ドム・ブラザーズ
照明を絞った薄暗い会議室。部屋の中央には飴色の深い輝きを放つ縦長の会議テーブル。テーブルには全部で三十ほどの椅子がセットされているが、今その椅子に腰かけているのは男が一人だけだ。室内にはその男以外に三人の男がおり、腰かけた男の両脇に控えるように立っている。右手に細身の長身の男。左手に胸板の厚いがっしりした男が二人。椅子の男は黒々とした髪を七三に分けて後ろに撫でつけている。テーブルに肘を突き、指先を顎に当てて青々とした髭の剃り跡の感触を楽しんでいる。袖口から銀細工をわざと燻して黒ずませたカフスが覗いている。横縞の入った紺のネクタイに付けられたタイピンも同じ燻し銀のものだ。ホテルのバーを思わせる薄暗い落ち着いた照明のせいで男の瞳の色ははっきり確認できないが、どうやら虫持たずらしい。とすると三〇半ばから四〇の間くらいの年齢か。身に着けているものは色もデザインも地味に見えるが、その濃紺の生地は男の体にピタリと寄り添うようで、目の肥えたホテルのバーテンなら、高級な生地を使って腕の立つ職人が仕立てたものだと分かったはずだ。遠目には目立たなくともタイピンとカフス、袖口から文字盤が半分だけ見えている時計も、バーテンダーがカウンター越しの距離で見れば一流品と知れる物ばかり。周りも客は気付かないが、こういう客がカウンターに座って「ウイスキーを」と言えばバーテンダーは黙って一番高い酒をだす。
立っている男のうち細身の方は一九〇センチを超えていそうな長身だ。脂っ気のない白い物が混じり始めた髪をセンター分けにし、時折眉間に落ちかかる髪を神経質そうに鉤型に曲げた小指を使って直している。その仕草と対照的に大き張り出した顎が意思の強さを感じさせる。年齢は座った男と同じか少し若いぐらい。白いシャツに紺のスーツ姿。安物ではなさそうだが既製品のようだ。
残りの二人も黒のスーツを着ているが、せっかくの地味なスーツも台無しになるほど二人の姿は目を引いた。とにかくスーツが似合っていないのだ。年齢は共に五〇歳代半ば。一人はかなり頭頂部の薄くなった灰色の髪、もう一人はゴマ塩頭を短く刈り込んでいる。二人とも細身の男ほどではないが背が高いほうだ。一人は一七五センチ前後、もう一人は一八〇センチ前後あるだろう。そして体の厚みが確実に細身の男の倍はあった。カッターシャツは筋肉と脂肪でパンパンに張りつめており、ジャケットは前ボタンを留められないためはだけたままだ。腹周りは呼吸するたびに苦しそうに波打ち、ベルトの上に脂肪の塊が雪崩を打っている。スラックスの裾は余った分を内に折り畳んで安全ピンで留めてあった。二人揃ってしきりに顔汗を拭いている。
「山田教授、まだ見つからないのか?」
座った男が尋ねる。細身の男が眉間に落ちた一筋の髪を掻き上げたいのをグッと堪えながら答える。
「申し訳ありません管理官。探らせてはいるのですが、相手方の雇った鬼道士、思いのほかできるようです」
「山田教授とデータ、両方相手の手に渡ったら終わりだぞ、倉科。片方ずつでも構わん」
「はい、管理官」
倉科と呼ばれた細身の男は鋭角に腰を折りながら返事をすると、頭を上げる勢いを利用して眉間の髪を振り払った。
「さて、どんな連中なんだ、倉科?普通の人間なのか?」
「三人兄弟なんですが一人は鬼士で二人は虫持ちです。ともかくご覧ください」
倉科は電話を取り出し顔にあてがう。電話の相手に前置きなしに「始めてくれ」とだけ告げて電話をポケットに戻す。テーブルに置かれていた小さなリモコンを手に取る。音もなく正面の壁に白いスクリーンが下りてくる。照明が更に絞られ室内は映画館の様に暗くなる。プロジェクターが光を放ちスクリーンに鮮やかな映像を映し出す。映し出されたのは光沢のあるグレイの壁の殺風景な部屋だ。スピーカーから低い男性の声が流れる。
