邪鬼退治
龍彦の前に艶々の白飯、ワカメと岩海苔たっぷりの味噌汁、大根と人参のなます。大根は星形に切ってある。たっぷりのキャベツと黄金色に揚がったとんかつ。とんかつはロースとヒレが一枚ずつ。まだ衣の端っこがプチプチ音を立てており、小口に切った断面から肉汁が溢れている。
お皿を並べる際、佳苗叔母が、「白星を挙げられるように星形に切ったからね」とか「勝つようにトンカツだよ」とかいちいち説明する。
「キャベツ千切りと食後はカットマンゴーだからね」
耕太郎叔父が呆れ顔で尋ねる。
「キャベツがどう関係あるんだよ」
佳苗が当然と言わんばかりに
「カット野菜にカットフルーツじゃないか」
「…?」
「キットカットだよ」
「え?」
耕太郎と龍彦が同時に声を上げる。
「やだね、知らないのかい?きっと勝っと―って言うんだよ」
二秒ほどの沈黙があって耕太郎叔父が小さく咳払いをしてから言った。
「龍彦、明日はあれこれ考えずに楽しめ。そうすれば自然と全力を出せるもんだ」
「そうだよ。あたしらも応援に行くからね。プレッシャーになるといけないから端っこでこっそり見てるから」
「だから言わなきゃいいじゃねぇか、まったく」
龍彦は笑いながらカツを口に放り込む。
「旨っ―」
「あぁそうだ、お肉はお父さんのお店からいただいてきたお肉だからね」
「そういうことは早く言えよ」
耕太郎は呆れ顔でカツをビールで流し込んだ。
龍彦が湯沢家に寄宿して五年目になる。小学校二年生から本部道場生となった龍彦は六年生に上がる頃には二学年上の道場生と互角に剣を合わせるようになった。ただ、陽造にはどうしても敵わない。剣の強さ、速さ、巧みさもほぼ互角に思える。足裁きなどは自分の方が上ではないかと思えるほどなのだが、勝負になると三本に一本取るのがやっとなのだ。
「こういうのはある日突然なんだ。ずーっとダメでもある日突然できるようになるんだ。突き抜けるんだってさ。でもさ龍彦、俺はぜってー負けねーけど。だって学校の成績で負けて剣も負けたら俺みじめじゃん」
陽造と自分の違いは何なのか。血か。才能か。努力か。龍彦は子供ながらにあれこれ悩んだ。ある日そんな龍彦に湧爾郎が声をかけた。
「え、ここで?道場に住むの?」
湧爾郎が笑いながら訂正する。
「はは、そういう意味じゃないよ。湯沢さんは知ってるね?道場でいつも稽古を見てもらってるだろう?」
「はい」
「湯沢さんの家は知ってるよね?道場のすぐ近くだし行ったこともあるだろう?」
「はい。夏休みとか、学校が早く終わった時とか、湯沢先生の家で宿題をさせてもらったりします」
「うん、陽造もいつも上がり込んでいるらしいな」
湧爾郎は龍彦の眼を覗き込みながら尋ねる。
「龍彦はもっと剣が上手くなりたいかい?」
「はい」
力強く答える龍彦。
「もっと上手くなるにはどうすればいいと思う?」
龍彦が口ごもる。
「もっと― 練習する」
「うん、そうだ。それが一番大事だ。それともう一つ。鬼道のことをもっと知ることだ」
「鬼道を?」
「そうだ。道場で習っているのは剣だけではないんだ。道場で教わるのは鬼道というわれわれ鬼の生き方なんだ。剣はそのほんの一部なんだ」
龍彦はどう答えていいか分からずただ湧爾郎の言葉に頷く。
「私もそうだし陽造もそうだ。鬼士の多くは鬼の家に生まれ、鬼に囲まれて育つ。生活そのものが鬼道の中にある」
龍彦は湧爾郎の言いたいことが少し分かった気がした。
「普段の生活の中にたくさんのヒントがあるんだ。普段の生活がそのまま剣の修行にも繋がっていく」
湧爾郎は龍彦の肩に手を載せる。
「もし龍彦がもっと強くなりたいなら、本気で鬼道の道に進みたいと思うなら、湯沢さんの家に住みながら道場に通うこともできる。道場のすぐ近くだから放課後だけじゃ無くて朝も陽造たちと練習できる。家に帰っても湯沢さんに色んなことを教えてもらえる」
湧爾郎はニヤリと笑って付け加えた。
「大丈夫、度が過ぎなければマンガを読んでもいいしゲームもしていい。テレビも見れるだろうし、おやつだって食べられるさ。陽造を見てれば分かるだろう?」
龍彦は少し困った様子で湧爾郎の方を見ずに言う。
「でも― お父さんは―」
「うん、黙っていて悪かったけど、お父さんには少し前からこの話をしていたんだよ。まず龍彦の気持ちを聞いてやって欲しいと言われたよ」
龍彦は自分の頬と首筋が熱を出した時のように熱くなっているのに気づいた。
「僕、もっと強くなりたいです―」
