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神戸城

 広幸のスマートフォンがジーンズの尻でブルブルと震えた。永都からだ。電波は何とか入るようだが広幸の位置からは永都も千晶と翔太の姿も見えなかった。

「どうした?」

「ヒロ兄、モモが何か見つけたみたいだ。さっきから急にそわそわして騒ぎ始めた。俺に付いて来いって言ってるよ」

「よし、自由に動かしてやれ」

「それが、独りで行こうとしねぇんだ。俺のことが気になるらしくて、早く早くって感じで立ち止まって振り返ってさ」

「分かった。とにかくそのまま追わせろ。俺もすぐそっちに行く」

 永都はまだ電話を切ろうとしない。おずおずと切り出してくる。

「ヒロ兄、その― 褒美の話なんだけど」

「お前にかよ。子供じゃあるまいし」

「モモ、飼っちゃダメかな?」

 広幸は思わず吹き出しそうになる。

「おい、よせよ。本気か?永都」

「そりゃそうだよな、無理だよな。使鬼って高いし―」

「とにかくその話は後だ。すぐそっちに行く」

「分かった」

 広幸は千晶のスマートフォンのナンバーを押す。二回目のコールで千晶が出る。

「千晶、モモが何か見つけたらしい。永都と合流するぞ。そこから俺か永都が見えるか?」

「どっちも見えないよ」

「とりあえず見晴らしのいいところに出て俺か永都の姿を確認しろ」

 千晶の側で翔太がブゥたれているのが聞こえる。褒美の権利を永都に持っていかれてガックリきているらしい。

「分かった。翔太が腹減ったってうるさいんだ」

「もう少し我慢させろ。翔太の好きなもん喰わしてやるから」

 広幸はレオンを呼び戻すと小高い山の上に上る。永都の姿は確認できないが千晶と翔太の姿が見えた。手を振ると千晶も手を振り返してくる。翔太は不貞腐れたように千晶の後ろに付いて歩いている。スマートフォンを取り出す。

「千晶、俺は先に永都の方に行ってるからな。慌てなくていいからお前らも東側へ移動するんだ」

「分かった」

 広幸はもう一度千晶たちに手を振ってから移動を始める。一〇分ほどして森の樹の陰に永都の姿がチラリと覗いた。今度は永都にかける。

「永都、お前の姿が見えた」

「了解」

 広幸は永都の声に僅かな陰りを感じた。

「どうした?永都」

「いや、どうっていうか― ま、とにかくもう少し追わせてみるさ」

 永都の口調はどことなく歯切れが悪い。

「とにかく、俺もすぐに追いつくから」

 広幸は少し歩を早めて永都を追い始める。二〇分ほど行ったところで正面に永都の姿が見えた。小高い山の頂上部分に腰を降ろしている。モモは永都の側でご機嫌な様子でアオン、アオンと吠えながらクルクルとダンスを踊っている。ここまで来ると広幸にも永都が意気消沈している理由が分かった。匂いだ。

「ヒロ兄、ごめん」

 永都がすまなさそうに言って、モモの首筋を撫でる。

「こいつは―」

 広幸が鼻をひくつかせる。足元のレオンもクンクンと鼻を鳴らした。永都がスマートフォンに表示された地図を示す。

「ごめんヒロ兄、モモのやつ腹が減ったんだと思う」

「ふーん、腹か」

 広幸は永都の向かいに座った。レオンはモモとじゃれ始める。

「とにかく千晶と翔太を待つか」

 二五分後、息を弾ませながら千晶と翔太が現れた。鼻の利く千晶はすでにがっかりした表情を浮かべている。

「ねぇ、これって―」

「黙れ千晶、モモのせいじゃねぇぞ」

 永都が足元の雑草を意味もなく引き抜きながら言う。ロビンが小走りにやってきて他の二頭とダンスを踊り始める。

「いい匂い。俺も腹減っちゃったよ」

 翔太が大きく鼻を鳴らして息を吸い込む。永都は地図を閉じると立ち上がってスマートフォンを尻ポケットにしまう。

「バーベキューレストランKABUTOか。とんだトラップだよな。こんなとこに焼肉屋なんてよ」

 永都の愚痴に付き合わず、広幸は犬の様子を眺めていた。次いで千晶も気づいたようだ。

「ねぇ、三匹とも様子が変じゃない?」

 レオン、ロビン、モモは三頭とも同じ方向を向いて尻尾をブンブン振り回しながら吠えている。

「おいモモ、本当に何か見つけたのか?」

 永都が期待に満ちた表情でモモの首筋を撫ででやる。

「どのみち昼飯の時間だ。行ってみるか」

「やったー!」

 翔太が途端に元気を取り戻す。広幸は鳩の羽根が入ったビニールを取り出す。三頭に順番に中身を嗅がせる。三人と三頭は連れだって、肉の焼ける甘い香りの煙を立ち上らせているログハウス風のバーベキューレストランを目指して山を下り始めた。



