護衛
ようやくメインヒロインが登場しました。
《 3 》
塔樹街、第二層。この階層には周囲の塔にかかる七つの橋がある。そこから各方面の商人などが集まってくることが多い。また、緊急事態に即時な対応をする為、多くの戦力も第二層に集まっていた。それ故、騎士と商人の街とも呼ばれる階層だ。
その中心、騎士学院の真上になる部分。そこにも塔が立っていた。土台の学院よりも直径は小さい塔だ。しかし、高さは学院の比ではない。遥かに高く、雲にまでかかる程だ。
その途中でいくつかの大陸が見えた。金属質の裏地で、それが屹立する塔に接触している。あれも街であった。
街の名称、塔樹街。塔を中心として、木の葉のように大陸が浮かび、その上に街が建設されることが由来である。
「遅いな……」
塔の前でラウネが呟いた。上空の大陸から光が届く。その光に髪を橙色に光らせながら、眼を細めてみた。
高めの丘陵を思わせる学院の屋上、そこから真上へと塔が伸びている。ラウネはそんな屋上の端へと歩み、広がる景色を一望した。
「見えるわけないか」
ここからの景色は絶景だった。第二層の街はおろか、第一層の端っこまで見える。ラウネが呟いたのは、待っている人物が見えるかを試しての言葉だ。
「まったく、いつになったら来るんだよ」
直後、背後で詫びるような声がした。
「すいません」
「………………え」
その場からラウネは飛び跳ねる。素早い歩調で距離を開け、声の主の姿を確かめた。
「ラウネ・ユースティティアさんですか?」
そこにいたのは、帽子を深くかぶり、つばで顔を隠した女性だった。第三層に住む貴族のような優雅なドレスも身に纏っている。
「いつの間に」
数歩離れたところでラウネは呆けていた。
――全く気配を感じなかった。実戦で積んだ感覚。それが目の前の女性に何一つ働かなかった。この女性からは死人のような虚無を感じる。
「驚かしてしまいましたね。申し訳ありません」
女性の口元だけが微笑を取り繕った。顔半分が隠れているので、全容を読み取ることはできない。
「あの、あなたが護衛の依頼を頼んだ人ですか?」
「ええ。フェルムさんから抜擢された貴方に、護衛を依頼したのは私です。貴方がラウネさん……でよろしいのですね?」
ラウネは無言で頷いた。
女性が反応を見て更に笑顔を深めた。そして、飄然とした口調で切り出してくる。
「私はあなたを護衛の対象まで導く……いわば、案内人とでも申しましょうか」
本名を明かさないことを怪訝に思ったが、ラウネはこの依頼が内密に進められているという話を思い出す。相手もそれを前提としているのだろう。ラウネがそれ以上追及することはなかった。
「では、参りましょう」
女性が一歩体を後退させる。ラウネの目の前には、塔が再び出現した。案内人の女性はその視線を追うように、手を塔へと指し示す。
「護衛の対象のところに、ですか?」
「そう、彼女は塔の頂上にいます。第四層、及び神の階層に」
神の階層。その言葉はラウネの奥深くに響いた。体に緊張が走る。強張る表情を隠すため、ラウネは重い頷きをしてみせた。
無機質な白い壁に覆われた昇降機。この塔にはそれらが計八個内蔵されている。その中で、中心には特に太い昇降機があった。
操作は、全機共通で魔力を原動とする操作盤が使われていた。故に、案内人とラウネは難なく昇降機に搭乗できた。唯一難点なのは、中心の太い機密用昇降機は他と比べて遅いことである。
「これに乗るのは初めてだ」
子供のように無邪気な瞳を輝かせて、ラウネが前方に広がる風景を見つめている。
その様子を見て、案内人の女性が深い帽子の奥底で微笑んだ。
「……あ、すいません」
「いえ、別に大丈夫ですよ。それに、大抵の初めての人はこの景色に釘付けになるものですから。よかったら、ここにどうぞ」
案内人の女性が場所を譲る。操作盤の手前。そこから景色を一望できるのだ。
言葉に甘えて、ラウネは操作盤の前に立った。見える景色に、言葉なく心を奪われる。やがて、昇降機は第三層へと到着した。
「第三層ですね。……貴族が住む街まで来ましたか」
下降する街並みは豪華絢爛の一言が相応しかった。塔樹街は基本的に上の層に行くにつれて、大陸が小さくなってゆく。その為か、第三層の建物は威圧的な高さを誇っている。
「おや、気分が悪くなりましたか?」
案内人がラウネの態度に首を傾げた。
第三層へと通りかかった辺りで、ラウネの表情が曇っていったのだ。先ほどまでの明るい表情とは打って変わって、暗い顔つきをしていた。
ラウネは静かに首を振る。
「大丈夫ですよ。ただ、親友のことを思い出して……」
ラウネが発した言葉は轟音に飲み込まれた。目の前の景色が暗闇になった。
幾分が過ぎた頃。昇降機が全体を揺らしながら停止した。再び、操作盤の向こうで景色が開ける。しかし、その先で見えた景色にラウネは絶句した。
「なっ……!」
昇降機の扉の向こうで、世界が淡く輝いていた。
「着きましたよ」
ラウネの後ろで声がする。その声は届いておらず、ラウネは無意識に昇降機から降りた。何かに強く惹かれる様な、おぼつかない足取りだ。
「ここが……神の階層」
瞳の先で、輝かしい世界が広がっていた。光る粒子が宙を舞っている。街並みは第三層とあまり変わらない。ただ、可視できる光に満ちている。魔獣の浄化の際に発生する光のようだ。
