エピソード22 エル・トーラーとの戦い
〈エピソード22 エル・トーラーとの戦い〉
上空では宙に浮かぶイリアとエル・トーラーが激しく交戦していた。二人とも自らの力を見せつけるように魔法の応酬合戦を繰り広げていたのだ。
二人の間には暗闇で瞬く星々よりも美しい光が生まれては消えて一種の幻想さを醸している。そんな神たちの戦いの目撃者となった人間たちは、皆、感極まったような顔をしていた。
エル・トーラーは手にしている本に書かれている文章を読み上げると、イリアの頭上に稲光を発する落雷を落として見せた。
それは神雷の如き光を纏っていて、人間が食らえば一瞬で消し炭と化してしまうだろう。
イリアはバリアを張ってその落雷による一撃を難なく防ぐ。バリアは直撃を受けても何の歪みも見せずに落雷を何事もなかったように消失させた。
が、エル・トーラーの魔法による波打つような攻撃は留まる気配がない。
更にエル・トーラーはヘブライ語の文章を読み上げて、地獄の業火とも言えるような炎の玉をイリアの体にぶつけて見せる。
それはバリアを張ったイリアに命中し、大量のエネルギーを迸らせる茫漠たる爆発を引き起こす。
その爆発はまるで花火のように夜空に大輪を咲かせたし、生身の人間はおろか、神であっても大きなダメージは免れない威力だった。
が、爆炎から現れたイリアは全くの無傷で、バリアを張り続けたまま泰然と動かない。その顔には焦燥の色は見られず、確かな余裕さえあった。
イリアは人間の顔を持たないエル・トーラーに対して、視線で挑発して見せる。もっと攻撃して来いと嘲弄するように。
それを受け、エル・トーラーは自分の攻撃のペースを狂わせたくないのか、イリアの安っぽい挑発に敢えて乗るように、魔法による攻撃を絶え間なく続ける。
地獄の業火を纏った火球による猛攻が続いたと思ったら、今度は全てを切り裂く風の刃が嵐のように止め処もなく飛来し、それが利かないとなれば、また裁きの鉄槌のような落雷がイリアの体を襲い続ける。
これほどの情け容赦のない攻撃を繰り出せるのはいかにも杓子定規な態度を取るエル・トーラーらしい。
もっとも、血も涙も持たないような機械染みた相貌からは何の感情も読み取ることはできないが。
そうして、ありとあらゆる属性を持つ魔法がイリアに局所的に生じたハリケーンのように浴びせられた。
どんな神でも到底、凌ぎきれるものではない。が、それでも尚、イリアの張った薄い光の膜のバリアが消え去ることはなかった。
強固な守りとは言い難い薄いバリアを破れずにいることには、さすがのエル・トーラーも微かな懸念を滲ませるように声を漏らす。
それは神としてのメッキが剥がれてきた瞬間でもあった。
「神であるこの私と拮抗するほどの力を持つと言うのですか? ふむ、では私も全力を出さないわけにはいかないようだ」
エル・トーラーは自らが放つプレッシャーを一段と増大させると、自分の目の前に煌々とした輝きを放つ特大の光の塊を作り出し、それをイリアに向けて大砲の玉のように打ち出した。
イリアはさすがにバリアで防げる攻撃ではないと見て取り、光の塊を迅速に避けようとした。が、その瞬間、光の塊は遠隔操作されたようにイリアの傍で大爆発する。
これにはイリアも完全に不意を突かれてしまったし、その爆発は空間に穴が開いたかのような凄まじい規模のものだった。
その上で、確実にイリアの体を巻き込んでいたし、誰が見ても手応えはあったと判断できる攻撃だ。
実際、エル・トーラーの無機質な相貌には微かではあるが満足そうな色が見られる。
が、もうもうとした爆煙の中から空を切る隼のように飛び出したイリアの体にはまたしても傷一つない。
イリアはあの爆発の直撃を受けても何のダメージも負うことがなかったのだ。それは神がかった脅威的とも言える防御力だった。
「今の一撃は見事でした。さすがに古のヘブライ人の作り出した魔法を使うだけのことはあります。ですが、この程度の力では私の好敵手にはなりえませんよ」
