不夜城の怪人 第一四話 星条旗のもとに 3
「ジェシカ、イザークはもう寝た?」
「とっくにね。あの子明日も学校なのよ?」
「いい子だな」
俺はまだ寝ちゃいないよ。
扉の向こうの声に、イザークはベッドの中で呟く。白髪の少年は今夜こそ父親の正体を確かめたかった。
数日前のことを思い出す。イザークを起こしにきた父親はAJとかいうやつと電話で話していた。そしてネットニュースでストリートギャングのAJが死んだのをそのさらに数日後に知った。
父親はAJを殺したんじゃないか?
白い前髪が目にかかる。父親と同じ雪のように真っ白な髪。イザークはこの髪が大嫌いだった。はやく金でも黒でもいいから染めたいけれど、どうしても母さんが許してくれない。
「じゃあ俺はもう寝るけど、ジェシカも夜勤がんばって。愛してるよ」
「私も愛してるわ、あなた」
来た、とイザークは唾をゴクリと飲み込んだ。看護師の母さんの夜勤のタイミングで、あの父親が寝室から消えることはわかっている。一体どこに行っているのか? 今日は少なくともそれを確かめるんだ。
扉の向こうで蝶番が軋む音が聞こえる。どうやら父親が寝室に入ったらしい。このときのために両親の寝室のクローゼットを少し開けておいたのだ。
パチンッ
イザークはベッドの中から消えた。そしてスーツやコートの詰まった場所にあらわれる。隙間から外をそっと覗いた。
クローゼットのドアが勢いよく開いた。
「いない!」
白髪の父親はどこにもいない。
「一体、どこに行ったんだ?」
いや、どうやって居なくなったんだ?
この日の午後、つまり少し前、ハンバーガーショップにて四人の日本人。警察官たちはまだ話し合っていた。
「トイレ長かったね」
川藤が席に戻ってきた。
「失礼しました」
彼は軽く会釈し、元の席へと座る。
「シアンを捕らえるのは構わないけど、そいつの能力はわかっているの?」
低血圧な声が横から刺さった。彼女の疑問はもっともだ。
「僕と鈴木さんはシアンと直接戦いました。それで大体見当はつきます」
「で、何?」
冷たい声に田辺はギクリとするが、意を決して話し始める。
「シアンの能力は間接力を利用したものです。おそらくは『触れたものに磁力を与える』といったところでしょう」
鈴木も同意見だった。だとすればシアンを発見したときに彼が部屋をメチャクチャに荒らし回っていたことに説明がつく。能力の発動条件を整えていたのだ。それに鈴木の能力に対し、平然と立って見せたのも磁力を利用したとすれば納得のいくことだ。
「シアンの居場所は? わからなければ捕らえようがないんじゃない?」
「現在地は知りませんが現れる場所には心当たりがあります」
「どこ?」
短く鋭い声に鈴木が答えた。
「シアンが漆間たちの調査任務を続行している可能性は高いです。だとしたら、綾崎の入院する病院にきます。だから私たちはそれにつけ入りましょう」
綾崎が入院している事実を利用する。シアンが調査しているのなら必ず現れるはずだった。
「シアンが病院に現れるのはおそらく夜です。綾崎が眠っているときに攫いにくる可能性が高い。そこを院外で待ち伏せします」
鈴木が合図すると田辺が地図を呼びだす。鈴木は声を潜めると、三人は身をかがめて彼の作戦を聞いた。
「私は楽ね」
と、麻生が微笑すると、田辺も合わせてはにかんだが、川藤は仏頂面、鈴木はひとり渋い顔をしていた。
「室長、例のモノを田辺君に」
麻生はポーチから試験管のようなものを取り出した。中には赤い液体が入っており、艶かしく輝いている。彼女は田辺にそれをそっと渡した。
「身を削って作ったモノだから大切にしてね」
わかっています、とうやうやしく受け取った。
川藤をチラと見ると、彼は仏頂面をまっすぐに鈴木に向けている。
参ったなあもう。
