結婚した相手は、100歳のおじいちゃん貴族でした
「クララ様、目的地までもう間もなくです」
御者に声をかけられ、私は馬車の小窓を開ける。遠くの古城が目に入った。
「ふう……」
微かなため息が漏れ出る。
あと少しで着いてしまうんだ。
私の結婚相手が……百歳の老貴族が待つ辺境の城に。
****
いつの頃からか、私は宮廷で同年代の貴族の嘲笑の的になっていた。
原因は何だろう?
ガリガリで不健康そうに見える体型? 水死体みたいに顔にかかる若白髪交じりの黒髪? 派手な格好や遊びを嫌う根暗な性格?
それとも、その全部?
確かなのは、とにかくあらゆるところが皆の気に食わなかったということだ。
中でも、第一王子は私のことが特別に嫌いだった。
その彼が王位に就いた時に、面白半分で私に命令を下した。辺境でひっそりと暮らす百歳の老貴族と結婚しろ、と。
私がそれに逆らう術を持たなかったのは言うまでもない。
「到着いたしました」
外では出迎えの使用人が待っていた。城の中に通される。
「旦那様を呼んで参ります」
私が巨大な窓のある大部屋に腰を落ち着けるのを見届けると、使用人は退出していった。一人になると再び憂鬱が込み上げてきて、私は力なく窓に寄りかかかる。
「何でこんなことになっちゃったの……?」
自分の結婚相手が百歳の老人だということが、未だに信じられない。
この婚姻のことを皆は「クララは辺境へ死亡診断書を書きに行くんだ」と揶揄していたけど、その通りだろう。夫の年齢が年齢なだけに、私は今日明日にでも未亡人になってしまってもおかしくないんだから。
そうしたら、今度は誰の妻になれと言われるのかしら? 行く手に広がる暗い未来に、私の心はどんよりと曇っていく。
「いい眺めでしょう?」
油断しきっていた私は、背後からの澄んだ声に心臓が飛び出そうになった。部屋の入り口に青年が立っている。
「クララさんだね?」
「はい。あなたはロマーノ様のお孫さん……いえ、ひ孫さんですか?」
「ロマーノ」は私の夫の名前だ。彼に結婚歴があったのかは知らないけど、青年は使用人とも思えない身なりをしていたから、私は当てずっぽうで憶測を述べた。
けれど青年は、おかしそうに「違うよ」と言う。
「お世辞なんかいいよ。わたしがロマーノだ。初めまして、クララさん。こんな片田舎によく来てくれたね」
「へ?」
何を言われたのか分からず、私は間抜けな声を出してしまう。
この人がロマーノ様? 私の結婚相手の?
「そんなはずはないと思いますけど」
私は青年をまじまじと観察した。
秀でた白い額に薄い紫の瞳。銀灰色の髪はサラサラしていて、肌にはハリがある。穏やかで優しそうな美貌の若者だった。
私の夫は百歳の老人だ。どう考えたってこの人のはずがない。
「あなた、私と同い年くらいですよね?」
「あんまり年寄りをからかうものじゃないよ」
青年はまだ微笑みを崩さない。
「確かに若く見られることが多いけどね。エルフの血のせいかな?」
青年が髪を耳にかけた。
その耳殻の先が少し尖っているのに気付き、私は息を呑む。エルフはこういう耳をしていると聞いたことがあった。
「長旅で疲れただろう? 今日はもう休むかい? それとも城を案内しようか」
「えっと……別に疲れては……」
疲労なんて、「ロマーノ様はエルフだった」という衝撃の事実を目の当たりにして吹き飛んでしまった。ロマーノ様は「若い人は元気がいいね」と感心している。
「じゃあ、手始めに庭を見てもらおうかな」
ロマーノ様に連れられて、私は外に出た。でも、景色よりも隣を歩く夫の方が気になって仕方がない。
エルフは不老長寿の種族だ。それなら百歳でも見た目が若々しいのにも納得がいく。でも、私に嫌がらせで結婚を命じた王子は……王はそんなことを一言も言っていなかった。
もしかして知らなかったんだろうか。あり得ることだ。ロマーノ様は年齢を理由にして、長い間自分の城からほとんど出ない生活を送っているそうだもの。私との結婚だって、指輪が贈られてきてそれで終わりだったんだから。
「こんなおじいちゃんを眺めて楽しいかい?」
不意にロマーノ様が振り向いて、私は慌てて目をそらす。見てたこと、気付いてたのね……。
