バトルステージ3 クロックアップ
「チェェェェ―スッ」
ジャンプした高薗雅史が三角の眼をして奇声を発しながら剣を振り下ろしてくる。防御の意識はもちろん、技も型もない強引で力任せな一撃だ。ただ、その一撃がかわせない。とにかくスピードとパワー、全身に漲っている鬼力が凄いのだ。永都は刀身が「く」の字に曲がったグルカナイフでその一撃を受けるのが精一杯だ。高薗が使っているのは官給品の軍刀だ。これがもし銘の入った鍛刀ならとっくの昔に永都のグルカナイフは真っ二つにされていただろう。永都は闘いでは銃をグルカナイフをコンビで使う。どちらかというと銃が主武器であるのだが、高薗の身体能力は体術の得意な永都を圧倒するほどであり、銃口を向けた途端射程外に逃げられたり、逆に間合いを詰めてきたりと永都のタイミングで射撃をさせないのだ。
一方の家室風華も強い。高薗のような強引さ、前に出ていく迫力はないが、そのあどけなさの残る表情とは逆に、発する鬼風には滔々と流れる大河の流れのような力強さがあった。間違いなく長兄の広幸と同じ甲一種の鬼力だ。対して永都と千晶の鬼力は乙一種。鬼力の強さでは太刀打ちできない。しかし、力に差があることがはっきりしていても家室はかさにかかってくるような闘い方をしなかった。むしろ千晶に好きにやらせて千晶自身の鬼士としての佇まいを確かめようとしているように感じられた。千晶は左手に持ったレイピアと得意の塩飴を使った攻撃で善戦している。鬼力を込めた塩飴を礫や撒菱として使うのだ。鬼道士用に売られている岩塩玉や氷砂糖、ゼリーボールなどは結構高いので千晶は市販の飴玉を使っているのだ。使ってみるとこれが意外に使い勝手が良い。鬼力の詰まった飴玉を投げたり転がしたりして相手の動きを牽制し、できた隙をレイピアで突く。これが千晶の闘い方だ。
「なかなか面白い攻めだ」
千晶のレイピアを軍刀で払った風華が言う。千晶は風華のことを好きになり始めている自分に気付いていた。千晶の使っているレイピアはリサイクルショップで見つけた中古品で先端に玉留めのついた練習剣だ。得物は相手に鬼力を届けるためのものと割り切って使っているが、千晶の得物を目にした相手は例外なく憐みや蔑み、嘲笑の表情を浮かべる。しかし風華は千晶の剣を見ても表情を変えなかった。闘いぶりにも千晶への敬意のようなものが感じられる。
「千晶―だったよね?」
風華が穏やかな声で話しかけてくる。
「その古ぼけた剣も、飴玉を投げるのも、その繕いだらけのバギーパンツも、私は好きだ。好きで嫌いだ。昔の私を思い出させてくれるから。貧乏で非力で誰からも顧みられず、ただその日を生きるのに一生懸命だった頃の自分を」
あぁそうなのか。この人もそうなのかと千晶は思った。
「私の、私たちの仲間になれ。そうすればお前を殺さずに済む。そうすれば私にも― 友達ができるから」
「私もあなたと闘いたくないです、家室さん。でも少し遅かったかも」
十メートルほど離れたところで永都が床に仰向けに倒れ、高薗が精神的に突き抜けてしまったように表情を崩壊させながら永都に近づく。
「高薗!」
「ナガ兄!」
千晶と風華は自然と闘うのをやめると高薗と永都の方へ歩み寄る。永都は左足に高薗の一撃をもらったらしく、ワークパンツの腿のあたりに鍵裂きができ少し血が滲んでいる。黒漿液も出ていないし出血もごく少量のようだから致命的な一撃ではなさそうだが、虫がパニックを起こし鬼風が乱れている。
