スポーツ選手になりたい
「あーあ、俺にもスポーツの才能があればなぁ…」
西山。
らしくないじゃないか。
お前はスポーツもそれなりにできるだろ。
どうしたんだろう。
「珍しいな。お前がそういうこというなんて」
「珍しいか?俺なんていつも悩んでるけどな」
へぇ。これは俺の自己が肥大しすぎたせいで気付かなかったのかもしれない。
いつも自分の事ばかり考えているせいだ。
「そっか。それはすまん。で、どうしてそうおもったの?」
「プロスポーツ選手として飯食っていきたいじゃん?」
なるほど。って…ん?
なんだその小学生みたいな思考は?
「なるほどな。それなら俺もそうだわ。」
「だろ?最高の職業だよなぁ~。」
そうこうしている間にチャイムが鳴り、授業が始まってしまった。
だが授業が始まっても、西山のそんな一面を見た俺はなんだか不思議な気分だった。
勝手な想像だった。勝手な想像で西山みたいな完璧超人はいつも高尚なことを考えているのだと思い込んでいた。
赤の他人の気持ちが分からないのならば仕方が無い。しかし仮にも友人の心中も察することができないようでは己もおしまいだ。
少し落ち込んだ。
でも、なんか変な小言だったな。
あたりまえだろ、プロスポーツ選手になってみたいなんて。
日本中の人間にアンケートとっても、「何かの分野でプロスポーツ選手になれるとしたらなりたいですか?」って聞かれたらなりたい奴がほとんどじゃないのか?
球を蹴る、打つ、運ぶ、守る、それで人に元気を与えたり自分自身も名声をえられたりするなんて、至れり尽くせりの職業だ。
もちろん、プロにはプロの不安や苦しみは有るんだろうが。
だが不安も苦しみも感じるだけの価値があるステータスだろう。間違いなく。
「凡人」という言葉がある。
認めたくない奴は多いだろうがほとんどはそれだ。
もちろん俺も例外ではない。
凡人は何にあこがれるか?
それはもちろん「非凡」だ。
だから才能があるやつは誇っていい。
努力ができるやつは誇っていい。
自分の努力にそれだけの価値を見いだせるやつは大成する。
自分の努力を安く見積もったやつから努力すること自体をやめてしまい、堕落する。
俺の経験則だ。
しかし今更価値観は変えられん。
俺にできることといったら今日も駄文を連ねてネットに投稿することくらいではないだろうか?
誰かに届きますように…って。