バーベキューレストランにて
龍彦がザルに入れた玄米四合を水につけ、シャカシャカと研いでいると携帯に着信があった。ジョン・デンバーのカントリーロード。父の達哉からの曲だ。手が濡れているし後でかけ直そうかとも思ったが、何か予感めいたものを感じて布巾で手を拭きダイニングテーブルの上に置いていた携帯を取る。達哉がこの時間に龍彦の携帯を鳴らすことはこれまでなかったのだ。
「もしもし?」
一瞬間があって、落ち着いた若い男の声が聞こえてきた。
「怜門龍彦君かな?」
背後で聞きなれたジュウジュウという音がしている。ただ、いつもより音に厚みがない。週末のこの時間なら店はもっと混んでいる。
「あなたは?」
「俺は円谷。円谷広幸。フリーの鬼士だ。君のお父さんの携帯をお借りして掛けてる」
龍彦は声に動揺が出ないように言葉を短く切った。
「父さんは?」
「心配しなくていい。怪我はしていない。この電話を借りるのに催眠をかけさせてもらったが、ごく浅くかけたつもりだ。一晩眠ればきれいさっぱり解けてるはずだ。催眠痕が残ることもない」
広幸は相変わらず静かな口調で話した。命令口調も脅す素振りも感じられない。
「目的は?」
広幸の口調に少しだけ笑いが混じった。
「礼を言いたいだけだ。使鬼の鳩を探してたんだ。仕事の途中で鷲かなんかにやられてね。怪我して飛べなくなってたところを君のお父さんが見つけてくれた。ただ鳩が運んでた伝信管が見当たらない。お父さんが君に預けたと教えてくれたよ。持ち主を捜すためにね」
紅綬武闘会の終ったあと、父から店先で傷ついた使鬼の鳩を見つけた話を聞いた。その時に鳩がこれを足に着けていたといって小さな茶封筒を渡されたが、疲れと興奮のせいで巾着に放り込んだまま忘れてしまっていた。
「太い判子ぐらいのアルミチューブだ。中にSDカードが入ってる。中身ごと返してもられないか。もちろん礼はする。お父さんと君とにな」
黙っている龍彦の内心を測るように広幸が尋ねる。
「手元に持ってるといいんだが。ちょうど今から焼き肉をいただくところだ。店まで持ってきてもらえるとありがたい」
「父さんに替わってくれ」
「分かった」
しばらく間があって父の声が聞こえてきた。
「やぁ龍彦、久しぶりだな。どうしたこんな時間に」
達哉の声はどこかのんびりと間延びしている。
「父さん、大丈夫?」
「あぁ、今はまだそんなに混んでないから。すまないな、休みなのに」
達哉は龍彦が店を手伝いに来ると暗示を掛けられているのだろう。
「すぐ行くから。待ってて」
「あぁ、頼む」
再び間があって広幸の声が聞こえた。
「どうだ?状況は飲み込めたと思うが。伝信管を持ってきてもらえるか?」
「すぐ行く」
「頼む。一人で来てくれるよな?詩苑流の鬼士達相手に荒事はごめんだ」
「分かった」
「よし。じゃあ店でな」
龍彦は研ぎかけのコメをそのままにTシャツで手を拭きながら自室へ駆け上がる。自室の刀掛けに掛けられた霧雨丸を手に取る。剣帯を巻き霧雨丸を右腰に差す。霧雨丸はゆらゆらと揺れながら鬼溜りに溶け込んで見えなくなった。紅綬武闘会に持って行った巾着の口を解き達哉から預かった茶封筒を取り出す。開けると中にアルミチューブが入っていた。アルミチューブも鬼溜りに溶かす。
「叔父さん、ちょっと出てくる。米洗ってザルに入れてるから」
階段を駆け下りながら玄関へ。玄関口に置いてある自分のではなく耕太郎のバイクのキーを掴む。
「バイク借りるよ―」
居間で新聞を呼んでいた耕太郎が驚いたように顔を覗かせる。
「おい、どうした?」
耕太郎の言葉を背に受けながらガレージに停めてあるバイクに飛び乗る。キックスターターを蹴り込みエンジンをかける。キュキュッと後輪をスキッドさせながら道路に飛び出していく。耕太郎が後ろから「龍彦」と叫んだのが聞こえた。その声と流れる髪のせいでヘルメットを被っていないことに気付いたが、龍彦は気にぜずアクセルを開け続けた。
龍彦のバイクが風の様に駆け抜けた後、道路脇の入込に目立たぬように停められていたスバルWRX STIのエンジンに火が入った。龍彦の走り抜けた後を追うように瑠璃色のボディが道路に滑り出て行った。
