エピソード29 モニュメントの破壊
〈エピソード29 モニュメントの破壊〉
雲一つない、抜けるような青空が見られる今日この頃。
いつものように勇也が平生と朝食を食べていると、イリアが面と向かって顔を突き合わせるような位置に座る。
すると、たちまち不吉な予感しかしないような空気が食卓に漂うようになる。
イリアの真剣な顔からは並々ならぬ決意のようなものが垣間見えたし、勇也も茶にすることなく真正面からイリアの顔を見据えた。
抜き差しならないような会話が始まる気配が勇也の胃をきつく締め上げる。
朝の爽やかな気分はどこかに吹き飛んでしまったし、口に含むコーヒーも不快に感じられるほど苦くなる。
話なら、せめて朝食を済ませた後にしてくれと言いたかったが、イリアの無垢な光を見せる目はそれを許さない。
天衣無縫なイリアのことだから、こういう時は絶対に厄介なことを切り出してくるに決まっているのだ。
その予感は裏切られたことがなかった。でも、そういった状況になることを拒絶することはできない。
イリアの言うことはいつも正しくて、邪な感情は全く含まれていないから。いつだって、イリアは自分のためではなく、他者のために心と力を尽くす。
その真っ直ぐさが、どう逆立ちしても聖人などにはなれない勇也には眩しくて仕方がなかった。
だからこそ、勇也も混じり気のない透き通るような心でイリアの言葉に耳を傾けようとする。イリアがどんな難題を口にしても、それを受け止める覚悟で。
勇也が心の中で身構えていると、イリアが瞬きすら許してもらえないような厳とした顔で口を開く。
「ご主人様。やっぱり、私、この町のモニュメントを破壊します」
その曇りの払われた目を見るに、悩んだ末での言葉なのだろう。イリアの心の中では既に臍が固まっているに違いない。
が、勇也としてはそれを二つ返事で承諾するわけにはいかなかった。
「あの男が言っていたことを真に受けているのか。モニュメントは三年くらい前に外国の名士から市に寄贈されたものだし、それを壊したりしたら立派な犯罪者だぞ」
イリアが警察に捕まるということはないだろうが、ただの人間であり社会的な立場もある自分はどうなるか分からない。
警察だって馬鹿じゃないし、モニュメントのある場所には監視カメラだってある。その上、寄贈されたモニュメントは全部で五個もあるのだ。
警察や周囲の目を掻い潜りながら全てのモニュメントを破壊するのは至難の業だ。
「それでも構いませんし、犯罪者にならないような秘策はありますから、ご主人様も安心してください」
イリアも考えがあって言っているようだが、それでも不安感は拭えないし、勇也も自分の顔色が急に暗雲が立ち込めるように悪くなっていくのを感じた。
「安心しろ、って言われてもなぁ。これ以上の揉め事は御免だし、第一、モニュメントを破壊して俺たちに得になることはあるのか?」
せっかく、心を休められるような日々が続くと思ったのに、そんなことをしたらまた振出しに戻るような緊張感を強いられてしまう。
正直、胃に穴が開きそうだが、何を言おうとイリアの心は梃子でも変えられないんだろうな。それは短い付き合いだが、よく理解しているつもりだ。
「損得の問題ではありません。この町に頻繁に神が生まれることによって、傷ついたり殺されたりした人たちがいるんです。それを看過することはでません」
確かに、看過できないからこそ、羅刹神とエル・トーラーの抗争には首を突っ込んだのだ。
ただ、あれは母親の身を案じた上での行動だったし神が頻繁に生まれる件ではもう身内に害が及ぶことはないだろう。
そうなると自分が動かなければならない必然性も希薄になる。
自分が正義のヒーローなどにはなれないことは一時的に捕まった警察署での取調室で嫌というほど痛感したし。
あの勇也を一方的に犯罪者に貶めようとするような取り調べは子供心には堪えた。