 鬼士院神戸分院での聴取を終えた龍彦ら三人は花畑に見送られて分院を出る。

「藩鬼道士長か― 七階だな」

 湧爾郎が花畑から手渡されたメモを確認する。エレベーターを待つのも面倒なので階段で降りる。七階に降り鬼士長室へ向かおうとする三人を花畑が追いかけてきた。

「宗家、申し訳ありません。分院長が宗家と湯沢様をお呼びしてくれと申しております。今回の一件で少し耳打ちしておきたいことがおありとかで」

「構わないのですが、鬼道士長様の方は」

「九鬼様には連絡しておきました。宗家と湯沢様にはまたの機会にご挨拶申し上げるからと。怜門君の武闘会での戦いぶりがいたくお気に召されたようで、怜門君と少しお話をなさりたいと」

 九鬼清十郎。兵庫藩鬼道士長の名である。

「そういうことなら。龍彦、終ったら一階のロビーで落ち合うとしよう。鬼道士長様に失礼のないようにな」

「はい」

 龍彦は一人で館内の案内図を頼りに鬼道士長室を探す。目的の部屋はすぐに見つかった。木目が美しい分厚い一枚板のドア。真鍮のドアノブは訪れる人々の手に磨かれてピカピカに光っている。神戸城は一〇年ほど前に現在の場所に移転新築されている。強化ガラスとスチール材を多用した外見同様、内部もシンプルでシャープなデザインで統一されている。鬼道士長室の扉はその中で少し浮いていた。

 龍彦がノックする前にカチャッとドアノブが鳴り、扉が内側に開いた。正面の大きくて立派なデスクの向こうから、黒い長髪をポニーテールにまとめた細身の男がこちらを見ていた。

「ようこそ怜門君、入って」

 男は指をひらひらさせて龍彦を中に招き入れる。龍彦がドアノブに手を伸ばそうとする前にドアがスッと閉じた。男は立ち上がりながらからかうような調子で尋ねる。

「職務遂行中以外に気安く鬼力を発揮していいのかと思ってるね?」

「いいえ、きっと鬼道士長様は許されているのでしょう」

「はは、もちろん許されないさ。僕は規則違反をしたんだよ。まぁ君が黙っていてくれさえすれば問題は無い。さ、掛けて」

 壁際に小さな丸テーブルと椅子が二客置かれている。男はデスクを離れて龍彦に近づく。

「兵庫藩鬼道士長 九鬼清十郎です。どうぞよろしく。残念ながら君の様に院号は持っていない。防衛大学の鬼道学科出身でね。ちなみに藩主の義理の息子でもある。もう知ってるよね?君ぐらいの賢明な若者なら上の階からここに下りてくる間にスマートフォンで僕のことを検索してみたはずだ」

 九鬼は龍彦の手を強く握ったまま龍彦の眼を覗き込むように言う。

「はい、その通りです。鬼道士長」

「うん、僕のような一定の権力を与えられた者に対して敬語を使うのは君が賢者である証拠だ。でも九鬼さんと呼んでくれ。友人はみんなそう呼ぶんだ。それにいちいち鬼道士長とか呼ばれると、へまをして城主に呼び出された時や市民監査団体のヒアリングを受けている時を思い出すしね。ともかく座ろう。この椅子はあの扉と同様長年使い込まれて鬼風が芯まで染み込んでいる。この部屋の物はほとんどがそうなんだ。君も虫が騒ぎ出したのならこの椅子の座り心地の良さが分かるはずだ」

 九鬼が手をひらりと翻すとまるで透明な召使でもいるかのように龍彦の椅子が引かれる。もちろん鬼士はサイキックではない。紅珠武闘会の加藤の様に念動力を使えるわけではない。しかし鬼風が十分に馴染んだ、例えば代々受け継がれた得物や子供のころから着ている鬼甲帯、鬼門の家の家具や建具などは鬼力同士の引力と反発力を使ってまるで念動力を発揮したかのように操ることができる。