「す、すみません。ただ……面食らってしまって。まさかロマーノ様がエルフだなんて思っていなかったものですから……」
「実を言うと、半分だけなんだけどね。父は普通の人間だから」
「では、お母様がエルフだったんですね?」
「そうだよ。でも、父は内緒にしていたんだ。異種族との結婚なんて、当時はあまり例がなかったから」
ロマーノ様は私を見て目を細める。
「今はいい時代になったね。こんなおじいちゃんのところへ来てくれてありがとう。若い人がいると、この城も華やかになるよ」
「いえ、そんな……」
華やかさという点では、私はまったく役に立てる気がしない。うねった黒髪の中に顔をうずめるようにして俯く。
今頃になって、自分の冴えない容姿や地味な服装が気になりだした。
私みたいなのが奥さんで、ロマーノ様は内心ではガッカリしてないかしら? 高齢とはいえ見た目は若くて綺麗なんだから、結婚相手くらい他にいくらでも見つかったはずなのに……。
この城に来る前は、私は自分のことを被害者だと思っていたけれど、これじゃあ損をしたのはロマーノ様の方じゃない。
二人の間に沈黙が流れた。
嫌な空気になってしまったと思い、少し焦る。
宮廷ではこういう黙りの時間が発生する度、私はいつも責められた。「間が持たないから何か言え」って。ロマーノ様もそう感じているのかもしれない。
これ以上彼を幻滅させたくなくて、私は慌てて話題を探した。
「あの……」
「どうしたの?」
ロマーノ様が尋ねてくる。私の考えなし! どうして何も思い付かない内から喋り出しちゃったのよ!
「ええと……その……」
「もしかして休憩したくなった? じゃあ、そこのベンチに座ろうか」
ロマーノ様はご丁寧にハンカチを敷いてくれ、その上にかけるように身振りで示した。紳士的な対応だ。ますます私なんかが奥さんであることが申し訳なくなる。
私の隣にロマーノ様も座った。再び訪れる無言の時間。私は冷や汗をかきながら、「素敵なお庭ですね」と何とか話題をひねり出した。
「ありがとう。ずっと仕えてくれている腕のいい庭師がいるんだよ」
「なるほど……」
……また沈黙。私は泣きそうになりながら口をパクパクさせた。会話もろくにできないバカ娘のレッテルが貼られてしまうのかと思うと、遣る瀬なくなる。
けれど、ロマーノ様の様子には特に変化はなかった。出会った時と同じ、柔和な表情で景色を楽しんでいるだけだ。
どうしてこんな顔ができるのかしら? 他の人なら、イラついて文句の一つも言い出す頃なのに……。
「おじいちゃんの観察が趣味なの?」
私の視線に気付き、ロマーノ様がこっちを見る。私は目を泳がせた。
「そ、そんなことは……」
「見たいなら気が済むまで見るといいよ。わたしはその間、雲でも眺めているから」
ロマーノ様はのほほんとした様子で顔を上に向ける。本当に雲を見てるの? 意外な対応に、呆気にとられずにはいられない。
「嫌じゃないんですか?」
思わず心の声が漏れ出た。
「私、楽しいお話とかできませんけど……。何とも思わないんですか?」
「わたしはもうおじいちゃんだからね。静かに過ごすのも好きなんだよ。退屈な老人でごめんね」
「……そんなことないです。私も賑やかすぎるのは苦手ですもの」
ちょっとした共通点を見つけ、心が弾む。焦って話題を探さなくてもいいと分かり、肩の荷が下りた気分だった。
「クララさんは何かと無理をしてしまう性格みたいだね」
ロマーノ様が労るように言った。
「でも、ここではそんな苦労はしなくていいんだよ。あなたにはこの城で好きなように過ごしてもらおうって決めているからね」
「そんな……。私なんかにもったいない待遇です」
恐れ多くなって首を横に振る。でも、ロマーノ様は「そんなことないよ」と言った。
「クララさんは本当に気の毒な目に遭ったと思っているからね。こんな老い先短い老人と結婚なんて嫌だったでしょう? 半分しかエルフの血が入っていないわたしなんか、せいぜい後四、五十年の命なんだから……」
ロマーノ様はしんみりと言ったけれど、いまいち共感できない。私だって、残りの寿命はそれくらいだと思いますよ……?
