エピソード38 明かされた正体
〈エピソード38 明かされた正体〉
「見事な一撃だった……」
ヴァルムガンドルは大きな血塊を吐き出しながら、殺気が跡形もなく消え失せた清廉な顔で笑った。
「ああ」
勇也も憐憫を込めたような目で倒れて動けなくなったヴァルムガンドルを見下ろす。
羅刹神の時と同じように敵を打ち倒した高揚感は全くなかった。
むしろ、相手はこちらの命を容赦なく奪いにきた悪魔だというのに、罪悪感すら湧き上がっていた。
やはり、自分は甘い感情とは縁を切れないようだ。
現に一歩間違えば、地を舐めていたのは自分だったかもしれないし、ヴァルムガンドルの姿はもしもの自分の姿でもあるのだ。
それだけに、これが戦いを至上の喜びとし、最後まで誇り高き武人であり続けた悪魔の末路かとも思うと心の痛みはより一層、強いものになった。
勇也はヴァルムガンドルから視線を外すことができずに、何とも言えない虚しさが心の中で木霊するのを感じる。
一方、勇也の視線を倒れながらも傲然と受け止めていたヴァルムガンドルは悪魔の底意地を見せるように居直りの笑みを浮かべる。
それを見て、勇也はまだ奥の手があるのかと訝った。
「確かに此度の戦いは吾輩の完敗のようだ。だが、吾輩がその気になれば魔界の十二軍団をこの町に呼び寄せることも可能なのだぞ。それは分かっているのだろうな?」
ヴァルムガンドルの示威を感じさせるような言葉は、強がりでも何でもなくただの事実なのだろう。
その言葉の意味を咀嚼した勇也も新たな脅威の到来に打ち震えそうになる。
やはり、戦いは新たな戦いを呼ぶのが宿命か。
せっかく、この町の平和を守れたと思ったのに、また誰も報われないような戦いが始まるというのか。
そんなことが、あって良いのか……。
そう観念にも似た気持ちで思ったその時、予想だにしていなかった者たちの声が差し挟まれる。
「ならば、我々もこの町を守るために戦うことにしましょう」
そう声を発したのは、いつぞや、イリアに羅刹組と真理の探究者の抗争を止めるように嘆願してきた狸の神だった。
いや、そこにいたのは狸の神だけではなかった。
何と自分たちが打ち倒した羅刹神やエル・トーラーもいたし、イリアが挨拶回りをした時に出会った神たちも勢揃いしていた。
他にも魑魅魍魎とした者たちがたくさんいる。
体を巡る神気の影響なのか、今の勇也は千里の眼鏡をかけなくても数えきれないくらい集まった大勢の神たちの姿を視認することができた。
それは未だかつてないほど勇也の心を勇気づける。
みんな、駆けつけてくれたのか!
「良く頑張ったな、小僧。さすが俺様を打ち負かしただけのことはあるぜ。大した戦い振りだった」
あのどうしようもない荒くれ者だった羅刹神が勇也を優しく労うように言って笑った。
「貴方のおかげで、神とはどうあるべきなのか、考え直すことができました。そのことには深く感謝しています」
融通の利かない心の持ち主だったエル・トーラーが意外なほどの寛容さを見せた。
「私もあなたの戦い振りを見て人間もまだまだ捨てたものではないと思えましたぞ。実に立派でした」
狸の神が勇也の健闘を心から称えるように言った。
どうやら、この町の人たちだけでなく、この町の神たちの心も一つに固まったようだ。それが嬉しくて、勇也の瞳に大粒の涙が滲む。
自分を支えてくれていたのは人間だけじゃなかったのかもしれないな。
人間以外の存在から流れてくる神気もあったからこそ、あそこまでの力を出せたのかもしれないし。
なら、この町にいる全ての心ある存在に感謝だ。
「貴様たちは……」
ヴァルムガンドルは刮目するように目を見開いた。その視線を受け、狸の神が意気軒昂とばかりに口を開く。
「我々はこの地で生まれた神。この地に住む者たちに災いを運んで来るというのなら、例え創造神に作られた悪魔が相手でも毅然とした態度で立ち向かいますぞ」
狸の神はでっぷりとした腹を大きく突き出しながら言った。
「その通りだ。この町を裏から支えづけてきた羅刹組の長として、お前らの好きなようにはさせないぜ」
羅刹神は棍棒をグルグルと振り回したし、今にも倒れているヴァルムガンドルに殴りかからんばかりの勢いだ。