「お昼がまだだろう?どうぞつまんでくれ。城下町に贔屓のパン屋があってね。そこのサンドイッチなんだ。食べながら話そうじゃないか」

 テーブルに文庫本ぐらいの大きさの紙箱が二つ置いてある。

「コーヒーでいいかな?」

 サンドイッチに気を取られた一瞬のうちに目の前から九鬼の姿が消えている。九鬼は部屋の入口脇、龍彦の背後で使い捨てのプラスチックのカップにコーヒーサーバーからコーヒーを注いでいた。

「いいんだ、そのまま座っていてくれ。お客様にコーヒーを出すのが好きなんだ」

 九鬼は両手に持ったコーヒーカップの一つを龍彦に差し出す。

「ありがとうございます」

「食べてくれ」

 九鬼は椅子に座って箱を開ける。龍彦もサンドイッチの箱を開けた。分厚いサンドイッチが四つ、箱の中にみっちりと詰まっている。バターとマヨネーズをたっぷり使った炒り卵を挟んだものと分厚いビーフカツを挟んだものが二つずつ入っている。九鬼はもう玉子サンドにかぶりついている。

「当たりだよ。探せば結構いるもんだよ」

 九鬼が口をもぐもぐさせながら言う。

「違うよ。観察力、経験からくる予測力、そして誘導。君も良くやるんじゃないかな」

「すごいですね」

 目の前から消えた九鬼を見て龍彦は「この人もクロックアップ能力者なのか」と考えた。九鬼はその龍彦の思考に対して直接「当たりだ」と答え、心を読まれ反射的に警戒心で固くなった龍彦が「読心術を使われたのか」と考えたところに被せて「君の良くやるあれと同じだ」と答えてきたのだ。龍彦が時折使う「小さな魔法」をやったに過ぎないのだと。

「ニューロブーストを使う仲間が増えて嬉しいよ。同じ鬼士ですらあれをどこか魔術的に見てるからね。実は僕、ニューロブーストできることを周りには内緒にしててね。君も内緒にしておいてくれるとありがたい」

 九鬼はさらりと言ったが超高速鬼動能力保有者は鬼士院はもちろん、警察、藩への届け出が必要なはずだ。どうやらこの九鬼という鬼道士長はかなりユニーク、というか一癖ある御仁のようだった。

「武闘会の試合は見事だった。一回戦も二回戦も実に素晴らしかったよ。多分優勝した黒川君とやってもいい勝負になったはずだ」

「ありがとうございます」

 九鬼はコーヒーを飲みながら少し笑う。カップから湯気がフワッと舞った。

「過信は良くないが謙遜しすぎないことだ。己の実力を客観的に測っておくことは大切だよ」

「はい」

 九鬼は分厚いビーフカツを挟んだサンドイッチを頬張ると黙って腰の辺りを軽くはたく。クニャリと空間が歪んで剣が現れた。小太刀だ。

「同じ小太刀使いとして君のことが気になってね。お母様は御蔵橋町さんだよね。お母様の鬼士時代のことは知っているかな?」

「いえ― 僕が一歳になる前に事故で亡くなりましたから」

「そうだったな。不躾なことを聞いてしまってすまない。実は僕は町さんとは高校時代に同級生だった。一年だけだったがね」

「本当ですか!?」

「あぁ。実は君にわざわざ会いたいと思ったのも、高校時代の僕とお母さんのちょっとした思い出話などを聞いて欲しかったからだ。確かご結婚は彼女が鬼道士を辞めてからのはず。お父様も町君の鬼道士時代のことはあまりご存じないのではないかな」

「はい、ほとんど知らないようです」

 九鬼はサンドイッチを咀嚼しながら頷く。

「他人が余計なことをと思われるかもしれないが、君には話しておくべきだと思ってね。ただ、残念ながら今日は午後から急用が入ってしまってね。お母さまの話は日を改めるとしよう。宗家と湯沢様ももう話が終わっている頃だろうしね」

 九鬼は立ち上がるとスーツのジャケットを脱ぐ。

「龍彦君はそのまま。食べながら見てくれればいい。残念ながら君は町君から技を伝授される機会を得られなかった。しかしながら今後君が鬼道士として生きていくならやはり得意技、必殺技を持っていた方が良い。今後自分なりの技を工夫する上で参考になればと思ってね」

