七つの塔
第二章の完結です。
《 3 》
雨音のようなシャワーの音が聞こえる。
質素な部屋の中。中心に置かれたローテーブルの上で、ラウネが言葉を漏らした。
「本当にここに泊まるのか……」
「アギャ」
返事をするように、小さな竜が鳴いた。その竜はテーブルの上で寝伏せている。主の帰りを待っているのだろう。
「リウ」
名前を呼んでみる。この水竜はリウという名前であった。セレナが名づけたという。リュウという名称から、短縮してリウ。単直なネーミングであった為、ラウネは思わず苦笑した。
「…………」
リウが応答する気配は一切なかった。どうやら飼い主以外には懐かないらしい。
次に見たのは窓の外だ。部屋から見える景色は既に暗黒。日は夜を迎えていた。
第一層、騎士学院の領地内。その中に生徒専用の寮がある。ラウネはその専用の部屋で生活していた。
「フェルム先生のおかげで、誰にも気づかれずに帰ってこれたな」
夕食をとった後、二人は寮の前にいたフェルムの手引きでここまで来た。フェルムは妻の元へ早く帰りたい、と不満を漏らしていた。だが的確な指示を出してくれたので、寮内の生徒には気づかれていない。
部屋に入った後、セレナはシャワーを浴びたいと言い出した。反対する理由もないので、セレナは現在シャワーを浴びている。
ラウネは暇だった。そこで、伏せているリウの頭を指で突いてみる。リウが不機嫌な声を出した。
それに重なるよう、部屋に設置されたシャワー室の雨音が止む。
「そういえば、着替え用の服持っているのか?」
セレナはシャワーを浴び終わっている。着替えがないことは、今気づいてしまった。部屋にバスタオルはあるのだが、女性用の着替えなどあるはずがない。
「アグ」
後先悩んでいたラウネの指が、竜の口に噛まれた。指先に鮮烈な痛みが食い込む。
「いだだだだ! 放せ!」
小さな体を振り回させるが、外れる気配は一向になかった。むしろ、噛む力は強くなっていた。
「めっ」
その時、真っ白な指がリウへと伸びた。指が少し赤みを帯びている。数滴の水分も浮かんでいた。シャワーを浴び終えたセレナなのだろう。
リウの頭に指が触れた途端、ラウネの口が開放された。
「ああ、ありがとう。セレ……ナ…………」
振り向き泣きながら感謝するラウネ。そんな彼の表情が唖然に変わった。
ラウネの隣にいたのは、黒衣ではない純白の少女だった。
着ているのは白いワイシャツだけである。サイズが大きく、袖がはみ出ている。また、普段の黒衣と同様に、全身が鎖で巻きつけられていた。
加えて、黒い輪が首を始め、手首と足首に五つ。それらは全て、全身に絡みつく鎖を結ぶ役目を果たしていた。大昔の奴隷も越える、異様な有様だ。
「だめ。かんじゃ」
「駄目なのはお前だあああ!」
「?」
湯上りで紅潮した顔を、セレナは不思議そうに傾ける。すると、巻きついている鎖が鳴った。
音に反応したラウネの眼が、鎖を見つめ、巻きつかれた四肢まで見てしまう。最も眼につく鎖だ。しかし、彼女の体も負けじと美しかった。
「な、何て格好してんだよっ。それって、俺のワイシャツだろ!」
「だめ?」
親指を突き出すラウネ。
「いや、かなりいい! …………じゃなくて!」
ラウネが頭を抱えた。また、癖が出てしまったのだ。
ラウネ・ユースティティアには幼少からの癖があった。思ったことをつい口に出してしまうのだ。アーシェとレノンは既に知っているが、本音が知られてしまうことにあまり得はない。損ばかりだった。
「どっち?」
ラウネは頬を少し赤く染めながら、一時間近く衣服の扱いについて説明した。
説明には納得したらしく、セレナは昼間の黒衣に着替えた。鎖は已然と身体に絡みついている。
「ねむ……」
眠たそうな瞳を更に閉じかけ、セレナがあくびを漏らした。何を思ったか、無言で部屋の隅にあったベッドに近づく。そして、その上に座った。
ベッドが、今にも壊れそうな音を上げる。
「おいおい! やめろ、やめてくれ! 俺の安住の地を壊さないでくれ!」
「そろそろ、ねる」
