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エピソード30 豪傑の魔王

〈エピソード30 豪傑の魔王〉


 勇也とイリアは町を四角く囲むようにして点在しているモニュメントの前に来ていた。


 石の塊でできたモニュメントはモダンさを臭わせつつも古代の文化を彷彿とさせるような文様が刻まれている。


 それが何ともいえない異国的な情緒を醸し出していて、見ているだけで外国を旅しているような気分にさせられる。


 明らかに日本人のセンスで作られたものではないし、このモニュメントを寄贈した名士が外国人だというのは正しい情報なのだろう。


 とにかく、この文化財に指定しても何らおかしくない物を破壊するというのは抵抗感を一足に飛び越えて罪悪感すら抱かせられる。


 町の人間が何かのご利益を期待するように、モニュメントの前にお菓子を置いたり、花を手向けているのも分かる気がするな。


 このモニュメントからは社にも似た宗教的な神秘さが感じられるし。


 まあ、ここまで来てしまった以上、臆病風に吹かれて何もしないという選択肢はないが。


「ご主人様。そんなに思い詰めたような顔をしなくても大丈夫ですよ。どうせ人間なんて上辺だけしか見ていないような連中ばかりですから」


 イリアも神経質になっているのか、その言葉には棘があったが、それを気にできるような平常心は勇也にはなかった。


 何せ、これから犯罪に問われかねないことをしなければならないのだから。気が重いにもほどがある。


「かもしれない。でも、何事も舐めてかかるのは危険だ。世の中、どこで足を掬われるか分ったもんじゃないからな」


 勇也は善意か悪意か余人には分からないような理由で置かれているモニュメントを凝視する。


 やはり、これをどうにかするのは気が咎めるな。自分も美術部の部員だし、芸術的な物を壊すことには大きな抵抗がある。


「はい。では、このモニュメントを内部破壊しますよ。神気の流れ方を感じ取る限り、このモニュメントの内部に仕掛けがあるのは間違いないようですし、今からそれを狂わせます」


 イリアは滑らかな口調で言うと、モニュメントの表面に白い絹のような肌をした手をそっと置いた。


 すると、イリアの掌から光の洪水が巻き起こり、それはモニュメント全体を包み込む。


 何らかの力が働いていることは明白だったが、勇也は見ていることしかできない。それが無性に歯痒かったが、どんな感情を持とうと何もできないことに変わりはない。


 そのジレンマのようなものが勇也の心を余計にハラハラさせた。


 そして、一分ほど経つとイリアは少しだけ疲労の色がある顔をして、額にかかる金髪をサラッと払った。


「済みましたよ、ご主人様」


 イリアはモニュメントの表面から手を離すと何か大きなことをやり遂げたような清爽とした感じの笑みを浮かべた。


「もう良いのか? モニュメントの表面には罅一つ入ってないし、見たところ何かが壊れたような感じは全くないんだが」


 これで終わりだとするなら、あまりにも呆気ない破壊の仕方だ。


 こんなことなら、あれこれ思い悩む必要はなかったな。案ずるより産むが易しとはこのことだ。


 とにかく、イリアの秘策が何事もなく実って良かった。


「心配しなくても確かに壊れていますよ。もっとも、ご主人様と同じく、このモニュメントの内部を探れる人間はそうはいないでしょうが」


 イリアの発した小心翼々とした気持ちを拭い取るような言葉を聞いて、勇也も肩の荷が下りたような顔をした。


「なら、俺たちの関与が疑われる心配はないってことか?」


 モニュメントはしっかりとカメラで監視されているし、ここにいるのはあまり気持ちの良いものではない。

 こういう場所からは、さっさと退散したいな。


「そこまでの保証はできませんね。ダーク・エイジの人間以外にも私たちを監視している者はいるみたいですから」


 イリアは誰もいない明後日の方角を一瞥した。


「あの外国人の男のことだな。まあ、一般人に気付かれないのなら、それで良い。モニュメントが内部的に壊れていたとしても警察じゃその手段は立証できないだろうからな」


 魔法のような力を使ったなんて誰かが言ったとしても、そいつは笑い者になるだけだ。


 やはり、気を付けるべきなのは、ダーク・エイジの構成員とこの町で跳梁跋扈する人外の存在だ。


 彼らの目がどこで光っているか分からないし、それには十分、気を配らないと。


「はい」


 イリアは明朗快活な感じで返事をする。それから、勇也とイリアは町を囲んでいる残り三つのモニュメントを順調に破壊していった。


 このまま何も起こらずに事が済めば良いんだが、と勇也は祈るような気持ちで思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。


