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バトルステージへ

 泉川の運転するスバルWRX STIはとっぷりと暮れた市街地の道をとびきりの安全運転で走っている。助手席には龍彦、後部座席では父の達哉とアルバイトの男子大学生が眠りこけている。

「嫁さんがファミリーカーに買い替えろってうるさくってねぇ。ミニバンとかだと家族で遊びに行ったりするのにも便利だし、買い物も子供の送り迎えにも不自由しないしね」

 泉川が前を見たまま静かな口調で言う。

「あの女の子、ケロちゃんだっけ。任せてくれていいんだよ?土方警部と僕で何とかするからさ」

 ドムブラザースが消えた後、店内に入った龍彦達はこれまでの事の経緯について土方警部に説明した。ほとんどは泉川と円谷兄弟がしゃべった。円谷兄弟達の口はかなり重たかった。当然だろう。相手が鬼士警官とはいえ仕事の依頼内容に関することを第三者に洗いざらい話すのは苦痛だったはずだ。円谷兄弟は正規の精錬鬼道士ではない。「簡単に口を割る」「圧力がかかるとすぐに転ぶ」そんな噂が立てば割のいい仕事は回ってこなくなる。今よりも汚く違法性の高い仕事の口しかかからなくなってしまうのだ。それでも彼らが口を開いたのは弟の翔太を人質に取られていることはもちろんだが、土方警部の存在が大きいようだった。どうやら土方という鬼士警官はこの世界では一目置かれる存在らしい。

 土方はAランチを頬張りながら円谷兄弟と泉川の話を聞き、時折短く質問をした。サングラスを外した土方の眼は左眼だけが鬼眼で、右眼は黒のまま変化しない。龍彦は土方に質問されたことにだけ簡単に答えた。父から預かっていた伝信管のこと、広幸に呼び出されて店に来た事、クロックアップしたがダイに上手くいなされたこと。

「素人のクロックアップなんて怖かねぇんだ。図に乗るんじゃねぇぞ、少年」

 土方は「ふう美味かった」といってコップのウーロン茶を一気に飲み干す。

「さて、大よその所は分かったぜ。おいヒロ、お前らが翔太を取り戻しに行くのは構わねぇ。もっとも俺も一緒に行くがな。問題は少年、お前だな」

「データは僕が持ってますし―」

「知ってるよ、そんなこたぁ。言っとくがお前は巻き込まれただけだ。そのバイトの女の子が攫われたのは半分は円谷のせいでもう半分は運が悪かっただけだ。お前が責任を感じる必要は無い―が、だ」

 土方は千晶が持ってきてくれた熱い焙じ茶を「ありがとう」と言って受け取る。

「虫の鳴き始めのガキどもは何かと冒険したがるもんだしな」

 泉川が焼きおにぎりをぱくつきながら言う。

「でも先輩、危ないんじゃないですか。互いの獲物の交換だけならいい経験したですみますけど、今度の一件、何かやばそうじゃないですか。あの妙なスーツ、裏に色々あるんじゃないですか?できれば僕もここまでにしたいなぁ。もう料金分の仕事はしたんじゃないかなぁと」

「馬鹿、危ないからこそお前は最後まで付き合うんだ。しかしそんな鬼甲帯が作られたとはな。山田教授一人の仕事とは思えねぇ。組織的なバックアップがねぇとできねぇ仕事だ」

 ドムブラザースの着用していた強化スーツのことも土方には話してある。元々の鬼風力でいうとドムブラザースは円谷兄弟の敵ではない。広幸と永都は甲レベル、千晶も乙レベルの鬼道士で、ダイは丙レベル、コングは鬼力を自分の体外に放射できない丁レベルだ。つまりコングは鬼道士ですらないただの虫飼いにすぎない。その二人が円谷兄弟と互角以上に渡り合ったのだ。あのスーツには鬼力を増幅するといったレベルでなく、鬼力に似た同種の力を発生させる機能が備わっているのだ。外装骨格を備え鬼士に劣らないパワーとスピードも発揮できる。普通の人間が鬼道士に変身できるスーツなのだ。

「軍ですかね?」

「分からん。軍か警察か鬼士院か。とにかく後ろにでっかい組織がいる。終わらせ方を上手くやらねぇと俺たち全員ひどい目に合うぜ。おい、お前ら依頼人には会ったんだろう?どんな連中か見当つかないのか?」

 広幸が重い口を開く。

「依頼者の代理人とは会ったけど― 依頼元は某民間企業だと言ってたが多分嘘だ。コーディネーターが仲介した仕事だし、前金もくれたからそれ以上は聞かなかった。俺たちフリーは仕事を選んじゃいられないし。確かにちょっと日の丸の匂いがする奴だとは思ったけど」

