いつかの記憶
道路は今頃、荒れた空を映しているだろう。
ふと右腕に目をやった。
十字のアザは相変わらずだ。
…。
もうこんな歳なのだ。親孝行せねばな、と思った。
外を見るとすごい雨だ。
俺は少し心配になった。
うちの近くには川があるのだ。
…。
いつの間にやら、何かを忘れる。一つ覚えてはまた何か一つ忘れるを繰り返した。
…いつかの早朝、忘却の果てに何かを見た気がした。
何かが猛スピードで走り抜ける。
轟音が響く。
何かがぶら下がる。
そういう記憶だ。つまり、曖昧なものなのだ。詳細を思い出そうとするも、立ち所に消えてしまう。
皆盲目だ。
ふと、何かが俺の頭に現れた。
その記憶の、何か。それが思い出せそうな気がする。
カーテンを閉めた。途端に部屋は影に包まれた。
ペタペタと足音を立てて、ニ階へと上がった。
何かが見える。見えてはいけないものだ。
そうだ思い出した。俺はこの記憶を忘れるために、かつて全力を尽くしたことがあった。
そこまでして何を忘れたかったのだろう。
分からない。
窓という窓を閉め切った。
訴えるように雨粒は窓を殴った。
外に出ると、何もかもを掻き消してしまうような自然の猛威がそこにあった。
雨粒は、責めるように頻りに俺を打った。
何かがおかしい。いや、全てがおかしい。
軈て立てなくなるほど俺は濡れてしまった。
痛い。
俺は何故こんなことをしているんだ?
そうだ。
思い出しかけている。
何をだ。
記憶だ。
遠く、忘れ去られたはずだったあの記憶は。
思い出と呼ぶには余りにも痛々しく、余りにも灰一色に彩られていたあの出来事は。
過去を振り返る時間を奪い、未来を見通す能力を切り裂き、今を生きる体力すら枯らし尽くしかけたあの惨劇は。
見える、何かが空に浮いている。
メリー、光のメリーだ。回っている。
夢か。しかし夢はもはや見れぬ。
こんなにも明るいのでは…
雨は何処かに消えた。