中学に上がる春から龍彦は湯沢家に寄宿しながら道場に通い始めた。古い伝統が多く残る鬼道の世界でも内弟子というのはめったにいない時代になっていた。大抵は虫が騒ぐまでは地元の道場に通い、虫が騒ぎ出し力を認められた者は都市部にある大きな道場の寮に入ったり、自分で部屋を借りたりする場合がほとんどだ。内弟子生活の初めのうちは随分と好奇の視線を浴びたものだ。
「龍彦よ、お前、本当に強くなったなぁ。いつの間にか背も俺より高くなりやがった」
耕太郎はトンカツを半分ほど食べ、ビールから焼酎に切り替えている。昔を思い出しながら感無量といった感じだ。
「本当だよ。子は育つんだねぇ。そのうち自分一人で育ったみたいな顔して出て行っちまうんだよ」
佳苗は少し寂しそうだ。耕太郎の残したビールを飲んでいる。
耕太郎が焼酎の中のレモンを摘まみ出すとガシガシとしがんで皮をトンカツの皿に置く。
「ちょうどお前と同じ齢だったな」
耕太郎がぽつりと呟く。佳苗がハッとしたように叔父の顔を見る。
「俺達には息子がいてな。死んでからもう四十年にもなるんだが。道場で噂くらいは聞いてるだろう?」
龍彦は無言で頷く。
「俺たちの子にゃ勿体ないぐらいに出来のいい子でよ」
佳苗は何も言わずに温くなったビールを小口に空けている。
「十六の秋に虫が鳴きだしてな。友達と映画見に行くって出かけたんだが、映画館の中で倒れてな。その映画がまたドラキュラ物だったから、最初は怖くて卒倒したんだと思われたらしくてよ。友達も鬼筋だったから少しして気づいてくれたんだが、あん時は慌てたなぁ」
「友達じゃなくて彼女だよ。飯干さんとこの三人目のお嬢さん。それはしっかりしたお嬢さんでね。今でも律儀に年賀状をくださるんだよ。滋賀の孝賀流の三男坊と結婚して今は滋賀大の先生をなさってるそうだよ」
佳苗はビールのコップを弄びながら龍彦に教えてくれる。
「龍彦は写真見たことなかったな」
耕太郎叔父は眼で佳苗叔母に合図する。叔母は二階に上がってしばらく戸棚をゴトゴト言わせていたが、手に分厚いアルバムを持って戻ってくる。テーブルの上の皿を脇へよけるとアルバムを開く。アルバムは高校の入学式から始まっていた。何冊かある内の一冊だろう。真ん中ににっこり笑う詰襟姿の息子、両脇に若々しいスーツ姿の耕太郎と佳苗。写真の横に佳苗の手書きらしいポップが貼りつけてある。
『敦、今日から高校生です!』
「俺に似てちょっと不器用なところがあったが、力の強い鬼だった。居合いが得意でな。高校生になるともう俺も敵わなかった。道場の皆はもちろん、他流派の鬼士からも敦のことを褒められたりしてな。俺は結構有頂天だったよ。トンビが鷹を産んじまったとか、自分で言ってはしゃいだりしてな」
耕太郎自身もこの写真を見るのは久しぶりのようだった。懐かしそうに写真の中の息子の姿を指でなぞる。
「錬成院に入った年の七月さ。あと二週間ほどで夏期休暇って頃だ。まだ梅雨が明けきってない、とにかく蒸し暑い日でよ。電話が鳴った時、何だか嫌な気がしてな。俺は夕涼みがてら縁側でお隣さんと将棋指してたんだが、俺が出るよってわざわざ立ち上がって俺が受話器を取ったんだ」
耕太郎は焼酎を飲み干す。佳苗がコップを取って新しい焼酎の水割りを作る。今度はレモンではなく箸で軽く崩した梅干を入れた。
「龍彦、シュレディンガーの猫って話、知ってるか?」
名前だけは―と龍彦が答える。
「箱の中に猫を一匹入れとくわけだ。一時間以内に二分の一の確率で毒ガスが出る装置も一緒にな。毒ガスが出るかどうかは誰にも分からねぇ仕組みだ。一時間後、箱を開けたときに猫は生きているか死んでいるか。そのシュレディンガーさんが言うには箱の蓋を開けるまでは中には生きている猫と死んでいる猫が一匹ずつ重なり合った状態で存在してるんだそうだ。そして、箱を空けて誰かが中を観察した瞬間に生か死かどちらかに確定するんだとよ」
耕太郎は焼酎を一口飲み、もろみ入りの味噌をつけた胡瓜スティックを齧る。
「俺ぁ今でも思うんだ。あの時電話に出たのが佳苗だったらってな。そしたらあの電話は単なる新聞の勧誘だったかもしれねぇってな。小遣いを無心する電話だったかもしれねぇってな。現場に駆けつけるのが車じゃなく電車だったらとか、タクシーだったらとか、とにかく無駄とは分かっていても考えずにはいられねぇのさ。もっと違う結果もあったんじゃねぇかって考えずにいられねぇんだ」
佳苗がそっと目元を拭う。
「今でも信じられねぇ、息子が邪鬼になっちまったなんて」
将棋の相手に断って耕太郎は立ち上がると、左手で団扇を動かしたまま居間の黒電話を取り上げた。
「はい、湯沢で―」
相手は湯沢の言葉を最後まで待たなかった。
「錬成院の梅村です― 敦が、敦に邪鬼が憑きました!」
突然のことに耕太郎は言葉を失った。邪鬼?敦が?