黒衣の少女は一切聞いていなかった。
ラウネが諦めたようにため息を漏らす。それからテーブルの上に、数冊の本を広げ始めた。彼の頬はまだ赤かった。先ほどの美しい姿が脳裏から離れないのだ。
「……分かった。そこで寝ていい。俺は勉強しているから」
「おやすみ」
「ああ」
数冊の本を開くラウネ。彼はすぐさま集中する姿勢に入った。
「くそ。さっき先生に問題当てるって言われたからな……。予習しとかないと」
「…………おやすみ」
強まった視線の威力に気づかぬ不利を施し、淡白な返事を漏らした。
「ああ」
ラウネの手が動き始めた。素早く手馴れた動作だ。意識も外からの言葉が届かないほど高まっている。そんな横顔にある視線が集中していた。ベッドの方面から迫り来る重厚な眼力。ラウネはそれに耐え切れず叫んだ。
「だー! 何なんだよ、一体!?」
ラウネが教科書を叩きつけた。いい加減にしろ、と喚きながらセレナの方を向く。
「むう………………」
意に介した様子もなく、彼女は眉を寄せてラウネを睨み続けた。不満げな顔で、何かを訴えかけてくるようだ。
観念したラウネが投げやりに言い放つ。
「分かった、分かった! お休み!」
「む」
直後、セレナが満足したように頷き、ベッドの中に潜り込んだ。小柄な竜も抱きかかえている。
「はあ……、何だったんだ?」
布団に包まれて沈黙した少女を見送ると、ラウネは叩きつけてしまった教科書を再び開いた。開かれた教科書の紙面に絵柄が映っている。それは、七本の塔に守護される、一際巨大な塔だった。
神々が住むこの国の全体図だ。
七本の塔は、右回りに光の塔、闇の塔、火の塔、水の塔、風の塔、雷の塔、地の塔、と名称がつく。頂上には、人々を守るという正義の名を持つ神々もいる。最強の存在、上位七大神。
「歴史か……。苦手なんだよな」
フェルムが与える問題は歴史だった。神々の歴史についてだ。
教科書に並べられた単語を一つずつ拾い上げ、整理してゆく。単語がラウネによって読み上げられていった。
「上位七大神……、火の神。風……、光…………闇、水、雷…………」
絶対的存在、神。その正体は誰にも分からない。一説によれば、高位魔術の結晶だと言われている。人々が使う魔術も、神の存在が大きく関わっているらしい。
千年を超える時代。彼らはずっと人々を守ってきた。敵対する存在、魔神から。
「……もう、八年か」
無意識に閉じかけた瞳でラウネは窓の外を見た。既に漆黒の空間が広がっているが、鐘がなっていないので、まだ零時を過ぎてはいないらしい。
「明日は地の日か」
塔樹街での日付は、その各曜日に鳴る鐘の塔と、同じ名前が付けられていた。今日は雷の塔。順番からして、明日は地の塔から音色が響く。
「八年前の少女……か。あの日からもうそんなに経つのか」
八年、それは忌々しい事件から過ぎた月日だ。『神名殺し』。魔神と関わった者全ての虐殺。今でも、彼自身の記憶に光景が残っていた。炎々と燃え上がる広場に、両脇に倒れた両親の遺体。そして眼前に立つ黒衣の死神。
「やめやめやめ!」
ラウネは思い切り頭を振った。脳裏の光景が吹き飛ぶ。代わりに別な感覚が脳内に生まれてしまった。
「眠い……」
ラウネの頭が舟をこぎ始めた。必死に堪えようと抵抗するが、努力空しく、意識は遠のいていった。
《 4 》
冷感的な地面の上で、奇妙な足音がなった。ジャラジャラジャラと、金属が連なる音だ。冷ややかな闇に溶け込むように、音はくっきりと浮かび立つ。
足音の主が、不意に歩を止めた。
そこは一陣の風が吹く場所だった。足音の主が持つ黒髪を空気に晒される。深い夜闇、天に浮かぶ月が、身体を巻きつける鎖を照らし出した。
風の流れが止んだ。
主は虚空を見つめている。しかし、そこに照らされるものは何もなかった。
――月が、暗雲に閉ざされた。
放散する衝撃音と、赤く燃える火炎が周囲を覆う。
やがて、午前零時を告げる地の塔の鐘が鳴り響く。波のように広がる音響が、その場所を通過した時には人影は消えていた。
次回も一日後に投稿する予定です。