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片隅

始発

作者: 酒月沢 杏

別作品、「終電」と少し対になってるのでそちらも読んでいただけると嬉しいです。

最近やけに寒くなった街を見ながら私は手を擦り合わせて摩擦熱に縋る。


まだ日は登らず、ネイビーの空の奥に薄っすらと白とオレンジの間のようなシミが広がりつつあった。


そんな街を横目に私は空と同じ色のスーツを纏い、薄暗い街へくり出す。


時刻はまだ5時過ぎ頃。


遠い会社を目指し、毎朝始まる小旅行のような通勤が憂鬱でありながら私の楽しみでもあった。


まず、一番近い駅まで歩きで三十分。


自転車を使ってもいいが最初の頃使ったとき、行きは早いので自転車置き場はそう多くないのだが、帰りは酷いときだと取り出せない。


毎日夜遅くまで残業があるわけではないし、これはしかたないと割り切り、徒歩で通うことにしてしまった。


最近は冬も本格的になり朝が寒い。布団と結婚するまである。


これは正直毎年のことだが、布団からの熱烈なアピールは私を魅了して止まない。


会社にいるイケメンエリートの先輩ですらあそこまでの包容力と暖かさは持ち合わせていないだろう。


この話を友人にしたら「だから彼氏もできないのよ」と笑いながら一蹴されてしまった。


妹に話そうものなら「お姉ちゃん。私のクラスメイト紹介しようか?」と笑ってすらくれなかった。


……そういえば両親からも結婚の催促をされていたっけ。


そんなこと言われても出会いがないんだと逃げたが、私自身が努力をしていないのかもしれない。


自分の恋愛事情にうんうん頭を捻っているとすぐに駅についてしまった。


いつもこんなのだが、本当に私は大丈夫なのだろうか。


私は会社からの負担でできた定期を改札にタッチして通り抜ける。


駅のホームにはポツポツと人影があり、朝霧の中に点を作る。


少しだけボーしていると無性に缶コーヒーが飲みたくなり、数少ない所持金をはたいて百三十円の微糖を買った。


こんな冬になりかけのような時期でもあったかいのってあるんだなぁ


見かけによらず結構熱い缶を手の上で転がしながら冷めるのを待つ


「あっ」「ん?」


後ろから母音のみのシンプル極まりない声を投げられ反射的に振り向く。


「羽賀さんじゃん。久しぶり」


「あれ?、もしかして津田くん?。久しぶり、高校卒業以来じゃない?」


懐かしい顔を見て私は少しだけ胸が暖かくなる。


同じ吹奏楽部だった津田くんは特別仲がよかったわけではないが、三年が同じクラスだったのもありよく覚えている。


「こんなところで、もしかして仕事か何かで?」


「いや、こっちに母方の実家があってさ。ちょっと前にお婆ちゃんがなくなってそれで遺品整理とか諸々をしに」


「なるほど、そりゃぁ大変だ」


そんなふうに他人事のように返してしまう。


まあ、ぶっちゃけ他人事なのだが、少し素っ気なさ過ぎたかなとも思う。


「私の方は母方も父方も健在だからなぁ、不謹慎ではあるけど私もそういうことしなくちゃいけない日が来るのかなぁ」


「俺はまあ、誰もが通る道だと思って諦めてるよ。羽賀さんもそうするといい」


そう笑う、というよりは苦笑に近い表情で言った。


「電車は?、どこまで?」


「羽賀さんは?」


「スーツ着てんだからお仕事で街までよ。察せ」


「んな無茶な・・・まあ、俺も同じだから同行していい?」


「・・・許可する」


「何でそんな偉そうなの」


津田くんはそう笑う。


こんな学生時代にやっていた会話が妙に懐かしくて、少し悲しくなった。


少し霧がかったホームの中に2つの光が近づいてきた。


私達は3番乗り場から電車に乗り込んだ。


始発列車だからか人はあまりいない。ローカル線だし、元々そんなに混むわけではないが、それでももう三十分から一時間程度したら座れない程度には混みだす。


「まさか羽賀さん、毎日始発で通勤してるの?」


「まあね。会社の朝礼が八時だから、この時間から出ないと間に合わないんだ」


「へぇ、大変だね。ブラック?」


「そうでもないかな?、残業は割りかし少ないと思うし、何より職場がギスギスしてたりしない」


「なるほど、それは確かに重要だ」


私自身、過去に一度上司にセクハラを受けて会社をやめている。


あのときは会計事務の仕事だったが、仕事自体は楽しかった。


だが、あんな場所で働いていてはどれだけ仕事を楽しめても私が先に死んでしまいかねなかった。


空が段々と白み始め、街を照らし始める。


私はそれを少しだけ憎らしげに睨んだ。


「・・・どうしたの、すごい顔だよ」


「なんでもない。ただちょっと世界と朝を呪っただけ」

 