「もしもし!?聞こえてます?」
慌てうろたえ遠慮や気遣いの抜け落ちた言葉遣いに、何かの間違いではと聞きなおす余裕は無くなっていた。
「すぐ―すぐ来てください!早く止めないと!早く」
どうやら錬成院内部も混乱しているようだ。電話を置いた耕太郎の後ろで佳苗が不安な表情を見せながら立っていた。今の電話の気配を察したのだろう。
「敦に何かあったの?」
耕太郎は一瞬躊躇った後に電話の内容を佳苗に告げた。
「向こうもかなり泡食ってるから分からないけど― 邪鬼が憑いたと言ってる」
分からんと言いながら耕太郎は息子に邪鬼が憑いたことをほぼ確信していた。電話してきた錬成院の事務局員の狼狽ぶりには芝居や勘違いでは生まれないリアリティがあった。
「えっ―」
佳苗が心臓を抜き取られたような表情で絶句する。
「とにかく、俺は行ってくる。お前は正吾様にお報せして家で待ってろ」
「やだ。あたしも行く」
キッとした表情で言い切る佳苗。一瞬睨み合った二人だったが、激しく玄関を叩く音に我に返る。
「耕太郎!居るか!?」
玄関を開けると当時の道場長であり詩苑流抜刀隊副長、新免恭一の慌てた顔があった。
「耕太郎、敦が―」
「今錬成院から電話があった。今から行ってくる」
「道場にも電話があった。討―」
新免が言い難そうに言葉を繋いだ。
「討伐隊を組む。詩苑流からは正吾様と俺、お前、坂本、田中丸だ。すぐ準備しろ。裏門で車が待ってる」
「あたしも行く」
「佳苗ちゃん、気持ちは分かるが―」
「うるさいっ!あたしは行くんだ!」
耕太郎が新免に眼で謝る。
「分かった。すぐ用意しろ」
二人は手早く外装鬼甲を身に着け耕太郎は太刀を、佳苗は弓矢を手に裏門へ急ぐ。パトカーと白いバンが停まっている。現場までパトカーが先導してくれるのだろう。バンに乗り込む。すでに四人の鬼士達が待っていた。すぐにパトカーが回転灯を光らせサイレンを鳴らして走り始める。バンがパトカーの後を追って走り始める。四人のうち三人は外装鬼甲を着けているが、一人だけ筒袖の半着に細身の鬼士袴姿の男がいる。南雲正吾。当時の詩苑流宗家 青光院神薙憲吾である。
「宗家、申し訳ありません」
正吾は頭を下げる耕太郎の肩口を軽く叩く。
「お前のせいじゃない。佳苗は控えててもいいんだぞ」
「私は行きます!」
佳苗が叫ぶように言う。正吾は笑った。
「そう感情的になるな― と言っても無理だろうな。敦のことは残念だ。俺も信じたくはないが」
「敦は― 敦は私の子です!」
佳苗が目に涙を溜めて訴える。正吾が落ち着けとでも言うように小さく頷きながら手で佳苗を制する。その時、佳苗の横に座っていた新免の右手が素早く動き、佳苗の鳩尾に貫手が喰い込む。パッと緑色の光が散って鬼力が佳苗に叩き込まれる。佳苗は感電したかのように車の床に崩れ落ちた。
「すまん耕太郎、佳苗ちゃん感情的になってるから」
新免が佳苗の手足を結わえながら謝る。
「感情的になって当然ですよ、自分の子を殺しに行かなきゃならないんだから」
まだ若い田中丸が組んだ指をひらひらとせわしなく動かしながら言う。車中が沈黙する。パトカーのサイレンだけが響いてくる。正吾が落ち着いた口調で告げる。
「みんな着くまで気持ちを静めておけ」
「邪鬼が憑く」とは鬼虫が何かの原因で暴走を始め鬼士自身がコントロールできなくなった状態を指す。そういう状態になった鬼士を指して邪鬼という場合もある。鬼虫が暴走を始めるメカニズムは現在でもよく分かっていない。邪鬼がでるのは十年単位で見て一人か二人といったところだが、一旦邪鬼が出ると大きな被害が出る。邪鬼がとんでもなく強いからだ。鬼虫が暴走することで桁違いの鬼力を発揮するようになり、体は普段の倍近くに膨れ上がりゴォゴォと熱風にも似た鬼風を吹かせながら、強い破壊衝動のおもむくまま理性を無くした獣となって暴れまわる。噴き出す強い鬼力のせいでその姿は歪んで見えるほどで、拳銃弾などはも鬼力のバリアで簡単に跳ね返されるか逸らされてしまう。最低でも対戦車ライフル以上の兵器と鬼力を組み合わせないと太刀打ちできない。ところが動きも素早いから重火器で狙うことが難しい。そんなモンスターが衝動のままに暴れ狂う。激しく鬼力を消費するせいか食欲もすさまじい。口に入るものなら何でも、人でも犬でも猫でも手当たり次第に喰う。生きていても死んでいても喰う。破壊して喰う。殺しては喰う。捕まえて喰う。その繰り返しだ。