「わたしは棺桶に片足を突っ込んでいるような身だ。でも、若いクララさんには明るい未来が待っている。わたしはその邪魔をしたくないんだよ。だからね、わたしのことは夫じゃなくて、祖父だとでも思って欲しいんだ」
「祖父……」
「気軽に『おじいちゃん』と呼んでね。……ああ、今の若い人は『クソジジイ』とかって言うんだっけ。あんまり綺麗な言葉じゃないね」
肩を竦め、ロマーノ様は雲の観察に戻る。
その後も、私が何も話さなくてもロマーノ様は全然不快な顔をしなかった。話題探しの重圧から逃れることができ、私ものびのびとした気分になる。
自然体でいられるのって、なんて素晴らしいのかしら! こんなに居心地がいい時間を他人と過ごせたのは初めてかもしれない。
けれど、心の隅に何かが引っかかっているのを感じる。夜になりベッドに入った私は、そのモヤモヤの正体に気付いた。
「夫じゃなくて祖父……」
ロマーノ様は本気でそう言ったんだろう。現に、私はこうして独り寝をしているんだから。
あの言葉は親切心の現われだ。それなのに、その厚意を素直に受け止められないということに、私は少なからず動揺した。どうしてこんな風に感じてしまうのかしら?
心の澱は消えることのないまま、夜が更けていった。
****
翌日は雨だった。
「城内を見て回らない?」
今日も庭を案内してもらおうと思っていたのに……としょんぼりしていると、ロマーノ様がそう提案してくる。
「と言っても、若い人が気に入りそうなものは何もないけどね。でも……あそこなら少しは楽しめるかな?」
その「あそこ」というのは、城の中央にある巨大な廊下だった。
特徴的なのは、その壁にずらっと肖像画が並んでいることだ。「わたしの一族だよ」とロマーノ様が説明してくれる。
「何かある度に肖像画を描いて、記念にこのギャラリーに飾っておく習慣があるんだ」
「じゃあ、ロマーノ様のものもあるんですか?」
「一応ね」
ロマーノ様が指差した場所で、私はクラシカルな装いの青年とキャンバス越しに対峙する。
「これ、いつ描いてもらったんですか?」
「ずっと前だよ。わたしの成人のお祝いに作成されたものだ」
「成人……」
確かにとんでもなく前の話だ。それなのに、肖像画のロマーノ様と今隣に立っている青年は、容姿にほとんど変化がない。やっぱりエルフってすごいのね。
「他の肖像画はないんですか?」
辺りを見渡したけどロマーノ様の絵はこれ一枚だけだったから、疑問に思って尋ねる。ロマーノ様は「そうだよ」と返した。
「その内次の絵を描いてもらおうと思っている間におじいちゃんになっちゃってね。……そうだ。せっかくだし、久しぶりにここに新しい作品を追加しようかな。もちろん、クララさんの絵を」
「私ですか?」
「せっかく孫ができたんだからね。『記念』って言葉にふさわしいと思わないかい?」
「それならロマーノ様も一緒に……」
「わたしはいいよ。画家だって、おじいちゃんより若い人を描く方が楽しいだろうしね」
ロマーノ様は苦笑いした。でも、私は引き下がらない。
「私が画家だったら、ロマーノ様の絵を描ける方が嬉しいと思いますけど」
私は白いものが混じる髪を重苦しい動作で指に巻き付けた。
「私、見た目がこんなのだからモデルには向いてないし……。その点、ロマーノ様はすごく素敵じゃないですか」
「気を使わなくていいよ、クララさん。わたしなんてただの老人だ。『素敵』という言葉なら、あなたの方が似合う」
「ええっ!?」
そんな褒め方をされたのは初めてだったから、声が裏返ってしまう。
「そんなことありません! 私、暗いし不器量だし、いいところなんて……」
「静謐の美、だよ」
ロマーノ様が顔にかかっていた私の髪を横に撫でつける。いつもは隠し気味にしている場所に風が当たる感覚がして、肌が疼くような心地がした。
「あなたは魅力的だ。少なくとも、わたしの目にはそう見えるよ。年寄りの感性なんか信用できないかもしれないけど」
心臓が大きく跳ねる。魅力的? この私が? 「湿っぽい奴」って皆からバカにされていた私が?