 なぜなら、最後に残ったモニュメントが鎮座する中央広場は何ともおかしなことになっていたからだ。


 勇也は最後の最後でこんな生きた心地もしないような末恐ろしいプレッシャーに晒されるとは予想していなかったので、思わず家に引き返したくなった。


 が、そこは己の胆力というものを最大限に引き出して耐えて見せる。鬼が出るか蛇が出るか、どちらにせよここで逃げたら負けだ。


 そう思った勇也は背負っていたゴルフバッグから、警察などに見つからないように持っていた草薙の剣を取り出す。


 今日も草薙の剣は頼もしくなるような空気を発していたし、とりあえず、草薙の剣を手にしていれば、いきなり危険に晒されるようなこともあるまい。


 そう思ったものの、やはり押し寄せて来るプレッシャーの波は尋常ならざるものがあり、勇也の顔からはへばりつくような汗が噴き出していた。


「今日は日曜日だぞ、イリア。中央広場に誰もいないなんて幾ら何でもおかしすぎるんじゃないのか?」


 誰の姿も見えないのに肌を突き刺すような感覚だけはある。これと近い感覚を感じたのはあの羅刹神との戦いの最中だ。

 しかし、羅刹神の時とは比べ物にならないくらいの威圧感がある。


 心を強くしてくれる草薙の剣の柄をしっかり握っているのにも関わらず怯えてしまいそうになるのだ。


 この中央広場には何かとんでもない化け物がいると勇也は本能にも似た感覚で察知していた。


「ご主人様の言う通りおかしいですし、この広場には何かいますね。どうやら、私たちが来るのは待ち構えられていたみたいです」


 イリアはこんな時だというのに、ある種の喜びを抱いているような好戦的な笑みを浮かべながら言った。


「だとしても、この鬼気迫るようなプレッシャーはただ者じゃないぞ。草薙の剣もビリビリと力に反応してるし」


 羅刹神の時はこんな反応は見られなかった。


 ということは、この威圧感の持ち主は羅刹神以上の力を備えているということだろう。


 自分の力で適うかどうかは全くの未知数だ。


「でも、向こうが人払いの結界を張ってくれているのはありがたいです。それなら、こちらも思う存分、戦うことができますから」


 確かに誰かを巻き込む心配がないというのは助かるな。


 少なくとも、このシチュエーションならこちらも人目を憚ることなく全力で破壊の力を振るうことができる。


 それが通じるかどうかはまた別の話だが。


「結局、最後はこうなるんだよな。世の中ってやつはホント憎らしいくらいに良くできているよ」


 これを最後の戦いにできれば良いと思うが、そんな弱腰な姿勢では逆に自分の命運がここで尽きてしまうことになりかねない。


 そう思えるだけの敵が待ち構えているのだ。気を引き締めてかからなければならない。


「お喋りはここまでです。さあ、行きますよ、ご主人様。二人で力を合わせて、この町の平和を守りましょう!」


 イリアが持ち前のバイタリティーを全開にしたような声を上げると、勇也も勇気を振り絞って人払いの結界を潜り、最後のモニュメントがある方向に歩いていく。


 すると、何もない空間から忽然と浮かび上がるようにして巨人のような怪物が現れた。千里の眼鏡をかけなくても、その裸に近い姿ははっきりと見ることができる。


 羅刹神よりも禍々しい西洋風の鬼の顔をした巨人はイリアと勇也の行く手を塞ぐようにして仁王立ちしていた。


 それを目にすると体の隅々にまで悪寒が走ったし、いつもなら見慣れている中央広場が地獄の窯のように思えてくる。


 巨人の存在は明らかに日頃の現実というものを侵食していた。


 そんな巨人の手には羅刹神の持っていた金属の棍棒を凌駕するような大きさの大剣が握られている。


 あんなもので斬りつけられたらどんなことになるか、想像するだけで全身が発汗しそうになる。


 事実、勇也の背中は脂汗で、びっしょりと濡れていた。


 だからこそ、勇也も恐怖を克服するように草薙の剣の力に全幅の信頼を寄せるようにしているのだが、それでも心が押し負けそうになる。


 やはり、この巨人は今までの敵とは格が違う。


「来たか。待ちわびたぞ、ご両人」


 羅刹神を上回る背丈を持つ巨人は対峙しているだけで、こちらの気力を根扱ぎにするような圧倒的なプレッシャーを浴びせてくる。

 が、それに反して、声の質は穏やかだった。


「あなたは?」


 問いかけたのは、芯の通ったような表情を崩さないイリアだ。


「吾輩はヴァルムガンドル。魔界であるヴァルドランシアの十二軍団の将の一人を務めている者だ。お初にお目にかかりますな、イリア・アルサントリス殿」


 ヴァルムガンドルという名前を聞き、勇也は背筋に冷たすぎる刺激が通り抜けるのを感じた。


 セインドリクス公国に伝わる神話に出てくる悪魔だし、現在でも裏の世界に度々現れては強い影響力を誇示していると聞く。


 おそらくダーク・エイジに関わっている人間なら《豪傑の魔王》の二つ名を持つヴァルムガンドルの名前を知らない者はいないだろう。


 この悪魔に纏わる逸話は枚挙に遑がない。


 とにかく、新興宗教が崇める造花のような神とは存在の重さが違うし、今までの相手とは比較にならないほどの強敵と見て間違いないはずだ。