邪鬼退治は流派を越えて鬼士が集められ組まれた討伐隊を中心に、警察、自衛隊がそれを援護する。非常事態が宣言され、近隣住民は家に閉じこもって災厄が行き過ぎるのをひたすら待つ。鬼士、警察、軍は連携して邪鬼をエネルギー補給の難しい所、つまり人のいないところに追い込んでいきながら、根気強く鬼力による攻撃を加え邪鬼の力を削いでいく。
この邪鬼退治は鬼士のとって大変危険な任務であると同時に一躍鬼界で名を上げるチャンスでもある。有名な邪鬼退治の話としては、鬼道始祖の一人である京煌院鳴海蓮志朗が夜な夜な都に現れ人々の生血を啜る女邪鬼を退治する「美女吸血鬼紅小百合の昇天伝説」に始まり、新しいところでは現代鬼士でありながらもはや都市伝説化しつつある名鬼士青光院伊勢雷田が邪鬼に占拠された神戸城に使鬼の犬と鷹を連れて乗り込み、二四時間生中継で全国民が固唾を呑んで見守る中、藩主の娘を救い出し邪鬼を葬った「伊勢雷田神戸城髑髏蜘蛛退治譚」(西暦一九八五年/昭和六十年の事件であり敦が邪鬼となってしまってから十年後の事件である)など、映画や漫画、RPG化されるほど有名な退治話もある。特に後者は城の外、かなり遠方からの絵ではあるものの実際の映像が残っており、動画サイトで検索すればすぐに複数の動画が出てくるほどだ。不慮の旅客機墜落事故で死んだ天才鬼士伊勢雷田だが、鬼界では伊勢雷田暗殺説も根強く囁かれ続けている。日本政府からも鬼士院からもその力を恐れられ疎まれた伊勢雷田だが、この神戸城事件は政府が伊勢雷田を危険視するきっかけになったと言われている。
無論それらの話は例外中の例外であり、実際の邪鬼退治は華やかな英雄譚というよりは凄惨な消耗戦の色が濃い。邪鬼が強力であればあるほど、一般市民の犠牲者はもちろん、警察官、自衛隊員、鬼士にも犠牲が多く出る。鬼力の研究や装備の発達した現在でもかなりの被害を覚悟しなければならない。それでもなお功名心から討伐隊に加わりたがる鬼士は多い。かつてのように邪鬼退治の功で爵位を授ったり恩赦を受けたり(かつては鬼力を見込まれた囚人が討伐隊に駆り出されることもあった)といったことはなくなったが、鬼界での扱いが変わってくるのは今でも変わらない。精錬鬼士団の名誉団員となり鬼士院の中で一定の立場を与えられ、鬼道士手当もそれに見合ったものになる。名鬼門のプライベートなパーティーやサロンに招待されるようになり、鬼も人も含めてそういった場に出入りする階層の人々が友人として近づいてくる。中には個人的な後ろ盾、スポンサーになってくれる場合もある。鬼士としての生活が一変してしまうのだ。命を落とす鬼士もいる。鬼力を根こそぎ奪われてしまう鬼士もいる。と同時に大きな飛躍のチャンスにもなり得るのが邪鬼退治である。
遠目にも町がオレンジ色に染まっているのが分かった。火事だ。たが消火作業が行われている様子はない。怒号と散発的な銃声が聞こえてくる。
「着いたぞ」
新免が頬を軽くはたく。気合を入れるためか。それとも蒼ざめ強張った顔を誤魔化すためか。
「正吾様、鬼甲はよろしいのですか」
坂本が遠慮がちに尋ねる。
「不要だ。あれを着けると動けん」
当時からバライト粉が鬼力を遮断することは知られており、まだ着用が義務化される前の外装鬼甲帯にもバライト粉が仕込まれていた。鬼溜りを作らないので鬼士が武器を隠し待つことができず、一目見て鬼士だと認識できる。警察や政府関係者が一緒にいて安心できる服装であったため、機能的な新しい鬼士の活動服として盛んに着用が推奨されていた。邪鬼退治での着用は鬼風除けとしての意味合いが強いが、当時の外装鬼甲帯はまだ体温調整機能も発汗対策機能も排尿処理機能なく、素材も作りも重くて堅く動き辛いだけの代物であった。
