兄と話す
クラーク様は風呂に行ってしまった。王族は一日風呂に入らないのは耐え難いらしい。ナヨナヨしやがって。
だが大チャンスである。さっさと逃げるに限る。
私は再び窓を開け、木を伝って下に降りる。さっと姿勢を直し走る。
「いや、逃がすわけないだろう」
スカートの裾を踏まれて強かに地面に衝突する。鼻が! 鼻が陥没したかもしれない!
この感じも覚えがあるぞ、と鼻があるのを確認するように擦りながら体を起こす。
兄がいた。
「今回はブリっ子じゃない!」
「どうでもいい」
いや、どうでもいいけども……
スカートの裾を踏んでいる靴から抜け出そうともがくが抜け出せない。
「俺からうまく逃げ出しても村中に包囲網張ってるから逃げれないぞ」
くうう、完全に逃げられなくされている。
「ほら、さっさと戻れ。俺の将来の為に」
「兄様はいつもそればっかり! 妹が可愛くないの!?」
「ほどほどには可愛いが俺はそれ以上に俺が可愛い」
「びっくりするほど屑な回答!」
「褒め言葉だな」
兄はにやりと笑う。
「お前には何が何でも結婚してもらうぞ」
「いやよ!」
「本当に?」
兄が私の顔を覗き込んでくる。
「お前は本気を出せばもっとうまく逃げれるはずだ。俺の妹だからな」
「それは褒められているのかしら……」
思わずいやな顔をしてしまったら兄が私の眉間を指で伸ばそうとしてくる。やめて! 馬鹿力で痛い!
兄の手を払いのけると嬉しそうにされる。人がいやがることが好きだなんて本当に屑。
「クラーク殿下は悪い方じゃないだろう。お前を心底好いてるし、お前が逃げることさえしなければ意思を尊重してくれる」
「そうかもしれないけど……」
「何が不満だ?」
「自由がないのが不満」
私が言うと兄は呆れた顔をした。
「お前はそればっかりだな」
「だって……」
「たとえお前がクラーク様と結婚しなくても、そうしたら俺は他の俺の手足になる人間にお前を嫁がせる。それぐらいわかっているだろう」
「う……」
「誰とも結婚しない未来はありえない。お前は仮にも貴族のご令嬢だ。爵位の低い男爵や子爵ならまだしも、お前は公爵令嬢なんだ」
「う……」
そこを突かれると何も言えない。わかっている。結婚は貴族の義務だ。兄は貴族らしい考えを持っているし、野心もある。必ず私を利用するのもわかってる。
わかっている。でも、自由への憧れが消えないのも事実だ。
何も言えないでいる私に兄はため息を吐く。
「クラーク殿下は俺と違って優しい男だ。俺はこの計画を伝えた時、レティシアを手籠めにしてしまえと言ったのに、そうしないでいてくれる男なんかそうそういないぞ。据え膳目の前にしてるんだからな」
「ん?」
何か今言った。
「計画って何?」
「何って、お前の仮面剥がして結婚させる計画だ」
「はー!? 初耳なんだけど!?」
「本人に言う訳ないだろう」
兄がしれっと告げてくる。
「待って待って、じゃああの時、クラーク様がブリっ子を連れてきてたのって……?」
「俺の指示に決まっているだろう。あのお前一筋男が浮気するか」
「そ、そのあと私を攫うように城に連れて行ったのは……?」
「俺の指示だ。結婚式まで囲って、どうせだから手っ取り早く既成事実を作れと言ったのにそれには従わなかったな」
「ブリっ子に妃教育したのは……?」
「俺が手配した。うっかり王子と結婚したいと思わないように、早めに音を上げるよう、お前より厳しめにお願いした。あ、城下に話を流すようにしたのはクラーク殿下だ。俺はお前が結婚さえしたらお前の評価はどうでもいいからな」
「逃げても逃げても追いかけてくるのは……?」
「逃がすなとは言ったが、本人自ら追いかけるのは、本人の意思だろうな」
「誘拐は……?」
「さすがにそれは想定外だ」
唖然とする私に兄はにやりと笑う。
「婚約期間が十年。その間いつでも手を出すなり何なりできるはずなのに、お前と毎日一時間話すだけで満足してくれる男が、自分でこんなこと思いつくか?」
私は懸命にこの十年間を思い出すが、確かに手を握られた記憶も、王城に連れて行かれるまではなかった。ずっと一緒にいるのなら確かにいくらでも機会はあったはずだ。
「クラーク殿下が俺にお願いしてきたんだ。レティシアをレティシアらしくしてあげたいって。仮面を外したいとな。俺はその仮面を外す方法を教え、その後のお前の行動を予測して計画を考えた」
お前の性格を一番わかっているのは俺だからな、と兄は言う。
「あれは俺よりいい男だ。俺の悪巧みにすがってしまうぐらい、恋に溺れる愚かな男だよ」
あまりのことに何も言えない。
全部、全部、この兄の掌の中で踊っていただけだ。
「悔しいー!」
「おいおい無駄な抵抗はいい加減やめろ」
兄が踏んでいるスカートを抜こうと暴れるのを兄に抑えられる。悔しい悔しい! この屑!
兄は私の抵抗などないことのように、私をひょい、と肩に担ぐ。
「荷物みたいに運ばないで!」
「これが一番持ちやすい。俺は優しくないからお姫様抱っこなんかしてやらないぞ」
私を担いですたすた宿屋に戻る。泊まっていた扉の前で無造作に降ろされる。お尻打った!
「優しくない」
「だからそう言っているだろう」
「悪魔!」
「なんとでも」
でもな、と兄は言う。
「俺は一応、お前を幸せにしてくれる男にできれば嫁がせたいと思う程度には、お前のことを可愛いと思っているぞ」
そう言って、扉を開ける。
「一度ぐらい、しっかりと向き合ってみろ」
開いた扉の中には、クラーク様がいた。




