エピソード13 学友
〈エピソード13 学友〉
勇也とイリアが歩いていると、不意に思わぬ方向から「おーい!」と声をかけられる。
頭を巡らせて声が聞こえた方を振り向いてみると、そこにはよく見知った少年と少女の姿があった。
それを目にした勇也は咄嗟に間が悪いなと心の中で苦い感情を持つ。
この二人にだけは、イリアと一緒にいるところを目撃されたくなかった。イリアの正体が知られたら絶対に面倒なことになるし。
特に鋭い信条武弘の目を誤魔化すのは至難の業だ。
これが武弘一人だったら隠している事情を打ち明けるという選択肢もあるが、宮雲雫も一緒ではその選択は選べない。
それだけに運の悪さのようなものを感じた。
「奇遇だな、勇也。学校や家以外の場所でお前と会うことができるとは。これも宇宙が定めた因果の一つか」
悠然とも言える足取りで勇也の目の前までやって来た武弘はいつもの気障ったらしいポーズを取る。
それを見て、勇也は思いっきり脱力をしてしまった。
武弘は例え学校の外でも振舞い方を改めたりはしない。
裏表がないと言ってしまえばそれまでだが、それが良いか悪いかは親友の勇也にも判断が付けかねている。
まあ、友達としては、こういう性格の方が付き合いやすくて助かるんだけど。
「こんなところでも宇宙の因果か。相変わらずお前は宇宙云々の話が好きだな。でも、残念ながら宇宙の因果なんてものはないと思うぞ」
勇也は数日前にテレビでやっていた宇宙の成りたち、というサイエンスの特番を思い出しながら言った。
「宇宙の因果ならあるさ。ただ、今は科学的に証明されていないだけだ。宇宙の神秘というのは実に奥が深いな」
「そういうのを世間一般ではないって言うんだよ。とんでも科学をさも真実のように吹聴するのは止めてくれ」
勇也はそう突っ込みを入れたが、武弘の顔はどこまでも涼やかだ。
「そういった見解があることは理解している。俺とて伊達に学年トップの成績を収めているわけではないし、頭の柔らかさには自信がある」
武弘はこの話題については譲れないものでもあるのか、しつこさを感じさせるように言葉を続ける。
「だからこそ、初めから決めつけるようなスタンスで物事を研究していたら分かることも分からなくなると言いたいのだ」
「説得力だけは無駄にある言葉だな。でも、お前の言うことも一理あるか……」
「ああ。俺の言うことは全て事実だし、それを受け入れられないのはお前がこの世の中というものを知らなさすぎるからだ。ま、大学のような場所で勉強するようになれば嫌でも分かるさ」
「そうか。まあ、お前の奇妙な言動をいちいち真に受けていたら身が持たないし、因果だろうが何だろうが別に構わないけどな」
そう言って、勇也はそっぽを向いたし、ちょっとムキになり過ぎたかと自省する。
この手の益体のない問答はいつものことだし、武弘の言葉を真剣に取り合うのは止めておこう。
幾ら齷齪しても、心の体力を無意味に消費するだけだ。
「久しぶりに会って距離感が掴めないのなら、素直にそう言え。俺ならそんなお前を見ても気まずくなったりはしないぞ」
「それは嬉しいね」
「フッ、お前の捻くれた性格にも困ったものだな。そんなことでは、雫もがっかりしてしまうぞ」
武弘の言葉を聞いて、勇也もすぐさまハッとする。雫の存在を無視してくだらない言い合いをしてしまうとはなんたる不覚。
いつもならそんなことは絶対にしないし、やはり、注意力を大きく奪う夏の暑さというものは恐ろしいな。
「こ、こんにちは柊君……。学校じゃない場所でも会えて嬉しいな……」
武弘の斜め後ろにいる雫は小さく表情を綻ばせながら言った。
それを聞いて勇也は心が芯から温かくなるのを感じる。やはり、雫の可愛らしさは学校ではない場所でも変わらない。
この出会いが宇宙の因果なら、自分も宇宙の意志のようなものに感謝すべきなのかもしれないな。
でも、イリアがいる今は、それはできそうにない。
そんな勇也の苦い内心など知らないであろう雫はノースリーブのワンピースを可愛らしく着こなしている。
ワンピースの柄は雫の清楚さを引き立てていた。
制服を着ていない雫の姿は勇也の目には貴重に思えたが、おどおどした態度は学校にいる時と何ら変わりがない。
そこが惜しいと感じたが、幾ら夏休みとはいえ、垢抜けたような態度を取る雫というのも見たくはなかった。
雫は今のままが一番良いのかもしれないと勇也は密かに思う。