車から降りると鬼甲姿の鬼士が近づいてくた。御苑流の銃士隊長を務める高城という鬼士だ。慇懃に頭を下げ直立の姿勢を取ると平坦な声で言う。
「憲吾様、ご苦労様です」
「遅くなってすまん。状況は?」
高城は微動だにせず抑揚のない声で答える。
「鬼士が一人、一般市民が一人、警官が四名です」
坂本が少しホッとした声を出す。
「五人か―」
高城が訂正する。
「喰われたのが、です。怪我人まで数えている余裕はありませんので」
「すまなかった。邪鬼はどんな状態だ?」
正吾が尋ねる。眼はもう燃え盛る町の方を睨んでいる。
「我々の銃士隊一二名で何とか建物の中に追い込みました」
高城がパンッと音を立てて一枚の紙を広げる。地図だ。一角を指で示す。
「太陽銀行です。今燃えてますからすぐ分かるでしょう」
地図を正吾に手渡し、もう一枚、青焼き図面をふわりと地図の上に放る。
「太陽銀行の見取り図です。突入なさるのに必要でしょう。もうしばらくこちらで時間を稼ぎましょう。では」
踵を返して去っていく高城。入れ違いに別の御苑流の鬼士がやってくる。煤と汗、疲労でどす黒くなった顔。眼だけがギラギラと輝いている。
「恭一」
「桜塚、すまん」
新免が頭を下げる。桜塚と呼ばれた鬼士は新免の横にいる正吾に黙礼する。
「現地に案内する」
と言って先に立って小走りに移動する。新免が横について走り、他の者が後に続いた。
「夕方、錬成院の寮で痙攣を起こして倒れたらしい。一時間ほどして目覚めたときにはもう邪鬼化してたらしい。彼、火を起こすの得意なのか?」
「いや、俺の知る限り全く」
耕太郎が答える。
「そうか、邪鬼になって能力が高まったんだな。炎を伴った鬼風を吹かせる。これでかなりやられてる。高城の弟も炎に焼かれてね。命は助かるみたいだが…」
「そうだったか」
桜塚も新免もかなりのスピードで走りながら息も乱さない。
「寮からバイクを奪ってここまで来てバイクを乗り捨てた。乗り捨てたというより体が膨張して乗れなくなったという感じだろう。そこでたまたま居合わせた交通整理の警官を喰ってる。すぐに警官隊が駆けつけたが相手にならん。続けざまに三人喰われた。御苑流の銃士隊が来てくれたんでそれ以上警官が喰われることはなかったが、炎を吹き上げて暴れてな。警官隊を庇おうとした鬼士が一人喰われた。結局警官が十人以上重度の火傷を負ってる。銃士隊にいた高城の弟もその時やられた」
燃え盛る銀行の近くまで来た。建物の道向かいに車が路駐されており車の影から御苑流の銃士隊が建物に狙いをつけている。建物の裏手にも同じように銃士隊が配置されているのだろう。
「銃士隊の一斉射撃を浴びて銀行の中に逃げ込んだ。その時逃げ遅れた行員を一人喰ってる」
銀行の建物からはオレンジの炎と黒煙と共に、隠しようのない強烈な鬼風が赤と黒と黄色が入り混じった禍々しい光を放ちながら、窓や出入り口から吹きこぼれている。つまり邪鬼は間違いなくこの中にいるということだ。
「最後に見た時の姿は?」
正吾が尋ねる。
「身長は二メートル二三十、体も大きく膨れて、手も足も石臼をつなぎ合わせたみたいだった。全身から鬼風が噴き出してて炎を出すときは手か口からだ。全身鮭の切り身みたいな濃い赤色だ。得物は持ってない。ま、必要もないだろうが」
「銃士隊の攻撃は効いていたか?ダメージは?」
「自分から銀行に中に逃げ込んだので効いていたのは確かです。ただもう三十分以上経ってますから回復していると考えた方がいいでしょう」
「わかった。ありがとう」
正吾が桜塚に礼を言い詩苑流の全員を集める。
「待てば待つほど邪鬼が有利だ。突入するぞ」
正吾は輪の中で見取り図を広げる。
「東側のビルの屋上から銀行の屋上に移る。上の階から下へ降りていく。坂本、奴を感じるか?」
「鬼風が強すぎて逆に分かりづらいです。建物の真ん中辺りから吹いてきてるようですが― 動いてくれると分かりやすいんですが」
鋭敏な感覚の持ち主で鬼力を使った知覚強化が得意な坂本は若干自信なさげだ。
「外で悩んでも始まらん。行くぞ」
桜塚が近づいてくる。
「屋上の入口の鍵です」
真鍮の鍵を新免に手渡す。