広幸は一人テーブルに座って網に肉を載せていた。炭火のコンロにメープルシロップのような金色の油が落ちオレンジの火が爆ぜる。煙草とはまた違った意味での紫煙がもうもうと立ち上り芳ばしい香りを漂わせながら換気ダクトに吸い込まれていく。
永都は達哉の車に達哉本人と千晶、翔太を乗せて店から少し離れた場所で待機している。無線の届く距離だ。永都には店内の会話が聞こえている。広幸のワンボックスカーは店の裏手に停めてある。車を見られればこちらの人数もおおよそ見当がついてしまう。
店の駐車場には三頭の使鬼が伏せってリラックスしている。さぼっているわけではない。耳と鼻、鬼力を研ぎ澄まして当りの気配を探っているのだ。自然公園に向かう車が結構通るのだが使鬼達は反応しない。鬼風、つまり鬼士の気配を探っているのだ。
厨房では大学生アルバイトが眠りこけており、店の入り口にあるレジには女子大生らしいアルバイトが立ち尽くしている。万が一の場合にはこの二人もトラップとして使えるようコマンドと行動暗示をかけてある。
あまり満腹になってしまっても動けなくなる。広幸は焼くのに時間のかかる鶏肉をひっくり返し、キツネ色に焼けたタマネギを皿に入れた。タレに絡めて頬張る。タマネギの甘味が口一杯に広がる。丼飯をかき込みたいところだ。
伏せの体勢だったレオンとロビンが立ち上がって、喉の奥で唸った。どうやら鬼風の気配を感じたらしい。広幸は水を飲んでから口の周りをおしぼりで拭う。
すぐに甲高いバイクのエンジン音が聞こえてくる。あぁ、これだなと広幸は苦笑いする。アクセルワークやギアチェンジの音からライダーの苛立ちや焦りが伝わってくる。
キュンッと後輪を鳴かせながら、入口を塞ぐコーンを器用にかわしてオフロードバイクが駐車場に滑り込んでくる。鬼士ナンバーのバイクだ。使い込まれた感があるので借り物だろう。名鬼門の御曹司の中には虫が鳴いた翌日には鬼士用チューンの施された馬と籠(車)を乗り回す者もいるが、この少年は違うようだ。
「お客様だぞ」
広幸が声を上げる。
「はい」
それまでマネキン人形のように無表情だったレジの女の子にパチンと笑顔のスイッチが入った。
その男は大雑把に言って身長一九〇センチ、体重一〇〇キロ、どちらかというと男と表現するよりは雄の個体と言った方が的確な見た目をしており、白いTシャツに黒い仔牛革のパンツ、ライダージャケットを肩に引っ掛け、人波の真ん中を悠然と歩いていた。ブーツも黒、溶接工のようなゴーグル型サングラスも黒い。ヘルメットを片手に午後のアーケードの中を闊歩する姿は誰がどう見ても堅気に見えない。耳まで隠れるほどの髪は伸び放題で、自分でナイフを使って切り落としたようなざく切りの髪型が妙に似合っている。
男が道の真ん中からゆっくりと端へ寄っていく。人波が乱れて男の周りに溜まりができる。みんな明らかに男を避けているのだが当の男は気にした風もない。喫茶店の店先にカラフルな色に塗られたワゴンが置かれ、「アイスクリーム」と書かれたのぼりが立っている。
「バニラをひとつくれ」
男はワゴンの脇に立っていた若い女性店員に言った。店員はステンレス製のケースの蓋を開けディッシャーを使ってバニラ色のアイスクリームを掴みだす。四角いビスケットの上にアイスの玉を落とす。
「トッピングはどうされますか?ラムレーズンか黒蜜、チョコフレークから選べますけど」
「あぁ、ラムレーズンを頼む」
店員が白い厚紙の舟にアイスを載せ、上からラムシロップにたっぷり漬かったレーズンをばらばらとこぼす。プラスティックのスプーンを添えて男に差し出す。
「一円二〇銭です」
男はポケットを探って小銭入れを取り出すと銀貨を何枚か取り出し店員に渡す。釣銭を受け取りアイスの載った舟を持ったまま歩き出す。空いているベンチを見つけドカッと腰を下ろす。ヘルメットを足元に置きジャケットをベンチの背に掛けると、なりに似合わずちまちまとしたスプーン運びでアイスを食べ始める。三口ほど食べたところで激しいジャズピアノの旋律が聞こえてくる。男はスプーンを口に咥えたままジャケットのポケットから携帯を取り出した。
「何だ」
ぶっきらぼうに尋ねる。脇に置いたアイスクリームに片手でスプーンを突き刺し口に運ぶ。暑さのせいでアイス玉の表面はもう柔らかく溶ろけ始めている。
「分かった。俺が行くまで場をもたせとくんだぞ」
