どうせなら可愛い女の子を助けて死にたい
「どうせなら可愛い女の子を助けて死にたい」
魔王と戦いの最中で。
銃弾の嵐が飛び交う戦場で。
シチュエーションは様々。バリエーションは多種多様。ヒロインは金髪エルフでも大和撫子でも幼馴染でもツンデレでもロボでもなんだっていい。
そこに今、一瞬の隙をついて彼女に向かう凶刃があったとして、そこを主人公が身を挺して庇うのだ。敵と相討ちになり、血まみれの手で、泣く彼女の頬にそっと手を寄せるのだ。
どうせ死ぬなら、そういう風に死にたい。
きっとそれは、普遍的な願い。
現代日本人の三大死因は、がん、脳卒中、心疾患。最近肺炎が食い込んでくるとかこないとか、そんなことを保健体育の授業で習ったけど、どっちにしたってどうでもいいこと。
いや、そういう風に切って捨ててしまっては、闘病中の人たちに悪いんだろうけど……それでもそんなのはつまらない。
普通すぎる。
ありふれていすぎる。
一つ宣言しておかなくちゃならないのは、これは決して中二病なんてものじゃないってこと。普通が嫌だ、ありふれたものがいやだ、唯一無二がいいオンリーワンがいい自分は特別だ自分だけが絶対だ――なんて、自尊心が凝り固まった台詞を吐くわけじゃない。
寧ろ逆。正反対。
これは自尊心を手に入れるための物語。
がん、脳卒中、心疾患。もしくは肺炎。そのどれかで、どうせ、多分、いつか、死んでしまうんだろうから。
自尊心の欠片も手に入れられない道行だとしても。
せめて、最期くらいは。
「可愛い女の子を助けて死にたい」
そう思わずにはいられなかった。
とはいえ、まるで自らを尊ばない人間が、咄嗟に可愛い女の子を助けることができるだろうか? 健全な肉体と健全な精神が不可分であるのなら、健全な行動もまた然り。鬱屈とした精神は間違っても健全とは呼べないだろうから。
「のなら……はぁ」
どうにも難しいなぁ。
そもそも二次元から飛び出してきたような可愛い女の子なんて、そんじょそこらを歩いているものでもない。女優、モデル、アイドル……色々頭に浮かべてみたけれど、うーん、という感じ。
でも、やっぱり「可愛い」という要素は決して外すことのできないターム。顔のつくりで判断していると思われるのは業腹なんだけど、「可愛い」というのは、ここにおいては何よりも大事なことなのだ。
別にこれは差別じゃあない。不細工は死ねだとか、激しい言葉を言うつもりも全くない。それは完璧に論点がずれている。
だって考えてみて欲しい。余程自らの容姿に自信がある人じゃない限り、「イケメンに生まれたかったなぁ」だとか、そんな直截的なものじゃないにせよ、細々と自らの容姿が気になるはずなのだ。
もう少し鼻が高ければなぁ、だとか。
ここのほくろがどうにも目立つなぁ、だとか。
髪の毛が直毛にならないかなぁ、だとか。
それらの願望をもってして、果たして差別だと指を向ける人がいるだろうか? いや、いない!
願望の世界では全てが認められているはずなのだから。
あるいは順番が逆なのだろうか。「可愛い女の子」を「助ける」のではなく、「助けられた女の子」は必ず「可愛い」のだ、と。
現実的に考えれば前者なんだけれど、それでも、因果関係がおかしいのは承知の上で、後者の可能性も否定はできない。助けられたことこそが、即ち「可愛い女の子」の証である、と。
「……は」
やめやめ。こんな益体のない話、折角の休日に考えたってしょうがない。時間の浪費。人生の無駄。堕落のはじめの第一歩。
……あぁ、それでも。
無意識のうちに死に場所を求めてしまう。
死にたいのだ。死んでしまいたいのだ。生きるのが辛い。どうしようもなく、ただ生きるという、それだけの行為が背中に重たい。
いや、「生きる」のは行為じゃない。意識的に「生きよう」と思って生きている人なんていやしない。気づいたら生きている。だから生き続けている。心臓が動き、血液が流れ、神経は信号を伝達し、肺胞は酸素を欲するのは、不随意の働きだから。
だから結局のところ自分は落伍者なのだろう。
強く生きていくことのできない弱者なのだろう。
生きていようと思わなくては生きていけない。
そして今、生きていたいとさえ思えなくなっている。
自尊心――あぁ、自尊心が欲しい!
落伍者たる自分を、弱者たる自分を肯定できれば、まだ一縷の望みも繋がるはずなのに!
……いや、そんな都合のいいことなんて、ありはしないに違いない。このちっぽけな身に自尊心が宿ったって、分不相応極まりない。身に有り余るそれは尊大の原因だ。
そう思ってしまうこと自体が、それとも自尊心の欠落ゆえなのだろうか?
