鱗ぶりを見せると、棍棒を変幻自在に振り回して大量の炎の塊を生み出す。そして、それを勇也目がけて弾幕のように放った。驟雨のように飛来する炎の塊をかい潜れる隙間はない。

 が、勇也は卓越した動きで炎の塊を連続で切り伏せ、その全てを宙に霧散させた。それは、まさに絶技と言うべきものだ。

 羅刹神は生半可な攻撃は通用しないと悟ったのか、より強く棍棒を輝かせるとまるで竜のような炎の渦を生み出して見せる。

 その灼熱の炎の渦は全てを貪るように地面をバリバリと削りながら勇也へと突き進んだ。

 勇也は迫りくる炎の渦に対し、先ほどよりも何倍も大きさを増した光の刃を放つ。炎の渦と光の刃は正面から激突して、大きなエネルギーを鬩ぎ合わせながら爆発した。

 大量の粉塵が巻き散らされるが、炎の渦は力なくバラバラに散らばったし無事に相殺できたらしい。

 羅刹神は粉塵が風に流れて消えて、そこから現れた傷一つない勇也を目にする。それから、自分の必殺とも言える攻撃が防ぎきられたことにプライドを傷つけられたのか、耳を劈くような怒号を上げた。

 と、同時に腕の筋肉を今まで以上に躍動させて見せると、羅刹神はありったけの力を込めたような強力無比な棍棒の一撃を勇也の顔面に叩き込む。その際、凄まじい烈風が巻き起こった。

 勇也はこの一撃は受けきるには危険だと判断し、軽いバックステップで羅刹神の繰り出した一撃をかわす。鼻先ギリギリを羅刹神の棍棒が掠めた。

 羅刹神は攻撃の手を緩めることなく追撃するように地面を蹴ると棍棒の先端による狂濤の如き連打を勇也にお見舞いする。

 が、勇也の方も獅子奮迅の如き力を込めて、羅刹神の攻撃を神業を見せるように全て捌ききった。それから、力強い踏み込みとともに剣を何度も振って光の刃を羅刹神に向かって乱舞させる。

 羅刹神は目まぐるしく飛来する光の刃を避けきれずに肩や脇腹などに浅からぬ裂傷を負った。

「……な、何なんだ、お前は? どうして、人間のくせに神である俺様とこんなにも渡り合えるんだ?」

 羅刹神は大きな動揺を隠しきれないといった感じで零す。それを聞いた勇也は草薙の剣から伝わってくる盤石な力を感じながら笑う。

「答えは簡単だ。それはお前が挨拶回りをする対象にならないほどの神気しか持ち合わせていないからだよ」

 羅刹神は勇也の不敵な言葉の意味を噛み砕くような顔をして見せる。が、明確な答えは出なかったようで、悔しそうに歯ぎしりをした。

「な、何だと! それは一体どういう意味だ?」

 羅刹神は困惑の度合いを強めたような顔で勇也に問いかけた。


 上空では宙に浮かぶイリアとエル・トーラーが激しく交戦していた。二人とも自らの力を見せつけるように魔法の応酬合戦を繰り広げていたのだ。

 二人の間には暗闇で瞬く星々よりも美しい光が生まれては消えて一種の幻想さを醸している。そんな神たちの戦いの目撃者となった人間たちは、皆、感極まったような顔をしていた。

 エル・トーラーは手にしている本に書かれている文章を読み上げると、イリアの頭上に稲光を発する落雷を落として見せた。

 それは神雷の如き光を纏っていて、人間が食らえば一瞬で消し炭と化してしまうだろう。

 イリアはバリアを張ってその落雷による一撃を難なく防ぐ。バリアは直撃を受けても何の歪みも見せずに落雷を何事もなかったように消失させた。

 が、エル・トーラーの魔法による波打つような攻撃は留まる気配がない。

 更にエル・トーラーはヘブライ語の文章を読み上げて、地獄の業火とも言えるような炎の玉をイリアの体にぶつけて見せる。

 それはバリアを張ったイリアに命中し、大量のエネルギーを迸らせる茫漠たる爆発を引き起こす。

 その爆発はまるで花火のように夜空に大輪を咲かせたし、生身の人間はおろか、神であっても大きなダメージは免れない威力だった。

 が、爆炎から現れたイリアは全くの無傷で、バリアを張り続けたまま泰然と動かない。その顔には焦燥の色は見られず、確かな余裕さえあった。

 イリアは人間の顔を持たないエル・トーラーに対して、視線で挑発して見せる。もっと攻撃して来いと嘲弄するように。

 それを受け、エル・トーラーは自分の攻撃のペースを狂わせたくないのか、イリアの安っぽい挑発に敢えて乗るように、魔法による攻撃を絶え間なく続ける。

 地獄の業火を纏った火球による猛攻が続いたと思ったら、今度は全てを切り裂く風の刃が嵐のように止め処もなく飛来し、それが利かないとなれば、また裁きの鉄槌のような落雷がイリアの体を襲い続ける。

