大事な席に行かぬ訳
ずいぶん前になるが、菊池寛の「葬式に行かぬ訳」だったかを読んだ記憶がある。
恩師が亡くなった!
朋友たちはこぞって葬式に出向くのに、自分だけは行けない。
食うものにも困るくらいの貧乏で、香典が用意できない。着てゆく黒装束も持たず、用意できない。
恩師を弔う気持ちは、誰よりもあるつもりなのに、もんもんとして時が過ぎる。
私は、年末、忘年会に行かなかった。
酒が飲めない。統合失調症で飲んでいる薬が過剰に効いてしまうから、と言っているが、実は実父がアルコール依存症でもう何十年も暴れて手がつけられず、嫌な思いをしていたことがトラウマになっていて、酒に対して嫌悪感しかない。
それから、経済的にだいぶ困ってきていて、本当だったら、世話になった上司が辞めるのをお祝いして花束を差し上げたかった。新しい夢を追いかけている人たちが羨ましくもあり、はなむけの言葉をかけたかった。
案の定、新年に職場に出向くと、何この人?って目が痛かった。
忘年会の日は朝から仕事を休む電話で、他の方々によろしくお伝えください。と言っていたが、その電話を受けた方も仕事を辞めるとかで、きっとウヤムヤになって伝わらなかったのだろう。
忘年会の一週間くらい前から年末、仕事を休んでいた。母がインフルエンザだった。自分も風邪気味で電話で最初の一回だけ連絡して休んでいたら、先方は「連絡がなかった」と騒がれた。
新年の仕事はじめの日に、明らかに「ひえっ」と言われた。
できるだけ、ちゃんと今の仕事をこなして、新しい仕事探しをがんばろうと思う。逃げるのではなくて、きちんと生きていく上で必要最小限はやっていかなくちゃ。
区役所のひとはがんばらなくていい、生活保護を受けなさい、と助言してくれるけど。働いたら障害者年金止められるだろうなぁ。働けるのかな?でもやらなくちゃ。
元夫が「統合失調症は贅沢病」といわれてへこんでいたけど、実際、お金に余裕があるときは感覚が麻痺して使ってしまい、貧乏になってからおろおろしてしまう。
発作みたいにギャーってなるのは、仕事が長続きしないかもしれない要因の一つだ。
やれるだけ、がんばろう。