「何してる家室、早くやれ」
高薗は気味の悪い笑みを湛えたまま言うと、逆手に持った剣を大きく振りかぶる。もう一度鬼力を流せば終わりなのに、どうやら鬼虫だけでなく永都ごと破壊する気らしい。
「悪鬼は滅びろ!」
高薗が半分白目になりながら狂気に顔を笑み崩して叫ぶ。その時、高薗に向かって一陣の黒い風が走った。
「モモ!」
高薗が血が糸を引いて滴る右手首を左手で強く押さえている。モモが永都の傍らで高薗に向かって歯を剥き出して吠えたてる。
「高薗!」
走り寄ろうとする風華。千晶は鬼力を帯びてオレンジ色に光る塩飴を風華の足元に投げる。風華は危うく塩飴を踏みつけそうになるが床のコンクリートに軍刀を突き立てて棒高跳びの選手のように大きくジャンプしてそれを避けた。塩飴はそのまま転がって高薗の足に当たり、パチパチとオレンジの火花を発しながら弾ける。もだえる高薗。虫のパニックがようやく収まった永都が床に仰向けになったまま両手の銃を連射する。オレンジのスパークが高薗を包んだ。高薗が悲しそうな目で風華の方を見た。次の瞬間、エアバッグが作動するような勢いで黒いボールが膨らみ高薗を包み込む。黒漿液だ。黒いボールがバシャンと砕けて床を流れた。高薗は眼をカッと見開いたまま床に横たわり、ひゅうひゅうと掠れた呼吸音を響かせていた。モモが黒漿液まみれの永都の顔を舐める。
「ナガ兄!」
走り寄る千晶。その姿を見ながら風華は刀を鞘に戻し、床に転がった塩飴を一粒拾い上げると静かにその場を立ち去った。
屋上。生温い海風が吹き抜ける。綺麗に晴れた星空、湾岸道路と工場のイルミネーションの中、鮮やかな鬼力が弾ける。広幸の黄緑。ダイの白銀。闘いはほぼ五分と五分。力が拮抗しているというより互いに相手の力を探り合っている状態だ。広幸はまだダイの強化スーツの性能の底が見えていない。全力を出せば自分の方が早いのか。全鬼力を振り絞ればスーツの生み出すエネルギー障壁を破れるのか。その見極めがつかないうちは全力を見せてしまうのは危険だ。そしてスーツの能力の限界が見えていないのは、どうやらダイも同じのようだった。これまで全く相手にならなかった広幸相手にどこまでやれるのか、互いの力関係を測りかねているのだ。手の内を探り合うもどかしい闘いが続いている。
一方の龍彦とアーミーグリーンの鬼甲帯の男の闘いはもう少し分かりやすいものになっていた。
「陸上自衛隊中部方面隊 三等陸佐 有明大成」
有明は自衛官らしい歯切れのよい口調で名乗ったが、鬼士隊員の階級体系は一般隊員とは若干異なる。有明が鬼士隊員であるなら三等陸佐ではなく特技陸佐とか鬼道陸佐と呼ばれるはずだ。
「虫が鳴いたばかりの素人に勝ち目はない。武器を捨てて投降しろ」
「鬼士の取引でしょう?データと人質を交換して終わりじゃないんですか」
龍彦は落ち着いて答えたつもりだったが自分の声が普段より少し甲高く、早いものになっているのが分かった。
「悪いが俺は鬼士のルールに疎い。今のボスに拾われる前は俺も円谷やドム兄弟と同じ貧民街育ちの籍無しでな。この二〇年鬼士であることをひた隠しにして生きてきた隠れ鬼だからな。分かりやすくやろう。投降するか、俺に勝つか。お前にはこの二つしか道がない。互いに剣士同士、剣で決着をつけようじゃないか。嬉しいよ、ようやくこの剣を差して人前に出られた。もう人形斬りや模造等での訓練には飽き飽きだからな」
