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誘拐(2)


「ん…」


頭に鈍い痛みを感じてソフィアが目を覚ますと、そこは貴族の邸宅の様な部屋の中だった。


「どこ…ここ…。痛っ…!」


起きあがろうとしたところで、馬車の中で打った肩が痛んだ。キョロキョロと部屋の中を見回すが、見覚えのある物は何もない。ズキリと痛む頭部に、段々と気を失う前の事を思い出してきてソフィアは顔を青くさせた。


「私、誘拐…された?」


御者や、護衛の騎士の人は無事なのか真っ先に頭に浮かぶ。そして、ただの誘拐ならまだ良いが、王の治療を行った者を目的としているのなら、カイル達に迷惑がかかってしまうかもしれない。


「カイル…」


ソフィアはラピスラズリのペンダントを握りしめて皆の無事を祈った。

その時、ギィッと扉の開く音がしてソフィアは肩を震わせる。振り返ると、騎士の制服を着た体躯の良い壮年の男が立っていた。


「あなたは…」


恐る恐るそう問い掛ければ、男の鋭い双眸がソフィアを睨む。


「お前が、王の治療をした女だな」

「…だったら、何だと言うのですか」


疑問形でありながらも確信しているであろう男の問いに、震える声を悟られぬ様キッと男を睨みつける。すると男は腰から剣を抜いてソフィアの首に当てた。冷たい剣の感触に、ソフィアの額を冷や汗が流れた。


「立って歩け」


足の震えを誤魔化すように、ソフィアは気丈に立ち上がった。

ーー相手の目的を探らなければ。王弟派か教会か…それとも、また別の者なのか。


背中に剣を突きつけられたまま、ソフィアはある部屋へ連れて来られた。扉を開けると、そこは予想に反して花柄の壁紙や少女向けの家具の並んだ可愛らしい部屋だった。そして中央の寝台には、ソフィアより年下だろう少女が横たわっていた。幼なげな少女の顔には、しかしいくつもの赤い発疹が覆っている。少女自身も発熱の為か苦しげな息を吐いていた。


「この子は…」

「私の娘だ。お前には、この子を治療してもらう。この子を害する動きをすれば、すぐに切り捨てるぞ」


ソフィアは目を見開いて男を見上げた。鋭い双眸は変わらないし、突きつけられている剣はソフィアが怪しい動きをすれば躊躇いなく振り下ろされるだろう。でも、ソフィアは目の前の男がただ恐ろしいだけの人物とは思えなくなった。ピリピリとした空気は、子の命を守る為に威嚇する野生動物の様で…。


「…分かりました」


ソフィアはそっと枕元の椅子に座ると少女の脈をとる。

男は油断なくソフィアを監視しており容易に逃げ出せるとは思えなかった。それに、目の前の苦しんでいる女の子を放ってはおけない。今は、自分に出来ることをしよう。ソフィアは気持ちを切り替えて少女を診る。


おおよその診断を終えて、ソフィアには気になる点があった。ソフィアの診断通りなら、これほど症状が進行しているのが不自然だったのだ。


「いつからこれほど症状が酷くなったのですか?今まではどの様な治療を?」

「…この子は昔から病弱だった。ただ、一年前から身体中が赤く腫れて熱が下がらない。最近は、ずっと寝たきりだ。何人もの医者に見せたが、原因も分からなかった。…だから、奇跡に縋った」

「奇跡?」

「神の御業だ。もう、神の御子に縋るしかなかった。自分がどれだけ裏切り者と誹られようとも、亡き妻の忘れ形見のこの子だけは、何としても助けると誓った。

それなのに、治せなかった!神の御子でも、治せなかったんだ…‼︎」


氷の様だった男が初めて表情を変えた。


「教皇の犬に成り下り、王を裏切ったにも関わらず、この子を助ける事は出来なかった。むしろ、神の御業を受けるたびに症状は悪化している様な気さえする。教皇は言ったさ。私の信仰心が足りないのだと。