「中に入るまで攪乱射撃をする。一階正面の窓を狙う」
屋上から侵入する詩苑流の気配を紛らわせるための援護をしてくれるらしい。
「すまん。頼む」
正吾が頭を下げる。
「ご武運を」
桜塚の言葉に送られて詩苑流の鬼士五名は中の邪鬼に意図を悟られぬよう、わざと大周りをして隣のビルに入る。鬼甲帯のせいで体外に漏れ出す鬼力は僅かのはずだが、念を入れて極力鬼力を殺して行動する。鬼力をコントロールするよりも、この嫌でも昂ぶる状況で鬼力を殺す方がずっと難しい。まだ二十歳の田中丸は盛んに浅い呼吸を素早く繰り返しながら沸きたちそうになる虫を抑えている。
詩苑流の討伐隊五名は剣士三名、銃士が二名の構成だ。正吾と耕太郎が太刀、新免がマタギ刀、坂本と田中丸が拳銃。正吾と坂本が先頭。次に耕太郎。最後尾に新免と田中丸。全員足音一つ立てずに滑らかで速い。隣のビルの屋上に着く。銀行の屋上との距離は十メートル程だ。
「さすがにこの距離を跳ぶには鬼力を使わないわけにはいかないな。まず私、恭一、耕太郎、新、丸の順だ」
正吾が言い終えてすぐに御苑流の援護射撃が始まった。火薬の放つ黄色い閃光が闇に瞬き、赤、緑、青の鬼力の閃光が建物の中に向かって飛び込んでいく。煙草の火口のような赤、鮮やかなルビーの赤、薄荷のような緑、瑠璃の青、蛍のような明るい紫。様々な鬼力の光が闇を切り裂いて銀行の窓に飛び込んでいく。ねずみ花火のように壁に当たって弾けるもの。滴のように飛び散るもの。煙のようにフワッと漂うもの。様々な鬼力の輝きが混じり合い美しい花火のようだ。
「行くぞ」
正吾が大きく深呼吸して鬼気を高め、鋭く助走する。跳ぶ。虚空に投げ出された正吾の体は、次の瞬間銀行の屋上でくるりと受け身を取り立ち上がった。後ろを振り向いて大きく手招きする。新免が後に続く。全員が跳び渡るのに二十秒とかからない。火事のせいか真夏の夜の熱気か、靴底に熱を感じる。屋上の入口の手前で鍵を手にした新免が皆を振り返る。
「開けるぞ、いいか?」
全員に目配せしてから新免がドアのカギを開ける。煙の臭いが広がる。
「自分と新が先頭に出ます。耕太郎と丸は最後尾を頼む」
正吾を前後から挟んで守る陣形だ。少し間を開けて階段を下りていく。最上階。四階のフロアだ。息ができないほどではないがやはり煙い。配電盤の辺りから時折バチバチと青白いスパークが散っている。天井の蛍光灯は消えており足元の非常灯だけが灯っている。新免が坂本を見る。坂本は首をほんのわずかに傾げてから横に振る。
この階に邪鬼いない。それは他の四人にも分かる。坂本にも邪鬼の場所が特定できないようだ。これくらいの大きさの建物であれば普段の坂本なら中にいる人数、場所まですぐに特定している。強すぎる邪鬼の鬼力に感覚が麻痺させられているのかもしれない。
新免が人差し指で床を指さしながら正吾を振り返る。正吾も同じ仕草をする。三階に下りる。煙の濃さが増す。
「―!」
非常灯の灯りの中で煙が波打っている。風に吹かれたような不自然な動き。坂本がサッと手を上げて皆を制する。人差し指と親指で何かを摘まむような仕草をする。近い―というハンドサイン。全員の緊張が高まる。まだ鬼力を迂闊に洩らさないよう慎重に鬼虫の動きを制御しながらゆっくりと進む。階段から一番近い部屋の前で坂本が動かなくなる。五秒。十秒。窒息しそうな緊張。田中丸が焦れて口を開きそうになる寸前、坂本が動く。部屋のドアノブに手をかけ中の様子を感じ取ろうとする。すでに他の者も部屋の中から漂ってくる鬼風に気付いている。剣士は全員刀の柄に手を掛け鯉口を切る。銃士の二人も銃を手に撃鉄を起こしている。坂本がチラと後ろに視線を送り、次の瞬間弾けるようにドアを押し開く。体でドアが閉じないように押さえつけながら片膝をついて銃を室内に向ける。数秒、全員の動きが止まる。坂本がそっと立ち上がる。室内に踏み込む。額の前でⅤサインを作ってから空に向けた指先でクルリと輪を描く。色んな場所から鬼風が吹いてくる―ということらしい。新免も頷く。正吾が天井近い壁を指さす。送風口だ。部屋の中に複数ある送風口から鬼風が吹いてくるらしい。
地下の空調室だ―
