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失われた伝信管

 神戸市中央区波止場町、その名の通り目の前が神戸港である。神戸のシンボルの一つであるポートタワーの東側に御苑流本部道場がある。敷地内にある御苑流宗家 遠嶋光明、青光院吉斗良光流の私邸。塔子と佳苗、志乃の三人は光明の妻である恵子、青光院御船野恵、娘の恵流、青光院吉斗良流華と一緒に屋久杉の一枚板で作られた座テーブルを囲んで昼食をとっていた。テーブルの上には近所の割烹料亭から取り寄せた懐石弁当が載っている。

「志乃、ちょっと早すぎない?相手はまだ虫が鳴いたばっかりなんでしょ?弐鬼環座と手合わせする機会なんてそうないんだし。なんかもったいないな」

 流派を代表しての儀礼的な挨拶も終り、顔見知りだけで食事となったところだ。黒いワンピース姿の恵流は志乃とは錬成院の同期であり、互いに遠慮のない口を利ける仲だ。

「虫が合っちゃったんだから速いも遅いもないよ。それにあの弐鬼環座ってちょっと苦手だな。ゴールデンウィークに鏑矢様の鬼道百周年式典のお手伝いに行ったんだけどさ、彼も太刀持ちか何かで呼ばれてて。ほら、やっぱり華があるからさ、彼。式典の準備でみんなバタバタしてんのに、あいつお茶飲んで見てるだけなんだよ?おまけにあからさまに眼術使ってくるんだよね。それもあたしだけじゃなく若い女子皆に」

「えー!?鏑矢様の式典で俺様を好きになれ光線出してんの?手が早いって噂は聞いてたけど、俺様御免、雰囲気無用なんだね」

「いい気になって大河ドラマなんかに出ちゃってるからねぇ。大体弐鬼の男は遊び癖がひどいから」

 と塔子。

「名鬼門の若様なんてあんなもんじゃない?志乃ちゃんも適当に弄んで車でも買わせちゃえばよかったのに」

 恵子は日本酒を冷でやりながら弁当のおかずだけをついばんでいる。

「でも結果的には有望株を捕まえたよね。まさか神経加速能力者だって知ってたの?」

 鬼門の噂は足が速い。志乃の龍彦への好意はすでに御苑流の耳にも届いているらしい。

「知らないよ。それに、まぁその、付き合ってくださいとか、そういうのまだないし」

 恵流は氷を入れた木桶からガラスのデキャンタを取ると塔子と佳苗の猪口に酒を注ぎ、次いで自分の猪口も満たす。

「でも虫がリンリン鳴いちゃってるわけだし。言ってるも同然じゃない?何、ひょっとして相手はそうでもないわけ?」

 塔子は足を崩しテーブルに両肘を着きながら猪口をクイッと空ける。恵流がすかさず猪口に酒を注いだ。塔子が少し溜め息まじりに言う。

「龍彦まだ虫が目覚めたばっかりだしなぁ。それにあの子人里育ちだからちょっとそういうのに疎いんだよね」

「志乃、佳苗姐さんによく頼んでおきなよ。姐さんどうぞよろしくお願いします」

「心配しなくてもこういうのはなるようになるもんだよ。ところで恵流ちゃん、先日の手合わせはどうだったの?」

 恵流はバツの悪そうな表情で口をつぐむ。代わりに恵子が答える。

「手合わせで相手を吹っ飛ばしちゃうんだからねぇ。少々チャラかろうが礼儀知らずだろうが相手は名鬼門の跡取り息子だよ?もう少しおしとやかに育てたつもりだったんだけどねぇ。志乃ちゃんを見習ってほしいよ」

 恵流はムッとした表情で猪口をクイッとあおる。 

「ごめんなさい。きっと母さんの血が強く出ちゃったんだわ。それにいざとなったら志乃の方がずっと容赦ないんだけどな」 

 空になったデキャンタを志乃が取り上げ立ち上がる。

「いいよ、志乃。あたし取ってくる」

 恵流が志乃を制して台所へ酒を取りに行く。恵子が素に戻ったような声で誰ともなしに言う。

「それにしても緑仙流さんもよく分からないことするよね」

 塔子もテーブルに頬杖をつきながら、弁当に入っている青梅のシロップ漬けを指で摘まみ上げ齧る。

「そうなんだよね。まぁ鬼士院が仲裁に入ってきてるからうちもこれ以上騒ぐつもりはないけど。そうそう、左古君大丈夫なの?巻き込まれちゃった感じだし、気になってたんだ」

「うん、まぁ、怪我自体大したことなかったし、要は下痢だからね。肉体的ダメージというより精神的ダメージだね。あれ以上ないってくらい大勢の前で恥かいちゃったわけだし」