 これほどの情け容赦のない攻撃を繰り出せるのはいかにも杓子定規な態度を取るエル・トーラーらしい。

 もっとも、血も涙も持たないような機械染みた相貌からは何の感情も読み取ることはできないが。

 そうして、ありとあらゆる属性を持つ魔法がイリアに局所的に生じたハリケーンのように浴びせられた。

 どんな神でも到底、凌ぎきれるものではない。が、それでも尚、イリアの張った薄い光の膜のバリアが消え去ることはなかった。

 強固な守りとは言い難い薄いバリアを破れずにいることにはさすがのエル・トーラーも微かな懸念を滲ませるように声を漏らす。それは神としてのメッキが剥がれてきた瞬間でもあった。

「神であるこの私と拮抗するほどの力を持つと言うのですか? ふむ、では私も全力を出さないわけにはいかないようだ」

 エル・トーラーは自らが放つプレッシャーを一段と増大させると、自分の目の前に煌々とした輝きを放つ特大の光の塊を作り出し、それをイリアに向けて大砲の玉のように打ち出した。

 イリアはさすがにバリアで防げる攻撃ではないと見て取り、光の塊を迅速に避けようとした。が、その瞬間、光の塊は遠隔操作されたようにイリアの傍で大爆発する。

 これにはイリアも完全に不意を突かれてしまったし、その爆発は空間に穴が開いたかのような凄まじい規模のものだった。

 その上で、確実にイリアの体を巻き込んでいたし、誰が見ても手応えはあったと判断できる攻撃だ。

 実際、エル・トーラーの無機質な相貌には微かではあるが満足そうな色が見られる。

 が、もうもうとした爆煙の中から空を切る隼のように飛び出したイリアの体にはまたしても傷一つない。

 イリアはあの爆発の直撃を受けても何のダメージも負うことがなかったのだ。それは神がかった脅威的とも言える防御力だった。

「今の一撃は見事でした。さすがに古のヘブライ人の作り出した魔法を使うだけのことはあります。ですが、この程度の力では私の好敵手にはなりえませんよ」

 イリアはエル・トーラーの手腕を称賛した上で不遜な態度をひけらかす。それは単なる強がりではなく、確固とした自信の表れだった。

 イリアは相手の手の内は全て把握したと思い、今度は今までのお返しとばかりにスパークする巨大な光の玉を生み出す。空間が陽炎のように歪んで見えるほどの圧倒的なエネルギーが充溢している。イリアの掛け値なしの全力がその光の玉には込められていた。

