エピソード37 奇跡
〈エピソード37 奇跡〉
勇也とヴァルムガンドルは互いに満身創痍の体になっていた。
それでも、勇也は自分の命そのものを燃やし尽くすような動きで自らの剣を縦横無尽に閃かせる。
もう自分の体がいつ壊れようと構わなかった。
ただ、目の前の敵に打ち勝ちたい。
眼前に聳え立つ巨大な壁を乗り越えたい。
その強い思いだけが、ボロボロになった勇也の体を突き動かし、押し寄せて来る死線を超えさせていた。
が、現実とはいつの世でも無情なもので、ついに草薙の剣の刀身に罅が入ってしまった。それを目の当たりにした勇也は思わずぎょっとしてしまう。
金甌無欠かと思われていた草薙の剣だったが、やはりヴァルムガンドルの剛剣を受け止め続けるのは無理があったらしい。
とうとう限界というものが来てしまったのだ。
これ以上、ヴァルムガンドルの斬撃を受け止めたら草薙の剣が砕けてしまう。それは草薙の剣の死を意味するはずだ。
そう迷いが生じた瞬間、すかさずヴァルムガンドルの大剣が真横から勇也の体へと暴風を絡め捕りながら叩きつけられた。
勇也はそれを反射的に受け止めたが、草薙の剣の刀身が更に蜘蛛の巣のような複雑な形に罅割れて、破片が零れ落ちた。
それを好機と見て取ったのか、ヴァルムガンドルの斬撃はここぞとばかりに烈火の如き勢いで勇也の体に叩きつけられる。
それも幾度も執拗に。
そして、その斬撃を防ぐ度に、草薙の剣から次々と破片が零れ落ちていく。それでも草薙の剣が砕け散らないのは、本当に悪い夢でも見せられているかのようだった。
勇也は直視を避けたくなるほどボロボロになった草薙の剣を見る。草薙の剣は苦しみに耐えられなくなったような呻き声を漏らしていた。
その声は補聴器を着けていない勇也の耳にも明瞭に届いていて、あまりにも痛ましかった。
今までずっと黙って力を貸してくれた相棒の草薙の剣が死に瀕した声を発している。それでも、助けて欲しいなどとは絶対に言わない。
ただ、ただ、痛みと苦しみに身悶えている。
最後の最後まで、俺を支え続けるために……。
勇也は残酷なまでに斬撃を叩きつけてくるヴァルムガンドルに向かって、もう止めてくれと懇願したくなった。
自分が傷つくのは幾らでも耐えられる。
それこそ死んだって文句は言わない。
だが、草薙の剣は自分の無謀とも言える戦いに付き合わされているだけなのだ。草薙の剣には何の非もない。
もちろん、そんな悲愴な思いはヴァルムガンドルには全く届かない。今やヴァルムガンドルは勇也ではなく草薙の剣を標的にするように剣を振るっている。
それを卑劣だと罵れるだけの筋合いは勇也にはない。どんな戦いであろうと受けて立って見せたのは、自分なのだから。
そこに草薙の剣に対する配慮は全くなかった。
そのツケが今、回ってきている。
既に草薙の剣の刀身の身幅は九割以上が失われていた。薄皮一枚のところで、剣としての形を保っていると言っても過言ではない。
それを見て勇也はここまでかと無念そうな顔をした。
草薙の剣は良くやってくれた。足りなかったのは自分の力と考えだ。
ただの人間の自分が身の丈に合わない戦いに臨んでしまったことが草薙の剣をここまで追い込んでしまった。
草薙の剣は身体能力だけでなく精神面も支えてくれているというのに、すっかり、自分一人で戦っていると思い込んでしまった。
それは本当に愚かな錯覚に等しい。
その代償がボロボロになった草薙の剣の姿だ。その現実から、これ以上、目を逸らすことはできない。
なんて馬鹿な奴なんだ、俺は……。
もう自分の身勝手な我が儘で、草薙の剣を痛めつけるのはよそう。ちゃんと心と意志を持っている草薙の剣を死なせるわけにはいかない。
これはけじめだし、次のヴァルムガンドルの一撃で、自分の命を終わりにしよう。
イリアには本当に悪いと思っているが、これが自分の運命だったんだ。
だけど、後悔はない。
心は不思議なほど晴れやかだったから。
どうせ死ぬならこんな気持ちのまま死にたいものだし、戦いを途中で放棄するなんて無責任だと言われても、その非難は甘んじて受けよう。
そう全てを投げ出したくなるような気持ちに支配された瞬間、奇跡など信じていなかった勇也の身に驚くべきことが起きた。
自分の体から未だかつて経験したことがないような力がまるで火山が噴火でもするかのように湧き上がってきたからだ。
体がとんでもなく熱いし、全身を流れる血液はマグマのように沸騰している。
この体が破裂するかのような熱さは一体、何だ!
