不夜城の怪人 第一五話 星条旗のもとに 4
「ゆっくりでいい。ジェニングス伍長、話してくれ」
撮影者の声がそう促すと、起き上がり敬礼しようしたが、右腕がないことに気づくと、うっ、と脇腹を抑えた。ジェニングスはそっと寝かされる。
「自分の任務は「彼」を拘束することでした」
映像の中でベッドに横たわる男は話し始めた。
「ラスベガス都市圏警察に扮して「彼」の家に赴き、脱税の容疑で逮捕すると見せかけ軍基地へと拉致する。少尉どのの命令は確かそのようだったと思います」
「少尉とは?」
「カウフマン少尉です。少尉にはよくしてもらっていました。あの人は部下にもとても好かれていて、少尉の命令ならば死ぬのも怖くない、と同僚たちとよく話し合ったものです」
カウフマンについて話す彼は顔をほころばせて、束の間痛みを忘れたようだった。
「しかしあの日の少尉はなにか妙でした。いつもは自分に命令をくださるとき、キツい断定口調でおっしゃった後、『無理をするなよ』とお声をかけてくださるのです。しかしその日は違いました。あやふやな言い方で命令を下し、自分が少尉の執務室を出るときも首を捻っておいでだったのをよく憶えています。今思えば少尉は不可解な命令に納得できていなかったのかもしれません」
映像の中で証言を続けるジェニングスは意外に観察眼があるようだった。アンドリュー・カウフマンによる「彼」に関する独自調査がはじまったのはその翌日だ。結果としてカウフマンの運命はその日にかわったと言わざるを得ない。
「命令を実行したのは?」
撮影者の声が尋ねた。
「その翌日です」
少尉について思いを巡らしていたジェニングスははっとして言った。
「拝命した日はともに向かう部下の選抜、警察バッジの受取り、逮捕状の偽造に忙しく、また「彼」のほうも在宅ではないと知らされていたので」
「当日はどのように行動した?」
「ダークブルーのセダンに部下二人と乗り込み、「彼」の自宅へと向かいました。道中、部下と打ち合わせて「彼」を逮捕する手順を確認し、バッジを配りました。警察官はバッジナンバーで宝くじを買うんだ、なんて冗談を言ったりもしました」
クスッと笑うと、ジェニングスの目つきが変わった。
「「彼」の自宅に着くとまず驚いたのを憶えています」
「それはどうして?」
「「彼」の家があまりに普通だったからです」
ジェニングスは眉を寄せた。
「自分の任務は「彼」を脱税で逮捕するフリをすることが必要でした。しかし目の前の家は一般的な庭付きの建売で、どうしても脱税するような巨額の資産を抱えているようには見えませんでした。実際、インターホンを鳴らしてでてきたのは普通の夫婦でした」
口調を強めてさらに続ける。
「自分がはじめに疑問をもったのはこのときです。自分たちは何をしようとしているのかと」
ジェニングスの左手がシーツにシワをつくった。
「しかし自分は誇り高きアメリカ空軍の一員。命令には従わなくてはなりません。「彼」に偽造した逮捕状を見せ、「彼」に手錠をかけました。それには妻のほうがショックを受けたようです。はっと泣き崩れてドアノブにすがっていました。腰が抜けたとはああいうのをいうんでしょう」
「「彼」のほうは?」
撮影者の声がうながす。
「「彼」は動揺はしませんでした。妻を助け起こすと、『何かの間違いだ。大丈夫だから。心配しないでいい、モニカ』と……」
「モニカ?」
ジェニングスを撮影者が遮る。
「ジェシカではなく?」
ジェニングスは首をかしげた。
「ええ。間違いなく「彼」はモニカと言いました。あの光景は忘れようもありません」
強い口調で断定した。
そう、ジェニングスは間違っていない。それは裏が取れている。
「ともかく、「彼」を拘束しセダンの後部座席に乗せ、自分は右、部下が左で挟み込み、もう一人の部下が運転しました。移送中も「彼」は大人しく座っており、自分は安堵しました。無事に任務を終えられそうだと。今考えると油断以外のなにものでもありません」
シーツを掴んだ手が震えている。
「なにがあった?」
「車が警察署の前を過ぎたときです。「彼」が言いました。『通り過ぎたぞ?』と。自分はマズい、と思い黙ってしまいました。しかし、しばらくすると「彼」はまた『なるほど、あの男の差し金か』とつぶやきました。その後です。怖ろしいことが起こったのは……」
画面が傾いた。ベッドが縦向きに映っている。
「大丈夫、落ち着くんだ。ここに「彼」はこない」
大粒の涙をこぼすジェニングスを軍服の男がなだめる姿が映った。どうやら机にカメラを置いたらしい。
「まだ、話せるか?」
画面が正常に戻った。
「はい、はい大丈夫です。取り乱して申し訳ありません」
ジェニングスの目元が赤い。仮にも軍人をここまで怯えさせるとは何があったのか?