「なんだか、息苦しい」
周囲には七つの門。第二層と同じように、他の塔から橋がかかっているのだ。
不意にラウネは視線を上げた。光が向かう一点。中心から伸びる螺旋階段が天井へと続いていた。
「あの先に、貴方に守ってもらいたい子がいるのです」
案内人は景色に見とれるラウネを尻目に、螺旋階段を昇り始める。ラウネもその後を追った。
意外に長い螺旋階段の中段。案内人は急に振り返る。
「そうそう、これを渡すのを忘れていました」
何かを思い出したように、そこでカード型の通交証を渡した。
「これは……?」
「ここへ来る為のパスです。必ず必要になるので、失くさないでくださいね」
不可視な視線がラウネに注意を向ける。ラウネがパスを制服のポケットにしまった。それを見て、案内人は安心したような表情を口元だけで見せた。
また、螺旋階段を昇り始める。
光り輝く粒子が身体を何度もすり抜けてゆく。触れる度、魔術特有の鐘に似た響きが聴こえた。ラウネが推測するに、魔力に関わる現象だと思われる。
―――――長い段差を超え、天井の先まで辿り着いた。
「さあ、ここです。中心の塔の頂上。唯一、雑音の鐘がある広間です」
「雑音の……鐘?」
見上げた向こうで巨大な鐘が釣り下がっていた。とてつもない威圧感を広間の天井から発している。ラウネの肌にも鳥肌が浮かび上がった。
「この鐘って、上位七大神が鳴らす浄化の鐘か? でも、周囲の塔にしかなかったはずじゃ……」
「正確に言うと、正常に響く鐘が七つ。そして、鐘そのものは八つあるのですよ」
「これが八つ目? この塔にそんな鐘があったなんて知らなかった」
感服して、鈍い光沢を放つ鐘を見上げるラウネ。その眼が鋭く細められた。視線は宙を漂い、やがて鐘の上で留まった。黒い物体が見える。
ジイイィィィン……!
唐突に耳障りな音響が広間に浸透した。鐘が微細な振動によって発した音だ。
「本当だ。雑音みたいだ…………て、えっ?」
「あら? 鐘の上にいるようですね」
「あ、あの、あれって人影ですよ。人が、あんなところにいるんですか?」
ラウネは唖然とした。あの巨大な鐘は宙に釣り下がっている。高さも人の手が届くものではない。当然のごとく、鐘の上へと辿り着く経路はないのだ。
しかし、確かに人影が存在する。
「アギャー」
人外の声。思惑が外れたのかと、ラウネは首を傾げた。
「……人だよな?」
案内人が慣れた足取りで歩き出す。鐘のほぼ真下まで来ると、黒い物体から声がかけられた。先ほどの人外の声とは違う、繊細な少女の声だ。
「だれ?」
「私ですよ、セレナ。降りてきなさい」
その声に反応して、黒い物体が動き出した。もぞもぞと鐘を揺らしつつ、顔だけを遥か彼方から覗かせる。ラウネからは顔が見えないが、黒く長い髪を持つ少女だと分かった。
「降りてこいって、あんな高さからどうやって」
「てや」
「飛び降りたっ!?」
反射的にラウネが駆け出す。少女の体は勢いを増して落ちていた。すぐに少女は地面に激突するだろう。そうなれば、確実に重症を負うはずだ。
「危ないですよ?」
「そりゃ、危ないでしょ! あんな高さから落ちたら!」
「そういう意味じゃなくて」
案内人の言葉を聞き流し、ラウネがさらに加速した。
「間に合え!」
少女の落下地点にラウネが屹立する。直後、黒髪の少女が舞い降りた。
両手を広げて、受け止めるラウネ。
全身に重みが掛かる。ラウネの脚力と少女の重力が対決した。そして、ラウネが気づいた時には、重々しい衝突音と共に背面を強打していた。
「ぐぁ!」
気を失いそうな程の痛みが駆け巡った。呼吸も一瞬停止する。
「だ、大丈夫か?」
痛みを堪えつつ、ラウネは少女の顔を見上げた。見上げる形で対面した護衛を見つめ、ラウネは絶句する。
少女は、この世の者とは思えない美貌の持ち主だった。
ラウネは思わず印象を口走りそうになる。視線がぶつかり合う最中、口を開いた。
「――――重ぉおおおおおおおお!?」
信じられないことに、その体重でさえ桁外れなものであった。各所の骨までもみしみしと音をあげる。
ラウネに跨る少女は、黒で埋め尽くされていた。艶がある柳のように、腰まで届く黒髪。肌は真珠のように白く、瞳は深い夜闇の色をしていた。端正な顔立ちで、その小さい身長から、人形と間違えてそうだった。
何より、細い喉には首輪がされてある。そこから、全身に巻きつく銀の鎖が伸びていた。
「ラウネ」
奴隷につけるような黒い塗装の首輪の奥から、囀るような声がなる。
ラウネは少女から目が放せなかった。もどかしい気持ちになり、無意識に視線を逸らす。
「……?」
しかし、すぐに顔を少女に戻した。どうして自分の名を知っているのか。この階層に来てからは、名前は一度も呼ばれていない。初めて会うこの少女には、知る由がないはずだ。
疑念を孕むラウネの視線を受けながら、少女が唇を動かした。
淡く輝く世界の中。人形のような少女は、呪われた混血の少年に問いかける。
「愛さない者と愛されない者。どちらが罪ですか?」
一日おきに投稿する様になると思います。E・DやAIRLINEの代わりのつもりです。言い訳が多くて申し訳ありません。