「というわけだ、少年。こいつは単なる鬼士チーム同士の小競り合いじゃなさそうだぜ。依頼主の見当がつくまでは俺たちと一緒に居るほうがいい。まぁデータはお前さんが持ってるんだし、俺も一緒なんだ。めったなことはしてこねぇよ」

 それからしばらくして広幸の電話が鳴った。ダイからだ。広幸がその場の者に眼で合図してから電話に出る。

「円谷だ」

「ようヒロ、待たせたな。早速取引の話だ。今夜やっちまおうぜ。近畿チタニウムテクノロジーズの工場、知ってるな?湾岸線沿いにあるやつ」

「あぁ聞いたことはある」

「夜景で有名な工場からもう一本奥に入ったところに旧工場がある。旧工場の方なら工場夜景マニアやカップル達と出くわして気まずい思いをすることもないからな。そこに山田教授とデータを持って来い。こっちは翔太と女を連れてく。今夜はバンジも合流するから三連星で行くからな。それとバンジの彼女も一緒だ」

「彼女?」

「冗談さ。依頼主が寄こすヘルプの女流鬼士だ。女が山田教授とデータの中身の確認をする。土方と泉川が立会人でいいな?後で難癖つけられちゃ敵わねぇからな」

「分かった。時間は?」

「今夜はこれから見たいテレビ番組があるんでな。零時だ。深夜零時に近畿チタニウムテクノロジーズの旧工場だ」

「分かった」

「じゃぁよ、時間に遅れんな」

 広幸は黙ってスマートフォンをポケットに戻す。

「今夜零時に近畿チタニウムテクノロジーズの旧工場だ」

「KTTか。州政府系の非鉄金属製造メーカーですよ」

「だな―」

 土方はそう言ったきり黙り込みしばらく何か考えていたが、ふいに龍彦の方を見た。

「少年、えっと、怜門だったな。得物は?手ぶらで来たわけじゃねぇんだろ?」

 龍彦は渦流の中から霧雨丸を引き揚げて土方に差し出す。土方は黙って一礼して受け取る。刀身を抜き放つ。虹色の光と涼やかな剣気が辺りに溢れる。全員が魅入られたように霧雨丸を見つめていた。泉川がそっと溜息を吐きながら「いい刀だなぁ」と呟く。土方は霧雨丸を鞘に収め龍彦に返す。

「一度家に戻れ。親父さんとバイト君をとりあえず預かってもらって、お前は鬼甲帯を着てこい。泉川、お前一緒に行って俺の名を出せ。鬼士チームのトラブルの仲裁に入ることになったが、行きがかり上怜門にも立会人に加わってもらうが、俺たちも一緒だし心配はいらないとな」

「先輩、山田教授もデータもこっちが握ってるんですし、このまま警察か鬼士院に駆け込んじゃうほうがいいんじゃないですか?」

「黒幕が分からねぇうちはジタバタすんな。それにそれをやったら子供も娘っ子も九分九厘帰ってこねぇ。まずは二人を無事に取り返す事が優先だ。二人が戻りさえすりゃ後は単なる大学教授誘拐事件だ。俺と泉川に任せとけ」

 泉川が小さく「僕も入ってるんですか」とぼやく。

「怜門よ、とにかく早く二人を預けてこい。心配すんな、俺が間に入るんだ。下手な小細工さえしなけりゃ女の子は無事に取り戻せるさ」

 こうして龍彦は泉川の車で一旦湯沢の家に戻ることになったのだ。



 詩苑流本部の駐車場にスバルWRX STIを停め、龍彦と泉川はまだ催眠の抜けきらない達哉とバイト君に肩を貸しながら湯沢宅に向かった。車の音を聞きつけたのか耕太郎叔父と佳苗叔母が玄関先に出てくる。