 エル・トーラーはその光の玉のあまりの大きさを見て避けきれるものではないと判断したのか、急遽、自分の周りに光りの膜のバリアを張った。

 が、イリアの前方から神速で飛来した光の玉はそのバリアを軽々と突き破り、エル・トーラーの肩の部分についていた装飾をごっそりと削り取った。

 削られた部分からは黒い煙が燻るように立ち上っていて、それが何とも痛々しい。

 もっとも、まともに食らっていたらエル・トーラーの体はまず間違いなく消し飛んでいたことだろう。この程度の傷で済んだのは僥倖と言うべきだ。

 とにかく、イリアは相手の戦意を崩すために、敢えて攻撃を牽制に留めるようにして外して見せたのだ。

 それはできることなら相手を殺すことなく戦いを終わらせたいというイリアの神に対する同族意識からくる甘さだった。

 これが下衆な人間だったら手心は加えなかっただろう。

「これほどの威力を生み出せるとは……。どうやら、貴方の力を計り間違えていたようです」

 初めて声に焦りを含ませたエル・トーラーは今度は自分が守りに徹しなければいけないと理解したのか、より分厚さのある光りの膜のバリアを張った。

 しかし、イリアの手から連続して放たれる中サイズの光弾はそのバリアを悉く突き破ってエル・トーラーの体に命中し、装甲のような体の表面を大きく陥没させる。

 これにはエル・トーラーも苦悶の声を漏らすしかないし、光弾は蜂の巣でも作るような勢いでエル・トーラーに痛烈に浴びせられた。

 度重なる無視できないダメージを受けたエル・トーラーは更に強固なバリアである光の壁を作り出して見せた。

 このバリアはそう簡単には破れないだろうという自信がエル・トーラーの余裕のある所作からは感じ取れる。

 が、イリアは魔法の指向性を変えるように指先から一筋の光線を放つ。

 そのレーザービームのような光線は光りの壁をいとも容易く貫通する。光線はそのままエル・トーラーの体に小さくはあるが深々とした穴を穿つ。

 更に間断なく浴びせられる光線は何発もエル・トーラーの体に容赦なく突き刺さった。

 さすがのエル・トーラーも致命的なダメージの連続に耐えかねたように野太い悲鳴にも似た声を漏らす。

「……馬鹿な。この私が魔法を扱う力で後れを取るとは!」

 エル・トーラーは満身創痍の状態で、そう甲高い声を上げた。

 完全に劣勢に立たされたエル・トーラーは、もう誰の身も竦ませられるようなプレッシャーは放てなかった。

 いずれにせよ、イリアがあともう一度、大きな光の玉を命中させれば確実に決着はつく。

 だが、イリアは戦いを楽しんでいるわけでもないのに、いつまで経ってもそれを行わなかった。

 なので、侮られていると感じたのか、エル・トーラーは全ての力を開放するように手にしていた本を眩く発光させると不気味な黒い球体を作り出して見せた。

 それは高速でイリアの方に飛来すると、急に大きく膨張して全てを呑み込もうとする。

 それを見たイリアは、これは形を持った強力な重力場だと瞬時に理解し、その効果範囲から猛スピードで抜け出そうとする。

 黒き穴は全てを吸い込み、あらゆるものを超重力で圧し潰そうとする。呑み込まれたら例え神でも一溜りもない。それはまさにエル・トーラーの切り札とも言える大魔法だった。

 イリアとしてもこの魔法の力だけは見くびるわけにはいかないと判断する。なので、一瀉千里の動きを見せたイリアは、その効果範囲の外へと脱兎の如き勢いで抜け出ようとする。

 それが功を奏したのか、イリアを飲み込み切れなかった全てを圧搾するような重力場は時間が経過するとどんどん小さくなり、やがて消滅した。

 自分の魔法が全く通じないのを見てエル・トーラーは沈黙する。もはや、エル・トーラーに逆転を図れるような手がないのは明白だった。

 一方、イリアはエル・トーラーと対峙しながら神色自若と言った感じの笑みを浮かべている。その顔に疲労の色はない。ボロボロになったエル・トーラーとは何とも対照的だ。

 しばしの静寂が続いた後、イリアはなぜ自分を殺さないのか訝っているようなエル・トーラーに対し、ある厳然たる事実を突きつける。

「なぜ、自分が力で押し負けるのか理解できないといったご様子ですね。では、私が一つご教示して差し上げましょう」

 イリアは何とも得意げな表情で解説を始める。エル・トーラーも拝聴したい話だと思ったのか、傷ついた顔を上げた。

「確かにエル・トーラーさんが率いる真理の探究者は全世界で二千万人の信者がいます。それは凄い数と言えるのかもしれませんし、もし、本当に二千万人の信者による神気が集まったのであれば、幾ら私でも絶対に勝てませんよ」

 イリアは殊勝な態度で笑った。

「神としての強さは概ね神気の量で決まります。よりたくさんの人間の強い信仰心を集めなければ、神気は得られません」

 この程度の基礎知識はエル・トーラーも持っていることだろう。

「そして、この町で誕生した神が一番、注意しなければならないのは、あくまで上八木市の住民の信仰でなければ大きな神気は得られないという点です」

 イリアの説明にエル・トーラーの顔が僅かに震える。ようやく、イリアの言いたいことに考えが及んだのだろう。疑問が氷解したであろうエル・トーラーは顔だけでなく体も震わせた。

「そういう意味ではこの町の真理の探究者の信者は決して多いとは言えません」

 支部ができてからまだ三年しか経っておらず、上八木市の住民からは真理の探究者の信者は奇異な目で見られることも多い。それは信者たちがこの町の空気に馴染んでいない証拠だった。

「一方、この町に古くからいる羅刹神さんは一部の地元民からは熱狂的に支持されています。が、その反面、この町の大多数の住民からは暴力団の首領のように見られていて、この町の信者の数は少ないんです」

