大祭前夜
「ギャァーーー!落ちる!死ぬぅー!」
王都の空に、ローガンの悲鳴が木霊する。
「ローガンさん、大丈夫ですよ!さっきカイルが浮遊の為の風魔法をかけてくれていたので、落ちる事はありません!」
ソフィアの励ましの言葉を聞く余裕もないのか、ローガンはメイソン卿の屋敷まで叫び声を上げ続けた。地面に降り立ったとたん、糸が切れた様にパタリと倒れ込む。
「…大丈夫ですか?」
ソフィアの問いかけにも、ピクリとも反応しない。しかしカイルが箒で降り立ったのに気がついた屋敷の者が伝えたのであろう、メイソン卿と共にやって来たリリアの声を聞いた途端、ローガンはバネのように体を起こす。しかしリリアは誘拐されたと聞いていたソフィアの心配でいっぱいで、ローガンには気がつかずにソフィアに抱きついた。
「ソフィアさん!良かったです!誘拐されたと聞いて本当に心配で…!」
「リリア、心配かけてごめんね!」
涙目のリリアとギュッと抱き合っていると、横合いから「リリア〜」との情けない声が聞こえて来た。ローガンの存在にやっと気がついたリリアは目を大きく開いて驚いた声をあげる。
「ローガン様!」
「リリア!よ、良かった、君の無事を確認したかったんだ」
「はい、私は教会から出た後、ソフィアさんとカイルさんに助けてもらえたんです」
「そうか…!」
「ローガン様、あの時は逃していただいて本当にありがとうございました。ローガン様はその事で何か罰を与えられなかったですか?」
「大丈夫だ!上手く誤魔化した。それより、本当にリリアが無事で良かった」
大粒の涙を浮かべるローガンに、リリアは頬を染めて嬉しそうな笑顔を浮かべる。ローガンに合わせて地面にしゃがむリリアの手をローガンはギュッと握りしめた。
二人の様子を嬉しそうに見ていたソフィアとカイルに、メイソン卿が穏やかな顔で話しかけた。
「カイル君、ソフィアさん、無事で良かった」
「司祭様!ご心配をおかけしました」
「まさかローガン君も連れて来るとは思わなかったよ」
「ローガンさんに助けてもらったのです」
ソフィアの言葉に、メイソン卿はコクリと頷く。
「リリアさんからも話を聞いていたが、ローガン君は勇気のある若者なんだね。教会本部にいた頃はジャイナ卿の手前、彼とあまり話をする事がなかったのが悔やまれる」
リリアとの涙ながらの感動の再会を果たすローガンに、メイソン卿は改めて声をかけた。
「ローガン君、久しぶりだね」
「あ、メイソン卿!お、お久しぶりです」
「ソフィアさんを助けてくれたそうだね。彼女は私達の恩人なんだ。君の勇気に心からの感謝を」
「ローガン様がソフィアさんを助けてくれたのですか!凄いです!ソフィアさんを助けてくれてありがとうございます!」
「いや、そんな大した事は…」
メイソン卿の感謝の言葉とリリアの絶賛に、ローガンは照れた様に頭をかく。
「君は教会から追われる立場になってしまったが、これからどうするんだい?」
「あー、その、リリアの無事を確かめたかっただけで、これからの事は何も…」
メイソン卿の問いに、ローガンはリリアをチラチラ見ながら口籠る。そんなローガンに対して、メイソン卿はある提案を持ちかけた。
「私達は教皇と王弟の罪を暴き、その排斥を目指している。いわば君の父君の敵に当たる訳だ。それでも、君はこの国の民の為に私達に協力してくれる気はあるかい?」
「父や兄がどうなろうと自業自得なんでどうでも良いです。散々権力のために後ろ暗い事やってますし。
…ただ、僕に何か出来るとは思えないんですが…」
メイソン卿の提案に、ローガンは何故僕に?と訳が分からないという顔で疑問を呈した。