「ではデモを始めさせていただきます。今スクリーンに映っている部屋ですが、壁は二重壁になっていてそれぞれの壁にレベルⅣクラスの抗鬼力処理が施されています。G波カット率九九%以上ですので本日のデモに参加する鬼士レベルであれば外部から鬼力を検知される心配はありません。また壁には耐衝撃、耐熱処理も施されています。一〇式戦車の砲撃を受けても貫通しませんし、ナパーム弾の熱にも数時間耐えます。そちらの部屋に何らかのあ影響が及ぶことはありませんので念のため」
管理官が横にいる倉科に聞こえるか聞こえないかくらいの溜息を吐く。倉科がスーツの襟に留めたマイクに向かって言う。
「準備ができているならもう始めてくれ」
一瞬間があってスピーカーから返事がある。
「分かりました」
斜め上から部屋全体を映した映像に人影が二つ入ってくる。黒い鬼甲帯を着けた男女の鬼士だ。男の方は左腰に長刀を差している。女の方は銃士だ。腰の左右、両脇に一丁ずつ、背中側首の下に一丁と左右の腎臓の位置に一丁ずつ。都合七丁の銃が収まっている。銃は艶消しの施された黒い自動拳銃で、その平べったく角ばった機能的なデザインからは東欧製の銃の特徴が見える。恐らくチェコかオーストリア製の銃をベースに日本のカスタムメーカーが改造したものだろう。
二人の鬼士は黙って画面の中を移動し、部屋の奥の壁際まで行くと振り返って正面を向いた。男の方は少し気が昂ぶっているようで、自分でもそれが分かっているのだろう。腰に差した刀の柄をトントンと指先で叩きながら人工心肺音に似た独特の呼吸音を響かせている。鬼士呼吸をしながら逸る鬼虫を抑えているのだ。一方で女の方は落ち着いたものだ。穏やかな表情で体もリラックスしているようだ。ただ長い髪の毛だけがご機嫌な猫の尻尾のようにくねくねと蠢いている。髪の毛は鬼風を留めやすく立ち合いの際には相手の鬼力を遮るスクリーンの役割も果たしてくれる。鬼士に男女とも長髪が多いのはそのためだ。特に女性は鬼力を満たした髪を相手に絡めたり、鞭のように振るったりと、文字通り女の武器として使うこともある。鬼界の昔話には寝屋の中で互いに一糸纏わぬ姿に油断した鬼士が敵方の女鬼士の長髪に全身を締め付けられ鬼力を失うといった話や、絶命した女鬼士の髪が独りでに動き、勝ち誇る相手鬼士に触手のように絡みつき一矢報いる話など髪にまつわる話も多い。
倉科が小さく腰を折って画面に見入っている管理官の耳元で説明する。
「男の方は元陸自の鬼士隊員です。女の方は元警官です。二人とも東邦セキュリティサービスに所属させています」
言いながら倉科が二人の身上書をテーブルに置く。管理官は身上書を手に取ろうとはせず、テーブルに置かれたままのそれにチラチラと視線を走らせた。
「陸自と警察をやめた理由は?」
「男の方は上官への暴行ということになっています。その後上官の方も業者との癒着で懲戒処分になっています」
「成程、過剰な正義感を咎められたか。で、女は?」
「行き過ぎた捜査で度々問題になっていました。犯人の射殺、容疑者への脅迫、器物破損などです。そのことで直接処分は受けていませんが依願退職しています」
「依願ね。居づらくさせて燻り出したってことか」
「そのようなところかと」
管理官は小さく頷いて進めろと手で合図した。倉科がピンマイクをオンにして「続けてくれ」と指示を出す。
画面に別の人影が入ってきた。大きい。体のサイズも態度もだ。筋肉と脂肪の両方がたっぷり乗った巨体も、両肩をロールするように揺らしながらがに股気味にのしのしと歩くその姿もどこか力士を思わせる。リズムに乗って歩いているのか、揺れる肉と体形のせいでそう見えるのかは分からない。巨漢の男は肉厚のボディスーツを着せられていた。外装鬼甲帯と同じで頭部を除いて爪先から指先まで全身が黒いゴム質感素材のスーツに覆われている。関節部分は曲げやすいように蛇腹になっており、前にも後ろにもファスナーやボタンの類が見当たらない。鬼甲帯のように自分で着るのか、誰かに手伝ってもらって装着するのかも分からない。そして鬼甲帯との一番の違いは、腕、胴、足と体側に沿って黒いセラミック製らしいフレームが取り付けられていることだ。巨漢が歩くたびにカシャカシャという金属質の擦過音とシュッシュッと油圧装置の働く音がする。