イリアはエル・トーラーの手腕を称賛した上で不遜な態度をひけらかす。それは単なる強がりではなく確固とした自信の表れだった。
イリアは相手の手の内は全て把握したと思い、今度は今までのお返しとばかりにスパークする巨大な光の玉を生み出す。
空間が陽炎のように歪んで見えるほどの圧倒的なエネルギーが充溢している。
イリアの掛け値なしの全力がその光の玉には込められていた。
エル・トーラーはその光の玉のあまりの大きさを見て避けきれるものではないと判断したのか、急遽、自分の周りに光りの膜のバリアを張った。
が、イリアの前方から神速で飛来した光の玉はそのバリアを軽々と突き破り、エル・トーラーの肩の部分についていた装飾をごっそりと削り取った。
削られた部分からは黒い煙が燻るように立ち上っていて、それが何とも痛々しい。
もっとも、まともに食らっていたらエル・トーラーの体はまず間違いなく消し飛んでいたことだろう。
この程度の傷で済んだのは僥倖と言うべきだ。
とにかく、イリアは相手の戦意を崩すために、敢えて攻撃を外して見せたのだ。
それはできることなら相手を殺すことなく戦いを終わらせたいというイリアの神に対する同族意識からくる甘さだった。
これが下衆な人間だったら手心は加えなかっただろう。
「これほどの威力を生み出せるとは……。どうやら、貴方の力を計り間違えていたようです」
初めて声に焦りを含ませたエル・トーラーは今度は自分が守りに徹しなければいけないと理解したのか、より分厚さのある光りの膜のバリアを張った。
しかし、イリアの手から連続して放たれる中サイズの光弾はそのバリアを悉く突き破ってエル・トーラーの体に命中し、装甲のような体の表面を大きく陥没させる。
これにはエル・トーラーも苦悶の声を漏らすしかないし、光弾は蜂の巣でも作るような勢いでエル・トーラーに痛烈に浴びせられた。
度重なる無視できないダメージを受けたエル・トーラーは更に強固なバリアである光の壁を作り出して見せた。
このバリアはそう簡単には破れないだろうという自信がエル・トーラーの余裕のある所作からは感じ取れる。
が、イリアは魔法の指向性を変えるように指先から一筋の光線を放つ。
そのレーザービームのような光線は光りの壁をいとも容易く貫通する。光線はそのままエル・トーラーの体に小さくはあるが深々とした穴を穿つ。
更に間断なく浴びせられる光線は何発もエル・トーラーの体に容赦なく突き刺さった。
さすがのエル・トーラーも致命的なダメージの連続に耐えかねたように野太い悲鳴にも似た声を漏らす。
「……馬鹿な。この私が魔法を扱う力で後れを取るとは!」
エル・トーラーは満身創痍の状態で、そう甲高い声を上げた。
完全に劣勢に立たされたエル・トーラーは、もう誰の身も竦ませられるようなプレッシャーは放てなかった。
いずれにせよ、イリアがあともう一度、大きな光の玉を命中させれば確実に決着はつく。
だが、イリアは戦いを楽しんでいるわけでもないのに、いつまで経ってもそれを行わなかった。
なので、侮られていると感じたのか、エル・トーラーは全ての力を開放するように手にしていた本を眩く発光させると不気味な黒い球体を作り出して見せた。
その黒い球体は高速でイリアの方に飛来すると、急に大きく膨張して全てを呑み込もうとする。
それを見たイリアは、これは形を持った強力な重力場だと瞬時に理解し、その効果範囲から猛スピードで抜け出そうとする。
黒き穴は全てを吸い込み、あらゆるものを超重力で圧し潰そうとする。呑み込まれたら例え神でも一溜りもない。
それはまさにエル・トーラーの切り札とも言える大魔法だった。
イリアとしてもこの魔法の力だけは見くびるわけにはいかないと判断する。
なので、一瀉千里の動きを見せたイリアは、その効果範囲の外へと脱兎の如き勢いで抜け出ようとする。
それが功を奏したのか、イリアを飲み込み切れなかった全てを圧搾するような重力場は時間が経過するとどんどん小さくなり、やがて消滅した。