一方、そんなことは知らないヴァルムガンドルは勇也の表情の変化などに構うことなく、長かった戦いに終止符を打つような斬撃で勇也の首を跳ねてしまおうとした。
が、その斬撃を勇也は見えない力に突き動かされながら確かな手応えとともに弾き返していた。
また、草薙の剣から破片が飛び散ったが、気にすることはできなかった。
なぜなら、いつの間にか自分の体からまるで太陽の日照を凝縮したかのような光が放たれていたからだ。
その上、幻聴としか思えないのだが、どこからともなく「頑張れ、勇也ーーー! 負けるな、勇也ーーー!」という声が聞こえてくる。
だが、この場にはそんな声を発することができる人間はいない。それでも、しっかりと聞こえてくるのだ。
この燃え滾るような体の熱さ。聞こえてくる魂を揺さぶるような声。
そして、自分の体から発せられる救いの御手のような光を見て、勇也も自分の感情が爆発するのを感じる。
まさか、これは!
☆★☆
二十八歳の会社員の男性が「上八木市のみんな、頼む! あいつを応援してやってくれ! 誰かのために必死に命を張れるあいつに力を届けてやってくれ!」と燃え上がるような思いの丈をぶつける。
十九歳の男子大学生が「そうだよ、あの町の人間の心次第で勇也は強くなれるんだろ! なら、あいつを絶対に死なせないでくれ!」と心の痛みを言葉に変えて懸命に訴える。
秋葉原の町をこよなく愛するオタクの男性が「僕からも頼むよ。理屈なんてどうでも良い! 彼にはこの戦いに負けてもらいたくないんだ! 僕のように現実の戦いから逃げて欲しくないんだ!」と溢れてくる涙を手の甲で何度も拭いながら叫ぶ。
高校中退の虐められニートの少年が「頼むよ……。俺みたいに毒を吐きまくっていた奴がこんなことを頼むのはおこがましいって分かってる! でも、俺はあいつを自分みたいな負け犬にさせたくないんだ! 本気で勝たせてやりたいんだ! だから頼むっ!」と言って、今までの行いを懺悔するように深く頭を下げる。
小学生の少年が「お願い! みんなの応援する気持ちを勇也君に届けてあげて! そうすれば、どうにかできるんでしょ!」とはち切れんばかりの思いを言葉に乗せる。
ファミレスで働いているアルバイターの男性が「あんなにボロボロになってでも、自分の町を守ろうとするなんて、まるで正義のヒーローじゃないか! ああいう奴がいてくれるからこそ、俺のような底辺の人間も希望を失わずに頑張れるんだよ! だから、絶対に勝たせてやってくれ!」と熱い気持ちを託すように捲し立てる。
アイドルの追っかけフリーターの男性が「俺は本当に応援すべき人間を見誤ってたみたいだ。ああいう本物の漢こそ、どこまでも追いかけて行って応援しなきゃならなかったんだ! それはみんなにも、もう分かっているはずだろ? なら、思いっきり応援の声を上げてくれ!」と何かを悟ったような顔で泣き笑う。
メイド喫茶で店長を務めている男性が「ああいう奴の姿をもっと早く見たかった! そうすれば、俺も絶対に別の道を選んでいた! もし、あいつが勝つことができたら、俺も自分の故郷に戻って一からやり直せる気がする。上八木市のみんなもあいつが必死に進もうとしている道を光で照らしてやってくれ! じゃなきゃ一生後悔することになるぞ!」と抑えきれない感情を目に滲む涙とともに噴き上がらせる。
いつもは普通の女子中学生でたまにコスプレイヤーに変身する少女が「みんな、お願い! 今こそ本当の応援をあの男の子の元に届けてあげて! 私の大好きなイリアちゃんを本当の意味で助けてあげて! みんなの思いが一つになれば、できないことなんてないって私は信じてる! だから、みんな、今こそ本当の力を貸してっ!」と込み上げてくる嗚咽を堪えながら神への祈りにも似た叫びを上げる。
☆★☆
「頑張れぇぇぇぇぇーーーーー! 勇也ぁぁぁぁぁーーーーー! 負けるなぁぁぁぁぁーーーーー! 勇也ぁぁぁぁぁーーーーー! お前は一人じゃないぞぉぉぉぉぉーーーーー! みんなついているぞぉぉぉぉぉーーーーー!」