有明が左腰に差した刀の柄を軽く叩きながら言う。官給品の軍刀ではない。臙脂色の鞘に収まった太刀だ。龍彦の右腰の霧雨丸に目をやりながら自然体で一歩前に出る。
「その剣でその構えなら居合いが得意なのだろう?付き合ってやる。好きに仕掛けてこい。ルールは知らんが礼は心得てるつもりだ。力を出し切って悔いなく負けるがいい」
有明はごく自然に両手を下に垂らしている。鯉口すら切っていない。
「どうした?ここまで来て臆したか?まぁ無理もない。裏鬼士たちの取引の場を見学して今後の肥やしにしようくらいのつもりだったのだろう?最後によい勉強をしたな、人生何が起こるか分からないということだ」
龍彦の爪先に僅かに力がこもる。
「やってみなければ分からんぞ?クロックアップを試してみろ、ん?」
次に瞬間、龍彦の右手が弾ける。その右手よりも早く鞘から飛び出した霧雨丸を空中で捕まえると虹色に輝く冷ややかな一閃を有明の左膝目がけて放つ。同時に有明の右手も動いた。臙脂の鞘から白い閃光が噴き出し龍彦の放った閃光とぶつかる。澄み切った美しい金属音がフロアを満たす。ワンテンポ遅れて瑠璃色と赤黒の鬼風がぶつかり二人を中心に輪を描いて広がった。コンクリートの床と壁がブルッと身震いした。有明が歓喜の表情で叫んだ。
「それでいい小僧、もっと来い!」
「大丈夫、足がちょっと痺れてるだけだ」
下の階から上ってきた泉川が永都の上半身を起こしてやる。心配そうに覗き込む千晶。
「虫が驚いてるだけ。少し休めば元に戻るわ」
志乃が千晶の肩をそっと叩きながら言う。高薗はまだ床の上に横たわったままだが手足は結束バンドで拘束され、口には布きれを押し込まれガムテープで塞がれている。胸が静かに上下しているが意識が戻っているのかは分からない。
「俺はいいから、早く上へ」
永都の言葉に志乃が頷く。泉川を先頭に志乃、千晶が屋上への階段を駆け上がる。
「あれ?」
泉川が屋上への扉のノブをガチャガチャと捻る。
「鍵が掛かってる」
屋上への扉は内からも外からも開けるのに鍵が必要なタイプのドアだ。細工してあったのか偶然かは分からないが龍彦と広幸が屋上に出た後、オートロックで施錠されてしまったのだろう。
「泉川さん、時間がありません」
志乃が言って壁の上の方にある小さな窓を指さす。泉川が「はぁ」と大きく溜息を吐きながらスーツのジャケットを脱ぐ。
「二千円もしたイージーオーダーのスーツなんだよ。初めてのメリケン堂さんのスーツだったのになぁ。まだ三回しか着てないんだよなぁ」
志乃と泉川は一旦四階のフロアに降りると壁に沿って天井にまで伸びているパイプに取り付く。手足をリズミカルに動かしながら窓に向かって上り始める。
「うわ、予想通りだよ。埃と油でベトベトだ。報酬三倍でも合わないな、こりゃ」