新免が声に出さずに言う。全員が頷く。部屋を出て階段へ向かう。二階を通り過ぎ一階ロビーへ。地下室へ続く階段。一段と強い気風が吹き上げてくる。禍々しい死を感じさせる粘っこく熱い鬼風。もう坂本の感覚に頼る必要はなかった。邪鬼はこの下にいる。
新免が先頭で階段を下りる。狭く急な階段で大人が二人並ぶともう互いの肩がぶつかってしまう。地下室の扉の前で新免がマタギ刀を両手に持ち腰を落とすと太鼓のばちのように上段に構える。そのすぐ横に坂本が立つ。両手に持った拳銃は肘を曲げて天井に向けている。足を前後に開いて待つ。新免が鍵を叩き壊し、同時に坂本が扉を蹴り開けて膝立ちの体制で中に向かって撃つ。坂本の背後、肩越しに田中丸も中の邪鬼に向かって、鬼力をたっぷり込めた岩塩の弾丸を撃ちこむ。あとは状況次第。新免が得意のマタギ刀投げで追い込み、五人全員で部屋に雪崩れ込んで集中攻撃をかけ一気に倒しきる。それが事前に五人が申し合わせたイメージだ。どのみち邪鬼を倒すには複数で組んで集中攻撃をかけるしかないのだが、室内なら邪鬼は逃げ回ることができない。心理的な圧迫感はあるもののむしろ倒しやすいと言えるかもしれない。
新免が一瞬背後に視線を送ると、剣先で慎重に狙いをつける。スッと二本のマタギ刀が振り上げられ、一気にドアノブの脇に向かって振り下ろされる。青緑色の閃光が糸を引く。スチール製のドアがまるでバターのように切り裂かれる。坂本がドアを蹴飛ばし体を沈めながら銃を室内に向ける。部屋の中央に赤黒い物体がブルブルと震えながらこちらを見ていた。坂本と田中丸が立て続けに引き金を引く。銃声が響き渡る。赤黒い物体からタールのように黒い粘液が大量に迸った。
「止せ!」
正吾が叫んでいる。弾切れのせいでようやく二人の声が銃士に届く。坂本と田中丸が我に返ったような表情で部屋の中を見つめた。
「なんだ、こりゃぁ」
田中丸がとぼけた声で呟く。部屋の真ん中に赤黒い物体がぶら下がっている。
「あ、あれ―」
邪鬼と思った赤黒い物体は、ビクッビクッビクッと早いピッチで震えながら赤いドロドロした液体を垂れ流していた。
「鬼士だ」
新免が歯の隙間から押し出すように言い、部屋の真ん中に吊り下げられた鬼士に近づく。体中の皮を剥がれ、切り裂かれた腹から内臓がはみ出して床に垂れ下がっている。鬼士はそれでもまだ生きていた。さっきまで強く吹いていた鬼風は止んでいる。先程鬼士の体から溢れた黒い液体は黒漿液といわれるもので、死んだ鬼虫の死骸が体外に噴き出したものだったのだ。強い鬼力攻撃を受けると鬼虫は一時的に麻痺した状態になり鬼力を発揮できなくなる。更に限界を超えた鬼力攻撃を受けると鬼虫は死滅する。虫を殺された鬼士は鬼力を大き減じてしまい回復するのに何年もかかる場合もある。虫を根こそぎ死滅させられるともう鬼力が戻ることはない。坂本、田中丸の誤射撃がこの鬼士の鬼虫を大量に殺してしまったらしい。
天井に突き刺さった折れ曲がった鉄パイプに黄色と黒のトラロープが通され鬼士の胴を縛り宙吊りにしていた。正吾と新免、耕太郎が鬼士を下に降ろしてやる。足首に引きちぎられた電気コードが巻き付いている。片方がコンセントに差し込まれている。引き抜くと鬼士の痙攣は止まった。感電させられ強制的に鬼力を放ち続けていたらしい。半ば放心状態の坂本、田中丸が鬼士に近づく。
「―を…」
「どうした!?」
何か言おうとする鬼士の口元に新免が顔を寄せる。
「気を― つけろ―」
ギュオオオオルルルル―
巨大なタンクローリーが急ブレーキをかけたような音、いや声がした。
「鬼士は囮か―」
正吾が剣を抜く。五人の体毛がビリビリと逆立つ。床の綿埃や紙くずが地下室の奥へ吹き寄せられていく。風が吹き込んだのではない。鬼風だ。これまでに感じたことがないほど強く分厚く固い鬼力が吹き寄せてくる。
ゴギュルルルルウウウ―
振り向くと地下室の入り口に邪鬼が立っていた。丸い巨石を連ねたような手足と体。体色はマグロの切り身のようだ。遠い雷鳴のような呼吸音がする度に口元から炎が漏れた。
「動け!」