その時点で薄々気が付いてはいたんだ。神の御子では治せないかもしれないと。しかし、もうそれに縋るしかなかった。次の治療では、次こそは良くなる筈だと!」


魂を揺さぶる様な男の慟哭に、ソフィアは息を飲む。そして気づいた。この人は、病弱な娘のために王子の暗殺を図ったと言われていた近衛隊長のアスラ侯爵なのではないだろうか。


「そんな時に、王の病が回復してきている事に気がついた。腐っても近衛隊長として情報を得る手段は色々とあるからな。

王子の側に潜んでいるフードの人物…あれは、ラスティーダだろう?あいつのせいで最後までお前の存在は隠されていたが、王の治療が終わった事で気が緩んだのだろう。確かに王弟側の人間が気づいたのならば王の治療が終わるまでに何としてもお前を亡き者にしようと考えるからな。

だが、私は確実に王の病が治るのかを見極めていた。王宮医師でも全く手が出せなかった王の病を治せる知識を持った者がいるのなら、その者を確実に確保するために…!」


男の暗く濁った双眸がソフィアを捉える。


「運が良かったな。私がただの王弟側の人間なら、私はお前の事を報告して直ちに暗殺の任が下っただろう。だからその代わり、お前は命をかけて娘を救え。娘が助かれば、ラスティーダの元に返してやる。…だか、救えなければ…」


押し付ける剣先がピリッとした痛みと共にソフィアの首筋に赤い筋を残す。しかしソフィアは痛みに顔を顰めながらも、深い青色の瞳で真っ直ぐに男を見上げた。


「私は魔女です。魔女が患者の治療を行うのは当然の事。…だから、貴方が私を脅す必要なんて無いんですよ」


ーーだから、そんなに怯えないで。


娘を失う恐怖に支配されている男を、ソフィアは静かな瞳で見つめかえす。娘を救う為に悪事に手を染めるこの男の事を、ソフィアは責めることは出来なかった。そして娘は勿論、この男の事も救いたいと思った。私には、その力があるのだから。

脅しにも恐怖を浮かべず瞳に強い意志をのせるソフィアに、男はたじろいだように剣を下げた。


「大丈夫です。私が、娘さんを治します」


静かなソフィアの言葉に、男は一瞬息を飲んだ。そして、やや震える声でソフィアに問う。


「本当に、救えると言うのか…?神の御子でも、救えなかったのに…」

「神の御業で症状が悪化したということは、症状からみても魔力によって免疫を活性化されたためでしょう。恐らく娘さんは、免疫が過剰に働いてしまう病気に罹られています」

「免疫…?いや、細かい話はいい!治せるのか⁈」

「私の鞄は、ここにありますか?」

「ああ…」

「良かった。王子様のご好意で、いくつか貴重な生薬もいただいていたのです。すぐにでも、魔法薬を作れます。

ーー大丈夫、治りますよ」


ソフィアの言葉に、アスラ侯爵の瞳に小さな光が煌めいた気がした。彼はゆっくりと剣を下ろすと、口を閉ざしたまま炊事場にソフィアを連れて行き、ソフィアの調合の作業を後ろからじっと監視していた。

しかし、魔力を込める段階で神の御子と同じ光を纏うソフィアを見て、アスラ侯爵は険しい顔でソフィアの腕を折れるほど強く掴んだ。


「おい、この光は神の御子と同じではないか⁈本当にあの子を治せる薬なのだろうな⁈もしも騙して毒を飲ませてみろ、お前を…」


ソフィアはその脅しの言葉を吐く男に、挑む様に真っ直ぐな強い視線を返した。


「見くびらないで下さい。魔法は、人を助ける為のもの。例え自身の命が危機に瀕していても、魔女が人に毒を飲ませる様な真似は絶対にしません。

それが、精霊の友である私たち魔法使いの誇りです!」

 