「「彼」が一瞬揺らめきました」
「揺らめいた?」
「何を言っているのか、と思われるかもしれません。ですがそう表現するしかないのです。ロウソクの炎のように「彼」の身体が揺らめいたのです」
「それで?」
「そこは交差点でした。渡っていると両サイドから猛スピードで車が追突してきたのです」
「事故にあったと」
「違います!」
ジェニングスは大声で吼えた。
「あれは絶対に事故じゃない!」
「落ち着きなさい。どうしてそう言い切れるんだ」
「追突してきた車の色はダークブルー。セダンタイプでした、両方とも!」
「それがどうしたというんだ」
モニターから目をそらし、両手で目を覆った。「彼」の能力に違いない。それでもジェニングスの声が耳の中に飛び込んでくる。
「追突してきたのは私たちの乗った車だったのです!」
「どういうことだ? 車を降りたのか?」
「違います! 私たちの乗った車と全く同じ車が両側から突っ込んできたのです!」
「意味がわからない。正確に話してくれ」
「自分にもわかりません! 追突された後、「彼」は自分の懐から銃を奪うと、自分を撃ちました!」
ジェニングスの叫び声が響いてくる。
「あれはどういうことだったのですか? 自分は何をさせられていたのでしょう? 「彼」は何者です? どうしてあんなことができるのでしょう? あの男――」
映像の再生を止めた。モニターが暗くなり、白衣の男がうっすらと写った。
どう報告すればいい?
白衣の男は頭を抱えた。
「彼」の能力は強力すぎる。いや、能力というより「彼」の能力の使い方だ。ジェニングスの証言でそれが裏づけされてしまった。
背後でコンコンとノック音が聞こえた。入りたまえ、というと若い士官が入室してきた。
「コーネル大佐、AJの脳の準備が整いました」
「博士と呼べ。軍人扱いは嫌いだ」
二人は大佐の執務室を後にした。
「無様だな、二人とも」
気を失い鈴木に抱きかかえられるシアンと、隣で手首を確かめているマゼンタをゆっくりと眺め「彼」は呟いた。
「あんたに助けられるのは二度目だ」
「三度目はない。これ以上私の手を煩わせるな」
凄惨な戦いの影は失せ、夜は本来の静けさを取り戻していた。「彼」の唐突な登場は鈴木たちに有利な状況を一変させてしまった。
「さて、貴様たちは日本人か?」
麻生のこめかみに銃を押し当て、「彼」は尋ねた。誰も、マゼンタとシアンすら気づかぬ間に背後をとり「彼」は麻生を人質にした。
「川藤よせ! 麻生さんを死なせたいのか!」
闇の中、無言で「彼」の背中にリボルバーを向ける川藤を鈴木は制止した。
「賢明だな。私を銃弾ごときで殺せると思うのは誤りだ。ところでシアンを放してもらおうか」
「私の上司を放してくれるのならね」
「よかろう。一二の三で同時に放せ。一、二の」
「三!」
「彼」と鈴木はお互いの人質を同時に放した。麻生はよろめきながら歩き出し、シアンはそのまま地面に崩れ落ちる。気を失っていて歩けなかったのだ。
「情けないな」
呟くと「彼」の姿がぼうっと揺らめいた。
ふっと消える。
そして次の瞬間、鈴木はシアンのもとに佇む「彼」を見つけたのだった。
「質問を繰り返させてもらう。貴様たちは日本人か?」
生つばを飲み込みながらも、四人の日本人はそれぞれ頭の中に疑問符が浮かびあがっていた。「彼」はなぜ日本人か、などと質問してくるのだろうか。
ひたすらに不気味である。シアンをそっと抱き起こし、起きないと見るに細腕で肩を支えるその姿は全くの無防備だったが、なぜか手を出せないでいる。例えるなら野生の熊を前にして、死んだフリをしているような緊張感が漂っていた。
シアンの肩を抱き、ゆっくりと歩き出す「彼」を見ながら、鈴木はひとつ小細工を思いつく。「彼」が魔本に類する物を持っているか否か、それがわかるかもしれない。
正確に発音できるよう注意深く口にする。
「あなたの言う通り、私たちは日本人だ。私もひとつ聞きたい。あなたはどうやって能力を手に入れた?」
鈴木はつとめて日本語になるよう意識して話した。
「彼」は銀仮面のすき間から失笑をこぼす。