 九鬼は部屋の中央へ移動する。剣帯を調節して剣の位置を動かす。

「さて、怜門君は右腰、やや低い位置に差していたね?」

 龍彦は手にサンドイッチをもったまま「はい」と頷く。さすがに口をモグつかせながら聞くわけにはいかない。

「ユニークだな。面白い型だ。早撃ちのガンナーが銃の代わりに小太刀を差したようだ」

 九鬼は小太刀を抜いては鞘に戻す動作を何度か繰り返す。

「僕もどちらかと言うと鬼力の残光が長いタイプでね。ご存知の通り鬼力は鬼士の体から離れると急速に弱まっていく。平均的な鬼士が放つ五グラムの塩弾に込められた百MI単位の鬼力は十メートル先の的に到達する時には二六MI、つまりほぼ四分の一にまで減衰してしまう。そのおかげで我々剣士も銃士や弓矢使いといい勝負ができるわけだが、鬼力の残光が長いとはすなわち鬼力の減衰率が低いということだ。つまり怜門君には飛ばし技が向いているんじゃないかと思うんだ」

「剣の飛ばし技というと、カマイタチのような技ですか?」

「そう。真空斬りだ」

 鬼士同志の闘いにおいては、相手の肉体を物理的に破壊したりダメージを与えることを目的としない。結果的に怪我を負わせたりすることもあるが、あくまでも攻撃の目標は相手の鬼虫である。鬼虫にショックを与え一時的に麻痺させることにより、相手の鬼力を解除してしまうのだ。そして鬼虫を麻痺あるいは死滅させられるのは同じ鬼虫の発する鬼力だけだ。

 剣や鞭と言った媒介物を通じてならほぼロス無く鬼力を相手に送り届けることができる。直接拳を打ち込んでしまうとさらに効率が良い。一方で銃や弓矢なら相手に近づかずにすむ。相手の鬼力を喰らうリスクを避けつつ離れた場所から攻撃できる。ただし、鬼力のロスは大きいから鬼力の強さに余程の差があるか会心の一撃が決まらない限りは簡単に相手を倒せない。

「真空斬りといってもバリエーションは様々だが、剣で旋風を起こしてそこに鬼力を乗せるのが基本だ。ともかくは僕の打ち方を見てもらうとしよう」

 九鬼は深呼吸を繰り返す。体の中で気を練っているのだ。足裏を床に擦りつけるような仕草を見せる。踵で生まれる小さな力の渦が足、腰、背骨を駆け上っていくのを感じているのだろう。

 ピタリと九鬼の動きが停まる。次の瞬間、鋭く息を吐く音と共に九鬼の右手が閃く。左足で前に踏み込み右ひざは床に着くほど深く沈んでいる。早撃ちの要領で引き抜かれた小太刀の柄に左手を添えて両肩を鋭く回す。剣先が小さな円を描いて床に突き刺さる寸前で止まった。剣先の指す床から針鼠の鋭い棘のような青白い鬼力の波が立ち床を走った。棘は壁に当たって消える。多分壁にバライト粉が仕込んであるのだろう。

「どうかな?」

 九鬼は剣を鞘に収め両手を広げて見せる。

「すごい― 生で見ると迫力が違いますね」

 龍彦は手に持ったサンドイッチのことも忘れて歓声を上げた。

「ありがとう。コツは剣先と足裏だ。剣先で生まれる旋風と鬼力をシンクロさせるんだ。あとは地面の反発力を上手く使うこと。平べったい石を川面に投げて水切りをしたことがあるだろう?あの感覚に近いかな。ま、その辺の感じ方は人それぞれだからね。まずは素振りを繰り返して旋風と鬼力をシンクロさせる練習をしたまえ。それができるようになったら後は大地の気に上手くぶつけてやる。鬼力で作った独楽を回す感じだな。独楽を投げると同時に独楽に巻き付けた紐を引く。タイミングが鍵なんだ」