「ふはは― ハンプティダンプティだ― 本当にいたんだな」
管理官が失笑を漏らしながら、ここの声は下には聞こえてないんだろうなと念を押す。
「面白いの見つけてきたじゃないか倉科、え?見て楽しいし人混みの中ではぐれても見失わずに済みそうだ。なぁ?」
倉科は堪え切れずに右手の小指で前髪を掻き上げた。
「鬼士と互角に渡り合えるというのが大事かと」
「まぁそうだな。一人なのか?」
「他の二人は有明達と一緒です。山田の絡みで動きがありそうですので」
管理官は一瞬躊躇するように黙り込んだ後、自分に確認するように言う。
「教授とデータの回収が最優先だな、うん。できるだけ静かに素早くやれ。他の二人っていうのは?やっぱりあんな感じなのか?」
画面を指さす管理官に倉科が答える。
「見た目が似ているかという意味なら、その通りです。参考までに申し上げますがこいつが一番小柄です」
画面の中の巨漢が落ち着きなく室内を見回しながら長い舌をだらんと垂らすようにして喚いている。
「よぉあんた、終ったらそのパッツンパッツンのスーツ脱ぐの手伝ってやるぜ」
女鬼士は涼しい顔で小さく笑っただけだ。髪がクルリと揺れる。
倉科が新たに三枚の資料をテーブルに並べる。三枚の身上書にプリントされた写真はどれもよく似ている。
「六年前に旧地下街区の一斉捜索を行った際にうちの特殊鬼士部隊が保護しました。孤児の三兄弟で長兄は鬼力を発揮できます。次男、三男は虫持ちです」
「レベルは?」
「鬼風力は丙種です。弟二人は丁一種です」
鬼士の発揮する鬼力はその強さの順に甲一種、甲二種、乙一種、乙二種、丙種の五段階に分けられている。体外に鬼力を放出できないいわゆる虫持ちも丁一種、丁二種、丁三種の三段階に分けられている。体外に鬼力を放出できなくても宿主の母体再生治癒能力や体内で生成される鬼士酵素の量などには差があるからだ。
「下地一郎、二郎、三郎か。すごい名前だな。もちろんコードネームなんだろう?」
「だと思います。本名は知る必要はないかと。まぁ本名があればの話ですが」
画面の中で下地三郎が早くやろうぜと喚いている。鮮明過ぎる映像のせいでだらんと垂れた舌から滴る涎の糸がはっきり見えた。
「あのスーツが山田教授の作ったスーツか?」
「はい。設計は山田教授で制作したのは大阪防衛大学校の鬼力研究ラボです。もっともラボの連中も自分たちが何を作っているのか自分で分かっていなかったでしょうが。対テロ対策用の強化スーツぐらいにしか考えていなかったでしょう」
「で、素子は?手に入れたのか?」
「はい。三つだけですが。山田教授の研究室に残っていたものを回収しました」
「三つ?動くのか?スーツ一着に二ついるんじゃなかったのか?」
「スーツに改良を加えました。一つでも動くのですが―」
「が、何だ?」
倉科が鉤型に曲げた小指を前髪に掛けたとたん、管理官が「フケを飛ばすな」とぴしゃりと言う。倉科の動きがギクリと止まる。
「―出力が下がります。それに―」
「一度に言え。まどろっこしい奴だな」
「活動時間が短くなります。特に今ある素子はテスト用のプロトタイプですから。実践モードでどれくらいもつか分かりません」
「エネルギーの残量は測れないのか?」
「山田教授か研究データのどちらかがないと無理です」
管理官は黙って画面を眺めていたが、やがて「コーヒーを四つだ」といって椅子に深く座り直した。
「審議官、一佐、どうぞお座りください。倉科、お前も座れ」
スーツの似合わない肉厚の二人が渋々といった様子で管理官と間を一つ開けて座る。倉科が鉤型に曲げた小指を膝に押し当てたまま、その空いた席に座る。