有明はどこかボクシングのフットワークを思わせる独特の足裁きと、小さく鋭いジャブのような剣先の動きで龍彦の攻めを上手くいなしながら、龍彦にできた隙を捉えては鬼力を打ち込んでくる。また龍彦の左肩の辺りで赤黒いマグマのような鬼力が弾けた。鬼力のバリアと鬼甲帯のせいでダメージは少ないが、確実に体力、鬼力を削り取られていることは確かだった。このまま闘い続けても結果は見えている。一般的な鬼道士同志の立ち合いであれば互いの怪我や鬼虫へのダメージなどのリスクを避けるため、優勢な鬼道士の方から引き分けを提案するか、劣勢の方が大きなダメージを負わないうちに負けを認めるかして勝負を終わらせているところだ。個人的な立ち合いか、後ろにスポンサーや依頼人がいるかなど立ち合いに至った経緯なども考慮に入れながら、勝ち負けをつけたり、「引き分け」が絶妙なのだ。
「悪いが引き分けはない。俺を倒すか、投降するかだ」
感情が顔に出てしまったのか有明に釘を刺された龍彦は素早く頭を巡らせる。本当はクロックアップして神経速度を上げた状態、つまり時計を停めた状態でじっくりと状況分析をし作戦を練りたいところだが、まだクロックアップ、ダウンの切り替えが上手くできない龍彦は一旦クロックアップしたら残存鬼力を使い切るか、脳内のブドウ糖が切れるまで停まれない。
「龍彦」
ダイと交戦中の広幸が声を掛けてくる。左手を背の方に回しダイと有明に見えないようにしながら、バレーボールのセッターのようにハンドサインを送ってくる。龍彦の知っている詩苑流のハンドサインとも鬼士院で使われる標準手話とも違って訛りのきついストリートのものだ。それでもどうやら広幸は闘いを長引かせたいらしいことが龍彦に伝わった。闘いの中で何か感じるものがあったに違いない。龍彦は目で頷くと有明に集中する。有明は探るような目でジッと龍彦を見ている。龍彦は半ば開き直って霧雨丸をクルンと一回転させて鞘に戻すと小さくステップを踏み始める。有明が愉快そうに笑う。龍彦の攻撃を受けるのを本当に楽しんでいるようだ。龍彦の長靴が小気味よく床を鳴らす。ツーステップ目で素早くクロスステップを踏んで方向転換すると低い姿勢で右足を軸にして左ターン。霧雨丸が鞘から飛び出す。最初に地を這うような左足の回し蹴りが有明の前足を襲う。有明が剣で受ける。瑠璃と赤黒の鬼力が弾ける。龍彦はそのまま回転を殺さず右手の霧雨丸で有明の腿の辺りを狙う。剣先が鬼甲帯を掠めた。ポッと瑠璃色の半円球が有明の鬼甲帯の上に点り、スッと尾を引きながら消えていく。
「やるな。入れられるとは思ってなかった」
有明は左踵を床から浮かせ、足首と膝関節をグリグリとほぐしている。入るには入ったがダメージを与えるところまでは行かなかったようだ。有明は太刀を鞘に戻す。
「闘い方が変わったな?守りに気を使わなくなった」
有明は龍彦の方を見たままダイに声を掛ける。
「下地、こいつら試合を長引かせたいらしい。お前のスーツのバッテリー切れを狙ってるんじゃないか?いつまでも様子を見てないで腹を括れ。勝しかないのはお前も同じだぞ?円谷が全力で来てもそのスーツならしのげる。お前の方が強いんだ。俺が保証してやる」
どうやら広幸の意図は有明に見透かされていたようだ。
「さてと、もう悔いは無いか?いいのか、最後に神経加速を試さなくて」
有明の笑みに怖いものが混じり始める。決める気だ。龍彦に残されているのは有明の言う通り神経加速を試みるくらいか。
「ん―?」
有明が一瞬素に戻った表情で脇見をした。虚空に浮かぶ街の灯り。その光景に何とも不釣り合いなとぼけた話し声が聞こえてきた。