 幾ら特定の人間の信仰心が強くても数が少なければ、やはり大きな神気は得られない。その仕組みには堅固なものがある。

「繰り返しますが、重要なのはこの町の住民からの信仰を得られているかどうかです。そのことを失念している神様は多いようですねぇ」

 イリアは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

「つまり、エル・トーラーさんも羅刹神さんも神としてはまだ幼い子供のようなものなんです。それでは、老若男女から幅広い支持を集め、この町の住民から諸手を挙げて歓迎されている女神が負ける道理はありません」

 イリアはここぞとばかりに自らの威厳を見せるように言った。

 もっとも、羅刹神もエル・トーラーも大きな力を持っていることに間違いはない。それは神の力を底上げすることになる明確な形が定まっているからだろう。

 宗教団体の神が取り分け優れた力を持っているのは経典などに自らの詳細がしっかりと書かれていたり、また信仰を集めやすくする像や絵などが豊富にあるからだ。

 神気が少なくても、そこら辺の明確さは他の神と比較した時に大きなアドバンテージになるとダーク・エイジのサイトを閲覧していた勇也は言っていた。

「それに本当にエル・トーラーさんや羅刹神さんが大きな神気を持っていれば、私もとっくに挨拶回りをしていましたよ」

 その点については勇也にもちゃんと説明したし、勇也が戦えると判断してくれたのもその言葉を信じてくれたからだ。

 イリアの説明を最後まで聞いたエル・トーラーは打ちのめされたような声を漏らす。

「なるほど……。神ともあろう私が勉強が足りなかったようですね、無念です……」

 そう途切れたように言って、エル・トーラーは力と自信を根こそぎ失ったかのように地面へと落下していった。


 見るも無残に体を半壊させたエル・トーラーが空から落ちてくると羅刹神はぎょっとしたように顔を上げる。

 対立していたとはいえ、その相手が完膚なきまでに叩きのめされたのを見ては羅刹神といえども平静でいられないようだった。

 その証拠に羅刹神の狼狽ぶりはより鮮明なものになる。それを目の当たりにした勇也は自分たちの目論見通りに事が進んでいるのを見て取り、思わずほくそ笑んだ。

「あんな小娘にエル・トーラーが負けたって言うのか。クソ、一体、何がどうなっていやがるんだ!」

 羅刹神は少なからず残っていた自信もかなぐり捨てて声を荒げた。

 勇也も冷静さを完全に失った羅刹神なら恐れるに足らないと見る。戦いというのは得てして頭に血が上った方の負けなのだ。だからこそ、それが分かっている勇也は絶対に心を乱さない。

「年貢の納め時だぞ、羅刹神。死にたくなければ、もうくだらない抗争をするのは止せよ」

 抗争を止めると誓ってくれれば命までは取らない。

 神を殺せば大きな災いが待っているという謳い文句は単なる誇張とは思えないからな。

 ダーク・エイジのサイトでも神を殺すことはできうる限り避けるべきだと強い警句を発しているし。

 勇也としても人間であれ、神であれ、心を持つ者を殺すのは本意ではない。

 が、羅刹神は勇也の宥めるような言葉を聞くと、悪い意味での不屈の精神を見せるように口から生えている獰猛な牙を剥く。

「人間の小僧のくせに、俺様に指図するんじゃねぇーーーーー!」

 そう感情のタガが外れたような声を上げると、羅刹神は勇也の脳天に棍棒を思いっきり叩きつけようとした。当たれば、瞬時に肉塊となる。

 が、勇也はその攻撃の流れを完璧に読みきっていた。怒りを爆発させただけの単調な攻撃など見切るのは容易い。

 なので、寸前のところで棍棒から繰り出された頭蓋骨を粉々に砕くような振り下ろしをかわすと、その刹那、羅刹神と際どいタイミングで体を交錯させる。それから、羅刹神の体をより強い力を籠めた剣の刃で、バッサリと袈裟懸けに切り裂いた。