「ちょっと龍彦、これ、どういうことだい?何があったの?」

 佳苗が表情を曇らせながら心配そうに尋ねる。

「大したことないよ。二人を寝かせてあげて。特に怪我とかしてるわけじゃないから心配いらないよ」

 龍彦と泉川が達哉とバイト君を部屋に上げる。耕太郎は物問いたげな顔をしながらも黙って手伝う。

「時間がないな。龍彦君、着替えておいで。立会の件は僕から話しておくから」

 泉川が腕時計にさりげなく目をやりながら言う。

「はい」

 不安げな表情のまま泉川の差し出す名刺を受け取る佳苗を残して二階の自室に上がる。クローゼットから鬼甲帯を取り出す。中学に入学した時に誂えてもらい、成長に合わせて直しを入れながら体に馴染ませてきた鬼甲帯だ。着ているものを脱ぐと首から踝までを覆う鬼士用の高機能インナーをつける。艶々とした鉄紺色の人工皮革を一撫でする。鬼甲帯がぶるっと震えた。虫が鳴き始めてからは生き物のように龍彦の鬼風に反応するようになっている。両足をするりと鬼甲帯に突っ込み上半身部分をがばりと羽織る。全身に配されたバックルが独りでにキリキリと締まって龍彦の体に程よく密着する。ブーツを履き剣帯を締めて霧雨丸を右腰やや下に差す。腰の後ろにあるポケットに予備のバッテリーを入れ、最後にグローブをつける。錬気の呼吸を何度か繰り返すと腹の底で炭火が熾ったように体が熱くなる。

 龍彦が下に降りると、まだ堅い表情の耕太郎と佳苗を前に泉川が穏やかな口調で話しを続けていた。

「これも縁というやつですよ。兵庫藩警の土方警部が場を仕切りますから、まぁ危険はないでしょうし。こういう場数を踏みながら鬼道士として成長していくわけですし。あぁ、準備できたかい?じゃ行こうか」

「はい。じゃぁ行ってくるよ」

「気を付けるんだよ。警部と泉川さんの後ろに控えてればいいんだからね?変な気起こすんじゃないよ」

「お前はまだ正式な鬼道士じゃねぇんだからな。土方警部と泉川さんの言う通りにな」

 駐車場まで付いて来ようとする耕太郎と佳苗を何とか押し止めて、龍彦と泉川は車に戻った。

「ふぅ、危険はないとか言っちゃったけど本当に大丈夫かな?後で訴えられたりしないかな?お二人とも君が可愛くて仕方ないんだろうねぇ。いや、後味が悪いな」

 泉川がブツブツ言いながらキーを捻る。エンジンに火が入る。ヘッドライトを点灯すると、光の中に人型の影が浮かび上がった。

「まさか、もう―?」

 泉川が緊張した声で言う。相手の寄こしたエージェントかと思ったのだ。しかし龍彦は泉川の二の腕あたりに軽く触れて「知り合いです」と告げる。影が近づいてくる。すらりと伸びた長い手足。野生の鹿を思わせる優雅さと脆さと力感を兼ね備えた曲線。ドキリとするほど格好いいシルエットの持ち主は志乃だ。紅葉色の鬼甲帯を着け腰の左右に丸めた鞭。今夜も紅綬武闘会の時と同じように髪をツインテールにまとめている。助手席側に歩いてくる。志乃が後部ドアに手をかざすとWRXはまるでタクシーの自動ドアのようにドアロックを解除した。志乃が後部座席に滑り込む。両膝を少し斜めに揃え両手を膝に当てて小さく黙礼する。

「あ、君って確か巻首螺鈿の」

「青光院松風志乃部といいます。龍彦さん、志乃も一緒に行きますから」

 志乃はにっこりと微笑みながら凛とした声で言った。



「バンジ、何だよその姉ちゃんは?」

 コングが興味津々といった感じで尋ねる。壁に背を預けて澄ました表情で爪の手入れをしている漆黒の鬼甲帯を着た女流鬼士。瓜生時雨だ。

「スポンサーの雇ってる鬼士だよ。お目付け役じゃないの。騙されんなよコング、性格の悪いおばさんだから。平気な顔して急所を突いてくるタイプだぜ」

「いいね、俺、そういうの好きだな。なぁダイ、こいつも貰えないかな?」

 ダイはチラと時雨に視線を投げただけで会話には加わらず、倉科を振り返る。倉科はおどおどと視線を泳がせながら言う。

「確実に任務を遂行するために味方は多い方がいい。彼女は腕は確かだから」

「裏手にいる連中は?戦争でも始めるつもりか?」

 倉科が前髪を掻き上げる。

「円谷は厄介だ。君たちも知ってるだろ?おまけに妙な小僧まで絡んできてるし。神経加速能力者なんだろ?場をわきまえずにテンパってクロックアップされたりしたら面倒だ。それに土方もいる。あいつはある意味小僧より厄介だし」