「もはや、法など関係ありません。私はどうあってもこの町に住む者たちを守りたいのです。そのためなら、法など投げ捨てて貴方たちと戦います」
エル・トーラーは手にしていた本を開くと、いつでも魔法を放てる態勢を取った。
「そうだ! この町をお前たちのような悪魔の好きにさせてたまるか! 俺たちだってこの町のために戦えるんだ!」
魑魅魍魎とした者たちが口々に声を上げた。
それを受け、ヴァルムガンドルの顔が忌々しさに染まる。ぽっと出の神たちの強気な態度に腹が据えかねる思いがあったのだろう。
だから、何とかして、無様な態勢から立ち直ろうとする。
「お、おのれ……。お前たちのような半端物の神が粋がりおって。お前たち如きの力が幾ら集まろうと、魔界の軍勢を止めることなどできるものか!」
そう怒り心頭に発したような顔をすると、ヴァルムガンドルは口から血を溢れさせながらも、残っていた気勢を振り絞って立ち上がろうとした。
その双眸にはまだ強い闘争心が宿っている。
それを見て、勇也は不器用なのはお前も同じじゃないかと叫びたくなった。もう立ち上がらないでくれとも頼みたくなる。
でないと、俺は……。
勇也は歯を噛みしめながら、剣を握る手の力を強める。
あくまで戦う意思を捨てないというのなら、自分はヴァルムガンドルに止めを刺さなければならない。
それは正々堂々とした勝負をしてくれたヴァルムガンドルへの深い負い目になるだろう。
敗者に鞭を打つような真似はできればしたくない。
そんなことをしても、得るものは何もないのだから尚更だ。
が、最後まで悪魔の意地を貫き通すというのなら、それも仕方がない。
ヴァルムガンドルは大剣を杖のように使い体を支える。それから、最後の抵抗を見せるように剣を振り翳す。
弱々しいオーラが大剣の刀身を紫色に輝かせる。
それを受け、勇也もヴァルムガンドルに止めを刺すべく、胸が張り裂けるような思いで草薙の剣を構え直す。
その目には悪魔に向ける反応としては似つかわしくない悲しみの涙が溢れていた。
やっぱり、俺にはこの悪魔を殺すことは……。
そんな葛藤が勇也の心を掻き乱し、それを見ていたヴァルムガンドルは自らの死を穏やかに受け入れるようにフッと笑う。
その眼差しは、先程まで命のやり取りをしていた悪魔とは思えないほど優しげだった。
そして、自ら死に場所を求めるようにヴァルムガンドルが剣を振り下ろして光の塊を放とうとしたまさにその時。
ヴァルムガンドルの行動を思い留まらせるような声がやんわりと発せられる。
「……もう良い、ヴァルムガンドル」
その声に縫いつけられるような形でヴァルムガンドルは体の動きをピタリと止める。勇也も剣を構えたまま静止した。
場の空気が急な冷気に晒されたかのように凍結する。
それは時間さえ止まったかのような錯覚を起こさせるほどの変化で、そこにいた誰もが微動だにすることができなかった。
そして、そんな空気を作り出したのは、背景から浮かび上がるようにして現れ、ヴァルムガンドルに諫めの声をかけた一人の人間の姿をした男だった。
しかも、その男は勇也とイリアに道を尋ね、またモニュメントを破壊する必要性を示唆したあの外国人の男でもあった。
男は今まで会った時と同じのようにローブを羽織り、フードを目深に被っている。だが、暑さはまるで感じてないようだった。
それから、ヴァルムガンドルの傍らまでゆったりとした足取りで近づくと、男は不意に顔を隠すようなフードを取る。
その露になった顔を見ると、ヴァルムガンドルは今までの態度からは考えられないような取り乱した顔で仰天の声を上げた。
「貴方は、邪神ヴァルムナート様ではないですか! なぜこんなところに!」
ヴァルムガンドルは血相を変えたような顔で言った。
これには勇也の体にも薄ら寒いものが走ったが、ヴァルムナートと呼ばれた男の顔は新たな戦いの幕開けを予感させるようなものではなかった。
むしろ、戦いの終わりを象徴しているような静粛な空気を漂わせている。
「魔界でも屈指の武闘派であったお前が、随分と手酷くやられたものだな、ヴァルムガンドル。それもただの人間の少年に」