 その一撃に手加減はないが、それでも剣の刃は致命傷を避けた軌道を描いていた。

 羅刹神は切断面を見せるような深い傷を負って、盛大に血飛沫を撒き散らせながら前のめりに倒れる。そして、苦しそうに息を吐きながらとうとう動かなくなった。

 そんな羅刹神の顔には確かな敗北感が広がっていて、勇也も肩に圧しかかっていた力をスーッと抜いた。

「ここまでだ。完全に勝負あったな」

 勇也は達成感のようなものを感じながらそう宣言する。敵を打ちのめしたことに対する高揚感はないが、安堵させられるものはあった。

 この調子で強くなっていければ良いなとも思うし、心の中には向上心のようなものも芽生えていた。こういうのは悪くない感触だな。

 とにかく、危うい局面は何度かあったものの無事に切り抜けられてほっとした。

 負けない自信はあったとはいえ、それでも死の危険は常に感じていたし、やはり神は侮れない存在だなと痛感させられた。

 でも、そんな神に対して完勝できたのだから、自分もまだまだ捨てたものではないと思い勇也は心の中でガッツポーズを取った。

「ちくしょう。もう、どうにでもなりやがれ……」

 そう捨て鉢に言うと、羅刹神は棍棒を手から取り零してピクリともしなくなったが、かろうじて息はしていたので死んではいないのだろう。

 が、戦えなくなった相手に止めを刺す冷徹さは勇也にはない。その甘さはいつか命取りになるかもしれない。でも、今はそれで良いと勇也は思った。

 厄介な仕事を片付けられて済々としていた勇也は、次は何を目標にして動けば良いのだろうと思いながら憂いのある顔をする。

 すると、空からイリアがまるで翼の生えた天使のようにふわりと舞い降りてきた。

「羅刹神さんは無事に成敗できたみたいですね。さすがです、ご主人様!」

 イリアは豪放磊落とも言える笑みを浮かべながら言った。

「俺が本気を出せばこんなもんさ。ってのは冗談で、正直に言ってしまえば、それだけ草薙の剣の力が凄かったってことだ。俺の力なんて微々たるもんだよ」

 勇也は自惚れることなく謙遜するように言うと、草薙の剣の鞘を軽く叩く。

 幾ら羅刹神が神としてはヒヨッコでも、生身の人間には対抗できないほどの力を持っていたのは確かだ。

 一介の高校生にすぎない自分にあそこまでの死闘を演じさせた草薙の剣の力は驚嘆すべきものだろう。

 今の草薙の剣はまさしく勇也の頼れる相棒だった。

「そうだとしても、あんな恐ろしい姿をした鬼と渡り合えるんですから、大した度胸ですよ」

 イリアの痛快さを感じさせる言葉も見え透いたお世辞には思えなかった。

「かもな。で、これからどうするんだ? この町を騒がしていた殺人犯は羅刹神とエル・トーラーだが、相手が神じゃ、警察に通報するわけにもいかんだろ」

 羅刹組の人間も真理の探究者の人間も押し拉がれたような顔をしている。自分たちの信じる神が倒されたことで、心の拠り所を失ってしまったらしい。神に縋って生きている人間の心など脆いものだ。