自分の魔法が全く通じないのを見てエル・トーラーは沈黙する。もはや、エル・トーラーに逆転を図れるような手がないのは明白だった。
一方、イリアはエル・トーラーと対峙しながら神色自若と言った感じの笑みを浮かべている。その顔に疲労の色はない。
ボロボロになったエル・トーラーとは何とも対照的だ。
しばしの静寂が続いた後、イリアはなぜ自分を殺さないのか訝っているようなエル・トーラーに対し、ある厳然たる事実を突きつける。
「なぜ、自分が力で押し負けるのか理解できないといったご様子ですね。では、私が一つご教示して差し上げましょう」
イリアは何とも得意げな表情で解説を始める。エル・トーラーも拝聴したい話だと思ったのか、傷ついた顔を上げた。
「確かにエル・トーラーさんが率いる真理の探究者は全世界で二千万人の信者がいます。それは凄い数と言えるのかもしれませんし、もし、本当に二千万人の信者による神気が集まったのであれば、幾ら私でも絶対に勝てませんよ」
イリアは殊勝な態度で笑った。
「神としての強さは概ね神気の量で決まります。よりたくさんの人間の強い信仰心を集めなければ、神気は得られません」
この程度の基礎知識はエル・トーラーも持っていることだろう。
「そして、この町で誕生した神が一番、注意しなければならないのは、あくまで上八木市の住民の信仰でなければ大きな神気は得られないという点です」
イリアの説明にエル・トーラーの顔が僅かに震える。
ようやく、イリアの言いたいことに考えが及んだのだろう。疑問が氷解したであろうエル・トーラーは顔だけでなく体も震わせた。
「そういう意味ではこの町の真理の探究者の信者は決して多いとは言えません」
支部ができてから、まだ三年しか経っておらず、上八木市の住民からは真理の探究者の信者は奇異な目で見られることも多い。
それは信者たちがこの町の空気に馴染んでいない証拠だった。
「一方、この町に古くからいる羅刹神さんは一部の地元民からは熱狂的に支持されています。が、その反面、この町の大多数の住民からは暴力団の首領のように見られていて、この町の信者の数は少ないんです」
幾ら特定の人間の信仰心が強くても数が少なければ、やはり大きな神気は得られない。その仕組みには堅固なものがある。
「繰り返しますが、重要なのはこの町の住民からの信仰を得られているかどうかです。そのことを失念している神様は多いようですねぇ」
イリアは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「つまり、エル・トーラーさんも羅刹神さんも神としてはまだ幼い子供のようなものなんです。それでは、老若男女から幅広い支持を集め、この町の住民から諸手を挙げて歓迎されている女神が負ける道理はありません」
イリアはここぞとばかりに自らの威厳を見せるように言った。
もっとも、羅刹神もエル・トーラーも大きな力を持っていることに間違いはない。それは神の力を底上げすることになる明確な形が定まっているからだろう。
宗教団体の神が取り分け優れた力を持っているのは経典などに自らの詳細がしっかりと書かれていたり、また信仰を集めやすくする像や絵などが豊富にあるからだ。
神気が少なくても、そこら辺の明確さは他の神と比較した時に大きなアドバンテージになるとダーク・エイジのサイトを閲覧していた勇也は言っていた。
「それに本当にエル・トーラーさんや羅刹神さんが大きな神気を持っていれば、私もとっくに挨拶回りをしていましたよ」
その点については勇也にもちゃんと説明したし、勇也が戦えると判断してくれたのもその言葉を信じてくれたからだ。
イリアの説明を最後まで聞いたエル・トーラーは打ちのめされたような声を漏らす。
「なるほど……。神ともあろう私が勉強が足りなかったようですね、無念です……」
そう途切れたように言って、エル・トーラーは力と自信を根こそぎ失ったかのように地面へと落下していった。