街頭のテレビの前に集まっていた人々はかつてない熱狂の渦を作り出していた。
彼らの勇也への熱く、思いやりが籠った声援は空を突き抜け、天上の世界にも届かんばかりの勢いだった。
いつもはバラバラに散らばっているはずの上八木市の住民たちの心も、この時ばかりは完全に一つになっていた。
そんな上八木市の住民たちの応援は巨大なうねりとなって勇也の体に大量の神気を注ぎ込む。
それは到底、人の身で受け止められるようなものではなかったが、それでも勇也は神気に関する定説など打ち破るように耐えて見せた。
暴れるような膨大な神気を捻じ伏せ、見事、己のものにして見せた。
今の勇也は上八木市だけでなく、ネットを通じて集まってくる世界中の人々の思いも一身に背負っていた。
そして、再び全てを賭けた戦いが始まろうとしていた。
☆★☆
勇也の体から発せられていた強い光は、薄い膜のようになって勇也の体を包み込む。
すると、あれほど自分を苛んでいた体の傷が立ちどころに癒えていき、失われかけていた気力も元に戻るのを感じた。
胸にも万感の思いが込み上げていて、それが涙となって勇也の頬に零れ落ちた。それを拭うことなく、勇也はただ真っ直ぐ前を向く。
今度こそ、迷いは吹っ切れた。
勇也は最後の攻防に望むべく、己の限界を超越して見せるようにありったけの力を込めて剣を構える。
いつの間にか草薙の剣の刀身からは罅割れが嘘のように消え、元の綺麗な刀身に戻っていたが、それを不思議には思わなかった。
イリアの時と同じように、この町の住民たちが力を届けてくれたのだ。それが分からないほど自分は愚鈍ではない。
はっきり言えることは、自分はまだ戦えるということだ。
自分から進んで戦いに臨んだというのに、それを途中で投げ出そうとするなんて情けないにもほどがある。
でも、人間の心なんてそんなものかもしれない。
自分はネコマタが死んだ時に一歩も前に進めないような人間になっちまうと言った。だから、一人で戦うことを選んだ。
それでも、自分は目に見えないところで色々な人たちの思いに支えられていた。彼らに支えられなければ、それこそ一歩も前になんて進めなかったのだ。
人は必ず誰かの大切な思いを背負って生きている。
それを、耐え難い苦痛を感じつつも何も言わずに死のうとしていた草薙の剣が教えてくれた。それを、この町のたくさんの人たちの神気に教えられた。
戦おう! 一人ではなくみんなと一緒に戦うんだ! それは決して恥じゃないし、間違ってもいない!
「人の身でありながら、これほどの神気を纏うとは……。大したものだと言いたいが、そのままでは魔力との反発で自分の体が弾け飛ぶぞ!」
ヴァルムガンドルの言う通り、今の勇也の体は少しでも力のコントロールを間違えようものなら一瞬にしてバラバラになってしまうだろう。
神気と魔力が反発する性質があることは勇也もちゃんと憶えていたし、それがあるからこそ人間が神になることは容易ではないということも身に染みて理解している。
だからこそ、普通に考えるなら、この戦いが終われば自分は死ぬか廃人になるかのどちらかの未来しかないだろう。
それが怖くないと言ったら嘘になる。
羅刹神との戦いの反動でさえ、あれほどのものだったのだ。なら、今度の戦いで無理に無理を重ねた反動がどれほどのものか、想像するに余りある。
けれども、みんなの思いが詰まったこの力を捨てる気は毛頭ない。
むしろ、この力でこそ勝って見せたいという気持ちが恐れを大きく上回っている。
きっと自分は大丈夫だ。
根拠なんてないけど、大丈夫だ。
こんなにも心を温かくしている力が自分を殺してしまうはずがない。
そして、神にはなれなくても神のような力を振るうことはできる。その力を振るえば、きっと目の前の悪魔を打ち倒すことができる。
それが自分に力を与えてくれた者たちに報いるということだ。
この力、絶対に無駄にするわけにはいかない!