男は電話をポケットに戻し、残りのアイスを一口で頬張るとビスケットをつまみあげ、舟とスプーンをゴミ箱に放り込む。ビスケットを齧りながら来た道を小走りに戻っていく。男の前の人波がさっと割れて道ができる。男はライディングブーツをゴトゴト言わせながら真昼のアーケードを大股に駆けて行った。
龍彦はバイクを駐車場の端に停めるとバイクのエンジンを切った。キーは差したままにしておく。耕太郎から借りたバイクにはキックスターターだけでなくセルモーターも付いている。キックレバーを蹴り込まなくてもボタンを押せばセルモーターが回ってエンジンがかかるのだが、普通のバイクなら右のハンドルグリップ付近にあるはずのセルモーターのスイッチがこのバイクには見当たらない。鬼士仕様のバイクだからスイッチは見えないところに内蔵されている。スイッチは鬼力で押すのだ。鬼士は車やバイクを使いながら自分の鬼風を徐々に馴染ませていくのだが、このバイクが龍彦の鬼力に上手く反応するかどうか分からなかった。龍彦はわざとキックレバーを出しっ放しにしてバイクを離れる。
店の中から自分の姿がちゃんと確認できるようゆっくりと窓の前を歩く。入り口のドアを開ける。チリリンとベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
アルバイトのケロちゃんがとびきりの笑顔で言う。
「ケロちゃん久しぶり。元気だった?」
龍彦の問いかけに反応することなくケロちゃんはレジカウンターから出ながらフロアの
中央の席を示す。
「あちらでお連れ様がお待ちです」
そのままドアへ向かいカシャンと錠を掛ける。ドアチェーンも掛ける。そのままそっと龍彦を振り返る。まだ笑顔だ。
「お連れ様がお待ちですよ」
龍彦は軽く微笑み返してフロア中央のテーブルへ向かう。男が一人、肉を焼いている。円谷広幸だろう。脂の滴るロースを口に放り込み龍彦に向かってニヤッと笑う。
「呼び立ててすまない。円谷だ」
龍彦は円谷が差し出した手を無視して尋ねる。
「父さんは?」
「ここにはいない。虫が鳴き始めたならそれくらいは分かるだろ?」
「父さんはどこに?」
広幸が無線のインカムを見せる。
「こいつの聞こえる範囲にいる」
つまりそう遠くないところにいると言いたいらしい。
「だますつもりはない。例の伝信管はそれぐらい俺たちにとって大事な物でな。伝信管を確認したらここに呼ぶ。持ってきてくれたよな、伝信管?」
龍彦の腰の辺りからゆらりと揺れながら伝信管が現れる。龍彦は指先でそれを振って見せてからまた渦に沈めた。
「上手いもんだな。まだ虫が鳴いて何日も経ってないんだろう?」
広幸はインカムを取り上げ龍彦の方を見たまま言う。
「永都、怜門君のお父さんをお連れしろ」
無線から「分かった」と応答があったのが龍彦にも聞こえる。しばらくして駐車場の手前で白いバンが停まる。中から少年が飛び出してきて入口を塞いでいるラバーコーンをどかす。車はそのまま駐車場へ進み、少年はコーンを元に戻してから走って車の後を追った。店の前で停まったバンからサングラスをかけた若い男、後部座席から若い女の子と父の達哉が下りてくる。ケロちゃんがまだ顔に笑顔を貼りつかせたままドアを解錠し、入ってくる永都と千晶、父の達哉に「いらっしゃいませ」と頭を下げる。少し遅れて入ってきた翔太の頭を「まぁ、賢いワンちゃん」と撫でる。翔太は露骨に嫌な顔をした。
「父さん!」
達哉はどこか焦点の定まらない眼で龍彦を見て、ワンテンポ置いてから笑顔になる。
「すまないな龍彦。久しぶりに帰ったのに手伝わせて。急に団体のお客さんが入ってな」
「いいんだよ。父さんは厨房で少し休んでて。こっちは僕がやるから」
「そうか。じゃぁ頼む」
達哉は少しスローモーな動きで厨房に入っていった。それを見届けてから広幸が言った。
「怜門君、少ないがこれ、店への迷惑料だ。週末の営業を邪魔しちまったしな。こっちはお父さんと君への礼だ。巻き込んじまってすまなかった。中に俺への連絡方法を書いておいた。何かあったら連絡をくれ」
白い封筒を二つテーブルの上に置く。龍彦は少し考える素振りを見せたが、やがて鬼溜りに手を突っ込むと伝信管を取り出しテーブルの端にコトリと置いた。すぐに手を出すのははしたないと思ったのか、広幸は自分の向かいの席を指して言う。
「まぁ座って喰えよ。せめてこうなった事情を説明させてくれ」