男は穏健さを感じさせつつ、微苦笑する。それを見て、我に返ったようなヴァルムガンドルは気恥ずかしそうな顔を形作る。
「人間の力を侮りすぎました。やはり、前に貴方が言っていた通り、人間という生き物には無限の可能性が秘められているようです」
ヴァルムガンドルは平身低頭といった感じの態度で応えた。
「それが理解できたのであれば、何よりだ」
男はおおらかさを見せるように言った。
「はい」
ヴァルムガンドルは恐縮したように頷いた。
その主従の関係を窺わせるやり取りを見て、勇也は山積もりになった疑念を晴らすように尋ねる。
「あんたは一体、何者なんだ?」
ヴァルムガンドルをあそこまで唯々諾々とさせられるのは余程の存在である証だ。
それだけに、抑えきれない好奇心が湧き上がってくるのを感じるし、男が何者なのかは今一度、はっきりと問い質さなければならないだろう。
「私はヴァルムナート。創造神ゼオルナートに従えなくなった者たちが集う魔界を治める神だ」
男、いや、ヴァルムナートは物柔らかな威厳を感じさせるような声で言った。
「あんたが、あの創造神ゼオルナート対を為す神、ヴァルムナートだと言うのか?」
勇也は途方もなく大きな存在を前にしていることに気付くと、戦意が全身から抜けていき、心が委縮してしまいそうになる。
ちなみに、ゼオルナートというのは、ゼオルガイアと呼ばれるこの世界を創った神とされている。
世界的にはマイナーな神ではあるが、ゼオルナートの神話を受け継いできたセインドリクス人からの信仰心は極めて強い。
対する邪神ヴァルムナートはセインドリクス公国の裏世界では、権威の象徴のような存在になっている。
その上、欧州にある数多くの魔術組織の設立にも携わっていると聞いているし、オカルトの世界ではかなり有名な神だ。
あのダーク・エイジのトップも実はヴァルムナートなのではないかと囁かれているほどだし。
それだけに、ダーク・エイジの組織とヴァルムナートが共にこんな極東の島国にいることが、その話の信憑性を高めていると言えた。
「意外かな?」
ヴァルムナートは勇也の緊張を解すように柔和に笑いかけた。
「ああ。もっと怖い奴だと思っていた。でも、どうして俺とイリアにモニュメントに隠されていた仕掛けを教えてくれたんだ? あんたはヴァルムガンドルの側に立つ存在だろ?」
その点は勇也としても釈然としなかった。
ヴァルムナートの助言がなければ、モニュメントの仕掛けに気付くのはずっと後のことになっていただろうから。
それを考えるとヴァルムナートはヴァルムガンドルの主人ではあっても、今回の件の黒幕ではないのだろう。
なら、剣を向けて戦う理由はない。
「魔界の勢力も一枚岩ではないということだ。私の意向に反した形で動いてしまう悪魔もたくさんいる。そういう者たちだからこそ、万物の父とも言えるゼオルナートに反抗して悪魔の烙印を押されてしまったのだからな」
ヴァルムナートは面目なさそうに笑いながら言った。
「そうか……」
勇也はどんな言葉を返して良いのか分からなくなり二の句が継げなくなる。
下僕の監督くらい責任を持ってやってくれよと言いたくはなったが、さすがにそんな本音は押し殺した。
ここで波風を立てても良いことはない。
「そもそも、この町を神が頻繁に生まれるような地にしたのは、誕生した多くの神たちを創造神と戦うための兵にしたかったからだ。今、魔界はより多くの兵を必要としている」
ヴァルムナートは滔々とこれまでの経緯を語り始めた。
「だが、今回の計画はいかんせん実験性の強いやり方だったので、どんなトラブルが起きるかは予想がつかなかった」
この町は悪魔たちの実験場となっていたのか。
もし、悪魔たちの企みを放置していたらどうなっていたか、考えるだけで背筋が凍りつきそうになる。
「そして、思っていた以上に問題が大きくなり始めたので、私もこの実験染みた試みを止めることにしたのだよ」
もっと早く止めてくれていたら、死人は出なかったかもしれない。今更、言っても遅いことではあるが。
「もっとも、この計画の指揮を執っていた悪竜公ジャハガンドラと一部の悪魔は、私の言葉に逆らって計画を止めようとはしなかったがな」