「確かにな。土方はコングとバンジでやる。裏手の連中に援護させろ」

「できるだけお前らだけで決着をつけろ。相手は一応現役の警官だからな。弾丸だらけの死体で見つかったりすると後始末が大変だ」

「なんだ、撃ち殺すつもりか?あの連中自衛隊の鬼士隊員なんじゃないのか?大丈夫かよ、あいつらの方が死体にされるんじゃねぇか?」

「鬼力を使える者もいるが、できれば派手にやりたくないんだ。分かるだろう?」

 鬼士の放つ鬼力、鬼風には一人一人特徴がある。正規の鬼道士であれば鬼風の風合いや鬼力パターンが細かく記載された登録票が鬼士院、藩警察、藩の鬼道管理局に保管されている。まだ機械的に鬼風力を検知、記録し、波動パターンや発光パターンを数値化する技術は実用化されていない。しかし鬼士は感じた鬼力の風合いを正確に記憶しており、再び同じ鬼風力を感じれば必ずそれと分かる。派手に風を吹かせて近くにいる鬼士に感知されると、時間と場所、登録票の鬼風力パターンからかなり対象者を絞り込まれてしまうのだ。

「ふん」

 ダイは鼻を鳴らす。円谷達を上手く片付けたとして、工場の裏手に潜んでいるコンバットスーツに目出し帽姿、裏社会ではお目にかかったことのない最新式の自動小銃で武装した十二名の男たちが、戦闘で消耗した自分たちを襲ってこない保証はない。コングとバンジも同じことを感じているようだ。

「倉科、お前戦闘訓練は受けてるのか?」

「い、いや、最低限の訓練だけだ」

「お前も現場チームに加わって動いてもらうぞ。コングとバンジのサポートと人質交換の時のエスコート役だ。交換後はそのまま山田教授を確保しろ」

「でも、山田は鬼士だ。俺には無理だ」

「スタンガンと麻酔銃を渡しておく。鬼虫を無力化したら簡易担架に乗せて担ぐなり床を引きずるなりして車まで運ぶんだ。いいな、任せたぞ?それから裏手の連中に早く隠れるように言っとけ」

「まだ早いんじゃないか?」

「俺なら大事な仕事の時は必ず下見をするぜ。事前に現地と周辺の様子を確かめときたいからな。やつらもきっと早めに来て現場を見ようとするはずだ。兵隊達に気付かれると面倒だ。やつらの通りそうなルートも見張らせとくんだぞ」

 そういうとダイは倉科を放っておいてリュックからバナナを取り出して食べ始める。時計を覗く。零時まであと二時間半。



 マンションの鍵を開け中に入る。広幸、永都、千晶に続いて土方も中に入る。誰も靴は脱がなかった。リビングの奥の寝室に山田教授はいた。Tシャツに短パン姿でベッドに寝ている教授は朦朧とした表情で広幸達を見た。薬を飲まされているのだろう。左の手首と足首には鉄の枷が嵌められ、そこから伸びた鎖がベッドの太いフレームに巻き付けられ小さなハンドバックくらいあいりそうな南京錠で固定されている。永都がポケットから鍵を取り出して錠を外しにかかる。

「山田教授、寝起きで機嫌が悪いだろうがちょっとつきあってもらうぜ」

 広幸が山田教授の背に手を回し教授の上半身を起こす。枕を当てた背もたれに背を預けさせコップの水を呑ませる。山田は酩酊薬を呑まされているようだ。土方が警察バッジを見せながら顔を山田に近づける。

「兵庫藩警の土方だ。ちょっと協力してもらうぜ、山田教授」

 山田は頭の中の霞を振り払うようにゆっくり頭を振る。

「二人は?あの親子は無事か?」

「心配すんな、無事だ。別の場所で監禁されている。事が少しややこしくなっててな。お前さんが協力してくれれば明日の朝には保護できるはずだ」

「私に何をさせたいんだ?」

「とりあえずドライブに付き合ってくれ」

 土方と広幸が肩を貸しながら部屋を出る。マンションを出ると白いバンがするりと近寄ってきてドアがスライドする。三人が車中に乗り込むと車はそのまま走り出した。 



「隊長、全員配置に着きました」

「よし。気取られるな。相手の鬼士は無免許のもぐりだがそこそこやるぞ。それと鬼士警官が一人いる。こいつには気を付けるんだ。厄介だぞ」

「そんなに強いのですか?」

「その鬼士警官は変わり種でな。攻撃型鬼力はほとんど出せないが反応抑制型の鬼力を使うんだ」

「じゃぁ銃弾を弾いたり逸らしたりはできないのですね」

「情報ではな」

「よかった。事前に射撃許可を出しておいてもよいですか」

「だめだ。できるだけあの豚どもに始末させろとの指示だ。俺たちは連中が工場から出ないようにしていればいい」

「そうですか。皆腕試しをしたがっていましたが」

「雅史と風華以外はしっかり抑えておけ。二人以外は登録のある者ばかりだからな。勝手な真似をさせるな。大事なのは山田の身柄とデータだ」

「はっ」

「それと爆薬だが」

「は。設置を完了しています」

「最悪の場合は許可無しで起爆していい。山田もデータも手に入らないと判断したら躊躇わずに起爆しろ。連中を工場の外へ出すな。俺への報告も退避命令もいらない。俺もそうする」