龍彦は表情を変えないまま無言で広幸の向かいに座る。永都と千晶、翔太は隣のテーブルに座った。達哉とケロちゃんが鮮やかな色の肉が敷き詰められた大皿を運んでくる。二つのテーブルに皿が置かれ、翔太の前にだけ水の入った小さなボウルが置かれる。「もう、なんだよ」と口を尖らせる翔太の頭をケロちゃんが撫でる。
「ご注文の品は以上でお揃いでしょうか」
達哉が尋ねる。
「あぁ、揃ったさ。必要なものはな」
広幸が満足げに答えた。
ハードロックの暴力的なビートが車内に充満していた。高価なオーディオが作り出すクリアで重みのあるサウンドが地鳴りの様に尻の下から這い上がってくる。
「おい」
運転席に座った男が後部座席を振り返える。サングラスをしていても隠しようのない苛立ちの色。返事はない。男は更に大きな声を張り上げる。
「おい」
後部座席には黒毛和牛かバークシャー産の巨大な黒豚を思わせる巨漢が二体座っている。二人とも実験場で三郎が着ていたのと同じ、体側にフレームの付いた黒いボディスーツを着ている。一人はオーディオから溢れるビートに合わせてエアドラムを叩きながら巨体を揺すっている。もう一人は耳にイアホンを差して静かに眼を閉じている。
「何だよ大声出して。音楽が聞こえねぇだろうが」
残忍そうな笑みを浮かべてドラマーが応える。ツルツルに剃り上げた頭。右の側頭部には北斗の拳のケンシロウ、左の側頭部にはドラゴンボールの孫悟空のタトゥーが入れられている。
「用があるなら手紙に書いて靴箱に入れとけや。読んどいてやるからよ」
「お前中学も高校も行ってないだろう?刑務所の靴箱か?」
「おい、ちょっと車停めろや」
車内の空気がキナ臭くなったのを感じたように、静かに眼を閉じていたもう一人の巨漢が口を開いた。普通に会話して聞こえるレベルにオーディオの音量を絞る。
「よせ、コング。暴れるのは向こうに着いてからだ」
「なんだよダイ、こんな奴ぶっ殺してやりゃいいじゃねぇか。こいつをぶっ殺したところで俺たちをクビにはできねぇよ」
ダイがイヤホンを外し軽く首をほぐす。コングとは逆に黒い長髪を後ろで束ねている。外したイヤホンからはクラシックの旋律が漏れてくる。薄い緑灰色の瞳で運転手を見据える。
「悪かったな。前を見て運転してくれると嬉しいんだがな。信号、青だぜ」
運転手はダイと視線を合わせようとせず、ぷいと前を向いて車をスタートさせた。ダイはイヤホンのコードをくるくるとまとめシートのポケットに入れた。
「有明さん、もうそろそろか?」
「あと五分で着くぞ。まだスーツは起動させるなよ。ぎりぎりまで待つんだ」
有明と呼ばれた三十半ばの男が助手席からタブレット端末をダイに渡す。
「現地の見取り図だ。頭に入れておけ」
ダイとコングが画面を覗き込む。ダイが画面を指先でなぞりながら尋ねる。
「人数は?鬼道士は何人いるんだ?」
「鬼士が四人と虫持ちの子供が一人。後は店の従業員が三人だ」
ダイが画面から顔を上げる。
「四人?円谷兄弟の鬼道士は三人だろ?末の弟の虫が鳴きだしたか?」
「いや、偶然なんだが現地の家の息子が鬼士でな。今現地にいるらしい。つい最近虫が鳴き始めたばかりらしいが」
「そいつの名は?」
「怜門。怜門龍彦」
ダイが薄笑いを浮かべる。
「知ってるぜ。紅綬武闘会の最中に虫が騒ぎ始めたやつだろ。ちょっと面倒臭ぇかもな」
コングが不思議そうな顔をする。
「なんで?まだ素人のガキなんだろ?」
「そいつ、神経加速を使うんだ。ちょっと厄介だぜ」
コングの表情が微妙なものになる。
「あぁ、確かにな。でも加速能力者とやった経験が無ぇわけでもねぇし、俺たちならどうにかなるべ。問題ないでしょ?」
「大ありだ」
「どんな問題よ?」
「報酬の額だ。想定外の要因だからな。二十五パーセント増しだ」
コングが嬉しそうにニヤニヤ笑いを浮かべ有明の顔を見る。有明は無表情を装ったが口元にほんの少し苦々しい色が浮かんだ。
「分かった。その代わり割り増し分は成功報酬に上乗せする形で支払う。いいな?」
「いいぜ」
ダイとコングがパチンとタッチを交わす。
「じゃあそろそろスーツを起動させてもらっていいかな?何せ俺たちと違ってこのスーツ、立ち上がりが遅いんでな」
ダイが赤みを増す瞳で器用にウインクして見せた。