会議室の扉が開く。黒のスーツにタイトスカートの若い女性が一礼する。女性が押す銀色のワゴンから芳ばしいコーヒーの香りが漂う。管理官の斜め後ろでワゴンを停めると、銀のコーヒーポットから使い捨てのプラスティックカップにコーヒーを注ぐ。コーヒーを注ぎ終えた女性が部屋の外に出て扉が閉まると、管理官はカップを取り上げ眼を閉じると深く息を吸った。次いで一口啜って小さく溜息を漏らす。どうやらコーヒーの淹れ方は合格らしい。
「始めるか」
管理官の言葉に倉科がピンマイクのスイッチを押す。
「始めてくれ」
「分かりました」
画面から乾いたがらんどうなアナウンスが聞こえてくる。
「三郎、スタンバイしろ」
「サブローって、もうちょっとマシな名前無かったのかよ」
文句を言いながらも三郎は左手首の内側を右手の人差し指で叩く。そこにスーツのシステム用コンソールが仕込んであるのだろう。背中側に垂らしてあったフードを被りスーツ一体型のゴーグルを装着する。
「わるいなベイビー、このスーツ起動に時間がかかんだよ、俺様と違ってよ。ヒャハハ―」
涎の糸をプルプルとまき散らしながら三郎が笑う。顔つきや態度の粗暴さを除けば体形は力士そっくりだ。顔つきに似合わず歯は真っ白で綺麗に整っている。恐らく差し歯なのだろう。
倉科が管理官がコーヒーを飲むタイミングを見計らって言った。
「活動時間が短くなるだけでなく起動に時間がかかります」
管理官は一瞬苦い表情を見せたが何も言わなかった。
「おーし、緑ランプだぜ。もういいか?やっていいのか?なぁ?」
管理官は数秒の沈黙の後、自分が開始の合図を送るのだと気付きコーヒーカップを唇にあてがったまま左手の人差し指をタクトのように振る。倉科がピンマイクのスイッチを押す。
「始めろ」
画面の中でプワァーンとホーンが鳴る。二人の鬼士が弾けるように動いた。体中に鬼力を満たした鬼士の動きはクロックアップとまではいかないが常人には決して真似できないレベルの速さだ。犬や猫といった動物並みの俊敏性だ。二人の鬼士は事前に打ち合わせをしていたのか、左右に分かれて三郎を挟みこむポジションを取る。
一方、三郎は動かない。腰を落とし両手で構えを作ったものの壁際から離れない。右手側に男の剣士、左手に女の銃士。三郎は視線だけをせわしなく左右に動かしながら動かない。ただ、注意深く見るとほんの少し浮かせた踵が細かく素早くリズムを刻んでいる。
「ほぉ」
一佐と呼ばれた男が小さく感嘆の声を上げる。二人の鬼士ではなく三郎の動きに向けられたものだ。
「なぁ、あんた」
三郎がそろりと言葉を発する。呼吸を乱さず隙も作らない慎重なしゃべり方だ。
「ケツがきつくない?」
話しかけられた女鬼士はまだ銃を手に取っていない。壁から一メートルほど離れて両足を軽く開き、右手はいつでも銃を抜けるよう自然に下に垂らしている。左手を腰に軽くあてがい、物問いたげに小首を傾げながら、笑うでも怒るでもない静かな表情で三郎を見つめ返しており、その瞳だけが赤い戦闘色に染まっている。
一方で男の鬼士はすでに長刀を抜き払っている。虫を持たない四人の男たちにも、モニター越しに刀身から陽炎のように鬼力がゆらめき立つ様子がはっきり見える。つまりかなり力の強い鬼士だということだ。
少し気負ってるねと一佐が呟く。剣士の正眼に構えた剣先がほんの僅かに上下しているのを見て取ったのだろう。肉眼では分からないほどの呼吸の乱れも剣先は増幅して見せてしまう。一佐は武術に眼が利くのだろう。
「よっし、やっちゃおうかな」
三郎が呟く。剣士の持った剣がピクリと動く。女鬼士は動かない。三郎は両足を広めに開いて腰を落としている。膝も深く沈んでおり巨漢特有の下半身の脆さは微塵も感じさせない。両腕は胸の前でクロスさせるように構えている。不意に三郎が茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべ、女鬼士にむかって意外と長い睫毛をしばたかせてウインクを送った。