おそらく彼の仕事は能力者の監視。日本国内の犯罪シンジケート『王国』の名を出した鈴木は最優先監視対象となってしまったのだろう。
「田辺君、この作戦の要は君の能力だ。いいね?」
「ええ、やってみせます」
そして夜の病院前。
「君たち本当にそっくりだね。双子かい?」
「「三つ子だ。弟は死んだ」」
鈴木の問いかけにマゼンタとシアンは間髪入れずに答えた。
そいつは知らなかった。
マゼンタの登場は誤算だ。もっとも作戦に大きな支障はないだろうが。
「マゼンタ、マヌケな顔をしているがこいつには気をつけろ。ホテルに忍び込んだとき、こいつの能力で俺のグロッグは暴発した」
シアンは今しがた川藤に撃たれた右手を庇い、周囲を伺っている。
「なるほど。お前に怪我を負わせたのはこいつか」
ピンクの髪をしたマゼンタがしげしげとこちらを眺めてくる。その視線は兄弟を傷つけられた恨みよりも、傷をつけたこと自体への関心のようだった。
「まあいい。どのみち消すつもりだったのだ。死んでもらう」
マゼンタがナイフを放った。銀光が鈴木の鼻先に向かって一直線に飛ぶ。
空気を叩く音が夜に轟いた。
飛翔中のナイフに火花が散ると、鈴木の足元に突き刺さる。
「川藤君、いい腕だ」
飛んでいたナイフを川藤は銃弾で弾いたのだ。さすがに非能力者にして我々能力者三人の監視役に選ばれるだけの実力はある。
ふと前を見ると、マゼンタが駆け出していた。このピンク髪の男も十中八九能力者である。しかし能力がわからない。迂闊に近づけるのは危険だ。
パチンッ
マゼンタは足を滑らせた、かと思えた刹那再び駆けてくる。
参ったなあもう。
鈴木の能力はシアンに対策されている。銃こそ使ってこないだろうが、それでも十分マゼンタとシアンは強敵である。
マゼンタが鈴木の足元に刺さったナイフを手に取った。抜きざまの勢いでそのままこちらを斬りあげる。
パチンッ
マゼンタの手からナイフが滑り飛んだ。宙に放り出されたかと思うとそのまま落下し、カランと音を立ててアスファルトの上を滑り去っていく。
あれはどこまで滑り続けるんだろうな、と鈴木は思ったが、目の前のマゼンタは驚愕を顔に張り付けていた。
鈴木の能力は『摩擦係数の操作』である。指を鳴らすことで発動し、対象の摩擦係数を任意に変更できる。スケートリンクよりもツルツル滑るようにもできるし、接着剤で貼り付けたように動かなくすることもできる能力であり、不意打ちにはもってこいの良能力だった。
今、マゼンタのナイフと他物質との間の摩擦係数を限りなくゼロにした。そのため、マゼンタはナイフを掴んでいられず放り出し、アスファルトの上をナイフは滑り去ったのだった。
「シアン、代われ」
マゼンタは舌打ちをすると、鈴木からすぐに離れた。そしておそらく川藤を探し始めたようだ。どうやらマゼンタは近接タイプの能力らしい。これは好都合だった。
能力者同士の戦いにおいて、基本的には戦闘範囲は中近距離に限られる。それは能力の発動には認識がもっとも重要であり、とりわけ戦闘中において能力の有無に関わらず人の感覚器官の認識能力は中近距離までしか十全に働かないためである。
「川藤君!」
鈴木は街灯の下に出て、川藤に合図した。すると銃を構えた川藤がシアンの背後から姿を現した。
銃声が二度響いた。遅れて、これも二度の金属音。見ると、振り向いたシアンの前に鉄製のクズかごが浮遊している。鉄板の底が銃弾を弾いたらしい。
ふゆふよと浮くクズかごを避け、川藤に飛びかかるマゼンタの手には鈍い光を放つナイフが握られていた。
パチンッ
さっきと同じにマゼンタの手からナイフを落とそうとした。しかしマゼンタの手には未だナイフが握られたままだ。鈴木は向かってくるシアンを見つめて苦々しく呟く。
天敵だな。