正吾の声に新免と耕太郎が反応する。ポカンとした表情で邪鬼を見上げていた田中丸の体に邪鬼の重機のようなごつい手がが横薙ぎに叩き付けられる。吹っ飛んだ田中丸の体がまるでマンガのように地下室の壁にめり込む。肉の中で骨の砕ける音が響く。
「ひいぃ―」
坂本が素っ頓狂な声を上げて尻餅をつく。
ゴオオンン―
邪鬼が炎を纏った鬼風を坂本に浴びせる。坂本の腰から上がマッチのように燃え上がる。叫びながら激しく体をばたつかせるが、それも数秒だった。すぐに大人しくなり、まだ燃えている手で天井に向かって銃を撃つ仕草を何度か繰り返していたが、その手も床に落ち動かなくなる。
「恭一、耕太郎、後ろに回れ」
正吾が正面。新免と恭一が剣を手に距離を測りながら邪鬼の斜め後ろに回り込む。耕太郎が堪え切れずに口を開く。
「敦―」
ゴオオル
邪鬼は喉の奥で吠えてゆっくりと首を左後ろに向けた。グロテスクに発達した首と肩、腰の筋肉が動く。皮下を巨大なニシキヘビが蠢くかのようだ。量はもちろんだが筋肉の付き方も動き方ももはや人間のそれではない。
「敦、もうやめてくれ」
捕まえた鬼士を囮にして討伐隊を地下室に誘い込んだのだ。つまり敦にはまだ会話をするのに十分な理性が残っている。耕太郎はそう考えている。
「敦よ、なぜこうなったかなんて聞く気はねぇ。もうやめよう。父さんと一緒に死んでくれ」
抑え込んでいた感情が溢れる。ボロボロと大粒の涙を流しながら
邪鬼に近づく。
ゴオゥ― グオル―
邪鬼が炎混じりの声を上げながら巨大な手で自分の胸を叩く。顔は耕太郎に向けられている。
「敦―」
全員が声のした方を振り向く。佳苗が立っていた。手首から血が出ている。戒めをひきちぎってきたのだろう。
「敦― 母さんは―」
それ以上言葉にならず、ただ涙を流しながら敦に近づく。
「敦―」
佳苗が鬼襞から弓と矢を取り出す。矢じりの部分から細いワイヤーが伸びておりワイヤーの端は佳苗の左手首に繋がっている。佳苗が弓に矢を番えても邪鬼は動かなかった。
「敦ィィィィ!」
先に跳びかかったのは耕太郎だった。太刀の切っ先を敦の腿の辺りに突き立てる。鬼力を込めた耕太郎の一撃は普通なら直径三センチの鋼材を一刀両断にする威力がある。しかし、その渾身の一撃さえも切っ先が三センチほど腿に喰いこんだだけだった。赤紫の閃光が弾け敦が叫び声を上げる。
グオオオンンンンンンン―
敦が身を捩って耕太郎を振り払う。耕太郎の体が中を舞い、奥の壁際まで飛ばされる。しかし父親の執念か剣は敦の左大腿部辺りに突き刺さったままだった。
「許して―」
佳苗が矢を放つ。矢は一番柔らかく弱い眼に突き刺さった。緑と黄色の混じった佳苗の鬼力が敦の頭部で炸裂する。更にワイヤーを通じて体内に鬼力が注ぎ込まれる。
ギュロオオオオオンン―
敦がクライマックスに差しかかった指揮者のように両手を振りかざし炎の鬼力を放つ。正吾と新免はかろうじてかわしたが佳苗が鬼力を浴びて床に倒れる。しかし母親の執念か、佳苗も鬼力を放ち続ける。ワイヤーが黄緑色に輝き敦の右目に刺さった矢を通じて鬼力を敦に注ぎ込み続ける。
「たぁっっっ」
新免が敦の背後からジャンプしマタギ刀を肩口に突き立てる。そのまま氷壁に取り付くクライマーのようにぶら下がりながらありったけの鬼力を流し込む。
ギュオン― ギュオン― ギュ ギュ
敦の動きが目に見えて緩慢になってくる。
パンッ―
銃声が響き、敦の下腹部で赤い閃光が弾ける。眼、鼻、口から血を流しながら、首をもたげた田中丸が銃口を敦に向けていた。
「敦、すまん」
正吾が剣を手に敦の正面に立った。上段に構えた剣をヒュンッと振り下ろす。剣が鞭のようにしなり蛇の舌のように伸びて敦の心臓に突き刺さった。神薙の必殺技、自在稈だ。青い鬼力が飛沫のように弾け、敦の体がゼリーのように震えた。
次の瞬間、敦の体が黒い巨大なボールに包まれた。大量の黒漿水だ。表面に小さな波紋を立てながら数瞬の間黒球はその形を維持していたが、パチンと弾けてザァッと部屋の床に流れた。手品のように邪鬼の姿は消えており、黒漿水まみれの床に、ミイラのように痩せ細った敦が横たわっていた。




