魔法の使い方(1)
廃村から逃げ出し数日、追っ手を撒く為に町から離れて森の中で焚き火を囲んでいたとき、ソフィアは意を決したようにカイルに話しかけた。
「あのね、カイル。もし、嫌でなければ…魔法の使い方を教えようか?もしもの時、便利だと思って…」
「は?俺が、魔法を…?」
驚いた様に目を見開き何も言わないカイルに、ソフィアは焦ってしどろもどろに謝ってしまう。
「あの、気を悪くさせたならごめんね!カイルにとっては、魔力のせいで追われてるんだもん、自分が魔法を使うなんて、嫌だよね…」
しおしおと肩を落とすソフィアに、カイルは慌てて首を振った。
「いや、嫌な訳じゃない。俺がソフィアの言う魔法を使えるとは思わなくて、驚いただけだ」
「どうして?落ちこぼれの私なんかより、カイルは絶対に優秀だよ」
「ソフィアの魔法は、なんと言うか…人を救うための、とても優しいものだから。俺は、突風を起こして人や周囲の物を薙ぎ倒した事しかないから、同じものだという感じがしないんだ」
「それは、使い方を知らないだけだよ!大きな魔力を持ってるのに、この歳まで暴発もさせずに独学で制御してきたんだもの。それは、とってもすごい事なんだよ!やり方さえ知れば、カイルは凄い魔法使いになれるよ!」
夢中で捲し立ててしまったが、カイルはふっと笑うと頷いてくれた。
「そうか…じゃあ、お願いできるか?」
「う、うん!
…あ、でもね、私は落ちこぼれだから、魔力の使い方や魔法理論は教えられるけど、実演はできないの。それは、ごめんね」
「ソフィアが謝る事じゃないだろ?教えてくれるだけでありがたい。いつも押さえつけているだけの魔力も、制御しやすくなるんだろ?」
「うん!それにね、魔法はとっても便利なのよ!旅先で水が無くて困った時は水魔法で水を出せるし、木魔法では畑の植物の成長を助けて毎年豊作に出来るし、風魔法では空も飛べるのよ!」
カイルに少しでも恩返しができる事が嬉しくて喋っていると、カイルが穏やかに笑ってソフィアを見ているのに気がついた。
「カイル?」
「いや、やっぱり、ソフィアの魔法は優しいんだなと思って。ソフィアは、魔法が好きなんだな」
「あ…うん、そうだね…。ずっと、私だけ魔法が使えなくて辛かったけど、それでも、おばあちゃんが見せてくれたたくさんの魔法は、ずっとずっと大好きだった」
ソフィアは遠くの光を見るように頬を緩めた。そして改めて、魔法についての説明を始める。
「魔法はね、精霊の力を借りて自然の力を増幅させて、色々な現象を起こすの。精霊の力を借りるために使うのが、自身の魔力で作り出す魔法陣よ。どのような現象を、どの範囲で、どの威力で起こしたいのかを魔法陣に書き込んでそれにみあった魔力を流す事で魔法が発現するの」
ソフィアは、簡単な魔法陣の例を地面に描き出す。
「でも、まずは望む現象がどの様に起こっているのか、魔法理論を理解しなければいけないの。でなければ、精霊に何を手伝って欲しいのか伝えられないでしょう?強い火を起こすのならば、そこには火種が必要で、かつ空気中にある火が燃えるために必要な物質を必要量その範囲に凝集させなければいけないわ」
魔法使いの子供達は、幼い頃から魔法の基礎となる自然科学を叩き込まれるのだ。
「何度も繰り返した簡単な魔法なら、魔法陣なしでも使えるようになるの。でも、はじめは全ての魔法は魔法陣を通して使うのよ。そして全ての魔法陣には、風魔法の制御が入っているの。風魔法が威力や精度を制御しているのよ。
魔法使いはみんな使いやすい属性の魔法があるんだけど、風魔法への適正は少なからず全ての人が持っているの。だから魔法陣で魔法が扱えるし、みんな空も飛べるの」
「思っていたより理論的なものなんだな」
カイルが頭を整理するように顎に手を当て首を傾げる。それから移動しながら、数日かけてソフィアはカイルに基礎の理論を教え込んだ。
「うーん、一応原理は理解できたと思うが…。そもそも、どうやって魔力で魔法陣を描くんだ?何とも想像ができなくて」
「あ、そっか…。未来では、当たり前にみんなが使っていたから見慣れているけど、カイルはそうではないものね…。
私がやってみるから、見ててみて?私も風魔法以外なら、魔法陣を描く事はできるの。発動はしないけど」
そう言って、ソフィアはキュッと両手を握って目を閉じた。すると、ポゥッと体から温かな光が溢れ出し、それを糸を紡ぐ様に細い線へと形成していく。その光の線はソフィアを中心にクルクルと回り始め、複雑な魔法陣を紡ぎ始めた。
魔法陣生成までなら、ソフィアも出来ていたのだ。しかし何故か、力が吸われる様に発現ができなかった。
ソフィアはそっと目を開けて、発現のための言霊(精霊への呼びかけ)を紡いだ。
「水の精霊よ…」
ーーその瞬間、
ドッッッシャァァーーーバリバリッ…ドーーン‼︎‼︎‼︎
突如、バケツどころでなく海の水がひっくり返ってきた様な大量の水が2人の視界を覆った。
「…え…?」
「は…?」
二人の間に沈黙が落ちる。突然大量の水に押しつぶされ、水圧で幹がへし折れ無残な姿となった木々を、二人は呆然と見つめていた。見つめる二人も、頭から水をかぶった様にびしょ濡れだった。いや、様にではなく、実際に頭から水をかぶっているのだが。
絶え間なく髪から滴る水滴を後ろに払いながら、やっと意識が戻ったカイルは怖々と感想を述べる。
「これは…、教会が危険視するのも、まあ、確かに、分からなくもない…か…?これで落ちこぼれとか、五百年後の魔女たちは…化け物か?」
「…ハッ!