「嬉しいのは俺も同じだよ。学校じゃない場所で会うと何だか新鮮に感じられるし、宮雲さんの言うことも分かるな」
勇也はリップサービスのような言葉を口にした。
「だ、だよね……。柊君と会えるって分かっていたら、作ったばかりのシフォンケーキも持って来てたよ……」
「シフォンケーキは良いね。前に食べたシフォンケーキは程よい甘さで口溶けも良かったし、あれは是非、もう一度、食べてみたい」
「それなら、今度、作った時はすぐに柊君の家に持っていくね……。シフォンケーキは早く食べないと風味が落ちちゃうから……」
「俺の家まで来てくれるの? それは何だか悪いけど、宮雲さんさえ良ければ、そうしてくれると助かるよ」
雫が家に来てくれるなんて、こんなに心が弾むことはない。事実、夏休みが始まる前だったら喜びのあまり飛び上がっていただろう。
でも、今は違う。
家にはイリアが居座っているし、雫と二人きりという甘さを感じさせる状況は作り出せそうにない。
それが本当に残念だ。
「うん」
雫は太陽よりも輝いているような笑みを浮かべて嬉しそうに返事をする。この笑みが自分を虜にしてしまうんだよなと勇也もしみじみと思った。
勇也がそんな風に心を緩ませていると、すっかり存在を忘れていたイリアが勇也の二の腕を引っ張ってくる。
「あのー、ご主人様。つかぬことを聞くようですけど、この方たちは?」
眉を持ち上げながら尋ねてきたイリアの表情には微かに険のようなものが浮かんでいる。
町の人たちや神様に対する態度を見る限り、人見知りをしているというわけでもないだろうに。
「そうだった。お前は二人のことをまだ全然、知らなかったんだよな。蚊帳の外にして悪かったよ」
蒙昧なイリアには自分の交友関係に関する知識も備わっていないらしい。その辺のことについては、追々、教え込んでいくしかないだろうな。
「ご学友ですか?」
「ああ。こいつは俺の親友の信条武弘だ。いつも気障ったらしい態度ばかり取っている変わり者だよ」
勇也のぞんざいとも言える紹介にも武弘は嫌な顔一つしなかった。
いつものポーカーフェイスは学校以外の場所でも健在で生の感情が表に出されることはない。そこに一種の頼もしさを感じる。
「誉め言葉として受け取っておこう」
武弘は持ち前の端正な顔で、フッと透かしたように笑う。
言葉のフットワークの軽さは相変わらずだし、武弘のこういうところには勇也も日頃から助けられている。
「で、こっちは俺のクラスメイトで武弘の幼馴染でもある宮雲雫さんだ。どうだ、可愛い女の子だろう?」
勇也の紹介に雫は恥ずかしさを押し隠すように下を向いてしまった。
それを見て、可愛いだろうという言葉は余計だったなと勇也は反省する。そんなことを言えば雫は無理に気負ってしまう。
その程度のことは理解できるくらいの付き合いの長さはあるはずなのに、とんだ失言だ。
こういうことがあるから、女の子に対する苦手意識をなかなか克服できないんだよな。まあ、異性としての意識を全く持てないイリアは別だけど。
一方、イリアは武弘と雫の二人を交互に見て、何故か複雑そうに感じているような顔をした。
「学校って良いですよね。私、憧れちゃうな……」
イリアは憧憬を感じているような眼差しで呟いた。
「学校なんてそんなに良いもんじゃないぞ。大抵の奴は将来の就職のために仕方なく通ってるだけだし」
勇也はイリアの寂しげな横顔を見ながら学校に対する虚飾のようなものを剥ぎ取るように言った。
「そうなんですか。それはまた夢がないですね」
「しょうがないだろ。それが現実ってやつなんだから。だから、お前も学校に対して変な幻想は抱かない方が良いぞ」
勇也の味気ない言葉を聞いて、イリアもどこか肩の力が抜けたように微苦笑した。
「分かりました。では、とにかく自己紹介をしますね。私はこの町の歌って踊れるご当地アイドル、イリア・アルサントリスです。でも、この町の名誉市民にもなったので、気さくに上八木イリアと呼んでくださいね!」
イリアはいつもの自然な明るさではなく、どこか空元気を感じさせるように声を張り上げた。
「これがネットで話題を集めている上八木イリアのコスプレ外国人さんか。この目で見ると何だか神々しいものを感じてしまうな」
武弘はイリアを見ても何ら力む様子は見せずに笑った。
ここら辺が大物なんだよなと勇也も感心する。自分がイリアを見た時の周章狼狽ぶりは他の人間には見せられない。