シアンの能力によってナイフはマゼンタの手に固定されている。鈴木の能力はシアンに対して少なくとも滑る方は封じられたも同然だった。
しかし鈴木はニヤリと笑みを漏らした。一対一ならシアンには勝てないかもしれない。しかし、今は――
能力者は中近距離が戦闘範囲だと先ほど述べた。しかし、であるからこそ熟練した能力者は遠距離への注意が散漫になりがちである。この小さな戦いはそれが原因として明暗を分けた。
「田辺君!」
鈴木はらしくもなく大声をあげ田辺を呼ぶ。マゼンタは振り向いた。シアンも目を見開く。
この戦いの目的はシアンの拉致である。しかしマゼンタとシアンは鈴木たちの目的が漆間、そして綾崎の護衛だと誤解していた。完全に鈴木と川藤に注意が集中し、さらなる敵対者の存在を失念してしまっていた。それが二人の敗因だった。
黒髪の田辺が彼方から閃光のように駆けてきた。疾風怒濤、正確無比。ピタリとシアンの前に停止し、ポケットから麻生に渡された試験管を取り出すと、中身の赤い液体をシアンに向かってかけた、らしい。
らしい、というのはどういうことか? それは鈴木の、おそらくはシアンの目にも田辺が突然現れると同時に赤い液体が降りかかったようにしか見えなかったからだ。
田辺の能力は『一秒間に一◯秒分行動できる』というものだった。つまり、八◯メートルを一◯秒で走る脚力があるならば、能力を使ったとき、一秒で同じ距離を走り抜けることができる。
この能力の利点はもう一つある。単なる超スピードならば、正確なコントロールをするのに鍛錬が必要、かつスピードゆえに行動に対してエネルギーが乗りすぎてしまう。しかし田辺の能力ならば単に他人の一◯倍速く動けるだけではない。スピードに乗っている訳ではないので動作に対するエネルギーも大き過ぎず、なんの苦もなく精密なコントロールができるのだ。
つまりこのとき田辺はマゼンタとシアンから身を隠し、彼の能力で一秒以内にシアンに接近できるギリギリの位置で鈴木からの合図を待っていた。そして合図とともに能力を発動、シアンに近づき、麻生に託された液体をシアンにかけたのだ。
赤い液体をかけられたシアンはというと、膝から崩れおち這いつくばっていた。少し遠くでカランと音がなる。マゼンタの手からナイフが滑り落ちた音だった。
コツコツ、と夜の街に足音が響き渡る。儚くも繊細なその音は麻生の足元から発せられていた。
「マゼンタ、動けねえ……、助けてくれ」
呼ばれたマゼンタはというと、川藤に銃を突きつけられている。
舌打ちをすると、「『万事休す』か……」と呟いた。
足音がシアンの目の前で止まった。
「あなた、あんまりタイプじゃないんだけど……」
シアンを引きずり起こし、麻生は悩ましく口を尖らせる。鈴木はその様から目を背けていた。
「仕方ないね。感謝しなさい幸運に」
そう告げるとシアンの薄い唇に、麻生の魅惑的な唇が重ねられた。シアンの身体はビクンと弓なりにしなり、水色の男は身を麻生のふくよかな胸に預け、意識を失った。
「次はあなたの番よ、と思ったけどあなたもタイプじゃないね。双子?」
「三つ子だ。弟は死んだ」
シアンを鈴木に預け、またコツコツとマゼンタのもとへと歩き始める。一歩一歩が処刑台の電気椅子のカウントダウンのように思えて絶望的だった。
イエローは死んだ。そしてシアンも……、次は俺の番か……。
マゼンタの身体が持ち上げられ、麻生に相対し死への覚悟を決めたとき後ろから声が響いてきた。
「まだ死なれては困るな。マゼンタにシアンよ」
うぐっという呻き(うめ)に目を背けていた鈴木が振り返ると、麻生のこめかみに銃が押しつけられていた。しかもその男は――
「お前は!」
「あんたは!」
白髪に銀の仮面をした男。紛れようもなく「彼」だった。