 九鬼の腰からは小太刀が消えている。鬼襞に戻したのだ。

「鬼力の特性は鬼士一人一人で違う。同じように練習しても完成した技はどれも違った物になる。きっと怜門君独自の真空斬りになるはずだ。怜門家の必殺技は君が作るんだ」

 龍彦は椅子から立ち上がって頭を下げた。

「とても貴重な教えに感謝します。僕のようなものに大切な技を伝授してくださるなんて」

「お母さんの友達だからね。まるきりの他人というわけでもないだろう?鶏鳴の御祝いだと思ってくれればいい。そうそう、連絡先を教えておいてくれたまえ。しばらくしたら練習の成果を見せてほしいからね。その時にお母さんの話を聞かせよう。ふふ、彼女のことを人に語るのは久しぶりだ。楽しみだよ」

 龍彦と九鬼が電話番号とメールアドレスを交換していると、遠慮がちなノックの音が聞こえた。九鬼が「どうぞ」と応えるとドアが開き、白い半袖シャツにネクタイ姿の藩職員が顔を覗かせる。高校球児の様に短く刈り込んだ頭に丸眼鏡。少し贅肉がついた腹周りのせいか、ベルトではなくサスペンダーでズボンを吊っている。

「鬼道士長、強い鬼力を感じた者が何人かおります。発生源は鬼道士長の部屋のようですが」

 困り顔の職員に九鬼は笑って詫びる。

「すまないな。彼と話していてつい力が入ってしまった。城主には機密漏洩の予防措置だとでも言っておいてくれ」

 職員は苦笑いしながらドアを閉める。どうやら九鬼の規則違反は日常茶飯事らしい。

「サンドイッチは持って帰り給え。宗家も痺れを切らしている頃だろうからね」

「本当にありがとうございます」

「なに、いいさ。それより次に会うのが楽しみだよ。来週に入ったら時間が取れるから」

「はい。楽しみにしています」

 龍彦は九鬼に見送られて部屋を出る。エレベーターの手前のカウンターで仕切られた執務エリアに先程の職員の顔が見えた。龍彦に気づいてわざわざ立ち上がって会釈してくれる。天井から吊り下げられたプレートに鬼道課と書かれている。鬼道課の課長だったようだ。龍彦もお辞儀を返しておく。近いうちに鬼力保有者と超高速鬼動能力の発現についてここに届出に来なくてはならない。

 エレベーターで一階ロビーに降りると耕太郎がソファに掛けて待っていた。

「お待たせ叔父さん」

「おう、俺もさっき終わったとこだ。湧爾郎様は分院長達と昼飯喰いに行くからタクシーで帰るってよ」

「昼飯喰いながら政治の話?」

「多分な。緑仙流の話だろ。俺たちもどっかで飯食って帰るとしようぜ」

 龍彦と耕太郎はエレベーターで地下駐車場に下りる。湧爾郎が食事代を渡してくれたとのことで、帰りに旧居留区にある寿司屋に寄ってお昼の特選握りコース税込み二二円也をいただく。

「どうだった、鬼道士長さんの方は?」

「すごく気さくな方でさ。これからも頑張れってさ。真空斬りを練習したらどうだって言われたよ」

「成程な。今は何でも試してみろ。そのうち自分に向く向かないが自然と分かるようになってくるから」

 クロックアップ能力のことと母親のことは耕太郎には黙っておいた。つんと鼻に抜ける山葵の香りが清々しかった。



 チリリン―と店の扉の鈴が鳴った。客が入ってくる気配があった。時刻は昼少し前。そろそろ店が混みだす時間だ。

「いらっしゃいませ」

 達哉は声を掛けながら厨房から客の様子を覗く。四人連れ。初めての客だ。若い男が二人。龍彦と同い年くらいの女の子が一人。小学校高学年くらいに見える男の子が一人。若い男はブーツとジャケットからライダーだと分かる。駐車場にサイドカーともう一台バイクがとまっている。背の低い方の男が歩くたびにカチャカチャと金属音がする。客に悟られないようこっそりと確認するとブーツの踵の部分に金属製の歯車のようなものが付いている。西部劇などに登場するガンマンがブーツにつけている拍車だ。

 普段ケロちゃんと呼んでいるアルバイトの女子大生が接客する。

「いらっしゃいませ。四名様ですか?」

「あぁ」

 年長らしい男が応える。

「それと表に犬がいるんだ。吠えたりはしないが駐車場の隅っこで待たせてもらっていいかい?」

「ワンちゃん?えぇ、そうですね」

 ケロちゃんが曖昧に頷いて達哉の方を見る。達哉は手をエプロンで拭いながら厨房から出て行く。

「構いませんよ。ワンちゃんにお水でも差し上げましょうか?」

「すまないな。この皿に水を入れてもらえないか」

 男がリュックからシリコンゴム製の折りたたみ式のカップを三つ取り出しす。ケロちゃんがピッチャーを持って客と一緒に犬の元に向かう。三頭の犬がケロちゃんに尻尾を振っている。水と一緒にフードも貰った犬たちは行儀よく座ってフードの皿に鼻面を突っ込んだ。