「お前を倒せるなら、それでも構わないさ」
勇也はここぞとばかりに不敵に笑った。
「何だと?」
ヴァルムガンドルの目に強い揺らぎが生まれる。
「そもそも俺もお前も自分の体のことを気遣っている余裕なんてないはずだろ? 少なくとも、俺はこの戦いに勝つためなら何にでもなってやるつもりだ。だから、迷わずに自分の全てを燃やし尽くす!」
みんなの思いに応えるためにも、今こそ本当の力を見せる時だ! そして、この町のみんなが享受する平和を守って見せる!
そう自らを奮い立たせると心の方も不思議なくらい落ち着いてきたし、ヴァルムガンドルの威喝するような言葉にも打ち負かされなくなる。
であれば、今はただ目の前の戦いに集中するのみだ。
「フッ、不器用な男だ。だが、そういうところは吾輩も嫌いではない。どのような結果になるにせよ、お前のような男と戦えたことを誇りに思うぞ!」
そう言うと、ヴァルムガンドルは片腕ではあるものの川のせせらぎのような洗練された動作で剣を構える。
その構えからは付け込むことができるような隙は全く見出せない。
今のヴァルムガンドルは肩腕でも死角はなかったし、大剣が纏う膨張したようなオーラも今までで一番大きかった。
次の立ち合いで確実に勝負は決まる……。
それを意識すると武者震いがしたし、絶対に勝たなければならないという思いもより強くなる。
勇也は雑念を捨てて体の全神経を極限まで研ぎ澄ます。自分の全てを燃やし尽くす覚悟は完全に固まっている。
この戦いに、悔いは決して残しはしない!
「なら、今度こそ決着を」
そう厳かに言うと、勇也は神気を得て復活し、更なる鋭さを増したような草薙の剣の切っ先をヴァルムガンドルに向かって突きつける。
気炎万丈とも言うべき気迫が、その構えからは発せられていた。
「うむ」
ヴァルムガンドルは傷だらけの顔で鷹揚に頷くと、もう言葉は不要とばかりに大地を陥没させるような勢いで複雑に割れた石畳を蹴り上げた。
ヴァルムガンドルの巨体が一陣の突風と化し、二人の間にあった距離が一瞬にして消え去る。
と、同時に大剣による渾身の力を込めたような斬撃が勇也の体を一刀両断にすべく斜めから襲い掛かった。
その斬撃を勇也は今までの攻防からは考えられないくらい容易く弾き返す。
神気が隅々まで行き渡っている体は勇也に驚異的とも言える腕力を与えていた。
今や両者の腕力は全くの互角だった。
ヴァルムガンドルは退くことなく、身魂を投げ打つような動きで幾重にも斬撃を繰り出してくる。
が、その全てを勇也は見切り、超絶した動きで完璧に捌ききった。
ヴァルムガンドルは折れていたはずの腕も使って両手で大剣を握る。すると、守りを完全に忘れたかのような捨て身の攻撃を繰り出してくる。
太刀風が竜巻のように吹き荒れ、勇也の体を右へ左へと押しやり、バランスを崩そうとする。
そして、勇也の動きに微かな停滞が生じると、ヴァルムガンドルはこの世にある全てのものを断ち切るような、凄絶な旋風を纏った振り下ろしをお見舞いしてきた。
まさに乾坤一擲の一撃!
それに対し、勇也はヴァルムガンドルの振り下ろしを受け流すように俊敏に体を捌く。その際、ヴァルムガンドルと絶妙なタイミングで体が交錯した。
勇也は全ての思いを剣に託すと、疾風迅雷の如き速さでヴァルムガンドルの懐に潜り込む。それから、全身全霊の力を込めて、剣を横一文字に振り抜いた。
「これで、終わりだぁぁぁぁぁーーーーー!」
勇也がそう雄叫びを上げた瞬間、ヴァルムガンドルの逞しくて分厚い胸板は深々と切り裂かれた。
剣尖は心臓すらも切り裂いたような手応えを伝えてきた。
例え悪魔でも間違いなく大きなダメージだ。
結果、大量の鮮血がヴァルムガンドルの体から噴き上がり、比類なき屈強さを誇ったヴァルムガンドルも、ついに、ついに、力尽きたように倒れた。
ドスンッという音とともにヴァルムガンドルの体が横倒しになる。そして、ヴァルムガンドルの体は痙攣したまま動かなくなった。
最後の攻防が終わりを告げると、辺りが水を打ったかのように静まり返る。聞こえてくるのは倒れているヴァルムガンドルの荒い息遣いだけだ。
勝敗は完全に決した。