なので、もうヒーローごっこであんな理不尽な目に遇うのはご免だと勇也も思わされてしまったのだ。
でも、それでは人間として前に進めないことも理解している。
もう一度、赤の他人のために危険を冒せるほどの度量を持てるのかどうか、人間としての真価がこれほど問われることもない気がするな。
「そういうのは然るべき組織に任せてだな……」
勇也は本当に大きな問題が生じるのならダーク・エイジの組織が何とかしてくれると気休めにも似た考えを抱いていた。
「その組織が頼りないからこそ、事件のようなものが起きているんです。私もこの上八木市を代表する神の一人ですし、この町の平和のために何かしたいんです」
イリアは謹厳な態度で言ったし、これには勇也も自分の軽々しい言葉では止められないなと思い、間を置くようにパンに噛り付く。
だが、今はイリアの手作りのジャムが塗られたパンの味を堪能する心の余裕はなかった。それが何とももどかしく感じられる。
「……分かったよ。そういうことなら止められるものでもないし、お前の好きにしたら良い。もちろん、俺も同行する」
責任は取らないなどという他力本願なことを宣うつもりはない。
イリアと自分は一蓮托生のような関係だし、イリアが何か不始末をすれば、それを被ることになるのは自分だ。
それを理解した上で、イリアの好きにさせようと思ったのだから、自分の心も随分と広くなったと思う。
「ありがとうございます。てっきり、真っ向から反対されるものと思っていましたし、ご主人様が物分かりの良い方で助かりました」
イリアの顔がパァッと向日葵のように明るくなった。
この笑顔があるから自分も頑とした態度を保てずに押し切られてしまうんだよなと勇也は苦笑した。
でも、こういう温かな気持ちは大切にしたいと思う。
「その代わり、ソフィアさんの意見も仰ぐぞ。俺たちが独断で動くには不確定要素が多すぎるし、あの人なら適切な助言をしてくれるはずだ」
この手のことで相談を持ちかけられるのはソフィアしかいない。
心許ない部分はあるが、それが嫌ならあれこれ言わずにダーク・エイジの組織に入れば良いのだ。
そうすれば、組織のバックアップを十分に受けることも可能になる。手探り感の強い今とは違い、進むべき指針もしっかりと見えてくることだろう。
「分かりました。でも、ソフィアさんの言いなりになることだけは止めてくださいよ。あの人は人を丸め込むのが上手いですから」
イリアは承服したような顔をしてから勇也の弱い部分を突くように言った。
「ああ。こういう時に大切なのは自分の強い意志だ。誰かの言葉でその意思が折れそうになるくらいなら、最初から何もしない方が良い」
やらないで後悔するより、やって後悔した方が良いという言葉もあるし、こういうことで二の足を踏むのは人間としての器が小さい証拠かもしれない。
人間、しかも、男なら女の子の期待には応えて見せないと。
「その通りです。少なくとも私は退くつもりは全くありません。もちろん、ご主人様が絶対に駄目だというのであれば、その限りではありませんが」
イリアが意固地さと柔軟さが入り混じったような声で言うと、勇也は徐にスマホを取り出して、ソフィアと直に連絡を取ろうとする。
予め彼女の携帯の番号を聞き出しておいて良かったと勇也は自分の抜け目のなさを称えたくなった。
そして、勇也が何か良い知恵を出してくれるに違いないと縋るようにソフィアの携帯の番号に電話をすると、幸いにも彼女はすぐに親身な態度で応対してくれた。
やはり、自分の立場をどのように言い繕うと、ソフィアは紛れもない味方だ。だから、本物の安心感がある。
そう思った勇也は愁眉を開くような顔をすると、ソフィアに事の次第を包み隠すことなく説明した。
「突っ走る前によく相談してくれたな、勇也君。君も私のことだけは信頼してくれているということか」
勇也からの説明を聞き終えたソフィアはどこか愉悦を感じさせるような声でそう言った。