「わかんないなぁ」
ただ、どうせ死ぬのなら、可愛い女の子を助けて死にたい。
こんな自分にも、最期の最期、生きていた価値が欲しい。
価値のない魂を、せめて有意義に使いたい。
公園。歩道橋。工事現場。駐車場。この世に車は溢れていて、すっと一歩踏み出せば、それだけで死ぬことだってできる。
死にたい。死にたい。生きるのが辛い。だけど今の自分には死ぬことさえできない。削れに削れた魂の残り滓が、それだけはやっちゃだめだと叫んでいる。そんなのは命の不始末だと喚いている。
自らの命は、自らで始末をつけなければ。
それは決して自殺と言う意味ではなかった。自殺をするにしても、それまでの過程で、きちんと全ての物事に整理をつけなければいけない。
ただ死ぬのは、ただただ敗北である。
可愛い女の子を助けて死ねれば、それだけでイーブン。
「あー、山口じゃーん。今日もブッサイクだねー!」
吐き気がした。
相川。
よりによって最も会いたくない人間が、通りの向こう側から、男と手をつないで歩いてくるのが見えた。
逃げられない。捕捉されている。汗がぶわっと噴き出て、自然と猫背になって、膝が震えて、うまく呼吸ができなくて、踵がアスファルトにくっついてしまった。
一歩近づいてくるごとに胃の内容物が込み上げてくる。袖で口を覆って、漏れ出した吐瀉物を無理やり嚥下した。
「――」
何かを言っている。耳鳴りに遮られて聞こえない。
うまく表情をつくれているだろうか。なにが原因で不興を買うかわからないのだから、穏便に、穏便に……、
きもちわるい。
指の間から吐瀉物が零れ落ちていく。
相川は笑って去っていった。
それからどれくらいたっただろう。十分? 三十分? 一時間?
いまだ手のひらは吐瀉物で濡れていて、上着の裾とジーパンも濡れていたけれど、足元に溜まりは見当たらなかった。前後不覚のまま、どうやらふらふらと歩いてしまったらしい。
においのせいか、すれ違う人がこちらを見ているような気がする。自意識過剰? それとも、よほど不細工な顔が気になったのだろうか。
「……は」
見覚えのある交差点だった。
交通量が多く、信号の切り替わりも頻繁で、よく事故の起きる交差点として有名なところだった。
つい先日も事故が起こったばかりで、ひん曲がったガードレールのそばに、献花が置かれている。萎れてはいるものの完全に枯れてはいない。
また、吐いた。
「どうしてわたしなんか助けたんですか!」
それはもしかしたら言葉になっていなかったのかもしれないけど。
当然、応えはない。
――――――――――――――――――――
死にたい。
死にたい。
死にたい。
殺してやるとも思えなくて、とにかく早く楽になりたくて、でも痛いのはいやで、じゃあどうすればいいのかなんて、考えるまでもなくて。
死にたかったのに死ねなくて。
余計なお世話。それ以外の表現がこの世にあると思う?
死にたかったのに死ねなかった。あんたのせいだ。責任とってよ。責任とって、代わりに生きてよ。
ずるいよ、誰かを助けて死ぬなんて、格好よすぎるじゃない!
生きていかざるを得なくなっちゃったじゃない!
渡された命のバトンはあまりにも重く、分不相応。そんなものは早く誰かに渡したかった。そうして輝く自尊心の繭に包まれて、安らかに肉塊と化したかった。
どうせなら可愛い女の子を助けて死にたかった。
わかっていた。気づいていた。知っていた。だのに、知らんぷりをしていた。
仮にそうなったとして、それが一秒後だとしても、十年後だとしても、それまでの期間を真摯に過ごさねばならないと。それが重責なのだと。あの余計なお世話をしてくれた男性から手渡されたものなのだと。
そんなことができるなら、はじめからやっている。
できないからこそ、いまの地位に甘んじている。
そんなこともわからないの?
登校したらまず靴の中には画鋲が入っているからそれを取り除いて、教室に入った瞬間にこちらを見てくすくす笑い。聞こえるか聞こえないか絶妙な声音で悪口が混ざる。不細工だとか、臭いとか、ほくろが云々、鼻が云々、髪の毛が云々。
机に落書きはないけど、代わりに椅子にチョークの粉が。黒板消しでも叩きつけたに違いない。拭くために雑巾へ手を伸ばしたら、変なにおい。生乾きのにおいだ。
相川と目があった。
爬虫類みたいな目で、こちらを見て、笑っている。
その鼻っ柱に拳を叩き込んでやった。
もちろん、グーで。
心臓がばくばくしている。
視界がちかちかしている。
誰かの叫び声が近いようで遠い。
痛みなのか驚きなのか、叫ぶ相川の胸ぐらを掴んで、もう一発殴ってやった。
引きはがされようとするが知ったこっちゃない。
わたしは可愛くあらねばならない。
助けられた女の子は、当然もれなく可愛いのだから。
不細工に生きるのは、もうやめにしようと思うのだ。
《続く》
《続く》けど続きません。これで終わりです。
死にたくても死ねないのなら、生きていくしかないのです。