ラピスラズリの瞳は、男でさえハッとするほど強い輝きを放っていた。魔力の燐光を纏うその姿は、まさに精霊の加護が顕現したかの様な光景だった。


「私も、娘さんを救いたいと思ってます。だから、私を信じて下さい」


ソフィアの言葉に、アスラ侯爵は苦悩するようにグッと黙り込むと、手を離して今度こそソフィアに場所を譲るとその作業を見守った。

出来上がった薬は、ソフィアの手ですぐに少女に投与された。


それからどれくらいの時間が経っただろうか。外から夕日の赤い光が部屋を照らしていく中、徐々に体から赤みが引いていく少女の容態をソフィアとアスラ侯爵は静かに見守っていた。

ソフィアが少女の熱が下がってきたのを確認する為に額に触れた時、むずがる様にまつ毛が動いて少女はついに瞳を開いた。その瞳は、直ぐに少女の父親を捉える。


「ん…。あれ、お父様…?」

「アンナ!目が覚めたのか⁈体は大丈夫なのか?」


矢継ぎ早に尋ねる父親に、アンナという少女は嬉しそうに微笑んだ。


「あのね、なんだかすごく体が軽いの。体もね、もう痛く無いのよ。こんな事はじめて!」

「そうか。そうか…!」


アスラ侯爵は娘にだけ見せる柔らかな笑みを浮かべると、目尻の涙を隠す様にアンナの目元に手のひらを当てて優しく話しかける。


「アンナ、もう少し寝ていなさい。次に起き時には、もっとずっと良くなっているよ」

「そっかあ、嬉しいな…」


熱で体力を消耗していたせいだろう。アンナは直ぐに再び眠りについた。しかし、顔の腫れや湿疹は随分と治り、穏やかな寝顔は初めに見た時とは見違える様だった。しばらくその寝顔を眺めていたアスラ侯爵は、振り返るとソフィアに部屋を出る様にと促す。そして共にアンナの寝室から出て扉を閉めた瞬間、跪いてソフィアに騎士の礼でもって頭を下げた。


「魔女殿。娘を救ってくれた事、心からの感謝を。そして、貴女を誘拐するような真似をし、脅した事…誠に申し訳なかった。誇りを失った騎士なれど、貴女には誠心誠意の償いをしたい。償いに貴女が死ねと申されたなら、私は喜んで命を捧げましょう」