「そうですね。だから、ここではっきりと約束させます!」

 イリアはキッとした目で言うと、野外広場全体に響くような大きな声を絞り出す。

「聞こえていますか、羅刹神さんにエル・トーラーさん。残念ながら今の日本の法律では、あなたたちを裁くことはできません」

 イリアは咎める風でもなく、淡々と宣告するような言葉を紡ぐ。

「だから、これからは何があろうと人を殺したりするのは止めてください。今度、事件のようなものを起こしたら、その時は私たちも容赦なくあなたたちの命を奪い取りますよ」

 イリアの切実な訴えが届いたのか、羅刹神もエル・トーラーも反発するような声は上げなかった。一応、二人とも異存はないということなのだろう。

 ただ、被害にあった人間の心を汲み取るなら、この判決は甘いと言われても仕方がないものだし、そこに言い訳を挟む気はない。

 羅刹神やエル・トーラーが殺した人間に対して良心の呵責を感じているとは思えないし。

 だが、神たちには神たちの生き方があるし、それは尊重しなければならないと思うのだ。神に人間と同じメンタルを求めても、上手くいくはずがない。そこは理解が必要だ。

 人間と神の共存はこの町の命題だろうし、自分とイリアが下した判決の功罪についてはこれからの流れを注視して判断していくしかないな。

 願わくば、羅刹神とエル・トーラーにはこれを期に心を入れ替えて欲しいと思う。神に改心を強いるのは、人間としてはいささか傲慢すぎるのかもしれないが。

 でも、その傲慢さの罪は誰かが背負わなければならないし、そういう自己犠牲が必要とされているのが今の世の中なのかもしれない。

 であれば、その役目は自分が引き受けよう。そうすれば、今の自分は紛れもなく正義ヒーローだと誇りを持って言い切ることができるから。

 とにかく、こうして羅刹組と真理の探究者の抗争は一まずは幕を閉じることになった……。と思ったその時、予想もしていなかった横槍が入る。

「警察だ! 全員そこを動くなよ!」

 大音量のスピーカ越しの声が唐突に響き渡る。

 と、同時に元々、広場にあったライトとは別の眩しい光が闇の帳を切り裂くように四方八方からバッと輝いた。


 警察署内の取調室で刑事の本郷光国は勇也の事情聴取をしていた。取調室には冷たい緊張感が漂っている。それはベテランの刑事の光国の胃すら締め上げていた。

 上手くいけば、長年の宿敵だった羅刹組を叩き潰すことができる。その心の逸りが光国や他の刑事たちを強引な取り調べに駆り立てていた。

 ちなみに、勇也が真っ先に光国の標的になったのは、やはり、銃刀法違反に引っかかる草薙の剣が原因だった。

 光国は野外広場で組織同士の抗争が行われていたと思っていたので、武器らしい武器を持っていた勇也が一番、事情を聴かれる羽目になったのだ。そんな勇也はもう二時間も取り調べ室で缶詰め状態になっている。

 光国は何も知らないし、何もしていないという勇也の白々しい答弁にうんざりしていた。

 自分はベテランの刑事だし、子供の嘘など簡単に見抜くことができる。だから、勇也が苦し紛れの嘘を吐いていることも分かっていた。が、それでも真実というものはまるで見えてこない。

 まさか、あの場で人知を超えた神のような存在が戦っていたなどという戯言を本気で信じろと?