シュッ―と鋭い噴出音と共に、三郎のプロテクターから白い煙が噴き出す。バライト噴霧器が仕込まれているのだろう。つまりこのスーツは対鬼士を想定して作られているのだ。白いバライト粉の霧は正確に二人の鬼士の視界を遮る角度で発射されていた。女鬼士は霧の噴射と同時にサイドステップを踏んで霧を避けたが、剣士の方は力んでいた分だけ反応が遅れた。しかも横ではなく後ろに下がっていた。三郎は複数の相手と闘う場合の鉄則に従ってまず弱い方、剣士の方へ踏み込んでいた。速い。鬼士の二人と比較しても引けを取らない速さだ。白い霧を裂くように突っ込んでくる三郎に剣士の対応が一瞬遅れる。慌てた剣士は不十分な体勢のまま突進してくる三郎に剣を突き出そうとした。すでに体中のあちこちから自然放電が起きるほどに鬼力が漲っており、剣先が相手の巨体に触れた瞬間に鬼力の奔流が相手の体に流れ込むはずだった。
「タッ」
気合と共に剣士が三郎の巨大な腹に向かって剣を突き出す。三郎の眼が歓喜に光った。三郎は剣士の突きのタイミングを読み切っており、踏み込みのタイミングをワンテンポ遅らせていた。剣が空を切り伸びきったポイントを見計らって平手で剣を叩く。金属音がして剣が大きく横に流れ壁を叩く。ストロボを焚いたような光爆が起こり、剣から落雷に似た白いジクザグ線が二三度奔った。三郎に叩き込むはずだった鬼力を止められずに放ってしまったのだ。タランチュラのような素早く滑らかな動きで横に回り込んだ三郎は、意外にもコンパクトで鋭い右のボディフックを剣士の胃に捻じ込む。
「ぐむぅ」
剣士が剣を落とし、両手で腹を抱え込んだまま床に崩れ落ちる。剣士は嗚咽を漏らしながら床に突っ伏し、腹を抱きかかえた格好で体を揺すり続けている。三郎は床に落ちた剣を拾い上げると部屋の中央に移動している女鬼士に向き合う。
「そこでいい子で待ってな」
三郎が女鬼士を見据えたまま床に蹲る剣士に言う。感情に走って剣士を痛ぶったりせず、女鬼士との闘いを優先するあたりかなり戦いに慣れているのだろう。外見や言葉遣いとは違って戦いぶりは冷静でスマートだ。
「相手の武器を奪って使うのはありだったよな?」
三郎は自分を監視しているはずの人間に向かって尋ねた。右手一本で剣を掴み縦横と十字を描くように剣を振るう。剣のバランスを見ているのだろう。剣をバトンのように回転させたり八の字を描くように振る。鋭い口笛のような風切り音が響く。その間も女鬼士から眼を離さない。
「安物使ってんな。道具をケチる鬼士にロクな奴はいねぇよ」
三郎は長刀を右手一本で持ち低い位置で構える。低いといっても一般的な下段の構えではない。右手に得物を持ち右足が前。刀は腰より少し低い位置で構え、切っ先は斜め上を向いている。どちらかというとフェンシングかナイフ使いの構えに使い。
「来いよベイビー、撃ってみろって」
三郎と女鬼士の距離は五メートル弱。強化スーツのせいで常人離れした動きが可能であっても鬼士相手に一気に詰められる距離ではない。つまり今は銃士の間合いなのだ。
「分かってるぜ、俺を気遣ってくれてんだろう?でも俺なら心配無用さベイビー。心配せずに撃てって。これもテストなんだからよ」
女鬼士は表情を変えることなく部屋のほぼ中央に立ち尽くしている。剣士と違って体の外に鬼力が漏れ出す様子もない。瞳の色は先程までの赤から黒に変わっている。瞳の色を読まれることを嫌って意識的に黒にしたのかもしれない。ポニーテールにまとめた髪の毛だけが生き物のように揺れている。
「よぉ、この体勢疲れんだよ。焦らすなよベイビー。あの男が回復すんのを待ってんなら無駄だぜ?胃が破けてるからいくら鬼士様でもしばらくは物の役に立たねぇよ」
三郎は言いながらゆっくりと左に回り始める。本当に剣士が回復してはまずいと思ったのだろう。女鬼士とまだ床に這いつくばっている剣士の両方を無理なく視界に捉えられる位置に移動する。
不意に女鬼士の顔に冷たい笑みが浮かんだ。と、同時にポニーテールがぴょんと跳ねる。
「―!」