冗談ではなく本気で命を断ちそうなアスラ侯爵の言葉に、ソフィアは慌てたように首を振る。


「命なんていりません!貴女はこれから娘さんを守っていかなければならないでしょう?」

「王への裏切りを働いた私は、元より娘の病が治れば出頭しようと思っておりました。ですから私がいつ死んでも良い様に、娘のことは使用人達に任せております」


潔い騎士の台詞に、しかしソフィアは先程の少女の笑顔を思い出して顔を暗くさせる。


「罪を償う必要はあるかもしれません。それでも、自分のせいで貴方が死んだと知ったら、娘さんは悲しむでしょう」

「それは…」

「なので、生きることを諦めないで下さい。私の願いは、それだけです」

「…分かりました。しかし、それでは貴女への償いになりません」


元から真面目な性格なのだろう。てこでも動かないと言った態度にソフィアは頭を悩ます。


「私は、カイルの所に帰してくれればそれで良いんですが…。

じゃあ、一つだけお願いが。…カイルの、助けになって欲しいんです」

「ラスティーダの?」

「カイルは、私の命の恩人ですから」


ソフィアの言葉に目を見開いたアスラ侯爵は、次いでしっかりと頷いた。


「承知した。娘の命の恩人である貴女の言葉に従いましょう。さしあたっては、すぐにでも貴女を王宮へお送りします」


そう言ってアスラ侯爵が立ち上がった直後、階下から人の争う声が聞こえてきた。


「なに…?」


困惑の声を上げるソフィアを、険しい顔をしたアスラ侯爵が背後に庇う。直後、部屋に六人の神兵が雪崩れ込んできた。集団の先頭には、仮面をつけた青いマントの神兵がいた。


「教会の狂信者が、我が家に何の用だ」


睨みつけるアスラ侯爵の問いに、仮面の神兵ーー神兵総隊長ダミアンはニヤニヤと笑いながらその背後のソフィアを指さす。


「私が用があるのは、そのお嬢さんだよ」

「彼女は、ただの娘の友人だ」

「ほう、その発言は、教皇様へ偽りの報告をするということになるけど、いいのかな?まさか君、王を裏切った上に教会をも敵にするというのか?」

「何を言っているか分からんな。私は娘の見舞いに来てくれた少女を送って行かねばならないので、これで失礼させてもらう」

「おおっと、そんな見えすいた嘘で騙せるとでも思っているのか?その女…王を治療した者だな?」


ダミアンの言葉に、アスラ侯爵はぎりっと歯を食いしばる。アスラ侯爵の言葉でソフィアはダミアンが以前襲ってきた神兵だと気づいたが、不幸中の幸いかダミアンはソフィアが以前追い詰めた魔の者である事には気がついていない様だった。


「何を根拠に…」

「我々が君に監視をつけていなかったと思っているのか?毎日の様に神の御業の申請に来ていた男が数日前からとんと来なくなれば、何かあったと思うだろう?娘が死ねば、君は教会を裏切るだろうことは分かっていたさ。だから屋敷を監視し娘の生死を確認させに行ったら、なんと真面目を絵に書いた様な君が少女を誘拐して来たと報告があって驚いた。そしてその少女が治療を行なっていると言うじゃないか。王の回復の時期と一致する。その女が王を治療した者だ」


ダミアンの確信を持った言葉と共に、アスラ侯爵は剣を抜き放つ。


「隙を見て逃げて下さい」


アスラ侯爵の言葉にソフィアは入り口を振り返るが、そこはすでに他の神兵が塞いでいた。アスラ侯爵は舌打ちをすると、入り口真正面に立ち塞がるダミアンに向けて素早く剣を打ち込んだ。


「ハハ、いくら近衛隊長でも、この私に敵うと思っているのか?」


ダミアンは悠々と剣をいなすと、次第に激しくアスラ侯爵を追い詰め始めた。二人が接近しているせいで、魔法の細かい制御が出来ないソフィアでは援護も難しかった。

ソフィアが何も出来ない内に、勝負はすぐについた。剣を跳ね飛ばされたアスラ侯爵に向けて、ダミアンが無慈悲な一撃を放つ。床に倒れ伏したアスラ侯爵と広がる赤い血溜まりに、ソフィアは顔から血の気が引いていくのが分かった。


「そんな…。何で、ここまで…」


血塗れの剣を腰に収めたダミアンが、震えるソフィアの腕を掴む。


「さあ、お嬢さんには一緒に来てもらうよ」

「待って!せめて応急処置をさせて!」


腕を振り解こうとするソフィアの腕を、ダミアンは捻り上げた。


「痛っ!」

「誘拐犯を退治してやったんだ。感謝して欲しいくらいなんだがね」


容赦ない力で引きずられながら、ソフィアは自身の無力さに打ちひしがれながら遠ざかるアスラ侯爵の姿を見つめる。しかし次いで機嫌良さげに呟かれたダミアンの言葉に、ソフィアの頭は真っ白になってしまう。


「今日は教会に侵入したカイル・ラスティーダを仕留め損なってしまったが、この女を連れていけば教皇様に良いご報告が出来る。ま、あの男ももう毒が回ってくたばっているだろうがな」


その言葉に、ソフィアは目を見開いた。叫び出しそになるのを、なんとか堪える。それでも、ポロポロと涙が頬を濡らしていった。


ーーもしかして、カイルは私を探しに来てくれたの…?でも、怪我、してるって…。ちゃんと、治療出来ている?私が、誘拐なんてされたせいで…!


カイルが危険な状態なのではと、心配と焦燥感で胸がはち切れそうだった。でも、仕留め損なったということは、ちゃんとカイルは逃げ切ったはずだ。大丈夫。きっと、大丈夫。そう信じ込まなければ、とても立ってはいられなかった。出来ることならば、すぐに飛んでいって治療したかった。


ーー会いたいよ、カイル…!


ソフィアはギュッと目を閉じてカイルの無事を心から祈った。


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