「す、すごく、可愛いね……。ほ、本当に柊君の描いたイラストにそっくり……だよ。夢でも見てるみたい……」
雫はイリアの目見麗しい姿を眩しそうに瞼を細めながら見た。
「二人とも私はそっくりさんではなく本物の上八木イリア、って、痛い!」
イリアが余計なことを言い出そうとしたので、勇也はすかさずイリアの足を踏みつけた。これにはイリアも涙目になってしまう。
「お前は余計なことは言わなくて良いんだ。ところで、二人揃って歩いているところを見るに今日はデートか」
勇也は話題を強引に逸らすようにからかうような口調で尋ねた。
「まさか。俺は色恋などに興味はない。ただ単に本屋に行こうと家から出たら、お菓子の材料を買いに行こうとしていた雫と鉢合わせしただけだ」
武弘の言葉に嘘はないだろう。長い付き合いだが、勇也も武弘が嘘を吐いたところを見たことがない。
自分も必要に迫られない限り嘘は吐かないし、それがお菓子の感想を聞いてくる雫からの信頼にも繋がっているのだが、状況が状況であれば、はぐらかしはたくさんしてしまう。
だからこそ、それすらない武弘からもたらされる情報には常に信が置けるのだが。
「私と武弘君の家は近いから、よく会うの……。昔は家族ぐるみの付き合いもしてたから、夕食を一緒に食べたりもしたし……」
雫は消え入りそうな声で釈明するような言葉を言い募った。
その目は常にイリアの顔に注がれているので、女の子としての可愛さで負けたと思ってしまっているのだろうか。
それなら全然、負けてないよと言ってやりたくなる。雫には雫の誰にも負けない美点があるのだ。
それを彼女の前で口にしてみろというのは自分でも少しハードルが高いように思えるが。
「そっか。やっぱり、二人は仲が良いんだな」
そう含むように言った勇也はデートではないと知って、心底、ほっとしていた。
武弘が女の子と付き合いだしたら羨むばかりだし、清純な雫が男と付き合っているところなんて想像したくもなかった。
「お前の方こそ、その外国人の子とデートしてるんじゃないのか。ま、いらぬ詮索をするつもりはないが、な」
武弘は意趣返しとばかりに言った。
これには勇也もたちまち返答に窮するが、ここは役者を見せるように惚けた顔をして見せるしかない。
「俺たちは町を見て回っているだけだ。これもPR活動の一環だよ」
まさか神様に挨拶回りをしているとは言えないよなと勇也も心の中で臍を噛む。
理解者は欲しいが昨日のような戦いが脳裏を掠めると、やはり巻き込むわけにはいかないと思ってしまうのだ。
この二人にはいつまでも日の当たる世界にいて欲しいと切に願いたくなる。
「だと良いんだがな。まあ、ここで会ったのも何かの縁だし、みんなでファミレスにでも行かないか。そうすればもっとゆっくり話ができる」
「いや、今日は止めておくよ。色々と事情があって、ゆっくり歓談しているわけにもいかないんだ」
イリアと武弘たちを関わらせたくないという思惑も働いていた。
頭脳明晰な武弘を相手にイリアのことをはぐらかし続けるというのは無理があるし、ボロを出さない自信はない。
「おいおい、付き合いの悪い奴だな。お前が金欠なのは知ってるし、ドリンクバーくらいなら奢ってやるつもりでいたんだぞ」
「その気持ちはありがたいが、今日はどうしても無理なんだ。悪い」
神様たちへの挨拶回りは今日中にやっておきたいとうのも勇也の偽らざる本音だ。善は急げとも言ったし、やるべきことを後回しにするとろくなことがない。
「し、しょうがないよ、武弘君。柊君にも都合があるんだし」
雫が勇也をフォローをするように言った。
雫は何かあれば、必ず勇也の味方に回るし、そこが勇也としては擽ったい。でも、今回はそれに救われたし、心の中でありがとうとお礼の言葉を述べた。
「そうだな。この俺としたことが、つい聞き分けのないことを言ってしまったし、これも宇宙が定めた暑さのせいか。何にせよ、すまん」
武弘は遠くを見るような目をした後、軽い調子で謝った。
「気にするなって。とにかく、この埋め合わせは今度、必ずしてやるから今日だけは勘弁してくれ」
勇也はらしくもなく下手に出ながら拝むようなポーズを取る。
プライド云々については意識している余裕はなかったし、この場を無難に乗りきれればそれで良い。
「分かった。なら、もう何も言うまい。その代わり、お前の言った埋め合わせとやらには期待させてもらうぞ」