 故に、それ相応の対応が求められる。


 ……にしても、悪魔のくせに随分と礼儀を弁えているような物言いをするんだな。


 殺気は鬼のような相貌から滲み出ているのに、悪意はまるで感じられない。むしろ、清澄さすら感じる。

 なので、視線の先にいるのは本当に悪魔なのかと疑ってしまった。


「聞くまでもないことだとは思いますが、何が目的でここにいるんですか?」


 勇敢なイリアは不退転の気持ちで臨むかのように問いかけた。


「この広場にあるモニュメントを破壊されるのは吾輩としてはよろしくないことなのだ。だから、こうして阻みに参った」


 ヴァルムガンドルはどこか慇懃さを感じさせる言い方で、そう説明する。


 モニュメントの重要性を隠し立てすることなく教えるなんて、こいつは意外だったよ。


 もっとも、ここで自分やイリアを殺して口を封じれば良いと内心では冷徹な算段をしているのかもしれないが。


「というと、この町を神が頻繁に生まれるような場所にしたのはあなたということですか?」


 悪魔の企みで生み出された特殊な性質なんて絶対にろくな結果を招かないと勇也も思う。現に、そのせいで犠牲になった人もいるし、その事実は無視できない。


「その通りだ。ただ、モニュメントを寄贈したのは吾輩だが、計画の全容を立てたのは同じく十二軍団の将である悪竜公ジャハガンドラだ」


 《悪竜公》の二つ名で呼ばれるジャハガンドラもセインドリクス公国では幅広く知られているメジャーな悪魔だし、本当に悪魔の巣窟である魔界にでも迷い込んだような気分だ。


「私は今からこの広場にあるモニュメントの内部を破壊するつもりです。阻むと言うなら、あなたを打ち倒してでもそれを実行に移しますが」


 イリアは目の前にいるのが、どれだけ強大な力を持つ敵か理解していないかのように言った。


「構わぬよ。もしも、吾輩を倒せたのなら好きにするのがよろしかろう。ただし、今のお前たちの力ではまず間違いなく吾輩は倒せん。それは承知の上だろうな?」


 ヴァルムガンドルの声からはハッタリの空気は感じられない。


 勇也たちの持つ力の分析は極めて客観的なものであり、また事実でもあるのだろう。


 その上で自分が負けるはずないと確信しているのだ。


 力だけでなく頭脳面においても手強い相手だ。


「戦いは水物。死力を尽くして戦えば、どんなに強い相手だって負かすことができる可能性はあります」


 もちろん、その水物で自分が敗北してしまう可能性も多々あるのだが、とにかく、今重要視すべきは持っている力の地力だ。


 それが勝敗を決めると言っても過言ではない。


「その可能性に縋って命を落とすのは愚か者のすることだが、戦うと言うのなら、吾輩から止める言葉はない。思う存分、力を振るわせて頂こう」


 ヴァルムガンドルから発散されるプレッシャーの密度が飛躍的に増した。それを受け、勇也の肌にもささくれ立つような刺激が駆け巡る。


 対峙しているだけで、これほど心が押し拉がれそうになるとは。ここで尻尾を巻いて逃げ帰ることができたらどんなに楽か。


 ま、それはできない相談だが。


「ただし、一度、戦いが始まれば例え何があろうと吾輩の剣が止まることは絶対にないと知れ」


 ヴァルムガンドルは脅迫の味を利かせるように言ったし、それは何があっても勇也たちは必ず殺すという身の毛もよだつような宣言だ。


 こういう斟酌のないところはやはり悪魔だし、自分たちのような人間とは精神的な構造が違う。


「それはこちらも同じことです。相手が豪傑の魔王の異名を取るヴァルムガンドルさんであれば、手加減の必要は全くありませんし、こっちも溜まった鬱憤は吐き出させてもらいますよ」


 イリアはこの掛け値なしの強大な敵を前に、あくまで勝つつもりだった。


 この無鉄砲さは羨ましいが、確かに気持ちで負けていたら勝てる戦いも勝てなくなる。それが戦いの摂理だ。


 なればこそ、戦いを前にして戦意を高めるのは当然のことだ。


 ただ、相手はその戦意を容赦なく挫いてくる。


 こればっかりは心構えだけではどうにもならない。


「そうこなくては、面白くない。では、互いに血沸き肉躍る戦いを心ゆくまで楽しもうではないか」


 そう天に突き抜けるような声で言うと、ヴァルムガンドルは手にしていた大剣、おそらく、あらゆる武器に変化するという魔装ヴァルム・グランバをがっしりと両手で構えて見せる。


 それは一部の隙もない剣の達人の構えだ。


 更にヴァルムガンドルの目には油断のような色は何もなくて、下手な手心は相手に対する侮辱と思っている節さえ感じられる。


 それはまさしく武人の気構えと言えた。


「では、行きますよ。ヴァルムガンドルさん!」


 その合図のような言葉を皮切りに、イリアは掌にいつものステッキを出現させる。


 勇也も自然な動作で鞘の鯉口から草薙の剣を引き抜くと、正中線を意識しながら剣を構えた。


 こうして否応なしに激戦の予感を抱かせる戦いの火蓋は切って下ろされることになった。


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