聞き間違いじゃ……ないわよね?
「あ、ありがとう……ございます……」
口が回らないせいで、気の利いた言葉の一つも返せなかった。ただお礼を言うだけが精一杯だ。
それでもロマーノ様は満足そうにしている。
「絵のモデルになってくれるかい?」
私は呆けたまま頷く。ロマーノ様が喜んでくれるのなら何でもしたい。そう思い始めていたから。
****
早速画家が呼び寄せられ、城中が絵を描く準備でにわかに騒がしくなった。
「クララ様、新しいドレスのご用意ができましたよ」
衣裳部屋に連れて行かれ、あれやこれやと服を見せられる。イエローにピンクにライトブルー……。どれも可憐な色使いとデザインのものばかりだ。
「これ、全部ロマーノ様がご用意を?」
「ええ。旦那様は随分と張り切っていらっしゃるようで……。ああ、噂をすれば!」
使用人たちがはしゃぎながら脇に退く。ロマーノ様の登場だ。
「気に入ったものはあった?」
ロマーノ様は手近なドレスを手に取りながら尋ねてくる。
「どうせなら、クララさんの好きな服を着て描いてもらいたいからね。習作を何枚か見せてもらったけど、どれもいい出来だったよ。ますます本番が楽しみになるね」
「は、はあ……」
私はぎこちなく頷く。
ロマーノ様は「いい出来」と表現したけど、私からすれば、あれは椅子に腰掛けた幽霊の絵にしか見えなかった。ひどく痩せた体、長くて真っ黒な量の多い髪、血色の悪い肌、ギョロリとした目。何もかもが不気味で仕方がない。
そんなものをギャラリーに飾ってもらうわけにはいかなかった。もし事情を知らない人がその絵を見て、「どうしてお化けの絵画が置いてあるんだろう?」なんて思ったら、ロマーノ様に恥をかかせてしまうもの。
画家曰く、「表情が硬いです」「もっと肩の力を抜いて」とのことらしいけど……。プレッシャーを感じてしまって、とてもじゃないけどアドバイス通りにはできそうもなかった。
「……ロマーノ様はどんな絵になって欲しいですか?」
理想があるならそれに近づけるように頑張りたいと思い、尋ねる。ロマーノ様は「うーん」と顎に手を当てた。
「見てて楽しくなるような絵かな?」
だとしたら、やっぱりお化けの絵はダメに決まってる。でも、「見てて楽しくなるような絵」ってどんなのかしら?