「ええ。さすがに今回のような一件では、その場の勢いだけでは動けません。しっかりとした状況把握とプランが必要です」
今回の一件は、イリアの力でゴリ押しするのは危険だと思えるのだ。これはただの直感だが、生憎と虫の知らせというべきか外れる気がしなかった。
「そこで私に白羽の矢が立ったというわけか。なるほどな。まあ、そういう慎重な心構えを持つのは良いことだと思うぞ」
ソフィアの背中を押すような言葉を聞いて、勇也も心が軽くなる。
今のソフィアはまるで母親のように思えるな。
本当の母親は自分に道を示してくれたりはしなかったし、それは父親や他の大人たちも同じだ。
それだけに、裏の世界に身を窶すソフィアが立派な大人に思えてしまう。
まあ、そう安直に思えてしまうのは、ソフィアの表層的な部分しか知らないからかもしれないが。
ソフィアだってダーク・エイジの幹部だし、冷徹さや非情さがあるような裏の顔も持っているはずだ。
それを知っても、尚、ソフィアを信頼できるかどうかはまだ分からない。
「ですよね。慎重に動くことの大切さは、警察に捕まった時に嫌というほど思い知らされましたから。もうあんな目に遇うのは懲り懲りです」
自分が慎重にならなければ、暴走列車のようなイリアは止められない。イリアの手綱を握れるのは自分だけなのだ。それだけに、課せられている責任は重い。
「だろうな。とにかく、モニュメントが原因で神が頻繁に生まれるのだとしたら、おおよそ二つの要素が考えられる」
聡明さを感じさせるソフィアの声が硬質を帯びた。
「それは何ですか?」
「一つは神気を増幅させる効果だ。それともう一つは、この町に充満する神気を外に漏らさずに密閉する効果だな」
この町全体に神気を外に漏らさないような結界が張られているということなのか?
だとすると、ダーク・エイジの下っ端の構成員でも張れるような人払いの結界とは規模も性質も大きく異なるようだ。
その上、ソフィアにすら気付かれないように結界が張られているとなると、より千思万考にならざるを得ない。
「具体的にはどうすれば良いんでしょうか?」
勇也は藁をも掴むような心持ちで尋ねた。
「まずはこの町を囲むようにして設置されているモニュメントから破壊していけば良い。こういうのは小さい効果を生み出している物から破壊するのがセオリーだからな」
いきなり大きな効果を生み出している物から破壊するのは、危険な爆弾のスイッチを入れるようなものか。
影響力を和らげながら事に及ぶのは確かに懸命な処置だ。
「神気が外に漏れだせば、神気の影響力も薄くなるということですか?」
神気が町中に充満しているから、神が生まれやすくなっていると考えるのが自然だろう。それを薄められれば、必ず自分たちが望んでいるような結果は得られる。
「そういうことだ。だが、肝心なのは神気を増幅させている方のモニュメントだな。その効果を発揮しているのは中央広場にあるやつとて見て間違いないだろう」
ソフィアの声には揺るぎない確信が籠っていた。
「中央広場にあるモニュメントが一番大きいですしね。まさか、あのモニュメントにそんな仕掛けが施されていたとは」
勇也も中央広場のモニュメントなら何度も見たことがある。何せ、イリアの銅像のあった場所からそう離れてはいない場所に堂々と鎮座していのだから。
勇也としては、あのモニュメントはライバルのような存在だった。
あのモニュメントよりイリアの銅像の方が多くの人を惹きつけ、集められるのであれば、イリアのイラストを描いた自分としては大満足だ。
でも、イリアの銅像もモニュメントも、双方、同じくらいの人を集めていたので、明確な勝敗はつかなかった。
その点は勇也も確かな悔しさを感じていたのだ。
まあ、そんなことを考えていた時は、モニュメントも芸術的かつ宗教的な雰囲気を感じさせるだけのただの石の塊にしか見えなかった。