「教えられんな」
「川藤君、今「彼」が話したのは何語だ?」
「日本語です。極めて流暢な日本語を話しました」
やはりね。
魔本『堕天使の懺悔』には願い、そして能力の他に使用者にもたらされるもうひとつの福音がある。それは言語能力の獲得だ。
例えば、自分の国の言葉、すなわち母国語を話せるのは当然だ。しかし外国語を話そうと思ったとき、言語学習は必須である。相応の努力と獲得しようとする意志だけが外国語話者をつくりあげる。
しかし魔本を使用した者の場合、あらゆる言語を知る知らないに関わらず、ネイティブ並みに流暢に話せるようになるのだ。これはスピーキング、そしてリスニング技術のみにとどまらない。例えば日本人の能力者は英語で書かれた自然科学の論文をまるで母国語のようにスラスラと読むことができるし、意識を集中させれば、見聞きしたこともないポルトガル語で日記を書くこともできる。読唇術すら可能だった。
興梠ミナトの部屋にあった本棚にはいくつもの英語学習参考書があったが、新品のまま古ぼけていた。それは彼が能力者となり、学習しなくても英語を難なく扱えるようになったため、参考書が不要になったからだった。
しかしなぜ、魔本を使用するとそのような言語能力が身につくのか? それは今や田沼を含む六人の悪魔たちしか知らないのだった。
「日本語が話せたからどうだと言うのだ。当然知っているはずだ。リキエルをラスベガスへと導いたのは貴様らなのだろう?」
耳慣れない名前が唐突に口にされた。リキエル? 誰だそれは?
鈴木はこちらに戻ってきた麻生と顔を見合わせ、田辺は一人首をひねっている。川藤は仏頂面で立ち尽くしていた。
「とぼけるか。まあいい。今日のところは見逃してやろう、彼もいないことだしな。しかし覚えておけ。『堕天使の懺悔』を全て手に入れるのはこの私だ」
マゼンタにぐったりしたシアンを預けると、三人は夜の彼方へと消えていった。
「はぁーー、助かった」
鈴木は気が抜けたようにへたり込んだ。
「なーんで「彼」が出てくるんだ?」
鈴木の疑問は四人に共通のものだ。
「マゼンタとシアンは「彼」を追うパレットに所属しているはずですよね」
「私はあなたと鈴木からそう聞いただけよ」
「すみません。調査不足だったようです。室長を危険な目にあわせてしまいました」
鈴木は麻生に頭を下げた。
「どこかお怪我はありませんか?」
頭をあげるついでに、麻生の全身を見回した。パッと見ではどこにも傷を負っている様子はない。
「私はあなたにジロジロ見られる方が不快ね」
「すみません」
またボサボサの頭を下げる鈴木に田辺はクスリと笑みを漏らした。
「ところで」
川藤が唐突に切り出す。全員が一斉に振り返った。彼が自ら話すのは初めてである。
「リキエルとは誰ですか? 初めて聞く名前です。情報をお持ちならば自分にも提供ください」
誰も答えられず、首をひねるばかりである。
そう、リキエルとは誰なのだろう? 明らかに日本名ではない名だ。しかし「彼」の口ぶりにはその存在を確信しているものがあった。
「それにしてもやけにあっさり引きましたね」
「助かったよ。一個小隊を壊滅させる能力者相手に私たちだけで敵うはずがないからね」
「彼」の能力は一体何なのだろう。シアンを回収するときに見せたそれは一見して『瞬間移動』のように思える。がしかし、それだけの能力で一個小隊を壊滅にまで追いやれるだろうか? まだ隠しているものがあるのでは?
「とりあえず、「彼」のことはもういいわ。魔本『堕天使の懺悔』がラスベガスにも存在することがわかったし、どうせ「彼」には敵わない。それなら私たちの本来の任務に戻りましょう」
室長の麻生警視正の言う通り、鈴木たちには本来の任務があった。それは――
「漆間、綾崎、興梠の拘束及び、魔本の奪取。そのために私はラスベガスまで来たのだから」
毅然として言い放つ麻生に鈴木と田辺は背すじを正す。
しかし鈴木はまだ知らなかった。もちろん麻生も田辺も。待ち受ける運命の苛烈さは、後々にまで禍根を残すものだということを。