「すごくお利口ですよ、あのワンちゃんたち。リードも着けてないのにああやってお留守番できるなんて」

 オーダーを受けて厨房に戻ってきたケロちゃんがはしゃいでいる。達哉は肉と野菜を切り大皿に盛りつける。四人連れは初めての店が気になるのか、ログハウス風の作りが珍しいのか、キョロキョロと店内を見回している。ケロちゃんが他の客のオーダーを受けていたので達哉は炭を入れたコンロを持って四人連れのテーブルへ向かう。

「失礼いたします。熱いのでお気を付けください」

 コンロをセットして一旦厨房に戻り、盆に飲み物を載せて運ぶ。ウーロン茶が三杯にコーラが一杯。達哉がコーラを男の子の前に置くと、拍車の男と少年がウーロン茶とコーラを交換する。女の子が「子供じゃあるまいし」と呟く。拍車が「いいじゃねぇか」と返す。

達哉は表情を変えずに厨房に戻る。手の空いたケロちゃんにライスの椀を、自分は肉と野菜の皿を運ぶ。

「ご注文の品、以上でよろしかったでしょうか。ごゆっくりどうぞ」

 達哉の言葉を最後まで聞かずに少年が焼き網に肉を載せ始める。達哉は躊躇いがちに尋ねる。

「あの、表の犬、使鬼ですか?」

 四人の箸を持つ手がピタリと止まり、視線が一斉に達哉に集まる。達哉は慌てて言い訳した。

「実は息子が鬼士なんです。先日虫が鳴き出すっていうんですか、鬼力を使えるようになったばかりなんですが。親としては色々気になってしまって。使鬼って随分と高いんでしょう?」

 一番年上らしいヒロ兄と呼ばれていた男が笑いながら答える。

「あぁ、本当にバカ高いよな。あいつらは借り物なんだ。俺たちフリーの鬼道士なんだ。親父さんの息子さんも鬼士なのかい?」

「失礼なこと聞いてごめんなさい。おじさんは虫憑いてませんよね?」

 女の子が目をクリクリさせながら尋ねる。

「よせよ千尋、失礼なこと聞くんじゃねぇよ」

 拍車が女の子をたしなめる。

「いいんですよ。私は虫持たずなんですが、死んだ妻が鬼道士だったんです」

「一緒だね、うちもお母さんが鬼士だったんだ」

 少年が肉を口一杯に頬張ったまま嬉しそうに言う。

「聡太、行儀悪いぞ」

「ごめん義弘兄さん」

 弘兄がトングを使って網の上の玉ねぎをひっくり返しながら尋ねる。少し焦げたシイタケを少年の皿に放り込む。少年が「え―」と抗議の声を上げた。

「息子さんは?今日はいないの?」

「えぇ、家を離れて道場暮らしなんですよ」

「そうなんだ― 道場は?どこの流派?」

「詩苑流です」

 弘兄が天井辺りに視線を漂わせ何か思い出すような仕草をして見せる。

「詩苑流で最近虫が騒ぎ出したっていえば、確か紅珠武闘会で派手なデビューをした子がいたっけ。確か怜門―」

 達哉が嬉しそうに頷く。

「息子です。怜門龍彦といいます」

 拍車と女の子も「あ!」という表情になった。

「サイキックを追い払った人よね?」

「いきなりクロックアップしたんだよな?」

 少年以外、箸が止まってしまっている。肉から紫色の煙が上り始め、金色の油がポタポタと炭火に落ちてオレンジ色の炎が肉を包む。

「つい話し込んでしまって― どうぞ、召し上がってください。」

 達哉は軽く会釈して厨房に戻る。四人はしばらくの間達哉の方を見ていたが、やがてコンロに意識を戻すと肉とライスを掻き込み始める。十二時を過ぎると立て続けにドアの鈴が鳴り店内に客が溢れ始めた。あっという間に入り口脇にある待合まで客で埋まる。達哉は四人組のことを忘れて客への対応に追われ始めた。

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