「いいや、君だからこそできる事がある。もし、君に覚悟があるのなら…、君に、教皇の罪を告発して欲しいんだ」
メイソン卿の言葉にローガンは驚いた様に目を開けて狼狽した。
「ぼ、僕がですか?いやいや、そういうのは皆に認められているメイソン卿がすべきでは…」
「いいや、身内の君だからこそ、国民の信憑性を高める事ができると思うんだよ。私では、ただの内部の権力争いと捉えられてまう可能性がある。魔の者を捕らえるための神兵の創設やそれを利用した悪事は、そんな物に収まって良いものではない。教会の存続に関わる、精霊信仰の根本的な問題だ。今、私達はその間違いを正さねばならない」
旧聖堂でのソフィアとの会話を思い出したのかローガンはグッと押し黙る。
「それに、教皇が捕まった際に君は身内として裁かれるかもしれないよ。しかし君が告発をすれば、君は身内の罪を許せなかった勇気ある若者として今後も堂々とリリアさんといられる」
「そ、それは…」
メイソン卿の言葉にグラグラと揺れるローガン。しかし、ハッと顔を青ざめさせると下を向いてゴニョゴニョと言葉を紡ぐ。
「でも、もしも王権が王弟の手に渡ってしまえば、僕は裏切り者として殺される…」
争い事が苦手なローガンにとって、父との対立なんて今までの人生で考えられないことだった。リリアを逃す際も、騙されて扉を開けてしまったのだと馬鹿なフリをしてやり過ごした。馬鹿にされるくらい、命を狙われるよりもよっぽどマシだったのだから。それなのに、大勢の前であの恐怖の権化である父や兄を告発する…?恐ろしさに震えるローガンに、ソフィアはそっと声をかけた。
「命なんて、かけなくて良いんですよ」
「え…?」
「もしもの時はリリアと共にラピスラズリ島に飛んで逃げれば良い」
「そうですわ!私の箒で一緒に逃げましょう!」
ソフィアに続き、カイルとリリアの言葉に「逃げても、良いのか…?」と、ローガンは肩の力が抜けた様に零す。迷子の様な視線をメイソン卿に移すと、ゆっくりと頷かれる。
「勿論だ。もしもの時は逃げて欲しい。脅す様な事を言ってしまい済まないね」
メイソン卿は謝罪をするが、その瞳は真摯にローガンを見据えていた。
「だけどね、これはリリアさんの為にもなる事だ。このまま教皇と王弟が権力を握れば、魔の者としてリリアさん達は終われ続ける事になる。それは阻止したいだろう?」
メイソン卿の言葉に、ローガンはピクリと反応した。そして横で心配そうにローガンを見上げるリリアを見つめて、彼は拳を握って顔を上げた。
「うう、できれば今すぐラピスラズリ島とかいう所に行きたいけれど…。…分かりました!リリアの為にも、僕はやります!その代わり、もしもの時は僕達をしっかり逃がしてくれよな!」
最後の言葉はビシリとカイルに向けられ、カイルは「分かった」と頷きを返した。
そして話がまとまった所でおもむろにカイルはソフィアの手を引いた。
「では、少し抜けます。ソフィアの手当てをしてくるので」
「ああ、気がつかずに済まなかったね。二階の客室を使ってくれ」
「ありがとうございます」
メイソン卿の言葉に感謝を伝えると、カイルはソフィアの手を引いて歩き出した。
「カイル、私は大丈夫だよ?」
「いいから」
手を引かれて屋敷の一室に連れて行かれると、カイルはソフィアを椅子に座らせた。自身も正面の椅子に座ると手を伸ばし、壊れ物を扱う様にそっとソフィアの頬を大きな手で包む。そして集中する様に目を閉じるとカイルから淡い光が溢れて魔法陣を作り出した。燐光がソフィアに吸い込まれると、ジンジンと痛みを伝えていた頬からゆっくりと熱が引いていった。