「それなんでもなくないよ」


電車がゆっくりと音を立てながら揺れる。


聞き慣れたものだと思ったが今日はほんの少しだけ高く聞こえる。


私はそれの正体を手繰り寄せるように目を瞑る。


・・・そういえば、学生時代津田くんとはどれほどかかわっていたのか。


高校の同じ部でともに青春を過ごしたのは覚えている。クラスも二年生のときに一緒だったような気がする。


彼は吹奏楽部のエースでサックスでのアンサンブルは金賞をとっていた。私は何もなかったけど。


あぁ、思い出した。確か彼には彼女がいたんだ。


卒業まで付き合って、それから・・・どうなったんだっけ


その後も付き合っていたのだろうか。さして興味もなかったからかなにも知らない


こうして久々に会って挨拶をして軽口を叩ける仲なのに、私は意外にも彼に興味が一切なく、関心もなかったのかと思うと少し自分を情けなくなる


私はそんなに他人に興味がなかっだろうか


「あれ、羽賀さん?・・・寝ちゃった?」


瞑想していた私を眠っていると勘違いしたのか津田くんが私の顔を覗き込んだ。


「・・・いや、寝てないよ。ただ目を閉じて考え事してただけ」


「そっか。でもそれ眠くならない?」


「確かに、迂闊だった」


そう言って笑って誤魔化した。


「ねえ羽賀さん、今どんな仕事してるの?」


津田くんが何気なくそんなことを聞いてくる。


「エンジニア、IT系の」


「えっ、何それかっこいい。女の人少ないでしょ?」


「うちの会社は割と半々かな。業界的に見れば少ないけど、うちは結構女性を採ってる」


「へぇ」


彼は興味なさげな反応ではなく、純粋に感嘆の声を漏らした。


「津田くんは?、今何してるの?」


私の自然で何気ない問に、彼はなぜか少し言いづらそうに黙った。


私は不味いことを聞いてしまったのかと目が泳ぐ。


それを見て津田くんは申し訳なさそうな顔を向けた。


「ごめん、自分から話振っておいて。いや、俺さ・・・今無職なんだよね」


「え?」


反応的にやっぱりと思う反面、何かあったのだろうかと好奇的な心配が重なる。


はしたないとは思いつつも、やはりそんな汚い知識欲には逆らえない。


私は続きを待つように彼を見つめた。


「実は、上司と上手く合わなくてさ。勢いで辞めちゃったんだけど、就職先見つけてなくてさ。なんか働くの辛くなっちゃって、宙ぶらりんになった」


私が過去に仕事を辞めた理由と似ていて少し驚きつつ、なんだか自分が辞めたのも仲間を見つけたことで正当化されたような気がした。


「そっかぁ」


そんな言葉が漏れて電車の音に溶けた。


反応しずらいというのもあったが、それ以上に自分の中で少しだけ羨ましいという感情が生まれたのに驚いていた。


「馬鹿だよな。辞める前に就職先でも探しとけばよかった。いつも行き当たりばったりで生きてると、こういう事になるんだな」


そう懺悔でもするかのように彼は床に向かって喋る。


私はそんな彼を、なんとも言えない目で見つめていた。


合間合間に駅のアナウンスが聞こえる。もう親の名前より聞いたのではないだろうかと言えるほどの駅名たち。


辛さのみがこの車両を埋め尽くす中で彼らはいつも通り現れては過ぎていった。


「ねぇ、津田くん」


「ん?」


津田くんは半端反射的に私の顔を見た。


私はこんな空気の中で精一杯の笑顔を向ける。


「津田くんなら大丈夫だよ。私の中にいた津田くんは、結構凄い人だった」


なんの説得力もない腑抜けた言葉に我ながら少しおかしくなる。


彼もそうだったのかやけに自然な苦笑を浮かべた。


「ちょっと・・・意味がわからないかな」


そう言って笑っていた。


それからまもなくというお決まりの言葉のあとにいつも私が降りる駅の名前が呼ばれた。


「・・・もう着くね」


「そうだな」


少しだけの沈黙。私たちは揺れる電車に甘んじている。


完全な静寂ではないのが救いだった。


「ねえ」


私の口からなぜか彼を呼ぶ声が漏れた。


「・・・どうした」


静かに帰ってきた言葉に、返す言葉を選ぶ。


「久々に会えてよかったよ。なかなかこういうことってないじゃん。私はそれだけで満足だよ」


「あはは、そっか。俺も羽賀さんに会えてよかったよ」


少し弱めの笑い声に悲壮感はなかった、と思う。


「連絡先」


「え?」


「連絡先、交換しようよ。もし、就職上手く行ったら、お祝いしてあげるから」


スマホにメッセージアプリを表示しながら彼に突き出す。


「・・・ありがと。それじゃあその時は羽賀さんの奢りかな」


「つけあがるな割り勘だよ」


この頃には私達の耳に電車の音は聞こえなくなっていた。


目的の駅に着き、私達はホームへ降りる。


「津田くんどっち?」


「西口」


「あー、反対だわ」


都会の方とはいえ、始発が出てすぐくらいだからまだごった返すほどの人はいない。


私は名残惜しさを少し残しながら手を振る。


「またね。就活、頑張れよ」


「言われなくても。そっちも仕事頑張って」


そう言うと彼は背を向けて駅の西口へと歩いていく。


なんとなく、私はその後ろ姿が見えなくなるまで眺めていた。


私が過去に一度だけ仕事をやめていること、そういえばいい忘れていた。


まあ、次に会うときにでもお酒と一緒に彼に話せばいいか。


そのときにはきっと、積もる話を笑顔で消費できるようになっているだろう。


私は、会社がある東口に体を向け、いつもより少し軽い足取りで歩き出した。

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