 恵子は苦笑気味に言った。佳苗と志乃は宗家の妻同士の会話に積極的に入っていかず、静かに弁当を口に運んでいる。

「緑仙流からの見舞金だけどさ、来週宗家自ら足を運んでくださるんだって?」

「だってね。うちにも連絡あったわよ。新彦が頭下げに来るんじゃ、これ以上事を大きくできないよね。ま、うちの場合は若手が一人恥かかされたってだけだけど」

 恵子の声が心持ち緊張を帯びたように掠れる。

「今回の件、壊し屋もサイキックも緑仙流の仕込みなのは十中八九間違いないんだろうけど、岡山はこのこと知らなかったんじゃないの?」

 緑仙流の本部道場は岡山藩にある。元々岡山藩お抱えの流派緑風仙人会が緑仙流のルーツだ。

「多分ね― うちで預かってるお姫様は何か知ってるだろうけど」

 塔子も慎重な物言いをした。

「岡山の蛇姫様だね?まだ帰らないの?随分長い行儀見習いだね」

「今回のことがいい節目になるんじゃないかな。新彦さんがわざわざ来るのはそれもあるんだろうね。いい加減帰ってこいって」

「それにしても、あの坊やの何が気に入らないのかねぇ。まさか、クロックアップ能力者だって知ってて潰そうとしたのかね」

「それはないな。虫が騒ぐかどうかも分からなかったんだもん。ねぇ、志乃?」

 志乃はデザートの葛切りに黒蜜をかけながらあっさり塔子の言葉を否定する。

「あたしは知ってましたよ。もうすぐ虫が鳴き出すって」

「え!?本当」

 デキャンタを二つ持って戻ってきた恵流が声を上げる。

「どうやって?教えてよ」

 志乃は小さな竹のフォークで葛切りに蜜を絡める。

「散髪」

 そう言って志乃はちゅるんと葛切りを吸い込む。

「散髪ぅ?何それ」

「小さい頃から龍彦さんの散髪してあげてるの。梅雨前くらいかな、頭に触った時に指先にいつもと違う感触があって。髪を切ってるうちに、あ、これ角が生えてくるんだなってピンときて。もうすぐなんだなって」

「角ねぇ、そういうことか。角持ちのクロックアップ能力者か。志乃ちゃんいい子に眼を付けたねぇ。横槍が入らないうちにさっさと錦のお披露目しちゃいなさいよ」

 鬼道士が共に鬼道を行うための相手を選び縁を結ぶことを錦の縁を結ぶという。「互いの死を忌む」の互死忌が錦になったという説や「二人の使鬼」から「にしき」になったという説などがある。元々は鬼道を極めるために自分に必要な知識や技術を持っている相手と互恵関係を結ぶことをいったらしいが、現在では「鬼道士としての伴侶を選ぶ」というニュアンスが強い。志乃はただ恥ずかしそうに笑って葛切りを口に運んでいる。

「志乃、あんたなら言わなくても分かってるだろうけど真弓には気を付けるんだよ。なぜあそこまでして龍彦を潰そうとするのかが分からないうちは下手に事を構えるんじゃないよ」

「名鬼門にありがちな裏門出身の鬼士への偏見ってレベルじゃないようだしね」

「やっぱりあたしたち青光院の女は団結しないとね。美しい薔薇には棘があるって緑風院のメドゥーサに教えてやらないと」

 恵子が全員の猪口に酒を注ぎ、眼の高さまで猪口を掲げて見せる。

恵流の方をチラリと見て苦笑する。

「何が美しい薔薇だよ。ことわざの使いどころを間違えてるんじゃないのかい?高い金掛けて学校にやったと思ったらこれだもの」

 志乃も酒を飲み干す。

「ご心配いただいてありがとうございます。恵流もありがとね」

 恵流が「よいしょ」と立ち上がる。

「あったかいお抹茶入れてくる」

「手伝うよ。泡立てた牛乳を載せると美味しいんだ」

 若い二人の女鬼士は抹茶オレを作るために台所に立つ。二人が部屋の引き戸を開けてパタパタと部屋を出ていくと、廊下の向こうから小さくチリリンと風鈴の音が響いた。



 チリリン―とドアの鈴が鳴った。広幸たち四人は誰もいない店内に入っていく。時間は四時半を少し過ぎたところ。ワンテンポ遅れて厨房の奥から「いらっしゃいませ」と声がした。昼間に見たアルバイトの女の子が奥からパタパタと出てきた。四人を見て「あっ、昼間の」という表情を見せてから笑顔になる。

「いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ。すぐお水をお持ちします」

 どうやら厨房の奥で賄いを食べていたらしい。鬼士である四人には匂いですぐにわかる。千晶には本日の賄いがビーフシチューとトマトとタマネギ(多分角切りトマトと酢漬けのタマネギを乗せたフランスパンのサンドイッチ)であることまで分かった。

 厨房に戻りかけた女の子が振り返って尋ねてきた。

「よろしかったらワンちゃんのおやつもご用意しましょうか?」

「ありがとう。頼むよ」

 広幸の返事を聞いて女の子は厨房の奥に消えた。永都が誰もいない店内をぐるりと見渡しながら言う。

「いい子だな」

「あぁ。心配すんな永都、あの子に何かするつもりはないさ」

 千晶が調香師の様に手でパタパタと空気を扇ぎ寄せながら、鼻から胸一杯に息を吸い込む。数秒間息を止め、一旦肺の中の空気をすべて吐き出す。千晶は同じことをもう一度繰り返した。

「どうだ?千晶」

 千晶は天井に眼を遣りながらスンスンと小鼻をひくつかせる。

「うん。いると思う。二階かな」

「俺、何も感じねぇんだけど。息子の鬼風と間違えてないか?」

「そりゃないな。息子の虫が鳴き出したのはつい昨日の話だぜ。この家には鬼風は染みついちゃいないよ」

「間違いないと思う。この家にいるよ、鳩。それに店長さん以外にもう一人奥に人がいる。多分若い男。バイト君じゃない?」

 広幸が頷いて厨房に眼をやる。女の子がトレイにプラスチックの皿を三つ載せてやってくるのが見えた。

「他の客が来ると面倒だ。やるぞ。あの子は千晶と翔太に任せる。俺と永都は中だ」

 三人が同時に頷く。千晶と翔太が席を立って女の子と一緒に店の外の出る。レオン、ロビン、モモの三頭が尻尾を振っているのが見えた。永都がテーブルに置かれた呼び鈴を鳴らす。厨房の奥でチャイムが鳴った。こちらも大学生らしい男性バイトがテーブルにやってくる。

「ファミリーセットにタン塩と上ロース、焼き野菜を2人前ずつ。それからウーロン茶を四つ」

「あ、ウーロンは三つで一つはコーラにして」

 永都がすかさず訂正する。

「何だ、子供みたいに」

「いいじゃん、子供で。なぁ?」

 永都にそう問いかけられ男性バイトは調子を合わせるように笑った。

「コカ・コーラとペプシどっちが好き?コーラ、コーラ、シュワシュワ炭酸、プチプチ弾けて喉越しサイコー」

 永都が両手の指でリズムを取りながらラップを口ずさむ。見かけに似合わず意外と美声だ。リズム感もいい。

「ヨー学生、コカとペプシ、この店どっち?どっちが好み?」

 バイトが曖昧な笑顔を浮かべながらも小さく肩を揺らし始める。

「ヨーヨー学生、どっちだい?この店のコーラ、どっちなんだい?」

「どっちなんだい―」

 バイトは永都の顔を見つめたまま、ぼんやりした声でリズムを刻む。

「どっちなんだい?」

「どっちなんだい―」

 永都は数秒間じっとバイトの眼を見つめた後、普通の語り口調で言った。

「まず俺たちのオーダーを通せ。それから店長に客が呼んでるって伝えてきてくれ。店長に伝えたら厨房の奥でひと眠りしてていい」

 バイトは返事もせずに回れ右すると、厨房に戻っていった。

「あんまり深くかけるなよ永都。解くのが厄介だぞ」

「大丈夫。二三時間眠ったら勝手に目覚めてすっかり忘れてるよ」

 店長が厨房から姿を現す。表情はにこやかだが、広幸と永都には目元や口の端に微かに浮かんだ怪訝な表情が見て取れた。テーブルの近くまで来ると軽く頭を下げる。

「いらっしゃいませ」

「呼び立ててすまないな。実はちょっと物を尋ねたいんだ、怜門さん」

 名前で呼ばれて達哉は少し戸惑ったような表情を浮かべる。

「はい、なんでしょう?」

 意味ありげな視線を送ってくる永都を眼で制して広幸は達哉を安心させるように笑顔を作る。

「俺たちフリーの鬼士だって言ったよな?実は探し物の依頼を受けててな。何とかこの辺まで足取りを追って来たんだがふっつり手がかりが途切れちまってな」

「そうですか―」

 達哉はそう言って広幸の言葉を待つ。

「俺たちが探してるのは鳩、使鬼の鳩なんだ。持ち主から依頼を受けて何とかこの辺まで痕跡を辿ってきたんだが」

 達哉の顔がパッと明るくなる。その顔を見て広幸と永都は当りを引き当てたことを確信する。達哉が嬉しそうに頷く。

「良かった。うちで預かってますよ」

「本当かい!?」

 永都の声が演技でなく一オクターブ高くなる。

「えぇ、二日前に店の裏手でうずくまってるのを見つけて。ちょっと待っててください」

 達哉が厨房戻っていく。広幸と永都は達哉の気配に集中する。厨房の奥から室内に入り二階に上がったようだ。少しして達哉が下に降りてくる。厨房から出てきた達哉はスポーツブランドのロゴが入った紙の箱を抱えている。