ち、違うよ!こんな威力の魔法、普通は数人がかりだし、そもそもこんな大量の水を呼び出す様な魔法陣の構築じゃなかったはずなのに…!なんで⁈」
ソフィアは目を白黒させて自身の両手を見つめた。
「え…?何で…私、魔法が…使えたの…?」
「ソフィア?」
俯き震えるソフィアに、カイルは心配そうに呼びかけるが、先程の現象がやっと現実として頭に浸透してきたソフィアはじわじわと湧き上がる歓喜に胸がいっぱいだった。
「カイル‼︎」
「うわ!どうした?…っ!」
ガバッと顔を上げたソフィアは、両手をギュッと握ってカイルを見上げ、本当に嬉しいのだと伝わる満面の笑顔を浮かべていた。
「私…初めて、魔法が使えた!初めて、精霊が応えてくれたの!う、嬉しいの!どうしよう!」
感情が昂り、ポロリと溢れるソフィアの涙にカイルは息を飲んだ。
「…私の学んできたこと、無駄じゃなかった…」
儚くも、花が綻ぶ様に笑ったソフィアは、ーーパタリと気を失いカイルの胸に倒れ込んできた。
「は?お、おい⁈ソフィア⁈」
「ん…」
ゆらゆら揺れる体に、ソフィアはまた微睡みそうになるが、目の前で揺れる鮮やかな赤髪にハッと意識を戻した。
「え…カイル?あれ、私、何で…」
キョロキョロと周りを見回すと、カイルはソフィアを背中に背負いながら森の中を足速に移動していた。
「やっと起きたか?あの場にいるのは危険だから、悪いが移動しているぞ」
「起きた…?そう言えば、私とても嬉しい夢を見ていたの。私、魔法が使えるようになった夢で…」
「いや、夢じゃないから。だから俺たち、今もびしょ濡れなんだろ」
「え?…うわわ!ごめんねカイル!」
確かにあの爆発した様な水流の音に、近場の村の人間が気付く可能性があった。あの木々の無残な現場を見れば、魔の者の関与を疑われても仕方がない。カイルは気を失っている上ずぶ濡れで重くなっているソフィアをここまで背負ってきてくれたのだ。
「また迷惑かけちゃってごめんね。…私、はしゃいじゃってたけど、よく考えたら制御の出来ていない魔法陣を発動させるなんて凄く危険な事だった。その場にいたカイルにも、もしかしたら怪我をさせちゃってたかもしれないもの…」
自分の魔法でカイルに怪我をさせてしまっていたと考えるとゾッとする。
「怪我は無かったんだから良いじゃないか。
そんな事よりもさ、ソフィアは喜んだら良いんじゃないか?」
しょんぼりとカイルの背中で俯いていたソフィアは、カイルの言葉に顔を上げた。
「え?」
「ソフィアはさ、ずっと頑張ってきたんだろ?ずっと使いたかった魔法がやっと使えたんだから、さっきみたいに喜べば良い。
…おめでとう、ソフィア」
背負われているせいで、カイルの表情は見えなかった。それでも、真っ直ぐ前を向きながら伝えてくれた言葉が温かな光の様にソフィアの胸に灯った。
「カイル、ありが…と、…うぅ〜」
ソフィアは涙を見られないようにギュッと額をカイルの肩に押し付けた。カイルの服が濡れてしまうかと思ったが、今は二人ともずぶ濡れなので分からないはずだ。
「ははっ、ソフィアは本当に泣き虫だな」
カイルの笑う振動が伝わってきて、心地良かった。
今が春で良かった。冬だったならば、カイルに風邪をひかせてしまうもの。でも、冬だったとしても、きっと今みたいに心はポカポカしていたと思う。
ソフィアは温かな心ごと抱くように、ギュッとカイルに抱きついた。