三郎が素早く左腕を上げ顔面を庇う。女鬼士は元の場所から動いていない。笑みも消えている。どうやら表情も髪の毛もフェイントだったらしい。三郎が悔しげに唸る。
「何だよ気のあるふりしやがって。誘ってんじゃねぇ」
フェイントに反応した三郎は刀身と腕で頭部を庇っただけで避ける素振りを見せなかった。女鬼士の銃に入っているのは塩玉だ。発射と同時にパウダー状に砕けてしまう。相手を物理的に破壊するのでなく鬼力で相手の鬼虫を麻痺させたり、動きを封じるのが鬼士の戦い方だからだ。ましてや模擬戦である。実弾は装填されていないことは十分に予想がつく。それを考慮に入れても今の三郎の反応は無防備すぎると言えた。鬼虫を持たない人間でも鬼力を浴びれば体が麻痺して動けなくなる。スタンガンの一撃を浴びるようなものだ。万が一実弾攻撃を受ければ最新型のボディアーマーを装着していても百パーセント防げる保証はない。それなのに三郎は射線上から外れようと跳んだり跳ねたりせず、頭部をガードしただけで女鬼士の攻撃を受ける体勢を取った。三郎は虫持ちではあるが鬼力は発揮できない。体内に鬼力を満たして相手の攻撃を跳ね返したり、同じ強さの鬼風を吹かせて攻撃を打ち消したりすることはできない。つまり三郎のスーツはただのパワードギアではなく鬼力から身を守る機能があるのではないかという予想が成り立つ。三郎が悔しそうなのはフェイントに対する一瞬の反応でそういったことが女鬼士に伝わってしまったからだ。
「いたいけな少年をたぶらかしてんじゃねぇ。見た目よりも相当齢くってるだろ?」
三郎はジリジリと女鬼士との距離を詰め始める。
「五十?いや七十ぐらいか?」
口を開け赤い舌を垂らしながらタランチュラの足取りで女鬼士に近づく。刀の切っ先はピタリと女鬼士の右手に狙いを定めている。銃を抜いた瞬間に右手首をすっ飛ばすつもりなのだろう。ただそのためにはあと二メートル間合いを詰めなくてはならない。
「まさか百いってんじゃねぇだろうな―」
爪先、踵、足首、膝を順序良く捩じりながらじりじりと女鬼士ににじり寄る三郎の足取りを見て、武道だけでなく忍術の心得もあるのだろうと一佐は小声で横の審議官に囁く。倉科と管理官にもどうにか聞こえる大きさの声だ。審議官は無言で頷きながら視界の端で倉科と管理官の表情を盗み見ている。どうやら審議官と一佐は目の前のスクリーンに映る戦いについてあまり深いところまでは知らされていないようだ。
女鬼士は全く表情を変えずに三郎を見つめ返している。外見からは全く内心を窺い知ることはできない。
「ヘッヘッ、分かってるんだぜぇ」
三郎のゴーグルに小さな波状グラフと数字が映り込んでいる。日本語らしい逆さ文字がゴーグルの下から上に流れる。
「クールな顔してっけど、結構熱くなってんだろ、ベイビー?」
サブローはタランチュラの動きを止めない。じりじりと間合いを詰め続けている。剣の間合いまであと一メートル。
「迷ってるんだろ?撃つかどうかを。このスーツの性能が分からなくって迷ってんだ。そうなんだろ?なぁ?」
あと八〇センチ。
「おっ、今ちょっと動揺したろ。俺みたいなデブい頭の悪いただの虫持ちに心を読まれたんだぜ?ゾッとするだろ?怖いだろ?キモイだろ?この豚野郎何者なのよ、もう早く家に帰りたいわって感じだろ?」
あと五〇センチ。
「撃って効かなかったらどうする?俺は速いぜ?強いぜ?執念深いぜ?見えるぜ、お前がもう止めてって泣きながら床に部屋の隅で縮こまってるところがな。このメガネに映ってんだぜ、おい?」
サブローのスーツ自体にカメラやセンサーが仕掛けられているのか、送られてくる情報が表示されるだけなのかまでは分からないが、どうやら三郎のゴーグルには女鬼士のバイタルサインや互いの距離など様々な戦闘情報が表示されているらしい。スピードやパワーだけでなく鬼士に対抗するために必要な視力も与えられているようだ。