「いやね、会社帰りにジムでボルダリングをやってるんだけど、これが結構難しくってさぁ。次の次を読んで手と足の位置を決めないと― あ、千晶ちゃん、下、見ない方がいいよ、結構高いからさ。なにせジムと違って落下防止ワイヤーもクッションもないからね」
虚空から油まみれの手がニュッと突き出て屋上の壁の端を掴む。次いで泉川の汗まみれの顔を現れた。足を壁の端に引っ掛けて体を持ち上げる。左手で屋上の縁をしっかり掴んで下に右手を伸ばす。「よいしょ」と千晶を引っ張り上げてやる。五メートル程横から千晶のスピードに合わせて上っていた志乃も姿を現した。
「あ、またよいしょって言っちゃったよ。これ家で言うと貯金箱に一円入れなきゃならないルールでさぁ― おや、これはこれは、お邪魔して申し訳ない」
泉川が立ち上がり芝居がかった仕草でお辞儀をする。
「いやどうも、私、銀鈴鬼士団 泉川俊郎と申す者です。立ち合いの邪魔はしませんとも。鬼道士の作法に則った立ち合いなら黙って見守るのみ。そちらは青光院松風志乃部、怜門君の相刀です。こちらは円谷千晶、円谷君の妹です。この立ち合い、我ら見届けさせてもらいますよ」
ダイは無表情のまま黙って泉川の口上を聞いていたが、有明は可笑しそうに顔を崩した。
「くく、確かにおしゃべりな男だな。俺は有明大成。自衛官だ。お前らがここにいるということは高薗と家室はどうなった?瓜生と下地の弟たちは?死んだのか?」
「まさか。我々は鬼道士でしょう?有明さん。殺しはしませんよ。ただ高薗という若者が虫を失ってしまったようです。ちょっとばかり品のない戦い方をする若者だったようで、ま、身から出た錆ということでしょう」
「そうか。高薗はともかく、家室が負けるとはな。あいつには目を掛けていたんだが。鬼力の強さ、才能はあんたに劣らんよ、松風さん」
その時、屋上への扉が勢いよく開いた。有明と同じモスグリーンの鬼甲帯とフェイスマスクを着けた一団が屋上へ素早く滑らかに溢れ出てくる。全部で六名。全員が銃剣付の自動小銃で武装している。うち三名が泉川たちを銃で制圧すると、残りの三名は屋上の端に沿って龍彦と広幸を囲むように散開する。
「気を抜くなよ。高薗と家室、瓜生までやられてる。意外とやれるぞ、その連中」
「はっ。全員隙を見せるな、おかしな動きを見せたらすぐに撃て」
有明が指と手首の屈伸運動をやりながらダイの方に目だけ動かす。
「おい下地、何なら代ってやるぞ。全員鬼士とやれるなら給料もいらないって連中だ」
有明が龍彦に言う。
「小僧、最後までやらしてやる。お前ら手を出すんじゃないぞ」
有明が刀を抜く。上段に構えた刀に夜景のイルミネーションが煌めく。広幸がジリジリと龍彦の方に近づきながら言う。
「組んでいくぞ。俺が合図したら躊躇うな」
広幸は最後まで声に出さずハンドサインを送ってきた。例の訛りのきついストリート系のやつではなく、鬼道士共通の鬼士院標準指信号。送られたサインは数字で「130087」。通常50音やアルファベット、イロハ文字を番号で知らせる。50音順なら「す・く・き」アルファベットなら「M・H・G」イロハなら「わ・ち・と」。「00」の意味が分からない。長音、濁音だろうか。ふと龍彦の脳裏に恐竜の絵が浮かぶ。そうかMHG。あれか。モンスターハンターG。龍彦も随分とやり込んだあのゲームだ。様々な武器を使って恐竜を狩るゲームだ。有明とダイを恐竜に見立てて組んで倒すということか?