 光国は気分を入れ替えるために取調室を出ると署内にある自販機でブラックの缶コーヒーを買う。

 こういう気分が落ち着かない時は煙草のような周囲が嫌う嗜好品ではなく、誰にも迷惑をかけない缶コーヒーに限る。

 光国が苦味のあるコーヒーを喉に流し込んでいると現在の光国の相棒になっているいつもの平刑事がやって来る。

「お疲れ様っす、本郷警部」

 平刑事は光国に向かって労うように言うと、自分もコーヒーを飲みたいのか、自販機にお金を投入し始めた。

「他の連中の取り調べはどうなってる?」

 光国はコーヒーを飲み干すとまるで猛禽のような目で平刑事を見た。

 その視線に平刑事もビクッと体を震わせて、自販機に投入している小銭を落としそうになる。それだけ、今の光国の機嫌の悪さが過不足なしに伝わっていたらしい。

「どうもこうもないですよ。連中は野外広場で戦っていたのは神様だとか言うんですよ。信じられますか?」

 平刑事はお手上げと言わんばかりに肩を竦めた。

「信じられん。が、野外広場が人間業とは思えない程、滅茶苦茶に破壊されていたのは事実だ。もちろん、俺個人は神様の仕業などとは全く考えていないが」

 特に地面の抉られ方などは、大型のブルドーザーでも使ったのでは、と思えるほどのものだった。

 が、その場にブルドーザーなどはなかったし、それに代わるような重機の類もありはしなかった。

 それだけに超常的な力などまるで信じていない光国でも一体、どんな魔法を使ったのだと頭を捻ってしまったし、それはあの場に駆け付けていた他の警察官も同じことだった。

「でも、それなら、連中が何かしらの武器を持ってなきゃおかしいですよね。なのに、あの場で武器らしいものを持っていたのは子供の柊勇也君だけでしょ?」

 羅刹組の人間の何人かがナイフを所持していたが、罪に問えるようなものではない。だからこそ、どうにかして尻尾を掴めないかと光国や他の刑事たちも躍起になっていたのだ。

 それが全く上手くいかないというのであれば、警察署全体がピリピリしたムードに包まれるのも止むを得なかった。

「ああ。連中は大きな武器も爆弾の類も全く持っていなかった。あれだけの破壊を古びた日本刀一本でやるというのは無理がある」

「何とも不思議な話ですねぇ」

 平刑事がミルクと砂糖たっぷりのコーヒーを飲んでいると、群青色の立派な制服を着た警察官がやって来る。

 警察官の顔には、ブラックのコーヒーを一気飲みしたような苦々しい色が広がっていた。

「本郷君、柊勇也君の身元引受人が来た。彼をすぐに釈放したまえ」

 その言葉に光国は思わず目を剥いた。すぐには発せられた言葉の内容が頭の中に入らなかったくらいだ。

「課長、彼はまだ取り調べの最中です!」

 光国は噴き上がる怒気を叩きつけるように言った。そのかっとなった顔には冗談ではないと書き殴られている。が、光国と相対する警察官は折れない態度を見せる。

「だが、これは上からの命令なんだ。責任は私が取るからさっさと彼を開放したまえ。でないと、君が厳重注意を受けることになるぞ」

 その言葉には脅しの響きが多分に含まれていた。

「ですが……」

 奥歯をギシギシさせていた光国ではあるが、警察官の怯みのない目を見て血が上って熱くなっていた頭が急に冷えていくのを感じた。

「君の気持はよく分かる。たが、ここは大人になった方が良い。これはそういう案件なんだ」

 その言葉を聞いて、光国は政治的、またはそれに近い類の圧力がかかっている一件なのだと理解する。

 そんな圧力をかけられる人間に心当たりはなかったが、そういう人物が勇也の身近にいるのは間違いない。

 でなければ、あの場にいて明確な凶器を持っていた勇也をこんなに早く釈放しなければならないことにはならないだろう。

 なので、光国は背中に薄ら寒いものを感じながら、片意地を張るのを止めて素直に引き下がることにした。

「……分かりました。で、身元引受人というのは?」

 それくらいは聞いておかないと腹の虫が収まらない。

「それがソフィア・アーガスとかいう外国人の女性なんだ。彼女が直談判に来たら、上の人たちは二つ返事で彼女の要求を呑んでしまったよ」

「そんな馬鹿な……」

 光国にとってそれは異例の対応と言ってよかった。

 普通なら、外国人との折衝をしたくらいで、課長より上のクラスの人間が対応を変えることなどあり得ない。

 いかなる影響力が働いたのかは分からないが、ただごとではないし、ソフィアとかいう女性はどこかの国の要人だろうか。

「とにかく、あれこれ詮索しないで柊君は一刻も早く釈放すること。あと、あの日本刀もちゃんと返してあげなさい、以上」

 取り付く島もない会話の切り上げ方だし、上八木警察署の課長はそう頑な態度を見せながら一方的に言い残して光国の前から去って行く。

 それを受け、光国はあれほど募らせていた怒りも苛立ちもすっかり忘れてしまっていたことに気付く。隣にいた平刑事も事態が呑み込めないのか、呆けたような顔をしていた。

「一体、何がどうなっているんだ?」

 光国は途方に暮れたように言うと、自分でも意識しない内に持っていたコーヒーの缶を強い握力で握り潰していた。


 上八木市の中では他の追随を許さない高さを誇る建物、上八木タワーホテルのレストランにソフィアはいた。

 珍しい二十四時間営業のこのレストランはホテルの最上階にあり、そこからの眺めは素晴らしいものがある。

 もっとも、今は普通の人たちが寝静まる深夜なので、存分に景色を堪能するという訳にはいかない。

 まあ、星々を見下ろしているような感覚に浸れる夜景も決して悪くはないが。

 ソフィアは一杯、数万円はするというワインを舌の上で転がすように口に含みながら対面の席にいる背の低い少女を見る。

 仕立ての良い女性用のスーツを着た少女は十代半ばくらいの年齢に見える。容姿は美少女と形容して良いし、ツインテールにしているプラチナブロンドの髪は取り分け印象的だった。

「勇也君を助けるために警察に掛け合ってくれてありがとうございます、ゼルガウスト卿」

 ソフィアは最高級のフォアグラを上品に口に運んでいる少女、イルゼ・ゼルガウストに形だけの礼を言った。

「別に礼などはいらないよ。柊勇也君を助けたのはあくまで組織の利益ためだからな。君のためだけに動いたというわけじゃないさ」

 愛らしい顔をしているゼルガウストは男を魅了するような蠱惑的な笑みを浮かべる。事実、ゼルガウストは組織の男たちからのウケは頗る良い。女神のように崇められてさえいる。