「皆さんが鬼士と聞いた時にひょっとしてとは思ったんですが。バタバタしてたもんで― すみません」

 言いながらテーブルに近づいてくる達哉。広幸と永都の笑みが深くなる。蓋のされていない箱からは間違いなく探していた鬼風の気配が漂っていた。

「この鳩でしょうか」

 達哉が差し出す箱を広幸と永都が覗き込む。山田教授の部屋から飛び出して行ったあの白い鳩が箱の中に大人しく収まっていた。

「右側の羽根を怪我してましたから動物病院に連れて行ってやりました。一月ほどしたらまた飛べるようになるそうですよ。そこのお医者さんがこの鳩が使鬼だって教えてくれたんですよ。足の認識票の登録番号が『キ』から始まるのは使鬼の鳩なんでしょう?」

「ありがとう。世話をかけたな」

 広幸が箱の中を見たまま礼を言う。鳩は箱の底にペタンと腹を付けて休んでいる。永都もそのことに気付いたようだった。

「この鳩、伝信管を付けてなかったか?これくらいのアルミ製のチューブなんだけど」

 広幸が指で五センチほどの大きさを示す。達哉の表情が微妙なものになった。

「すみません。この鳩が使鬼だと分かったもので、持ち主が分かればと思って息子に預けてしまいました」

広幸と永都は無言で視線を合わせる。

「息子さん、今日はどこに?」

「詩苑流の道場だと思います。いつもならこの時期は実家に戻ってきてるんですが」

 達哉がすまなさそうに言う。

「そうか仕方ないな― 手間を取らせて悪かったな。とりあえず肉、喰おうかな。注文通ってるかな」

「はい。ご用意しますのでお待ちください」

 達哉は一礼して厨房に下がっていった。それを確認してから広幸がTシャツに隠れていたペンダントヘッドを取り出す。銀色の小さな筒。犬笛だ。短く二度、笛を吹く。人間にも聞き取れる音域ではあったが小鳥の囀りのようなそれは厨房までは届かない。だがもちろん店の外にいる三頭の使鬼と千晶と翔太には十分聞こえる。翔太が窓から中を覗き込む。窓の見える席にいた永都が外の翔太にハンドサインを送る。

 翔太はこくこくと頷いて千晶を振り向く。

「姉ちゃん、合図だよ」

「オッケー」

 翔太が入り口のドアに掛かっていた「OPEN」の札をくるりとひっくり返す。千晶と翔太は駐車場の出入り口に走っていくと赤いコーンを二つ立てて間にタイガーカラーのバーを渡す。バーには準備中と書かれたプラスチック板がぶら下がっている。翔太が再び窓ガラスに顔を寄せ親指を立てて見せる。中で永都がこくりと頷く。翔太は窓を離れ三頭の犬の横に座り込む。

「なんか腹減ったな。早く喰いたいよ」

 千晶が呆れ顔で言う。

「もう?まだ五時前よ」

「おやつ抜きだもん。仕方ないだろ」

 レオン、ロビン、モモの三頭は大人しく座って目の前にいるアルバイト店員のケロちゃんを見つめている。ケロちゃんは虚ろな笑顔を浮かべたまま、「いい子いい子」と繰り返しながら三頭の頭や首筋を撫で続けている。

「ねぇ、いつまで撫でさせとくの?三匹とも首の毛が無くなっちゃうよ」

 空腹と退屈で不機嫌な翔太の首をケロちゃんが撫でる。

「いい子いい子」

「わっ、もう止めてよ」

 ムッとした表情で飛びのく翔太。ケロちゃんは気にした風もなく、また三頭の頭を順に撫で始める。千晶がケラケラと笑った。

 やがて店の中からカシャン―カシャン―という拍車の刻むリズムと共に永都のラップが聞こえ始めた。

 牛肉ジュウ ポークもジュウ タン塩、カルビもジュウジュウジュウ 鶏肉乗せて タマネギ乗せて レタスで包んでムッシャムシャ

「ねぇ、ナガ兄のラップって声はいいけど歌詞はイマイチだね」

「今更言わなくても知ってるわよ」

 二人に反論するようにモモがアオンと鳴いた。

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