「そんなに力まなくてもいいんだよ」
真剣に悩んでいると、ロマーノ様が肩に手を置いてくる。
「わたしにとってクララさんの絵がギャラリーにあるのは嬉しいことだけど、あなたにとってもそうであって欲しいからね。当時のことを思い出して、いつだって幸せな気分になれる。そういう絵ならいいと思わないかい?」
「幸せな気分……ですか……」
「可愛い孫の絵だから、わたしは幸せになれるに決まってるけどね。クララさんも、何か楽しいことを考えてみたらどうかな?」
ロマーノ様は行ってしまう。
その背を見つめながら、私はじっと考え込んだ。
楽しいことを思い浮かべるのは、そんなに難しくない。ロマーノ様と一緒にいる時のことを考えるだけでいいんだから。
でも……「孫の絵」か。
幽霊の絵も嫌だけど、孫の絵を飾られるのも同じくらい気が進まない。
不意に、私は自分が何を望んでいるのかに気が付いた。
所狭しと並ぶドレスと壁際の姿見を交互に見つめる。
どんな絵にしたいのかを思い付いたのは、その直後のことだった。
****
「それは……」
ロマーノ様の私室を訪れた私を見て、部屋の主は目を丸くした。
「この格好で絵を描いてもらうつもりです」
挑むように言って、ロマーノ様の前でくるりとターンしてみせた。
重苦しかった黒髪はバッサリ切られ、若白髪が目立たないようにブロンドに染められている。血色の悪さを誤魔化すため、顔には濃いめのお化粧を施していた。
それだけじゃない。私が着ていたのは、真っ白な婚礼衣装だった。
「私、ロマーノ様が好きです」
私ははっきりと告げた。
「だから、ロマーノ様の孫になるなんて嫌です。私がなりたいのはあなたの奥さんなんですから」
勝手なことを言ってごめんなさい、と一呼吸置く。
「ロマーノ様が私を気遣ってくださっているのは分かっているつもりです。でも、ロマーノ様は『この家では好きに過ごしていい』とも仰いました。だから、少しだけワガママになってみようと思って……。……ロマーノ様、私と夫婦になってください」
ロマーノ様はすぐには返事をしなかった。私は黙って答えを待つ。この人と過ごす沈黙の時間は、私にとって苦痛とはならない。それはこんな時でも同じのようだった。
しばらくしてロマーノ様が口を開いた。
「いいの? こんなおじいちゃんで」
「はい」
きっぱりと言い切ると、ロマーノ様は近くにあった椅子に崩れ落ちるように座った。
「困っちゃうな……」
ロマーノ様は私から視線をそらしながら、口元を手のひらで覆い隠すようにして赤面していた。
「おじいちゃんなのに若い奥さんに夢中になるなんて……。皆に笑われちゃうよ」
「そんなの、笑わせておけばいいんですよ」
私は強気な答えを返す。
「私たちが幸せなら、それでいいじゃないですか」
「……本当に……若い人っていうのはすごいね」
ロマーノ様が眩しそうに私を見つめる。椅子から立ち上がり、微笑んだ。
「絵の内容を今から変えたいなんて言ったら、画家が怒るかな?」
「平気ですよ。もう連絡済みです」
私の言葉にロマーノ様は唖然とした後、肩を揺すって笑い始めた。
「わたしの奥さんは意外と大胆だったんだね」
夫に釣られ、私も笑顔になる。私たちはそのまま部屋を出た。
****
辺境の古城のギャラリーに、半世紀以上ぶりに新しい絵画が飾られることとなった。
それは、美しい婚礼衣装に身を包んだ夫婦の絵だった。
ロマーノ様は言う。「ここから二人の幸せは始まった」と。
それに対し、私はいつもこう返している。「でも、二人だけの幸せじゃありませんけどね」。
「奥様、動かないでください」
「私はじっとしてますよ」
画家の言葉に私は肩を竦める。膨らんだ腹部をそっと撫でた。
「動いたのはこの子です」
「また蹴ったの?」
背後に立つロマーノ様の質問に、私は「ええ」と返した。
「とっても元気ね! きっと男の子だよ! あたし、弟が欲しかったんだ!」
「僕じゃダメなの?」
「当たり前じゃん! お兄ちゃん、かけっこも木登りも下手くそなんだもん!」
「そんなぁ……」
「ほら、二人ともちゃんと前を向いて」
両隣の椅子に座る娘と息子に注意する。
「まったくもって愉快なご家族でいらっしゃいますね」
「ありがとう」
先ほどから何度も絵を描く作業を中断させられている画家は嫌味っぽく言ったけど、ロマーノ様はそれに気付かずにこやかに返事する。
「この子が生まれたら、また新しい絵を描いてもらおうね」
「もちろんです」
夫の提案に私は頷く。娘が「あたしの絵の隣にかけてね!」とすかさず注文を入れてきた。
現在城のギャラリーには、私がここに来た時よりもずっと多くの肖像画が飾られている。
追加された絵は全て、私たちの幸福の日々の象徴だった。
そこに近々、また新しい作品が加わる。
そして、これからも幸せな絵は増え続けていくのだと思うと、私の心は希望でとめどとなく明るくなっていくのだった。