自分たちの支配者の言葉にも反抗してしまうのが悪魔の性か。やっぱり、悪魔なんてろくなもんじゃないなと思うのは性急だろうか。
「そんなことのために……」
ヴァルムナートや悪魔たちにとっては大きなことなのかもしれないが、ただの人間であった勇也には事の重要性が今一つ実感できなかった。
そんな感情を見抜いたのか、ヴァルムナートは話の矛先を変えるようにイリアの方をちらりと一瞥する。
「ついでに言っておくが、イリア・アルサントリスの銅像を寄贈したのはこの私だ。あれはただの銅像ではなく、彼女が神として顕現する際に強力な依り代となるゴーレムだったのだ。そのゴーレムも素材はモニュメントと同じで、より多くの神気を集められるようにしておいた」
ヴァルムナートはとびっきりの悪戯話でも聞かせるように言った。
それを受け、今まで話に加わろうとしなかったイリアが、全てを理解したような面貌で口を開く。
「……私が、ゴーレム。道理で霊体になれなかったはずです。私は依り代に大きく依存する形で顕現してしまったというわけですね」
勇也は特に追求しなかったが、イリアは自分が他の神たちのように霊体になれなかったことをずっと不審に思っていたに違いない。
神のことについては、それなりに熱心に勉強していた自分も、そのことについては考えが及ばなかった。
でも、それならネコマタがイリアに悪魔に近い性質を感じると言ったのももっともだ。何せ、魔界の支配者の手によって作られた像を依り代としていたのだから。
武弘がイリアの顔の造形がセインドリクス人に似ていると言ったのも、セインドリクス公国の神話に出てくる神が作った像だったからだろう。
イリアは数々の謎が紐解けて、ようやく得心がいったような顔をした。
「そういうことだ。あと、アルサントリスの名前を使わせたのも私だ。私は日本のカルチャーが大好きで、そこの少年がSNSに乗せていた絵にも、一角ならぬ興味を持っていたのだ。だから、少年には私が紹介した名前を使うようネットを通じてデジタル式の暗示をかけた」
ヴァルムナートはイリアの剣の切っ先のような鋭利な視線を受けると柔らかく顎を引く。
「興味があったというだけで、そこまでのことをしたんですか?」
イリアでなくても重箱の隅を突っつきたくなることだろう。ただの余興にしては、少々、度が過ぎるようにも思えたし。
「……違う。少年が描いた君の絵が、私の娘によく似ていたからだ。もっとも、娘の面影を強く感じさせるような絵を描かせたのはこの私だがな。そうだろ、ユウヤ君」
勇也は自分の名前を呼ばれて、脳裏にある答えが過るのを感じた。
「あなたはもしかして、ヴァンルフトさんですか?」
名前はともかく、イリアの外見にまで口を出せたのはヴァンルフトさんだけだ。
他の人物は考えられない。
「その通り。ネットの有志と協力してご当地アイドルを創ろうとしていた君にはよくアドバイスをしてあげたな。おかげで、私の理想としていた女神を生み出すことができたよ」
ヴァルムナートは甘美さすら感じさせるような笑みを浮かべた。
「俺は知らず知らずの内に自分ではなく、あなたの理想とするイリアを創らされていたというわけですか……」
アルサントリスの名前だけでなく、イリアの外見を描く際もヴァルムナートの暗示にかかっていたのかもしれない。
そこまで考えなければ、説明が付かないことが多すぎる。
一方、ヴァルムナートはどこか哀切さを感じているような表情で口を開く。
「そもそも、アルサントリスというのは列記とした女神の名前であり、その女神は私の義理の娘でもあるのだ。娘はもうこの世界から消えてしまったが、それでも彼女の名前を忘れたことは一時もないし、私が設立した魔術学校にもその名前を当てがわせてもらった」
ヴァンルフトさんが言っていた自分の学校というのはアルサントリス魔術学校のことだったのだ。
同じく魔術を教えているブリダンティア学院の姉妹校というのは、魔術の世界では比肩すると言われていたアルサントリス魔術学校のことに違いない。
ようやく話が繋がった。
ヴァルムナートは過去を回想しているような目で更に言葉を続ける。