「すまない、俺の回復魔法じゃ完璧には治らないな。まだ少し赤みが残っている」
「そんな事ないよ。回復魔法の基礎しか教えてないのに実際に使えているんだもん。凄すぎるくらい。
それに痛みも無くなったよ!カイル、ありがとう」
カイルの当ててくれている手の冷たさが気持ちよくてソフィアはホッと目を閉じた。しばらくして何も言わないカイルが気になって目を開けると、鳶色の瞳がじっとソフィアを見つめていた。「カイル…?」と首を傾げると、体ごと包み込む様にギュッと抱きしめられた。
「か、カイル⁈」
「…すまない。少しだけ、このままで…」
ソフィアは頬を染めてワタワタと慌てるが、カイルの切なげな声にピタリと動きを止めた。
「…守ると誓ったのに、助けるのが遅れてすまなかった」
「何でカイルが謝るの?カイルは助けてくれたじゃない」
「だが、怪我もしたし怖い思いも沢山させてしまっただろう?何より、もしもローガンさんがいなかったら…、俺は、間に合わなかったんじゃないのか?そう思うと、自分を殺してやりたくなる」
「カイル…」
ーー私はカイルに、どれだけ心配をかけてしまったんだろう…。
ソフィアの存在を確かめるかの様な強い強い抱擁に、ソフィアも瞳を潤ませてカイルの服をギュッと握った。
「教会に侵入してもソフィアはいなくて、アスラ侯爵が無断で休んでいると報告を受けて駆けつければソフィアは狂信者に連れて行かれたと聞いた。正直、心配で気が狂いそうだった…」
「心配かけてごめんね。アスラ侯爵は、大丈夫なの?」
「心配ない。俺が駆けつけた時は虫の息だったが、ソフィアの薬のお陰で今は命に別状はない。ソフィアに謝りたいと言っていたよ」
「良かった…」
ホッと息を吐いたソフィアの頭にカイルはコツリと自身の額を押し当てた。
「ソフィアが俺の名前を読んでくれたから、教会でソフィアを見つけることができたんだ」
「あ、あの時の?あんなに小さな声を拾えたの?」
「実際に声を拾ったわけじゃない。けど、呼ばれた気がしたんだ。きっと、風の精霊が声を届けてくれたんだろう」
「そっか…」
風の精霊への感謝を心の中で捧げながら、ソフィアはカイルの胸に額を押し当てた。そんなソフィアを、カイルはさらにギュッと抱きしめる。
「俺を呼んでくれて…、俺のところに戻ってきてくれて、ありがとう…」
「私も、カイルのところに帰りたかった…。来てくれて、ありがとう…」
ソフィアは何よりも安心するカイルの腕の中で瞳を閉じた。温かなこの場所に帰って来れたことが何よりも嬉しい。私の帰る場所は…、帰りたい場所は、いつの間にか元の時代ではなくカイルの所になっていたのだと改めて気がついた。
夜明け前の静寂の中、二人は抱きしめあいながらお互いの存在を確かめていた。
どれだけの時間が経ったのか…、二人だけの部屋の中に東の空から夜明けの光が差し込む。二人はともに窓に顔を向けて薄明の空を見つめた。
「もう朝だね…」
「長い一日だったな…」
「うん。それに今日は、大祭の日なんだね」
「…大祭では、俺は隠れてメイソン卿やオースティン達の護衛をするつもりだ。ソフィアはここで…」
「私も、一緒に連れて行って!」
被せるように言ったソフィアの言葉に、カイルは呆れたように笑って頷いてくれた。
「…そうだな。俺も、もうソフィアが手の届かない所で危険な目に遭うような思いは二度としたくない。一緒に行こう」
「うん!」
ソフィアとカイルは手を握りあって東の空の美しい朝焼けを見つめる。それは時代の転換点となる大祭の始まりを告げる黎明の光だった。