戦いの後
リリア→カイル視点に変わります。
リリアは食事を手に、王城の廊下をある一室に向かって歩いていた。ノックをして扉を開けると、この一ヶ月変わらない室内の様子に胸を痛める。部屋の中央のベットの上ではリリアにとって大切な親友であり恩人の少女がこんこんと眠りについている。その枕元の椅子に座って少女の手を握るのは、リリアのもう一人の恩人である赤髪の青年だ。
「…カイルさん、お食事置いておきますね。少しでも、食べて下さいね」
「…ああ、ありがとう」
返事はしてくれるが、ほとんど食べてくれないのは分かっていた。ソフィアが神の祝福を受けて命を繋いだ事に喜んだものの、あれから一ヶ月も目を覚まさないのだ。もしかしたら、このまま目を覚まさないのではないか…。そんな不安を抱える中で、カイルは少しでも離れればソフィアが消えてしまうのではないかというようにずっとソフィアの手を握っている。その憔悴した様子は、見ていて胸が痛かった。でも、カイルの状態は当然とも思えた。傍から見ていても、カイルは何よりもソフィアの事を大事にしていたから。
リリアは部屋を出て扉を閉めると、窓から見える澄んだ空を見つめてソフィアの回復を神と精霊に祈った。
ーーあの日の光景を、私は生涯忘れることはないでしょう。
リリアは大祭の日、広場の陰からローガンとソフィア達を見守っていた。もしもの時はローガンとソフィアを乗せてラピスラズリ島まで逃げるんだと、箒を握り締めながら。
雨を呼んで王都を救った二人の姿に、リリアの胸には誇りが生まれた。忌避されてきた私たちの力は、人を救う事ができるとても素敵な物なのだと心から思えたから。凛と立つソフィアの、私達の魔女長の姿が誇らしかった。
ーー「怖がってもいい、でも、知って欲しい。魔法使いとヒトは、一緒に暮らしていけます。私たちも、皆さんとおんなじ、人間なんだから!」
ソフィアの言葉に、リリアは知らず涙が溢れていた。それは、私達異端の力を持つ者全ての心からの叫びだったから。それを、ソフィアはたくさんの人々に届けてくれた。それだけでもう、胸がいっぱいになった。ラピスラズリ島で待つみんなにも聞かせてあげたかった。
しかし明るい未来を予見していた矢先の狂信者の襲撃。カイルの首に刃が突き立てられそうになった次の瞬間には、離れた位置にいたソフィアが一瞬で間に現れてその刃を背に受けていたのだ。その背を染める赤色とカイルの慟哭に、リリアはまさかと涙を流しながら駆け出した。しかし次の瞬間、奇跡が起こった。
天からソフィアに降り注ぐ青と金の煌めきに、リリアは知らず膝をついていた。言葉が出ない。それはあまりに突然目の前に晒された神の証明であった。心を満たすあの感動を、言葉に表すのは難しい。きっとあの場にいた全ての人がそうだろう。王都の人間だけではなく、辺境の街でも王都方面の遠い空に輝く青と金の煌めきが見えたそうだ。
ーー伝染病から人々を救った魔女は、王弟と共に悪事を企む教皇の部下に命を狙われたが、天から青と金の輝きが降り注ぎその命を助けた。神はその魔女の命を慈しまれ、祝福された。異端の力をもつ者とは、精霊の祝福を授かった者だったのだーー。
国と教会のあり方を変えたこの歴史的な出来事は、もう全ての国民に知れ渡っている。神の祝福を受けし少女を害し、精霊の祝福を受けし異端の力を持つ者たちを魔の者として処刑させていた教皇と王弟は、問答無用で捕らえられた。自らの親の悪事を精算するために立ち上がった教皇の次男が現在は教会の改革に乗り出しているのだと、その勇姿を称える声も大きい。
実際のところは、ローガンは「こんなに忙しくなるなんて聞いてない!」と泣きながら教会の改革の責任者としてメイソン卿と共に忙しく働いている。「全部落ち着いたら、僕は絶対にリリアと一緒にラピスラズリ島に行きますからね!」と先日涙目で宣言していた。
魔の者の迫害に反対していた王と王子への国民からの支持も大きく、王弟におもねっていた貴族たちは顔色を悪くしているという。
もう、私たちを魔の者として蔑む人はいない。私達の未来を、ソフィアさんは照らしてくれた。
だから、早く起きて下さい。みんなで一緒に、ラピスラズリに帰りましょう。
***
カイルはこんこんと眠るソフィアの枕元で打ちひしがれていた。
なぜあの時、動けなかったのか。分かっている。あれは恐らく時の魔法だ。生を諦めかけた時、一瞬でソフィアが剣と俺の間に現れた。ソフィアが魔法を使ったとしか考えられない。俺には防ぎようがなかったと分かっていても、それでも、俺の代わりにソフィアが傷つくような事は絶対に阻止したかった。たとえ俺が死んでも、ソフィアには幸せになって欲しいと願っていたのに…。
…俺が、しっかりと奴にとどめを刺せていたら、こんな事には…。
カイルは自分が許せずに血が滲むほど強く拳を握りしめる。
「ソフィア…」
痛々しい包帯が巻いてあるが、ソフィアの傷自体は命に関わるような物では無かった。カイルの回復魔法では完全には傷を塞ぎきれなかったが、小さな痕しか残らないだろう。しかし、時の魔法を使った反動でソフィアは眠り続けていた。魔法を少しかじった程度のカイルにでも分かる。時の魔法とは人の扱える物じゃない。自然の摂理を捻じ曲げる、それこそ神の領域の魔法だ。それを成功させたソフィアは、一体どれだけの代償を払わなければいけないのか…。ちょっとした魔法で気を失っていた頃のソフィアを思い出し、カイルはゾッと体を震わせた。
「頼む、目を覚ましてくれ…」
あの日から、ソフィアはもう一ヶ月も眠り続けていた。カイルは何度も回復魔法をかけたし、神の御子であった女性も協力を申し出てくれて試したが、何の改善もみられなかった。
あの日の出来事から、異端の力を持つ者への迫害は無くなった。むしろ精霊の祝福を持った者を保護しようと、教会は積極的に動いている。教皇によって監禁されていた子供たちもすぐさま助け出され、現在は親元に返されたり、親に売られたり虐待されていた子は教会で手厚く保護されている。
ソフィアが望んでいた、魔法使いとヒトが共に暮らせる世界に大きく一歩を踏み出したのだ。
しかし、今そんな事はカイルにとってどうでもよかった。そこにソフィアの笑顔がないのなら、何の意味もない。迫害のない世界を望んだのは、ソフィアに笑顔でいて欲しかったからなのだから。
カイルは縋るようにソフィアの手をギュッと握りしめて俯いた。




