聖火と悪魔
何だ
何が起こったんだ?
重い頭をぴしゃりと叩き、急いで家を飛び出した。
なにもない。真っ暗だ。
次の瞬間、緑色の稲光が目の縁で閃いた。
俺は左の方を見た。
「…何だあれは」
緑の光が、地平線で轟々と踊り狂っていた。
それは盛んに跳ね回り、辺りを舐め尽くしていた。
時々、爆ぜた。
俺は後ろから突き飛ばされた。
イミカだ。
フードは被っていない。
「近寄れ!」
掠れた声で叫んだ。
初めて肉声を聞いた。
テレパシーの声と何ら変わらなかった。
言われた通りに近寄ると、地面が浮き上がった。
絨毯だ。
絨毯は猛スピードで漆黒を駆けた。
イミカの黒い腕に赤みが差していた。赤は光を後ろに引いた。
あっという間に街についた。
上空から、その景色が見えた。
「これは…何だ」
炎だ。
赤とは対象的な、緑色だ。
悲鳴は全く聞こえなかった。
水を打ったように静かだ。
それが嫌だった。
絨毯は猛スピードで下降した。
地に降り立つと、イミカは崩れ落ちた。
「大丈夫ですか!」
俺は慌てて支えた。
俺はその顔を見て、はっとした。
…俺はそれを見ないようにした。
「あぁ…消えていく…全部…」
俺の身体は震えていた。
気付かなかった。汗だらけだ。
「まだ間に合う…」
「え」
「灯葉君…街に助けに行ってくる…」
イミカは俺の支えを解いた。
…俺が行きますよ、と言う前に俺は走った。
言っている暇すらないように思えた。
今や柵は壊れ、中に入れるようになっていた。
俺は光の中を探し回った。
命の光を。生存者を。
駄目だ。
「なんで…?」
全員、倒れていた。目に光がなかった。
駄目だ。
進んだ。
獣のように走った。
視界がぼやけた。
なんとなく、わかっていた。
走れど走れど、景色は変わらなかった。
緑と、死体。
それだけだ。
「誰か」
駄目だ
俺は脚を止めた。
動けなかった。
そこは服屋の前だった。
視界が震えた。
そこには、子を抱きかかえながら横たわる母の姿があった。
そんな馬鹿な。
こんなことがあっていいのか?
さっきまで、全てが、動いて、喋って、考えて、笑っていたじゃないか。
もう何も出来なくなるのか?
俺は衝動的に子供の心拍音を確かめた。
聞こえた
確かに聞こえた。
嘘だろ?と思い、母の方も確かめた。
胸に手を当てた。
…動いている。
ドクンドクンと響かせている。
俺は一瞬喜びかけた。
しかし何かが変だ。
生気を全く感じない。
激しく揺さぶっても、全く反応を示さない。
俺の気が狂ったのだろうか。
心拍音も、気のせいだろうか。
俺はイミカの元に走った。
イミカはこちらに来ていた。
身体全体で呼吸をしていた。
「イミカさん、彼等、心臓が動いています」
「当たり前だ これは単なる炎じゃない、『聖火』だ」
よくわからなかった。
「皆、街の外に運ぶぞ…」
一瞬、風が吹いた。
温い風だ。
温度が下がったような気がした。
どこか、心胆から凍り付かせるような冷気だった。
「あれ」
イミカの影が濃くなった。
彼女は、横に動いた。
しかし、影は動かなかった。
直立不動で、影が立っていた。
「伏せろイミカ!」
咄嗟の判断だった。
イミカは驚き硬直した。
俺はイミカに飛び掛かり、突き飛ばした。
俺も共に地面に転がった。
居た。
何かが居た。
「どうした灯…」
イミカは口を閉じた。
「え?」
「動くなよ」
イミカは俺に近づいて、手をかざした。
焼けるような痛みが、右脚を刺した。
「うぁっ…」
実際、焼いていた。
俺は自分の右脚を見て、絶句した。
無かった。右脚が。
「はぁ…?」
「今、止血したからな…」
イミカは辺りを見渡した。
静寂だ。
しかし、何かがそこに居るのだ。
服屋は、散乱していた。
一枚の赤い布が、道に飛び出していた。
その布が、膨れ上がった。
風船見たくみるみる膨れ上がり、遂には巨大な球体となった。
燃え盛る聖火の中イミカは一歩前に出た。
球体が直後、真っ二つに割れた。
手が飛び出た。
次に左脚、右の脚、左の腕。
次に頭が出てきた。
老人だ。
最後に、体全体が出てきた。
少し猫背気味の、薄い髪の男であった。
「…あぁ?」
その声を聞いた瞬間、俺は精神が慄く感覚を覚えた。何故だ。誰だこいつは。
「誰だよてめえは」
老人は目を見開いた。
イミカは、何も言わなかった。
ただ、震えていた。
腕の赤が更に強くなっていた。
「丁度いいや」
老人はゆっくり口角を上げた。
「むかっ腹ぁ立ってたんだ…」
少しずつ、両手を広げていった。
「世の中な。俺のことをなーんもわかってねぇ屑ばかり…」
チカッと、緑の閃光が走った。
瞬く間に、辺りは爆風に包まれた。