が、まさか、神を頻繁に生み出せるような仕掛けが施されているとは寸毫も思っていなかったし、灯台下暗しとはこのことか。
「驚くのも無理はない。ダーク・エイジの組織の調査すら、すり抜けていたわけだし、気が付かないのも当然だ」
「ですよね」
今回のことで自分に落ち度はない。ただ、この世界の裏の部分を知るのが、少々、遅かったというだけだ。
「ああ。それと、ここまで教えておいて何だが、モニュメントを破壊することを推奨することはできない」
ソフィアの声に唐突に苦味のようなものが混じった。
「どうしてですか?」
何か不都合があるのだろうか。なら、それは隠すことなく教えてもらいたい。後になって何で教えてくれなかったんだと八つ当たりのようなことはしたくないし。
「神が頻繁に生まれる土地というのはダーク・エイジの組織にとっては好都合な場所だからな。それを失わせようとすれば組織と敵対することにもなりかねない」
その点は勇也も失念していた。
神が頻繁に生まれることの恩恵を受けている人間たちは少なくないだろうし、それを台無しにしようとすれば快く思わない者たちが必ず出てくる。
下手したら、彼らと衝突し、戦うことになるかもしれない。そうなった時、どういう決断を求められるか、考えるだけで暗鬱とした気分になる。
悪さをする神の相手は人を超えた力でできるが、無闇に傷つければ罪に問われかねない人間の相手は簡単にはできない。
でも、そこから逃げだしたら、何も為果せられはしない。全てはこの町のためだし、思いきり大勇を振るい起して見せよう。
「そうですか。ソフィアさんの組織のことまでは頭が回っていませんでした。迷惑をかけて、すみません」
勇也としてはソフィアだけは自分を裏切らない人間だと思いたかった。でなければ、あまりにも心細すぎる。
「謝る必要はないさ。君はちゃんと私のことを信頼して、相談を持ち掛けてくれたわけだし、そこには私も嬉しさを感じている」
その言葉を聞くと、勇也もソフィアが悠々と笑っている顔を思い浮かべることができるようになった。
「そう言ってもらえると救われます。ソフィアさんに見捨てられたら、俺たちの未来もお先真っ暗になりかねませんから」
でも、もし、ソフィアに迷惑をかけるのが嫌なら、初めから相談などしない方が良かったかもしれない。
それなら、ソフィアを悩ませることもなかっただろうし……。
まあ、そんなことを今更、言っても遅いし、全ての責任は自分とイリアの肩に圧し掛かっているのだという覚悟を持とう。
その覚悟を欠くようでは大事に望む緊張感も失われるし、それでは思わぬところで足を掬われてしまう可能性も出てくるだろう。
「かもしれんな。まあ、そういうわけだから、私もこれ以上の助力はできないし、君たちに何かあっても助けてやることはできないと思う」
ソフィアは韻律の乏しい声で言った。
「構いません。俺たちは俺たちの責任で動きます。その結果、悲惨なことになってもソフィアさんが心を痛める必要はありません」
勇也としてもソフィアをただ悩ませることを良しとはしていない。全ては自己責任で動くべきだ。
そういう責任感をしっかり持てるようになるのが大人に近づくということなのだ。
とはいえ、それでも子供のやることを逐一、心配してしまうのが大人という生き物の性なのだろう。
それは電話越しでも伝わってくるソフィアの言葉の響きからも感じ取れるが、そこは先見の明を持って見守っていて欲しい。
「それができるなら、こんなに楽なことはないんだがな……」
ソフィアは消え入りそうな声を紡ぐ。顔が見えていたら勇也も訝しんでいたことだろう。
「えっ?」
勇也はソフィアの声が途中から尻すぼみしてしまったので、思わず調子外れな声を上げてしまった。
「いや、何でもない。とにかく、私個人は君たちの健闘を祈っているし、くれぐれも無茶はしないようにな」
ソフィアはさばさばとした態度を取り戻したように言うと、勇也との話を終えた。