「小僧、のんびり考えている時間はないぞ」
有明が刀に手を掛け龍彦に近づく。慌てた龍彦は頭よりも体が先に動いていた。有明に向かってダッシュする。しかし間合いが遠い。有明がニタリと笑うのが見えた。もう止まれない龍彦は霧雨丸に手を掛ける。半ば開き直ってそのまま霧雨丸を抜き放ち、コンクリートの床に向かってギュッとたわめた鬼力を叩き付ける。真空斬りだ。瑠璃色の鋭い背びれが埃を巻き上げながら奔る。瑠璃色の真空刃が有明に真っ直ぐ向かったのは偶然だ。
「うおっ―」
有明が驚いて脇に飛びのく。有明の右の爪先を掠めて真空刃は直線上にいた鬼士隊員に当たる。鬼士隊員がギャッと叫んで倒れ、屋上から落ちそうになるのを縁にしがみついて必死に堪える。龍彦は止まらずに返す刀で第二波を放つ。幸運なことに今度も真空刃は有明に当たる角度で飛んだ。距離が詰まった分かわしきれず、有明は剣で受ける。二人の鬼力がぶつかって弾ける。龍彦はそのまま霧雨丸を左手に持ち替え有明の喉元を狙う。有明は必死にのけぞって刃をかわす。龍彦はそのまま止まらずに有明とすれ違うとイルミネーションの海に身を躍らせた。スッと夜の闇に消えていく龍彦。
「―!」
さすがの有明も絶句する。と、次の瞬間、ヒュンッ―と空気を切り裂く音と共に、龍彦の体が大きな弧を描くように屋上の縁から飛び出してきた。両足をたたみ、右手で自分が飛び降りたあたりを指さしている。糸だ。屋上の角に突き出たボルトに糸を引っ掛けて勢いよく飛び降り、自分の体を振子にして屋上に舞い戻ったのだ。龍彦はちょうど正面にいた鬼士隊員に霧雨丸の一閃をくれ、隊員の体を蹴ってさらに高く飛ぶと有明の頭上から渾身の一太刀を浴びせる。分厚い鉄板を叩いたような音が響き、有明ががくりと片膝を着く。龍彦は床の上に落ちて転がる。一瞬の沈黙の後、ゆっくりと有明が立ち上がった。少し膝が震えている。
「見事だ怜門。俺をこんなに追い込んだ青虫は家室とお前だけだ」
有明が太刀を大きく振りかぶる。
「残念だ、一緒に闘えなくて」
有明が振り下ろそうとした太刀を途中で止めた。有明の右手の手首と肘のちょうど間に青いリングが光っていた。見下ろすと左の足首にも青い環が見える。環から一筋の青いビームが伸びていた。有明の背後にある屋上の角のボルトで折り返したビームは床を這うように真っ直ぐ伸びて龍火の右手の人差し指と中指の先の指貫に繋がっていた。床に仰向けに倒れた龍彦がキュッと右手を絞る。青い環が締まって薄く煙を上げながら鬼甲帯に喰いこむ。糸だ。極細の特殊な加工を施した絹糸。瑠璃色の鬼力が通ったそれは鬼甲帯の人工皮革を切り裂き、軽く手首を捻れば有明の腕と足を骨ごと断ち切ってしまうだろう。
「これで勝負は決まりですよね?引き分けに―」
「龍彦さん!」
志乃が龍彦を呼ぶ。反射的に志乃の方へ顔を向ける。龍彦は背筋がザッと粟立った。志乃はあの時と同じ表情をしていた。紅綬武闘会の時だ。あの時と同じように瞳がルビー色に染まり髪がざわざわと蠢いている。緊張と憂いと、隠しようのいない喜びの表情。その表情を見て龍彦の頭に閃くものがあった。「130087」だ。数字ではない。1と3でBと読むのだ。「BOOST(加速)」だ。
「たぁぁぁっっ―」
有明が絶叫しながら剣を振り下ろす。反射的に龍彦は糸を引いた。ボンッと音がして有明の右手と左足首が切断される。断面で龍彦の瑠璃と有明の赤黒の鬼力が激しくスパークする。同時に志乃が二本鞭を振るって二人の鬼士隊員から自動小銃を奪い取る。三人目の銃は泉川の刀で綺麗に両断された。
「龍彦、今だ!」
広幸の声が届く。龍彦は腹の底と後頭部の辺りにあるバルブをキュッと開ける。これが龍彦のクロックアップのスイッチなのだ。ゴボリと湯の中に潜るような感触があり世界が凍り付く。