「だからこそ、実体がないとはいえ、自分の娘の名を冠した女神が異国の町で奮闘しているのを見れば、何かしてやりたくなるのが人情というものだろう? 私が手ずから君の銅像を作ったのはそれが理由だよ」
ヴァルムナートはそう饒舌に言った。
イリアの誕生にヴァルムナートがここまで深く関わっていたとは思わなかったし、まるで釈迦の掌の上で踊らされていたような気分だ。
武則も教えてくれたアルサントリスの名前がこんな意味合いを持つようになろうとは。
これが因果というやつか。
「ッ……!」
イリアはヴァルムナートの砕けたような言葉を聞くと、やり場のないような顔をして下唇を噛む。
自分の誕生を弄ばれたような気持ちになってしまったのだろう。他の者には分からなくてもイリアの生みの親である勇也だけは、それが分かった。
ヴァルムナートはそんなイリアの様子をどこか満悦したような顔で見る。
「君さえ良ければ、無試験でアルサントリス魔術学校への入学を許可しよう。もちろん、君の主であるユウヤ君が一緒でも構わない。君たちに対して、学校の門戸が常に開かれていることは、しっかりと憶えておいて欲しい」
ヴァルムナートはそこまで言うと、一転して自らが纏う空気を変質させるや、改まったような態度で口を開く。
「さて、話を戻すが、創造神ゼオルナートが最後の審判を起こせば全ての異教の神や悪魔、それを芳信する人間たちは滅ぼされることになる。また世界は以前の姿を完全に失い、あらゆるものが一変することになるだろう」
ヴァルムナートは実直な声で、この場に集まった全て者たちに向かって声高に言い聞かせる。
「このような事態を起こしておきながら、こんなことを頼むのは心苦しいが、ゼオルナートの暴挙を食い止めるために力を貸してくれないか、この町の神たちよ」
ヴァルムナートは魔界の支配者という立場を嵩にかけることなく、腰を低くして頼んだ。ヴァルムナートがこれほど誠実な人格者だったとは……。
世界の支配者の座を簒奪したいからゼオルナートに挑む、といわけではないようだし、やっぱり、名は体を表すというのは嘘だな。
大切なのはその存在が持つ本質だ。
結局、名前なんて、記号以上の意味合いは持てないのだ。
それを受け、最初に口火を切ったのはやはりイリアだ。
「他の方々はどうかは知りませんが、私はお断りします。あなたたち悪魔のしたことで傷ついたり死んだりした人たちがいるんです。こんなやり方で神を生み出したあなたたちに協力する気には到底なれません」
イリアは八面玲瓏とした顔をすると、翻意するような様子は見せずに、きっぱりと言った。
他の神たちも異口同音にイリアと同じような言葉を発してヴァルムナートの切実とも言える頼みを跳ねつける。
ヴァルムナートに従うような姿勢を見せた者は、ただの一人もいなかった。
もちろん、神の如き力を得た勇也も心はみんなと同じだった。
ただ、ヴァルムナートの言葉を頭ごなしに拒絶することはできない。世界の終わりが来るというのは他人ごとでは済まされないからだ。
故に誰かが立ち向かわなければならないのだが、今の自分にそれを為すだけの力はないように思える。
そんなイリアや神たちの反応を見たヴァルムナートは目を伏せると、背負っていた重い荷を下ろしたように笑う。
「やはりそうなるか。だが、それも良いだろう。ただし、審判の日はお前たちが思っている以上に間近にまで迫っている。この世の終わりが訪れる前に、お前たちも自分の身の振り方というものをよく考えておくのだな」
寛容さを見せるヴァルムナートが発した虚飾のない言葉に勇也も慄然とする。そして、それは他の神たちも同様のようだった。
「ゆくぞ、ヴァルムガンドル」
動けないでいたヴァルムガンドルに、そう臣従させるような声を投げかけると、ヴァルムナートは身を翻して勇也たちに背を向ける。
それから、自分の姿を黒い霧とともに霞ませるとスーッと背景に溶け込むようにして消えた。
「は、はい!」
勇也たちが話している間に自分の体を少しは治癒させることができたのか、ヴァルムガンドルも危なげな足取りで立つと、現れた時と似たような感じで、その姿を消失させた。
残された勇也はヴァルムナートが言い残した言葉の意味を反芻しながら、沈黙が支配するその場に静かに佇んだ。




