伝染病の特効薬(2)
暗い空気の漂う町の市場で買い出しを済ませると、カイルは宣言通り直ぐに町を出た。しかし町から離れるごとに、ソフィアは足が重くなってくるのを感じた。脳裏に浮かぶのは、助けを求めた子供の泣き顔だった。
ーーもし、始祖の魔女様が現れても、すぐに特効薬を作り出せなかったら…?もし、薬の研究が間に合わなかったら、あの子のお母さんは…。
ーーもし、もしも今この時代で特効薬を作れるのが、私だけだったら…。
ソフィアの歩みは、完全に止まってしまった。
「ソフィア、どうした?」
カイルの問いかけに、ソフィアは震える手を握りしめて顔を上げた。
「私、やっぱり、このままこの町を去ることはできないよ…」
「何言ってるんだ!治療に向かうつもりか⁈」
グッと唇を引き結んでカイルを見つめると、カイルは強くソフィアの肩を掴んだ。
「お前は、魔の者への迫害を分かっていない!
分かってるのか?捕まれば、本当に殺されるんだぞ!」
「分かってる…ううん、確かに私の認識は甘いかも知れない。
でも、それ以上に怖いの!
今、この時代、私だけが治療薬の作り方を知っているのかもしれない。それなのに、私が見て見ぬ振りをして助かる可能性のある人達を見殺しにしてしまう事が、たまらなく怖いの!」
ソフィアの叫びに、カイルは苦しげに顔を歪めた。
「私が、どれだけ馬鹿な事を言ってるか分かってる。それに、私は全ての町を回って全ての患者を治す事なんて出来ないもの…。今からやろうとしてる事は、ただの偽善なのかもしれない。
でも、私はラピスラズリを継いだ魔女だから…。目の前で泣いている子くらいは、せめて救いたいの!魔法は、人を助けるための力だから!
…もちろん、こんな事にカイルを巻き込むつもりはないわ」
ソフィアはカイルからそっと体を離すと、真っ直ぐにカイルを見つめた。
「俺は反対だ。一人でも行くっていうのか?」
ソフィアは一瞬泣きそうに表情を歪めるも、ラピスラズリのペンダントをギュッと握ると顔を隠す様にバッと頭を下げた。
「…何にも分からない私なんかを、ここまで連れてきてくれて本当にありがとう。
何もお礼出来なくて、本当にごめんなさい」
そう言ってソフィアは元来た道を駆け出した。
森に分け入りながら、ソフィアは目的の薬草を探していた。暫くすると特徴的な青い花を咲かせる植物を見つけた。
「良かった!この木のある植生なら、クラギス草も生えてると思った!」
ソフィアは、手が泥だらけになる事も厭わずクラギス草の根茎をそっと掘り出した。クラギス草は葉と花に毒があるが、根茎を適切に処理すればこの病の特効薬となるのだ。
その薬草に関する薬効、毒性全てを把握し、魔力でもって特定の薬効のみを増幅させ、副作用を限りなく減少させる、それが魔法薬だ。しかし、簡単に聞こえるがそんな事はない。まずその薬効とは何か、体内でどのような働きをしているのか、薬草の中でどのように生成されているのかを知らなければ、まず増幅事態が出来ない。薬と毒は表裏一体だ。薬草の組み合わせによっては他の毒性を意図せず増幅させてしまう恐れもあり、魔力による増幅には薬草学、生理学、病態学、薬理学、薬物動態学をはじめとした膨大な知識と細心の注意を必要とした。
周囲のクラギス草を採取し、そのままソフィアは森の奥の廃村を目指した。勢いで来てしまったが、今になって一人きりの不安に足元が揺らついた。たった数日前に会ったばかりなのに、右も左も分からないこの時代の中で、どれだけカイルの存在を頼りにしていたのか身に染みた。
「でも、私はラピスラズリを継いだ魔女だから…」
ーーおばあちゃんなら、絶対に助けたはずだもの。そうでしょう?おばあちゃん…
ソフィアはラピスラズリのペンダントをギュッと握りしめた。