「タツヒコォォ― ィだりの三人はァ おまえがヤレェ 時間がなィィ ィそげ」
凍り付いた世界の中で広幸が言った。広幸も超高速鬼動能力者だったらしい。ともにかこの場を切り抜けるのが優先だ。残った鬼力はさほど多くない。まるで宇宙遊泳するかのようにゆっくりと志乃達の前にいる三人の前に移動する。首の付け根に霧雨丸の切っ先を当て鬼力を流す。クロックアップした世界で龍彦の鬼力は青いLEDライトのように輝き続ける。三人目に鬼力を流したところで最初の一人がゆっくりと床に崩れ落ちていく。世界が解け始める。バタバタと残りの二人が倒れ、龍彦もその場に座り込む。
「龍彦さん!」
志乃が走り寄る。その時、パンパンと乾いた音がした。銃ではない。スタンガンの放電音だ。気絶した翔太を羽交い締めにした倉科が翔太の頭に拳銃を突き付けている。その両脇に二人ずつ、四名の新たな鬼士隊員が自動小銃を構えていた。下の階で待機していたのだろう。山田とケロちゃんが床に倒れている。
「俺たち四人は隠形の技が得意でな。気がつかなかったようだな。山田は確保した。あとはデータだ。誰が持ってる?十秒待ってやる。十秒経ったらお前らを殺して死体から探す」
四人の鬼士はクロックアップで力を使い果たした龍彦と広幸を除いた、志乃、泉川、千晶、そしてダイに銃口を向けている。リーダーらしき隊員が龍彦に向かって言う。
「どうせ鬼襞に隠してるんだろうが、万一銃撃でデータを壊しても困る。素直に出せばこのガキは助けてやる。立派な憂国鬼士に育ててやる」
他の手段を思いつかず龍彦がデータを取りだそうとした時だった。突然、倉科の左側にいたリーダーともう一人が青白く瞬いてその場に崩れ落ちる。驚く間もなく右側の二人も倒れた。倉科の後ろに唐突に人影が現れた。翔太の頭に突き付けられていた銃が闇に溶けるように見えなくなる。兵庫藩鬼士長九鬼清十郎だった。
「君には聞きたいことが沢山あるんだ」
九鬼は倉科を後ろから抱きすくめた。倉科の姿が歪んで細くなり消えた。九鬼は翔太を抱きとめるとそっと床に寝かせた。そしてスーツの内ポケットを探るような仕草をした。すると魔法のようにゴロリと土方の頭と体が現れる。九鬼は土方の頭と肩を抱きかかえそっと寝かせる。次いでコングとバンジ。最後に永都が現れた。どう考えても鬼襞に隠していたのだろうが、消えた倉科を入れると大人を五人も鬼襞に飲み込んでいたことになる。
「ふぅ、これだけの人数を抱えて高速鬼動するのはちょっときついね。もう齢かな」
九鬼は龍彦の顔を見ながら笑う。志乃の方を見て小さく会釈する。
「九鬼清十郎といいます。二人ともお似合いの弐式だよ。おめでとう」
九鬼はぐるりと屋上を見渡し肩を竦める。
「どうやら龍彦君の真空斬りを見逃したみたいだね。残念至極だな」
九鬼の携帯が場違いなポップスを奏でる。
「もしもし。そうか、ご苦労様。付近の道沿いに連中の仲間がいるはずだからそっちの掃除を頼むよ。屋上のみんなは疲れてふらふらだからね。こっちはもう片付いたよ。じゃあ約束の場所で合流だ」
九鬼は携帯をポケットにしまうと小さくお辞儀をした。
「土方警部、龍彦君をよろしく。では皆さん、これにて」
九鬼はドアを開けてその向こうに消えた。
「鬼士長!」
龍彦が後を追いかける。ノブを引くとドアはあっさりと開いた。暗闇に中を手摺を頼りに階段を下りる。
「鬼士長―」
風が柔らかく吹いている。人に気配はどこにもなかった。ふと気づくと満点の星空が見えた。天の川の流れまでくっきりと見える。ざわざわと木々の揺れる音が聞こえてくる。
「鬼士長?」
龍彦は自分の声にそくりと震えた。