 が、同じ女であるソフィアはゼルガウストの笑みに、どこか寒気のようなものを感じる。

 ゼルガウストは見かけこそ十代の少女だが、実際の年齢は七十歳を軽く超えているという話だ。

 またゼルガウストはあどけない見た目に反して、したたかな策略家としての顔も持っている。なので、ソフィアとしても簡単には気を許すことはできなかった。

「そう言ってもらえると、私も気が楽になります」

 ソフィアは小さく息を吐きながら言った。

「そうか。これからも有用と判断した時は積極的に組織と私の力を使いたまえよ。君の判断であればそこに間違いはないだろうからな」

 ゼルガウストはソフィアに全幅の信頼を寄せるように芯の通った声で言った。

「……分かりました。何かあれば、またお力を借りることにします」

 ソフィアは豪胆なことで知られる彼女にしては珍しく恐縮した態度を見せる。他の構成員がこんなソフィアを見たら目を疑うかもしれない。

 それだけゼルガウストと接しているソフィアには普段とのギャップがあった。

 ちなみに、ソフィアたちがいるコンサートホールのように広々としたレストランにいる客のほとんどが男女のカップルだ。

 深夜でなければ家族連れの客もいたかもしれないが、さすがにこの時間帯では子供の姿は皆無だ。

 ほとんどがカップルの客だけに、自分とゼルガウストの組み合わせは他の客からは奇異に見られるに違いない。

 料理を運んで来るウェイターも自分たちを見ると、たちまち相好を崩して微笑ましそうな顔をする。たぶん、自分たちのことを姉妹か何かと勘違いしているのだろう。

 ソフィアとしてはこんな得体の知れない女と食事を共にするくらいなら、繁華街の飲み屋に行って一人で安酒を呷っている方が気分が良かった。

「それで良い。あと、プライベートの時間に私の名前を口にする時は、イルゼと呼んでもらいたいな。ゼルガウストの名前は私には重責の極みだよ」

 欧州における魔術師の大家の一つがゼルガウスト家なのである。

 それだけに、魔術の本場である英国、その英国にあるブリダンティア学院の魔術科でのゼルガウスト家の発言権は大きい。

 現にゼルガウスト家の一族の中には、ブリダンティア学院の重要職に就いている者が何人もいる。

 ソフィア自身も十代の頃はブリダンティア学院の魔術科に在籍していた経歴を持つ。

 だからこそ、ゼルガウスト家から輩出された一級講師の授業も受けたし、ゼルガウスト家の権威の高さは身に染みて理解していた。

「そういう訳には……」

 ソフィアは視線を逸らして口籠る。

 この人には自分の生まれ故郷のセインドリクス公国にあるアルサントリス魔術学校に通いたかったとは口が裂けても言えない。

 ゼルガウスト家はアルサントリス魔術学校のことを快く思っていない。魔術と来たら英国であり、英国で魔術を学ぶならブリダンティア学院の魔術科しかないと半ば強引に決めつけているのだ。

「ふふ、君は相変わらず私の前に来ると堅苦しくなるな。学院にいる私の教え子たちでさえ、私に対してはもう少しフランクだぞ?」

 ゼルガウストはおどけたように言いながら半眼で笑った。

「はあ……」

 ゼルガウストから発せられる空気に完全に呑まれてしまっているソフィアは嘆息するしかなかった。

「話を戻すが、君があの少年にここまで入れ込む理由は一体、何だい? 差支えがなければ教えてもらいたいのだけれど」

 ゼルガウストは目つきを鋭くすると、フォアグラを慣れた手つきで切り分けていたナイフを脇に置いて尋ねてきた。

「いえ、別に大した理由があるわけではないんです」

 ソフィアは嘘は通じそうにないなと思い、睫毛を揺らしながら言葉を続ける。

「ただ、勇也君は離れて暮らしている私の弟とよく似ていて、それで少し放っておけないと思ってしまっただけです」

 その言葉を聞いたゼルガウストはソフィアの感情をオブラートで包むように微苦笑する。

「君がそんなセンチメンタルなことを言うのは珍しいな。組織の中では君のことを鉄の女と評する者もいるというのに」

 ゼルガウストは軽い言葉とは裏腹に真剣な目をして言った。

「やっぱり、おかしいでしょうか?」

 ソフィアは恥を忍ぶようにして問いかける

「いや、いや。家族を支えにするのは別に悪いことじゃない。ただ、そういう私情はあまり仕事に持ち込んでくれるなよ。命取りになるからな」

 ゼルガウストは抜き身の刃のような声で言って、ソフィアの心を震わせた、

「分かっています」

 ソフィアは眦を決するように言うと、グラスに残っていたワインを一気に飲み干す。

「なら良い。にしても、柊勇也君の戦い振りは素晴らしいものがあったし、あの力は是非とも我が組織のために役立たせてもらいたいものだよ」

 ゼルガウストは宝石よりも美しい青い瞳を剣呑に輝かせると、近くにいたウェイターを呼んでワインのお代わりをした。

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