「は。了解です」

 男は踵を鳴らして敬礼をすると闇に消えた。



「どうだ千晶、何か感じるか?」

「うーん、少し遠いから― 何も感じないんだけど―」

 千晶はウサギの耳のポーズだ。五百メートルほど先に大小様々な銀色の配管が幾何学模様を描きながら絡み合い、白い光の中にぽっかりと浮かんでいる。近畿チタニウムテクノロジーズの工場だ。

「けど、何だ?何か気になるのか?」

「ん― 遠くて感じないだけかもしれないけど全然気配がしないんだ。まだ来てないのかも」

「きっと気配を消してるんです。ドムブラザースだけならそんなことしないでしょう」

 志乃もジッと工場の方角に眼を凝らしている。

「確かに。先輩、やっぱり警察に任せましょうよ」

「何寝ぼけたこと言ってんだ、俺が警察だろうが」

 泉川が「もっと慎重かつ冷静に対応してくれる警官隊に任せましょうという意味なんですけどね」と呟く。

「おい怜門、どうするよ?松風と一緒に家で待っててもいいぜ。データは俺たちが預かっといてやる。女の子取り返したら届けてやるよ」

 龍彦は少し迷って志乃を見た。

「ごめん志乃さん。俺は最後まで見届けていくよ。たとえケロちゃんが無事に帰ったとしても、ここで家に戻ったら後で後悔しそうだし。志乃さんは先に帰っておいて。叔父さんと叔母さんも心配してるかもしれないし」

 志乃は龍彦の肘の辺りをそっと掴むとニコリと笑う。

「あたしもお付き合いします」

 土方が苦笑いしながら「デレデレしてんじゃねぇよ」と呟く。

「おし、じゃあ怜門、お前は松風と離れんな。松風は精錬鬼道士でお前は虫が鳴き出したばっかの小僧だ。何かあったら見栄を張らずに松風に頼れ。いいな?」

 龍彦が「はい」と頷く。車に乗り込もうとする土方を志乃が呼び止める。

「あの、土方警部」

「何だ?」

 志乃が小さくお辞儀をする。

「お気遣いありがとうございます」

 土方がふんと鼻を鳴らして笑う。

「肩を並べて夜景見てる暇はねぇんだからな。物の交換が終わるまで気を張ってろよ」

 土方が円谷兄弟を振り返って声を掛ける。

「少し早いがこのまま現地に入るぞ」

 泉川が少し上ずったような声で龍彦と志乃に向かって言った。

「あの、じゃぁ乗ってもらっていいかな?あ、二人とも後部座席に乗る?」 



 近畿チタニウムテクノロジーズの旧工場跡地。最近の工場夜景ブームのせいで新工場周辺には常に見物客がいる。ただ今夜は工場周辺に人影が見えない。新工場から道路一本入った地続きの旧工場敷地に白いバンと青いスバルWRXが入ってくる。普段閉じられているはずの旧工場正門は車の通れる幅だけ開けられており、旧式の水銀灯が煌々と輝きながら今は使われていない銀色のスチールパイプのジャングルを照らしている。

 バンから円谷兄弟と土方、まだふらついている山田が降りる。WRXから龍彦と志乃、

泉川が出てくる。

「周辺から人払いしたのもこの照明灯けたのもドムブラザースですかね」

 泉川の声にはドム兄弟にそんなことできるわけないという思いが滲んでいる。この会社には近畿州政府が二五%、兵庫藩が二五%を出資している。ドムブラザースの依頼主を辿れば政府か軍か警察、日の丸親方に行きつくのではないかという疑念は増すばかりだ。鬼士同士の取引とはいえ、権力の中枢と向き合うことへの禁忌の念が泉川の言動には仄見えている。

 不意に上からダイの声が響いてくる。

「いよぉヒロ、随分と早いな。それにお初にお目にかかる鬼さんもいらっしゃるようだな」

 屋上にダイのシルエットが浮かぶ。例のスーツを着ているようだ。

「青光院松風志乃部です。龍彦さんの相刀です」

「相刀だぁ?おい小僧、虫が鳴いたとたんに女か?優雅なもんだな全く」

 続けてダイは小さな声でボソリと「羨ましいぜ」と呟いたが、この声は下まで届かなかった。

「上がってきな。屋上だ」

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