剣の間合いまであと三〇センチ。何の予備動作も見せずに女鬼士の左手が閃いた。少なくとも会議室でスクリーンを見ている四人には何の予兆も見て取れなかった。パンッと火薬が弾ける。サブローは体を低くし両腕を顔の前で交差させ防御姿勢を取っていた。見てから反応したのか、センサーが女鬼士の僅かな変化を事前に捉えていたのかは分からない。
「おぉ」
会議室の四人が思わず声を上げた。管理官ですら驚きの表情を浮かべている。サブローの反射速度にではない。サブローは防御姿勢を取ったものの逃げなかった。正面から女鬼士の一撃を受けた。着弾の瞬間、サブローの腹が小さく凹み、そこで丸いレンズ状の光の反射が起こったのだ。光ったのはほんの半秒ほどだったが、それが空間の歪みとエネルギー障壁が生んだ光の反射だということは明らかだった。これまでそんなものを生み出せるのは鬼士だけだったのだ。サブローの鬼風力は丁一種。体内に虫は飼っているが鬼力を体外に発揮することができない。つまり鬼力を使って歪曲空間を形成し相手の攻撃を防ぐことはできないはずだ。つまりサブローの装着しているスーツにその力があることになる。
それは普通の人間であっても鬼の力を操ることができるということを意味している。
「どうしたベイビー?そんな顔して。俺様に一目惚れか?げふふ、今頃気付いたのかよ、俺様のすごさに」
サブローが両腕を解いてゆっくりと立ち上がる。さすがの女鬼士にも驚きの表情が浮かんでいる。
「らぁぁぁっ―」
サブローが気合と共に剣を突き出す。女鬼士がのけぞるようにかわす。サブローが素早く滑らかな足裁きで追う。マシンガンの様に突きを繰り出す。女鬼士はサブローの攻撃を巧みにかわしているが明らかに余裕がなくなっている。サブローが押しているのだ。女鬼士が素早く二度後ろ向きにトンボを切ってサブローと距離を取ると、片膝をついた状態で両手に持った銃をサブローに向ける。パンッパンッパンッ。立て続けに銃声が響く。亀の様に防御を固めたサブローの周りにレンズ状の光の輪が満開の朝顔の様に咲いた。
「うひょひょ、無駄、無駄ぁ」
サブローが満面に残酷な笑みを湛えながら立ち上がる。女鬼士はまだ弾の残った銃をホルスターに戻し、脛に付けた鞘から出刃包丁くらいありそうなコンバットナイフを抜く。
「いいぜベイビー、そうこなくちゃ。よく切れる刃物同士でよ、一緒に刻みっこしようぜ」
下品で粗野な野獣が美しい女鬼士を痛ぶりながら狩り立てていく。そんなシーンの予感に固唾を呑んでいる審議官と一佐、倉科に管理官が言った。
「もういい」
思わず不満を顔に出す倉科。審議官と一佐もおやつを取り上げられた犬のような顔をしている。
「デモンストレーションはこれで十分だ。素子のエネルギーを無駄遣いさせるな」
倉科が急に重力が増したかのようにのろのろとした動きでピンマイクのスイッチを入れた。デモはここで終了だと平坦な声で告げる。
スクリーンの中からホーンが聞こえてくる。サブローが口汚い罵り声が響いてくる。
「あの女鬼士、何て言ったかな」
「瓜生です。瓜生時雨」
「私のガードにする。帰りは私の車に」
はい―と言いそびれた倉科を無視して管理官は立ち上がると、慌てて立ち上がろうとする審議官と一佐の肩に手を置き言った。
「我々はお先に失礼させていただきますがお二人はごゆっくり。色々とご質問もおありでしょうから。食事でも召し上がっていただきながら説明させましょう。では、また」
部屋を出ていこうとする管理官に倉科が追いすがる。
「大丈夫でしょうか、あの女。ドロップアウト組とはいえ鬼士ですし」
管理官は時計にチラと目をやる。
「一二時に道成寺先生と会食だろう?あの爺さん待たせるとうるさいぞ」
倉科は携帯の番号を押しながら鞄を胸に抱えて管理官の後を追った。廊下の端で先程コーヒーを運んできた女性スタッフが管理官に頭を下げていた。倉科が通り過ぎる前にスタッフは頭を上げた。口角の辺りに小さく嘲りの色が浮かんでいるのが分かったが構っている時間は無かった。後で上司にクレームをつけてトイレ清掃係に配置換えしてやると念じながら倉科は管理官を追った。