「ああ。最近は金回りも良いし、プレミアムハンバーグ以上のものを奢ってやるから、せいぜい楽しみにしていろ」
実際には大きく儲けを生み出せたのは生身の上八木イリアを披露した昨日だけだが。
「そういうことなら遠慮はいらないな。では、最後に一つだけ聞いておくが、イリア・アルサントリスという名前はお前が付けたのか?」
武弘は急に神妙な顔をして勇也に尋ねた。
こういう時の武弘の洞察力は目を見張るものがあるし、勇也としてもサラッと流すことはできない。
「そうだけど」
勇也は武弘が何を意図してそんなことを尋ねてきたのか分からず眉を顰めた。
「何か理由があるのか?」
「いや、特にないよ。ただ、SNSで知り合った何人かの友達が名前の候補を上げてくれていたから、そこで見た名前かもしれない。イリアの名前をどう付けたかは、あんまり記憶に残ってないんだ」
どこで刷り込まれた名前なのか分からないっていうのは、我ながら抜けている気もするが。
「そうか。なら言っておくが、アルサントリスというのは欧州の裏世界で幅を利かせている魔術学校の名前だぞ。学校がある場所も魔術の世界では有名なセインドリクス公国だし」
「そうなのか?」
「ああ。まあ、情報の出どころはネットのアングラサイトだから信憑性には欠ける部分はあるが、それでも知る人ぞ知る情報なのは間違いない」
「へー」
勇也はそんな情報にまで通じている武弘に空恐ろしいものを感じた。
「その上、魔術の世界では最も有名な学校であるブリダンティア学院に比肩するほどの学校だとも言われている」
武弘は自分の持っている情報を吟味するように口にしながら言葉を続ける。
「だから、そんな魔術学校の名前を日本のご当地アイドルに付けるのは、あまり適しているとは言えんな」
武弘が語った想像もしていなかった事実に勇也も心の底からドキリとしてしまう。
例え、アルサントリスが得体の知れない学校の名前でも、少し前だったらここまで冷や冷やしたりはしない。
が、裏の世界に片足を突っ込みつつある今は話が別だ。
神や悪魔、魔術が現実に存在するのは、勇也もしっかりと受け入れているし、そんな裏の世界で知られている名前を付けたとなると凶兆を招くのは避けられないのではと思ってしまう。
もっとも、この手の指摘をしてきたのは武弘くらいなので、あまり深刻に考える必要はないのかもしれない。
名前に問題があるなら、既にネットで騒がれているだろうし。
案外、イリアの名前の候補を上げてくれた友人たちの中にも裏の世界の事情に通じている奴がいたのかもしれないな。
世間は狭いとはこのことだ。
そういえばあのヴァンルフトさんもブリダンティア学院のことについて語っていたな。これは偶然だろうか。
まあ、あれこれ詮索して気を揉むのは嫌だから、自分からヴァンルフトさんにその話を振ったりはしないけど。
「他にも、イリアさんはセインドリクス人の人種的な特徴を色濃く持っている。顔の造形なんて特にそうだし、それらを偶然と片付けるには、少し引っかかることが多すぎるな」
武弘は探偵のように顎に指を這わせながら、持ち前の慧眼を閃かせるように言った。
その後、武弘はイリアの名前への疑問をぶつけることができて満足したのか、もう勇也の反応には取り合おうとはせず、今度こそ話を切り上げるように「では、さらばだ!」と爽やかに言った。
そして、こちらに向かってぺこりと頭を下げた雫と一緒に勇也の前から去って行く。
残された勇也とイリアは互いに微妙な距離感を持たせながら立ち尽くす。勇也はともかくイリアも何かを深く考えているようだった。
そんな二人の間には何とも居心地の悪い空気が漂っている。
「ご主人様、私って胡散臭い魔術の世界にゆかりのある女神なんですか?」
イリアはしおらしい態度で言うと、勇也を上目遣いでを見た。その目はわざとなのか、それとも自然なのか少し潤んでいる。
「んなわけないだろ。お前は歌って踊れるご当地アイドル、上八木イリアだ。それ以上でもそれ以下でもない」
勇也は言葉を濁すことなく、きっぱりと言った。
「なら良いんですが、ご主人様が安易に付けた名前で評判を落とすのは嫌ですよ、私」
イリアの言うことはもっともだが、今更、周知しきった名前を変えるわけにもいくまい。
「分かってるって。ま、お前の名前の意味を深く考える奴なんて、そうはいないだろうから安心しろ」
勇也はたかが名前だと考え、大した意味はないと楽観していた。この時はまだ……。




