ラピスラズリ島
緑鮮やかな初夏の日、ソフィアはラピスラズリ島の中心街の薬屋を訪ねていた。中心街は家や店が思い思いのパステルカラーで塗られており、花々も咲き乱れたくさんの色が溢れている。大きな居を構える薬屋も目に鮮やかなエメラルドグリーンの外壁をつる植物が覆っており、小さな白い花がそこかしこで外壁に彩りを添えていた。
「こんにちは、おばさん。これ今週の薬よ。」
「ああ、ソフィアちゃん、助かるわ!最近は魔法薬を作ってくれる魔女が少なくて」
嬉しそうにソフィアの薬を受け取るのは、『回診』の指揮をとる魔女だ。ラピスラズリ島の属するランダン王国の主要都市や、医者のいない僻地などにラピスラズリの回復魔法を得意とする魔法使い達が定期的に訪れて患者を診るのだ。その際に使用する魔法薬を、ソフィアは定期的に納めていた。
「みんな、回復魔法があるものね」
「確かにその場で出来て便利なんだけど、時間も魔力も消費するから出来れば魔法薬で済ませたいのよ。効果も確実だしね。何より、回復魔法では治療出来ない疾患もあるでしょう?でも、魔法薬を作れる程になるにはかなり長い期間の修行が必要だから、最近の若い子はなかなかなり手がいなくてねぇ」
「…私は、これしか出来ないから…」
回復魔法だけではない。ソフィアは全ての魔法が使えなかった。魔法として形に出そうとした魔力は、まるで何処かに吸い込まれるように消えてしまうのだ。唯一出来るのが、魔法薬に魔力を込めることだった。
「そう言えばソフィアちゃん、十六歳になったのにまだ一度もラピスラズリを出た事がないだろう?次の回診の時、一緒に行ってみないかい?」
「えっ!
あ…だめよ…。ラピスラズリの外には、最低でも箒で自由に飛べて自衛の魔法が使える者しか出てはいけないって決まりがあるじゃない」
「そんな埃を被ったような風習、今じゃ誰も気にしないよ?」
「いいの。それに、私が回診についていっても、回復魔法も使えないから邪魔になるだけよ。だったら、ここで魔法薬を作っていた方が救える人は多いわ」
どんなに箒に焦がれても、飛ぶ事は出来なかった。寝る間を惜しんで必死に努力しても、魔法は使えなかった。それでも、泣き言なんて言えなかった。これ以上おばあちゃんの顔に泥を塗らないように、せめて自分に出来ることをやらなければ。外の街へ行ってみたいなんて我儘、とても言い出す事は出来なかった。
「おばあちゃん、ただいま」
ソフィアが家に戻ると、ソニアはピンと背を伸ばして書き物机で手紙を綴っていた。
「おばあちゃん、起きていて大丈夫なの?」
「今日は調子が良いからね」
「良かった!今日は夕飯におばあちゃんの好きなスープを作るからね。少し待ってて!」
嬉しくなって、パタパタと支度をしながら、買ってきた食材をしまい、夕飯の準備に取り掛かった。最近はおばあちゃんは食欲も落ちてあまり食べられなくなっていたけれど、今日はたくさん食べてくれるかもしれない。夏野菜をたくさん入れて、いっぱい栄養を取ってもらおう。ソフィアは素早く野菜の皮を剥き、下拵えを終わらせる。
「魔法が使えたら、もっと早く済ませてご飯を持っていってあげられるんだけど…」
魔女達は、料理にも掃除にも魔法を使う。風の魔法でクルクルと皮が剥け、均等に切られた野菜達が整列してお鍋へ自ら飛び込んでいく。おばあちゃんが昔見せてくれた光景は、幼いソフィアにとってとても心踊るものだった。指揮するようにおばあちゃんの指先から放たれる魔法で箒は踊りだし、ホコリだってキラキラと輝いて見えた。
老化による体力の衰えと共に、魔女の魔力も減っていく。今ソフィアの家では野菜もお鍋も箒も踊る事はなく、黙々とソフィアの家事をする音だけが響いた。
おばあちゃんは元から寡黙な人だ。赤い髪色と真逆の氷の魔女だなんて呼び名もあった、凛として強く、誇り高い人だ。それでも、心はとても暖かい。私が何度魔法を失敗しても、笑わずに徹底的に魔法理論を教え込んでくれた。私がどんなに笑われても、自分に出来る事で見返しなさいと魔法薬の真髄を叩き込んでくれた。
私は、おばあちゃんの孫として恥ずかしくない魔女になりたかった。何で私は魔法を使えないのだろう。もしも魔法が使えたなら、…私を自慢の孫だと、言ってくれただろうか。